お化けが怖いのか墓守が怖いのか
ヒュゥ〜と、木枯らし吹きすさぶ墓地の近く。
街からは遠く、人気のないそこにはオドロオドロしい不気味さが漂っていた。
木下闇にランプの明かりがゆらゆらと舞う。
小さな体に大きな箒を不格好に携えて、墓と墓の合間を影が一つ、ひょこひょこ歩いていた。
「……ふぅーん、はぁーん……」
月明かりに目を凝らせば、その影は古ぼけた本の皮表紙を思わせる色の、ローブを被っている。
ところどころ埃かぶったそれは、小柄な(10歳11歳ぐらいに見えた)体には大きすぎる仕立てだった。傍目からわかるほどぶかぶかで、湿った土に裾がずるずる引きずられている。足元どころか靴の底すら見えない。遠くから見れば、茶色の皮と箒が歩いているように見えた。
しかし近くに寄ってみれば──実際には近くどころかこの辺りに来るような奇特な客はいないのだが──真っ白で細っこい、モチノキのような腕がチラチラ覗いているのがわかる。
よく見てみれば小さな頰のハッとするような白さも、無造作に結わえられた焦げ茶の三つ編みも見える。
そして俯いた顔を上げると、ランプの明かりに浮く赤の瞳が見えて、見た人は悲鳴をあげて逃げていくわけだ。
さらにもっとよくよく見てみれば、その瞳はうっとりするぐらいに澄んで、僅かに赤味がかっているだけの茶色だとわかるわけだが、いかんせんぱっと見だと赤の浮く魔女のようだった。
見る人見る人そう思ったようで、最近その小柄な少女は、墓に住む死神、とかなんとか囁かれている。
そんな怪談じみた名で呼ばれ、墓をウロつく幼い少女。
一体何者なのか。
……別に、なんら不思議なことはない、この十字墓場を管理している墓守夫婦の娘であった。
夫婦は、世間では反抗期の少女の目から見ても、真面目で、優しい心根の人だった。
不気味だなんだと言われる墓場を何十年も前から守り続けていて、ついに死ぬまで離れることなく守り通した。この二人がいなければ、この墓場はとうに草木が溢れて、化け物の一匹や十匹はびこるホラーダンジョンと化していただろう。
しかしそんな重要人物でも、一生墓で暮らした変人であれば人の目には奇怪で恐ろしく映るもので。
三ヶ月前に病で二人仲良く亡くなってみれば、その娘の引き取り手など誰もいなかった。
いや、正確には居たはいたのだ。街に住む優しそうな、実際に優しく親切で皆から好かれている、親戚のおばさんが一人。しかしおいでと言われていってみれば、化け物の子、魔女の子、不吉な子、と罵られて、怖がられて、当の本人もお願いだから近寄らないでくれる?と言う始末。子供は風の子だバカヤロウ、と結局少女は自分から愛しい我が家に帰るはめになった。
そんなことがあればさすがに少女もムカついたようで、自分を押しつけ揉め合う親戚たちに一言啖呵切って、保護者の役割だけ大人に押しつけ、墓場の家で一人暮らしだした。
皆は怖いというが、自分にとっては生来慣れ親しんできた故郷であるので、そんなに苦労はしない。
なんなら最初から言ってやればよかったなどと思うぐらいだ。
そういうわけで、少女はここで一人暮らしをしている。それを納得できれば、墓場で一人でウロつくのもそう不自然なことではない。
前提条件がおかしいが、少女……アンナにとっては俺の庭をウロつくぜはっはー、ぐらいの感覚でしかないのだ。
アンナ=ルーンだかアンナ=ラーンだかは、学校行っていじめられてそれから通っていない少女には覚えていない。そう別にえらい身分でもない。血に曰く付きの呪いがかかっているわけでもない。
一人で自給自足の生活ができるぐらいにたくましく、墓場一人でも怖くなく、嫌われても動じないほど図太く、でもお化けは恐ろしく、ついでに墓場の近くの森にすむ小動物には毎朝餌をやるぐらい優しい、普通の女の子である。
「……ぁ、月が出てる……」
人生目標は、両親と同じように一生墓場を守り通すこと。
そんなわけで少女は今日も、客など一人もこない墓場を丹精込めて掃除するのであった。
◆◇
アンナの朝は早い。朝5時、飼っている鶏がこっこーだかけっこーだか鳴く頃には起きている。
そしてちゃきちゃき顔を洗って、卵を回収して朝食を作って、6時には片付けている。
そして歯を磨いて、墓場中の花の水を変える。そして森の小動物たちにちょっとしたご飯をあげて、家に戻る。そして箒を持ってきて丹精込めて掃除して、雑巾で拭いて、お祈りして、昼ご飯。
そしてまた掃除して、雑巾で拭いて、夜ごはん。8時頃には眠りにつく。
アンナが一日のほとんどを掃除に割いているせいで墓場はいつもピカピカだった。
花はいつも生き生きとしていて、じっとりと薄暗い墓場を華やかに彩っている。
人が立ち寄らないので気が付かないが、アンナとしては自慢のお墓だった。
なんならテレビで紹介したいぐらいだ。自慢のシステムグレイヴを見せてやる。
「〜んぅ〜ふぅん、ふぁ〜ん」
そんなわけで、今日もアンナは墓掃除に勤しんでいる。自分の鼻歌が墓場の恐怖に一層拍車をかけていることに気がついていない。むしろ、みんなどうして怖がるのかな?もっとたくさんの人に愛されてほしい、ぐらいに思っている。
「フゥーん、はへ〜ん」
墓場に一人で暮らし始めて早一ヶ月。両親の死はもちろん悲しいが、それ以上に自分が立派にやっているところを見てもらいたい。お母様、お父様、アンナは立派にやっております。どうかご心配されませんように……と誰に見せるともなく一人祈る。
そして、絶対に墓を守り抜くぞ、と再び決意を固めたところで、不意に。
『ギシャーーーーーー!』
「……!?」
夜の6時の暗闇の中で、けたたましく、しわがれた、老人のような叫び声が響き渡った。
「……だれ……なの?」
小さな体に箒を抱きしめ、身構えるアンナ。感情表現が下手な方で驚いているようには見えないが、内心かなりドキドキしていた。
生まれてこのかた、墓場にお化けなど出たことなかった。せいぜい子リスがクルミをねだりに来るぐらいだ。
そんなんで客人も天文学的比率に等しいというのに、こんな叫び声など!
いつもの墓場が見知らぬ墓場になったようで、少し泣きそうになった。
『初めましてだなぁっはっはっは、我はブキーマぁあン!』
「……わぁあ、ブキーマン」
アンナの渾身の悲鳴は、わぁあ、となって零れ落ちた。アンナ的には、キャーーー!ブキーマン!いやー!ぐらいのつもりだった。
だって、目の前の暗闇から、突然笑顔の老人が躍り出たのだ。真っ黒い闇を纏って、緑の目をギラギラさせて、しわくちゃの顔でニッカーと笑っている、老人が。
手をバッと振り上げて、老人、もといブギーマンは言う。
『突然だが、この墓場は我が占拠した!ゆくゆくは化け物の棲家となるであろう! 人の子は、とっとと出て行けぇええええ!』
「うわ」
アンナは恐ろしくて、恐ろしくて、たまらなかった。口からはうわ、という短い呟きしか出なかったが、心の中では街まで聞こえるぐらいの悲鳴をぎゃああっとあげていた。
ブギーマン、よく知っている。
バルコニーかベットの下に潜んでいて、夜7時過ぎにベットで寝ている悪い子を、家に入り込んでさらっていく恐ろしいモンスターだ。
よく、ブギーマンにさらわれるわよぉお!っとお母さんに脅されていた。怖い!
『……おい、人の子、聞いてるのか?さっさと逃げろ、おい。』
そういえば、母親がいないのをいいことに、自分最近8時に寝ている……きっとそれでブギーマンがさらいにきたんだ。怒っちゃったんだ。ああ、早く寝ればよかった。怖い、怖い、お母さん……。
「あ……あぁ……ぁああ……」
『おい?人の子、大丈夫か?なんか震えてるぞ?……ふっ、恐ろしすぎて身動きも出来んか』
ニヤリとドヤつくブギーマンに気がつかずに、アンナの恐怖は加速していく。
墓場に悠々と住んではいるが、それはお化けなんてないさという思い込みによるもので、お化けが居るとわかれば、仲良くなんてとんでもない怖いと怯えてしまうのだ。
「……ぁ……」
『いいか、3秒間待ってやる!そのうちに逃げるのだ! ホラ、1、2、じゃなかった3、2……』
あぁ……こんなことなら鶏達思い切って食べちゃうんだった。特にあのボブは絶対に美味しい。まるまると太って……ふふ、ふふふ……。
ちょっと数字を間違えて赤面しているブギーマンに気がつかず、アンナは震える。もはやブギーマンの話など聞いちゃいなかった。むしろ現実逃避も相まって鶏の肉汁によだれを垂らしていた。
『……いーち、ゼロ……おい、娘。マジで大丈夫か?』
「鶏が一匹、二匹、三匹……」
一方で、ブギーマンは焦っていた。化け物どうしも最近化口が増えてきて、バルコニーというバルコニーに化け物がすし詰めで待機していて、もはやバルコニー争奪戦が開催されているのだ。割と盛り上がって、実況までいる。
そして自分はバルコニー争い準決勝敗退で追い出されたのだ。
お袋どうしよう……と途方に暮れつつ、困ってうろついてたらこの綺麗な墓場を発見した。
穴場なようで、他の化け物の気配はしなかった。お!と思ってしばらく見てみれば、管理しているのは気の弱そうな幼子一人。カモがネギしょって暮らしている、ラッキーぐらいの気持ちで乗り込んだ……ので、こんな事態まるで予想していなかった。
まさか脅していたら鶏数え始められるとは思わなかった。なんだ、俺鶏に見えたのか。コッケー。
『おーい?我は鶏じゃないぞ〜こわ〜いモンスターの、ブキーマンだぞ〜』
「4匹5匹6匹7匹8匹9匹……」
とりあえず両手を上にあげて少女の周りを回ってみる……が、何ら反応を示さない。
ぽやんとした目でブツブツと鶏を数えている。何これ新手のお経?
自分が除霊されてるんだか怯えられてるのかわからないブギーマンは、だんだん居心地が悪くなってきた。
おーい、気がついてるかーい?と、必死で周りをぐるぐるする。こっちを見もしない。
……アンナとしてはもう怖くてパニックだからとりあえず落ち着こうと鶏を数えているのである。こっちはこっちで必死だった。
『ブキーマン、ブキーマン、へいへいへい!ブッキーマァーン〜♪』
「10匹、……9匹、8匹、7匹」
せめて覚えてもらおうと、ブキーマンはできるだけリズムに乗ってブキーマンの歌を作り出した。
自分のできる限り拳を握って、高らかに歌う。もはや何が何だかわからなかった。腰だって振るっちゃう。
アンナは鶏パラダイスと化した自らの頭の中を整理しようと、とりあえず目をつむって1匹1匹鶏を消していくことにした。
『ちょっと、なんで君ッ!どうして鶏が減ってるんだい? 仲間は多いほうが楽しいじゃないか!ハハッ!』
「ろっぴき、ごひき……よんひぃーき」
やけっぱちになって謎の歌のお兄さんと化したブギーマン(800)。できるだけ爽やかな笑顔で問いかける。せめて会話して欲しかった、自分を見て欲しかった。しかし現実は無情だった。
いきなり手を合わせて、ブツブツと匹をつぶやき始めたのだ。ギラリと、赤い目が光る。
ブギーマンの背筋に冷や汗っぽい何かが流れた。
アンナとしては最後まで残ってきた鶏がなかなか愛着のあるうちの鶏たちだったため、たとえ脳内であれ消すのは心苦しく、せめて心を込めていただこうと手を合わせただけなのだが。
もはや念仏を唱えているようにしか見えなかった。
『おい?ゼロになったら何が起こるんだい!?やめてくれよ、僕は割と力の弱い民間伝承なんだ!子供の味方だよ!? 早寝早起き推奨モンスターさ! 確かに無理やり住処を奪おうとしたのは悪かったけれど、僕だって必死だったんだ、ごめんよ! だから、まっ……』
「……さぁーん、にぃーいいい、ぃいーち……」
もはやただのカウントダウンになっていることをアンナは気がついていない。
ベムを食べ、ビムを食べ、残るはボブだけとなって、そのまるまると肥えた体に期待と悲しみを抱いているところだった。
一方、ブギーマンは捲したてる。だんだん板についてきた歌のお兄さんキャラが火を吹いた。
だって怖いもん。なんかこの少女危ない目で舌なめずりし始めたもん。怖い、怖すぎる。何?自分食べられるの?何でそんな落ち着いてるの?完全にいただきますじゃんそのポーズ。
そもそもこいつは最初から反応が薄かったのだ。何だうわ、って。せめていやー!だろ。
アンナの内心など読めないブギーマンは恐ろしくて仕方がなかった。
わからないものは、お化けだって怖いのだ。
アンナの脳内で繰り広げられているかもしれないブギーマンのバター醤油掛けに震えることしかできないブギーマン。実際のアンナの脳内にはボブのバター醤油掛けが香ばしい匂いを漂わせていたわけだが。
『……っく!しょしょしょしょうがない!きょっ……うのところは見逃してやるからその醤油を下ろしてくださようならあああああああ!』
ブギー、逃走。
「……ゼロひきぃ……あれ?」
アンナは、心の中でボブに手を振ったところだった。楽しい妄想でなんとか落ち着いて、そこではた、と気がつく。
あれ、怖いオバケが消えている。
……あら、本当にゼロになっちゃった。気のせいだったのかな、さっきの。幻覚かしら?
お墓なのに、お化けが見えるなんて、びっくりした。でも、あんなに怯えてたら、お墓守れないよね。……あぁ、不甲斐ないなぁ。
若干凹んで首をひねりながら、アンナは家に帰っていく。
自分の行いが、墓場の危機を救ったなんて、アンナは考えもしなかった。
ボブが、コケーと鳴いた。