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未来(さき)者買い

救いようのない話はこの世の中にゴマンとある


救われない人はそれ以上にいる



でも俺は救いようのない話を見て、救われない人を知って、救いようのある話が書きたかった


世の中そんなに甘かない

甘かないけど、世の中はそうであって欲しいと俺は願ってこの話を書いた



 物々交換……


 人が何かを得たいなら、何かを払わなければならない。



 人間の決めた掟。


 私はそれに従い……代価を払わせる。



 そして……何かを得させる……。






 私の仕事は……




 未来(さき)者買い……







 春になってからもう既に3ヶ月……

 ツラい冬を乗り越えて、動物も植物も、そして人間も暖かい春を迎えていた。


 特に受験生は周りからのプレッシャーに耐えて、遂には自分の望むものを手に入れた者、はたまた親が望んだために『仕方なく』それを手に入れた者など……様々だ。



 彼等もまた、『それ』を得るために何かを棄ててきたのだろう。




 この桜も、花を咲かす代わりにツラい冬を乗り越えたのだ。



 「ノリ君……何桜見上げてるの? 早く学校行かなきゃ遅刻するよ〜?」


 「あ……あぁ、ワリ悪ィ。ちょっと桜に見取れてたんだワ。」


 俺は舞い散る桜に儚さを感じ、自転車の後ろに乗せていた彼女に怒られてしまった。


 今日はもう始業式。

 短い春休みを経て俺と彼女は二年生に進級した。


 「ノリ君てさ、結構感傷に浸る方?」


 「……かもな。さ、学校行こう。今年はぁ……サキと一緒になりてぇな。」


 ボソッと俺は呟いた。

 だがサキにはそれが聞こえていたらしく、

「私も……」と呟いて俺の腰回りにギュッと抱きついた。



 サキとは高一の冬のとき、同じクラスの女子がサキを紹介して知り合った。

 前々からサキは俺に興味持っていたらしいのだ。


 最初はお互い緊張し二人きりになっても会話という会話が少なかったが、文化祭やサキからの積極的なメール、そして毎日一緒に帰っていたお陰でマトモな恋人の会話が出来るようになった。



 「あ、自転車から降りなきゃ……だね。」


 校門が視認できる程までに近付いたのでサキはピョンと自転車から降り、徒歩へと変えた。


 「じゃ俺……先自転車停めてくるから。サキはゲタ箱で待っててよ。」


 「うん分かった。待ってる。」


 俺は軽くなった自転車を腰を上げて漕ぎ、所定の自転車置き場に自分の自転車を停めた。



 「ノリ君……だよね?」


 ふと背後から声を掛けられた俺は、無言で振り向いた。


 「ノリ君だね? 初めまして。」


 そこにいたのは男とも女とも言えない中性的な顔をした人物。

 羽の描かれたニット帽に短めの金髪。

 着ているものがタンクトップにフードつきのパーカーを羽織り、Gパンとかなりラフなものだった。

 少なくとも、ここの生徒ではないことだけはわかる。


 「そう……だけど?」


 「そう……。……何か困ったことがあったら相談しなさい。」


 それだけ言うと彼……いや彼女?は俺の横を素通りしていった。



 「なんだ……?」


 その不思議な人物は曲がり角で姿を消し、俺も追うように角を曲がると既に消えていた。


 「まぁ……いっか。」


 不思議な人だ、という心の中で思うだけで、俺はサキの待つげた箱へと急いだ。



 「ノリ君遅い〜!!」


 「いやぁ……ワリ悪ィ。俺何組だった?」


 「謝ってばっか……だね? でも、オメデタイことに私とノリ君は……一緒のクラスです!!」


 満面の笑みは俺の心をドクンとうねらせた。


 ヤバい……すご……可愛い。


 小振りのサキは髪を長く伸ばしているが、子供っぽく見られたくないサキはストレートにしているのだ。

 そういうサキの健気さも、仕草も、一つ一つがいつも俺の心を駆り立てる。


 「どしたの? 顔赤いよ?」


 「なんでもないなんでもない!! 早く教室行ってさ、始業式に出よう。」


 俺は自然と早歩きになり、待たせていたサキを置いてけぼりにし教室へと歩いていった。




 クソつまらない始業式も終えて新しい担任の紹介も済み、さて帰ろうかと思い立った時サキが声を掛けてきた。


 「一緒に帰ろう?」


 「あ、うん。」


 何気ない一言一言が、俺の心を癒やしてくれるサキ。


 ここで女友達と帰ることを選ばず俺と一緒に帰ることを選んだサキは本当にいい奴だ。


 「じゃあ俺自転車取ってくるわ。」


 「……私も行く。ノリ君、今日遅かったから。」


 「分かった分かった。」


 俺とサキは笑い合いながら自転車置き場まで向かい、キーを差してサキを乗せて自転車を漕ぐ。


 「ねぇノリ君……来年は受験……だね?」


 「もう来年の話かよ? サキはどーするの?」


 ゆっくりと自転車を漕ぎながら後ろに横座りするサキに問い返す。


 「う〜……受験するよ。でもノリ君と同じ所は無理かも……ノリ君頭良いから……。」


 「…………っ。」


 しょんぼりするサキは突然咳をしだした、胸を押さえた。


 「ゲホッ……ァッ……ゲホッゲホッ!!」


 「お、おいサキ!? 大丈夫かッ!?」


 「大……丈夫……!! ちょっと……ゲホッ……むせ……た……だけ……だから!!」


 本人はそう言うが尋常じゃない咳込みに俺はただ事ではないと直感し、サキを急いで家まで送り届けることにした。


 「サキ……家着いたぞ。」


 何とかサキの家まで送り届けた俺は、サキを一人にすることが出来なかったが、サキが

「風邪かもしれないし移すと悪いから。」と俺を家に帰した。


 「サキ……大丈夫かな……?」


 一抹の不安を胸に、俺は自転車に跨り家路へと着いた。








 次の日、サキは学校を休んだ。

 俺は授業後、お見舞いの品を買い急いでサキの家へと自転車を走らせた。


 玄関のチャイムを鳴らし、出てきた先のお母さんに挨拶をする。

 お見舞いの品をサキのお母さんに渡し、俺はサキの部屋へと向かった。


 「サキ……入っても大丈夫か?」


 「……いいよ……。」


 扉の向こうから聞こえてきたのはサキの弱々しい声。


 ゆっくりと扉を開け、中のサキの様子を窺う。


 サキはベッドの上で苦しそうに咳込み、俺を見ていた。


 「サキ……大丈夫か?」


 「う〜……咳が……出る。ツラい……。」


 いつも弱音を吐かないサキにしては珍しいセリフだった。

 俺はサキに歩み寄り、サラサラな髪を優しく撫でる。


 「あんまり……良くならなかったら一度家の病院来いよ……。」


 「うん……。」


 弱々しく、けれどサキは笑顔で頷いた。


 その後俺はサキに学校からの連絡やら何やらを伝えてサキの家を後にした。



 「あなたは……」


 サキの家から帰る途中、始業式の日学校で出会ったあの不思議な人物と遭遇した。


 初めて会ったときと変わらない格好をして。


 「何か……相談事でも……?」


 いきなり話しかけられた第一声は挨拶ではなかった。

 サキの顔が目に浮かんだがあまり関わりたくないと思い、俺はとっさにそう答えてしまった。


 「いや……何もないです。」


 「そう。では少年、サラバだ。」


 不思議な人物はまた俺の心の中に疑問を作らせつつ、その場を去っていった。





 次の日も……サキは学校へと来なかった。


 次の日も、次の日も、始業式の日からサキは学校に姿を見せず、俺の中で不安がどんどん大きくなっていった。




 一週間立った日、俺はサキを病院へと連れて行った。


 心なしか少しやつれ、正比例するようにサキの咳込みは激しいものになっていた。


 「サキ……大丈夫?」


 「ゴホッ……ゲホッ……大丈夫だよノリ……君。咳がちょっと……ゲホッ……ゴホッゴホッ……ヒドいだけだから……それだけだから……。」



 万人が万人、大丈夫ではないと答えるであろう。

 サキの容態は著しく悪化していた。


 親父は内科を受け持っており、サキの状態を知るなら一番分かる。


 待合室でサキの名前が呼ばれ、俺はサキの検査が終わるまで待合室で一人、落ち着かない気持ちで待っていた。





 サキはその検査で、検査入院を言い渡された。





 「サキ……」


 「大丈夫……ノリ君……大丈夫だから……」


 病室のベッドの上で必死に笑顔を取り繕い、気丈に振る舞おうとすサキに心が痛む。



 俺は……無力だ……。




 その日の夜、俺は親父に呼ばれて親父の部屋に来た。

 薄暗く、難しそうな本が棚ぎっしりに並べられている。

 机に向かいなにやら難しそうな顔をしていたが、その場の空気でよい知らせではないということがひしひしと伝わってくる。


 「ノリ……お前には告げておこう……結果が……分かった。」


 俺は聞きたくなかった。

 受け止める覚悟などしていない。




 いや、受け止める覚悟などしたくない。



 だが無情にも親父の口から発せられたサキの今の容態はあまりにも残酷で、そして悲しい事実だった。




 俺は『それ』を聞くと無言で親父の部屋を飛び出し、自室で震えていた。






――特発性間質性肺炎…………



 肺の間質組織を主座とした炎症を来す疾患の総称で、非常に致命的であると同時に治療も困難な難病である。

 その病態から、呼吸困難や呼吸不全が主体となる。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である。

 肺線維症に進行すると咳などによって肺が破れて呼吸困難や呼吸不全となり、それを引きがねとして心不全を起こし、やがて死に至ることも多い。


 1989年には、歌手の美空ひばりがこの病因により、52歳の若さで亡くなった事でも有名な病名で、特発性間質性肺炎(後述)は日本では特定疾患に指定されている。





 次の日から、サキの闘病生活が始まった。

 俺は毎日のようにサキの元へと通い、日に日に衰弱していくサキを励ますように声をかけた。


 毎日毎日、飽きることなく学校の話を聞かせサキを元気付ける。

 それがサキに対し出来ることだと思っていた。

 実際のところサキを治療できない自分に無性に腹が立っていたが。


 「でさ、明日から球技大会の練習なんだ。」


 「そっか……うん、それは頑張らなきゃだね……ねぇ……ノリ君……」


 「ン?どーした?」


 「ちょっと……屋上に行きたい……」


 サキが悲しそうな笑顔を浮かべるので、俺は誰の断りもなくサキと屋上へと連れて行った。


 階段を上るサキは一段一段を慎重に、そして苦しそうに必死に登っていく。


 俺は屋上への扉を開けて、それと同時に初夏の爽やかな風をサキと共にその身に浴びた。


 「気持ちいいね……」


 「だな……」


 お互い病室で喋りつくしてしまい何も話す話題がない。

 俺とサキはただただ、日の傾いた空を眺めているだけであった。


 「私ね……ツライんだ……」


 「?」


 「新しいクラスになって、ノリ君と一緒になれて、さぁ新しいスタートだって思ったとたんこんな風になっちゃったんだもん……。」


 サキの顔には作られた笑みがあった。

 だがその笑みは到底、俺が今まで見てきたサキのあの笑顔には及ばず、もっといい笑顔が出 来るサキはドコへ消えてしまったのだろうと思わせた。


 「ツライ……病気が治らないのも、ノリ君と居られないのも……」


 「大丈夫だって、サキは絶対治る!! 絶対に死なせたりはしない!!」


 根拠のない言葉、それがサキの心に残れば良いと俺は思った。

 サキは一筋の涙を流し、ソレをぬぐうと俺に優しく口付けを交わした。


 「ゴメンね……ノリ君……」


 「もういいって……。風が強いからもう戻ろう。」


 「うん……」


 かける言葉がない。

 俺はサキの手を優しく握り、屋上を後にした。

 サキの病室は2階で、屋上は4階。

 またもサキに過酷な運動をさせねばならないな、と俺が考えたとき突然サキが胸を押さえてうずくまりはじめた。


 「はっ……!!ッハァ……ハァ……!!」


 「おいサキ!? 大丈夫かサキ!!」


 尋常ではない脂汗がサキの頬を伝い、顔色も悪い。

 呼吸もままならない状態にあった。



 マズイ……呼吸困難だ……!!


 「誰か!! 誰か居ませんか!?」


 俺は大声で叫んだ。

 一刻を争う状況下で俺の頭は正常に作動はしておらず、苦しむサキを前にしてただただ叫びうろたえるしかなかった。


 幸い、すぐに駆けつけてきた看護婦と医師によってサキは事なきを得たがサキの辛さは今の苦しさを見て想像に余りある。

 そして目の前で苦しんでいるサキに何も出来ない自分がとても歯がゆくて、ギリギリと歯を噛み締めた。


 その後のサキは面会謝絶になり、俺は仕方がなく帰ることを余儀なくされた。


 「くそ……!!」


 何も出来ない、してやれることが限られた俺はどうしようもなく苛立っていた。

 ふと、あの不思議な人物が頭の中に浮かんだ。


 あの人なら、もしかしたらサキを救えるかもしれない。

 藁にもすがる思いで町を散策したが、結局あの人を見つけることは出来なかった。






 サキが入院して1ヶ月半が経った頃。


 今日の天気はどんよりとした雲に覆われ、梅雨らしいジメジメとした気候だった。

 今にも振り出しそうな空。


 ドンドンとやつれていくサキはどうやら病気だけではなく投薬治療による副作用にも蝕まれたいった。

 俺はサキの病室で下手くそながらもリンゴの皮をむき、それを切ってサキに渡す。


 「ほらサキ、リンゴ剥けたぞ?」


 「…………ありがとう……。」


 サキは身体を起こそうとするがひどくだるいのか自力で起き上がるのが困難なほど衰弱していた。

 俺は手を貸し、抱きかかえるようにサキの上体を起こす。


 ……その身体は俺の通学用のかばんより軽かった。


 「味が……しない。」


 ほんの一口かじっただけでサキはリンゴを近くのテーブルの上に置いてしまった。

 俺が目利きを効かせ厳選したリンゴだ、味がしないわけがない。

怪訝に思い俺は一口かじると、リンゴの甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。


 「美味いよ? 味だってするし……」


 そのときサキが涙ぐんでいるのが目に入った。

 そして俺は同時に理解する。


 投薬……ステロイドホルモンの副作用の一つには嗅覚や味覚が低下する症状がある。



 サキは……病気を相手に闘病する代わりに味覚を失ってしまったのだ。


 「ゴメン……。」


 「いいよ……ごほっ!! 気に……しないゲホゲホッで……」


 そうは言っても俺は自分の浅はかさに後悔した。

 必死に病気と戦うサキに、俺は追い討ちをかけるような真似をしてしまったのだ。


 「ねぇ……ノリ君。」


 「ン?」


 「私ね……今ものすごくツライ……苦しくて、悲しくて悔しくて。死にたいって思ったときもある……。」


 「な!? なに言って……」


 「最後まで聞いて……!!」


 俺はサキの言葉に圧倒され、思わず上げた腰をもう一度下ろす。

 サキは灰色の空を見ながら俺の顔を見ずに話を続ける。


 「でも……これ以上ツラクなんてなりたくない……ノリ君が私なんかのために看病してくれるのは嬉しいけど……それ以上にツライ……そして………ノリ……君にこの病気を移したくないから……」


 やめろ……それ以上言うなサキ……!!


 「もう……来ないで……」


 サキの言葉だけが、二人しか居ない静かな病室に響いた。


 「な、なに言ってるんだよサキ? 俺は別に」


 「お願い……だから……!!ノリ……君は……死な……ないで!!」


 顔は見えない。

 だが嗚咽を漏らしながらサキは振り絞るように俺にそう告げた。

 俺にはソレが死刑宣告のように聞こえて、泣いているサキを一人病室に残し俺はその場から去っていった。




 外では……雨が降り出していた。



――ノリ……君は……死な……ないで――




 なんだよその言い方……




 それじゃあまるで……




 自分は死んでしまうって言ってる様なもんじゃねぇかよ……!!









 「おぉ……ノリ……ちょっと……いいか?」


 「父さん……」


 病院の二階の待合室。

 二階は内科を扱うので親父と出会うことは珍しくもなんともない。


 「彼女……サキちゃんだが……このところ……発作がヒドくなってきている。」


 またか……またそんな話か。

 タイミングが悪すぎる。


 「もしもの……最悪な事態も頭に入れておけ……。それだけだ。」


 親父はそれだけ言うと俺の横を通り過ぎ、階段を下りて行った。


 死刑宣告……紛れもなく、医者から言われた事実は俺の心を、希望を簡単に打ち砕く。


 その場に立ち尽くしていた俺は何も考えず、すぐに駆け出し降り続ける雨の中走り続けた。


 傘も差さず、時折すれ違った人と肩をぶつけ、走って走ってたどり着いた場所は神社だった。


 サキが入院し始めた頃から通っている神社。

 何度も、何度もお祈りをした場所。


 「サキが……神様(あんた)の決めた運命でああなっちまったなら……仕方ないと思う。きっとあんたは……サキが堪えれると思ったから試練を与えたんだろうよ……。」


 俺は雨の中独り言を呟いた。

 声には段々と怒気が籠もり、自然と拳に力が入る。


 「でも……」



 でも……






 「あと何回サキは苦しめば救われるんだよッ!!」




 俺だって分かる。

 誰も悪い訳じゃあない。

 それにこんなのは毎年毎日世界中であることだ。




 なのに……



 なら……誰も悪くないならば……




 なんでサキは苦しまなきゃならないんだ……!!




 雨の中、俺は泣き続けた。

 雨は俺の体を冷やし心を濡らす。




 この世の全てがイヤになっていっそ自分で自分を殺したくなる。



 「ノリ君……随分とずぶ濡れだね。」


 俯いていた俺に声を掛けてきたのは俺が会いたいと思っていた、いつもと変わらない服装をした、

 そして男とも女とも言えない中性的な顔をしたあの不思議な人物だった。



 「あなたは……!?」


 「相談事に……乗ろうか?」


 「俺はあなたを……探し続けた……。」


 「それは誠に申し訳ありません。では改めて、御利用有難う御座います。私の名前はエリー。しがない取り立て屋です。そしてお仕事は……『未来(さき)者買い』を生業とする者です。」


 営業用の丁寧な口調でエリーと名乗った取り立て屋は、中性的な顔を歪ませニヤリと笑みを浮かべた。


 雨で濡れた髪も、濡れた唇も全てが艶めかしい。


 「色々聞きたいが……あんたは……なんでずっと前から俺のことを……」


 「あぁまぁ……質問はあまり受け付けないよ。一つ言えることは私は『気まぐれ』だと言うこと位かな。だから私は君の前に現れた。」


 クスッと口元を押さえて笑うエリーはどこから取り出したのか黒い一本の傘を差し出した。


 「風邪を引いたら大変だよ?」


 「ありがとよ、それであんたの仕事は……俺の願いを叶えてくれるのか?」


 俺は傘を受け取りながらエリーに訊ね、エリーは傘を差し出したあと答えた。


 「然るべき対価を払うならね?」


 相変わらず笑みの絶えない顔をするエリー。

 だがその笑みには不快にさせるような笑みは含まれていない。


 「じゃあ……俺に……サキを救える力をくれ……出来るか?」


 誰に頼ってもサキが助からないならば、俺自身が助ければいい。

 俺はサキを救う力が欲しいのだから。


 ゴクリと唾を飲み込んだ。

 もしもこの願いが叶うならばどんな対価でも払ってやる。


 もしもサキが苦しみから救われるなら、俺はどんなことだって耐えてやる。


 「然るべき対価を払うことを誓う?」


 「誓う。」


 「対価に対してどんなことも耐え抜く?」


 「あぁ。」


 俺は一言一句、力を入れて答える。

 その様子を見たエリーは笑みの消えた真面目な顔で俺を見据えた。

 眉根に皺を寄せ、口元を手で多い隠す。


 「ふぅむ……ウソは言ってないね。いいよ、叶えてあげよう。あなたの願いを聞き届けよう。」


 エリーは右手をかざし、俺の頭……額にトン、と指を指した。

 俺はいきなりのことで体がグラつくが次の瞬間、激しい頭痛に襲われた。


 頭を殴られたときより何倍も痛い。

 むしろ頭をカチ割られたんじゃないかと思うくらいの激痛だ。


 「ッガァ!!ァアアッ!!アァアアアッ!!」


 叫び声、などという言葉では到底表現出来ない声。

 断末魔に等しいほどの声を、俺は一人上げた。



 時間にして十数秒位だっただろうか……。


 もっとも俺には永遠に等しい十数秒間だったが……。


 頭痛も収まり、まだ降り続ける雨は一向に止む気配を見せようとはしない。


 「何か……変わったのか? 俺は……」


 「ノリ君、今君に与えられたのは類い希な、稀有な頭脳だ。その知力なら彼女……サキちゃんを救えるだろうね。」


 「稀有な……知力……」


 エリーに言われた事を俺はもう一度呟いた。


 別段、自分の変化に変わりはないように思える。


 「俺は……サキを救えるんだな?」


 「君次第だけどね。」


 ニコニコとした笑みを浮かべ、エリーはスッ、と俺に病院に行くように促した。


 「行きなさい少年。未来は常に前へ、前へと進んでいる。どんなときも前に進もうとしなければ未来へは追い付けない。」


 「あぁ……ありがとよ。」


 俺は傘を閉じてエリーに返すと一目散に病院へと駆け出した。





 「またのお越しを。」


 神社に一人残されたエリーは、ノリの後ろ姿を見送りながらそう呟いた。


 雨は一層、強く降り続けた。

 ノリの行く手を阻むように。







 病院に着いた俺は親父に頼んで薬剤室を開けてもらった。


 貰った知力……それをフルに活用し親父の監修の下、薬を作り上げる。



 驚くべき事だった。


 まるで難解なパズルを簡単に解くかのように、俺の薬の知識が薬を作り上げていく。


 配分比率、種類……どれもが当たり前のように頭の中に提示され、俺は薬を完成させた。

 急なことだったので、一人分……つまりサキの分しかないがこれでサキを救うことが出来る。


 「ノリ……お前いつの間にこんなことを……?」


 親父はただただ驚くだけだった。

 監修はしたが手も口も出していない。


 それは恐らく俺の調合が斬新で、それでいて正しく安全なものだったからだろう。


 「サキ……!!」


 俺は脱兎の如く二階のサキの病室まで走る。



 早く、早くサキの元気な姿が見たいが為に。


 

 早く、早くサキが学校へと行けるようにする為に。




 そして……サキのあの笑顔が見たいが為に……!!


 「サキ!!」


 ガラッと勢い良く病室のドアを開けて、中に入る。


 サキはベッドで寝ていたが俺が来ると笑顔を見せ、そして涙を流した。


 「ノリ君……何しに……来たの? もう……来ないでって……言ったのに……!?」


 「サキ!!薬ができた!! 薬が出来たんだよ!! サキの病気を治す薬が!!」


 俺は興奮しながらサキに歩み寄り、サキの細い手を握る。

 折れそうなくらいやつれてしまった手は無意識の内に握り返していた。


 「これ……飲んで!! 大丈夫だから、絶対に……!!」


 俺はそう言うと二粒のカプセルの薬をサキに飲ませた。

 サキは苦しそうにその薬を水と一緒に飲み干し、コップを机の上に置く。


 「私……治るの?」


 「大丈夫!! 絶対治る!!」


 「そっか……じゃあ……私も頑張らなきゃ……だね。」


 俺は力強くそう励ました。

 サキは笑みを浮かべ、布団を深く被り寝てしまった。


 「サキ……」


 サキの柔らかな髪を俺は優しく撫でる。

 これでまたもう一度、サキと一緒に居られる。

 一緒に自転車で学校に行って、一緒に授業を受けて、一緒に帰る。


 それが出来るのだ。


 「ふむ……サキちゃんはまたずいぶんと可愛い彼女だね?」


 「うわッ!?」


 突然のことで俺は跳ね上がるくらいに驚いた。

 いきなり隣にエリーが現れたのだから、誰でもビビるだろう。


 「エリー……何しに?」


 「決まってる。然るべき対価を払って貰うんだよ。」


 「何?」


 対価って……まさかサキを!?


 「大丈夫大丈夫。サキちゃんには手を出しはしない。ルール違反だからね。」


 俺の顔で考えを察したであろうエリーはクスクス笑いながら話を続ける。


 「ノリ君、君はサキちゃんが助かるならばどんな対価でも払ってやると言ったよね?」


 「言った……」


 「じゃあ対価を言おう。『君とサキちゃんは今から離れてもらう』。」


 「何……だと!?」




 俺は言葉を失った。

 つまりサキと別れろと言うことか!?


 俺はサキをチラリと見た。

 スゥスゥと規律よく立てられる可愛い寝息は、沈黙が支配した空間ではよく聞こえる。


 「ダメとは言わさない。君はもうそれで承諾した。対価を払うと言うたじゃないか。もう動いている。対価は絶対に払われる。」


 ニヤリと笑い、俺を覗き込むその顔に俺は恐怖を覚えた。



 「あんたはよく……神とか悪魔とか言われるか……?」


 「よく言われる。人それぞれだけど。」


 「俺には……あんたがその両方に思える。」



 だがこれでサキが救われるなら……俺は本望だ。


 それに……対価を払うと言ったのは俺だ……。



 「願いは叶えられた。契約に基づいて、然るべき対価を。」



 もう一度、ニタリとエリーは笑みを浮かべた。









 その後、サキの容態は順調に回復を見せた。


 まだ体が元に戻らないサキは入院をしなければならないが、サキは元気になれるなら頑張ると励んでいた。


 俺は特効薬の開発者として医学会から期待の星として注目され、多大な資金援助の下、アメリカの医大に編入することとなった。


 これが……エリーの言っていた対価なのだろう。



 俺はサキに別れの言葉を告げることなく、日本を後にした。










 そして……5年の月日が流れた。


 少年は大人となり、少女もまた大人となる。



 俺はアメリカの医大の研究室で、新しい特効薬の研究に没頭していた。


 周りには馴染みのない言葉が走り書きされ錯乱した紙や、ビーカーやフラスコが置いてある。


 「だから……これは……こうで……」


 「HEYノリ!! 今カラ一息付キニ、カフェに行クンダガ付イテクルカ?」


 「ノーセンキュー。もう少しで終わりそうなんだ。レニー、また今度行くよ!!」


 俺は顔を上げもせずレニーにそう告げた。


 「OK、ソウ言エバノリ、ルーシーガ今度オ前トオ茶シタイッテ言ッテタゾ?」


 「ハハッ、考えとくよ。」


 レニーはそれだけ言うと部屋に俺一人残して出て行った。

 俺は近くにあるマズいコーヒーの煎れられたカップを手に取り、一口口に含んだ。


 「まず……。」


 カップを置き、キリの良いところでペンを置いて、伸びをした。

 キャスター付きの椅子の背もたれに体重を乗せると、椅子はキィキィと金属音を立て、揺れる様に軋んだ。


 「…………〜ッアァ!! 疲れた〜……!!」



 独り言の多い俺は、脱力しきった体で窓の外を見る。


 医大のキャンパスは今昼下がりの陽の光で明るく照らされている。



 充実は……していない。



 不意にガチャリと後ろのドアの開く音がした。

 レニーが帰ってきたのだろうか?


 「レニー?」


 名前を呼んでみるがなんの反応もない。


 俺は椅子を回転させドアの方に目をやった。



 だがそこには誰もいない。


 独りでに開いたのか?

 それとも誰か忍び込んで隠れているのか?


 部屋に緊張が走った。



 「君は確実に進歩しているな。」


 「なぁっ!?」


 突然背後から声がし、俺は奇声と共に振り向いた。


 「久しぶりだね。」


 「エリー!?」


 そこには出会った時と変わらない姿で、俺とサキの人生を変えた張本人、エリーが立っていた。


 「英語も上手くなってるし。」


 「そりゃあ5年もアメリカに居ればな……」


 俺は皮肉を込めた笑いをエリーに向けた。

 もちろんエリーに対して込めた皮肉だが。



 「ところでエリー、あんたは何しに来た?対価はもう払っただろ?」


 俺は立ち上がり開け放たれたドアのカギを閉めてエリーに質問した。

 もうエリーが俺につきまとう理由はないはずだ。


 「いやぁちょっと遊びにね。」


 「暇人だな。サキは……元気にしてるか?」


 唯一の心残りを俺は聞いた。

 退院はしたと聞いたがその後のことは何も聞いてはいない。

 だが元気ならばそれでいいのだ。


 「あぁサキちゃんね。まぁ元気だよ、人並みに生活出来るようになったしね。君はサキちゃんの事がまだ好き?」


 「あぁ。」


 「そうか……一途だね。彼女はね、今もまだ君を待ってるから。」


 は……?

 どーいうことだ?


 俺は我が耳を疑った。

 5年も会わずじまいで、まだ俺のことを想っているなんてバカな事だ。

 俺はもう……サキとは会えないのだから。


 「あんた……サキに……」


 「あぁ、ちょっと吹き込んだ。『ノリ君は必ず帰ってくるから、待てるかな?』と。」


 ニヤニヤ笑いながらそうエリーは俺に告げる。



 心にズシンと重い何かがのし掛かるような感覚が俺を襲う。


 残酷な仕打ちだ。

 俺はもうサキとは会えない。

 なのに彼女は俺のことを待ち続けなければならない。


 「君は……ノリ君はサキちゃんに会いにいかないの?」


 「会えるわけないだろ……。あんたにそう対価を払ったんだからな。」


 俺は自分の椅子に腰掛けハァッと溜め息を吐いた。

 サンサンとした陽の光は研究室の窓から差し込み、暖かく中を照らす。


 お互い何も喋らなかったが、エリーが話を切り出した。


 「日本語って……世界で一番難しい言葉なんだって。知ってたかな?」


 「聞いたことはあるが。」


 何か関係でもあるのだろうか?



 「私はね、離れろとは言ったけど『会えない』とは言っていない。」


 「え……!? それって……」


 「いつか気付くか、それとも約束を破ってまで彼女に会うかと思ったけど……。残念だ。だから痺れを切らした私は君の所へ来たんだ。」


 「あんたは……ヒドい人だ。」


 「私は気紛れだからね。」


 ニコニコと満面な笑みを浮かべるエリー。

 なんかいつも笑ってばかりではないだろうか?


 だがしかし今はそんなことはどうでもいい。



 会いに行かなければならない。

 待たせた最愛の人に。


 そして謝らなければならない。


 待たせてしまったことを。


 「やっぱり俺にはあんたが神と悪魔の両方に見える。」


 「よく言われる。」


 エリーは肩をすくめてクスリと笑った。


 「ところでノリ君、もしも願うなら簡単にサキちゃんに会えるようにしますが……どうしますか?」


 「ノーセンキュー。また可笑しな対価を払いたくないからね。それに……今は頼りたくない。自分でやりたい。」


 「ふむ……残念至極。ではノリ君、またの御利用お待ちしております。」


 俺はふっ、と鼻で笑うと研究室を後にした。




 教授に長期休学を言い渡して日本に帰国をし、サキを探す。



 そして今までの分、たくさんサキを愛しもう一度やり直そう。


 5年分の空白はサキへの想いをたくさん募らせて、巨大な物へと変えていったようだ。


 「もう一度……お前を俺の後ろに乗せたいから……今から行くよサキ……。」








 研究室に残ったエリーは机に腰掛け、一枚の紙を手に取った。

 それは乱雑に字が走り書きされ、書いた者にしかわからないであろう字だった。


 「確実に……彼は進歩しているようだ。未来に……追いついていっている。」



 手に取った紙を優しく机に置いて、エリーは研究室の窓から外を見た。


 暖かい日差しの中、医大生が静かに歩き回る。

 そして迷い込んだネコが窓際に飛び乗り身体を包ませて、静かに寝息を立て始める。


 そんな風景を眺めながら、暖かい日差しを浴びネコを撫でながらエリーは和やかな顔で呟いた。



 「……いい仕事したにゃ〜。」





まぁもし出来るならレパートリー増やしてオムニバス系?の連載にでもしようかなと思います。



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