第10話「メアリと話しました」
遅くなりました(>_<)
申し訳ありません(;;)
トントンと扉をノックする音が聞こえた。
第二王子が用意してくれた、軍事縮小のため今はもう空き室になった隊長部屋に、俺と先生とアリスが宿泊している。
夜までやることがないので、俺は交渉に必要な獣語の復習をしていた。
アリスは、髪の毛の先から汗をしたたり落としながら、スクワットに余念が無い。
アマリリスは隣で先にへばって床でのびている。
「第二王子に言われて参りました」
ノックの主は扉の向こうでそう答えた。
「入ってください」
入ってきたのは、この前線に赴いている金級魔術師。
ネズミ返し防壁ができてから、大部分の職人さんは帰ったが、メンテナンスをするのに数人残った。
そのうちの一人を、第二王子に紹介してもらった。
若いが、防壁作成に呼ばれるくらいだからマジカは人並み以上なのだろう。
そんな彼もまた、今回の泣いた赤鬼作戦に必要なピースだ。
「俺はやりませんよ!」
そんな必要なピースの彼はそう言ったのだった。
マジでか!
「え? ええ? 何でですか?」
「なんでって、誰だってそう言いますよ! 内容を聞いたら、獣族、魔族と戦うためだとか言うじゃないですか。正気の沙汰じゃない! 命をかけるつもりではいますがね、犬死するつもりはないんだ!」
「いえ、正確には、獣族とは共闘で、魔族と戦うにしてもすべて演技でして、そんな危険な任務ではありませんよ」
「獣族と、共闘!? 魔族と、演技!? 何を言っているんですか? それこそ正気じゃない。冗談なら他の人にしてくださいよ! こんな閑職だって俺は誇りをもってやってるんだ!」
彼は出て行った……。
そうか、この国の獣族アレルギーを忘れていた。
魔族なんかもはや畏怖の対象だ。
この話を真に受けろと言っても無理があったな……。
「どうやら、ここの者を説得するのは難しそうですね」
今の流れを見ていた先生はそう総括した。
「ですね」
脳筋だと思っていたアマリリスのほうが、まだ話が分かるレベル。
「やはり、第四王女のメアリ様を説得されたほうが良いのではないでしょうか。技術的に、王女ほどの適任はいないかと。鉄壁を鏡面に仕上げるのは、かなりの腕が必要ですよ」
「そうなんですよね……」
そりゃ、まっさきにメアリには頼みに言った。
その返事が、
『……すみません、外はまだ怖い、です』
ショックだった。
断られたことではなくて、メアリがまだ外が怖いということに気づいてやれなかったことに。
メアリは、俺が獣族に拉致られたときに、助けに来てくれた。
砂鉄を身にまとうなんてことするくらい、怖い気持ちを押し殺してくれた。
俺を助けるために。
俺はあのとき、そんなメアリの気持ちがうれしかった。
ものすごくうれしかったはずなのに。
俺は、いつの間に忘れてしまっていたのだろう。
メアリが勇気をありったけふりしぼった一回で、もうそのあとは俺が頼めば外に出てくれるなんて、簡単に考えすぎてた。
これじゃ、都合よくメアリを利用しようとしているだけだ。
「メアリはまだ外が怖いんです。俺のわがままで、メアリに無理させるわけにはいきません」
「わがまま? 今回をわがままだとおっしゃるのですか。殿下は、この国を救うために命を懸けています。それをわがままと」
「……けれど、やはり今回のことはメアリにとっては関係のない話です。俺の都合で無理をさせるわけにはいかないと思うのです」
「……関係のない」
先生はそう反すうしてから、こう言った。
「殿下は、王女とちゃんと話をしましたか? 王女と出会ってからの5年間、築いたものはそんな他人行儀な信頼関係だったのでしょうか」
朝、馬を走らせた。
何の荷物もないので、半日もしないで着く。
馬に乗りながら考えたが、メアリを誘うふんぎりがつかない。
危険な任務だ。身を危険にさらす。
それ以上に、外に出るのを強要してしまうことが後ろめたい。
たどり着いた東塔は5年前と同じ、この国の軍事を象徴するがごとく、堂々とそびえ立っていた。
その地下に押し込められた、メアリ。
扉の前に立つ。
ノックしようか、ためらっていると声が聞こえた。
「……兄様」
扉越しに、メアリの声が聞こえた。
「メアリ、よく俺だって分かったね」
「……足音で、わかります。私にとって、嬉しい音です」
胸がじんと熱くなった。
普段は自分の感情を言わないメアリが、やけに饒舌に感じる。
「……兄様に、もう会えないかと思いました」
消え入りそうな声でそう言った。
「どうして?」
メアリの真意がわかりかねたのでそう聞くと、
「……兄様が、せっかく私を頼ってくださったのに、断ってしまった。使えないと、思われてもしかたないと」
「使える、使えないで、メアリを見たことはないよ。どんなことを言っても、俺の大切な妹であることは変わりがない。……この前は、無理を言って、ごめんな」
メアリのすすり泣くような声が聞こえた。
「メアリ、泣いているの?」
「……兄様、私は、私は、私が情けなくてしかたありません。扉に手をかけると、指先が震えてしまうんです。息がうまく吸えなくなるんです。視界が暗くなってしまうんです。せっかく兄様が」
そう言いかけて、嗚咽に変わった。
そんなに、つらい思いを抱えていたのか。
そして、その思いがあっても、俺のために頑張ろうとしてくれている。
俺は全然、メアリの気持ちを知ってあげられてなかった。
「少しも情けないことなんてない。いや、逆だ。メアリはすごいよ。ベッドから出られるようになったじゃないか。それどころか、今やこの国一の技術者で、それでお母さんを楽にしている」
「……技術を教えてくれたのは、兄様です。兄様は私を導いてくれた」
「メアリ自身の努力の成果だ」
俺なんか、大したことをしていない。
「……私は、本当は、出たい。外の世界に。兄様の役に立ちたい」
メアリが、そう搾り取るようにそう言った。
初めて聞いた。
メアリが、ここを出たいと考えていたことを。
出会ったころは、俺から隠れようとしてベッドの下にこもっていたのに。
メアリは、外の世界に出たがっている。
俺は俺で勝手に考えて、変に遠慮して、その気持ちを叶えてあげようとしなかった。
いや、聞こうともしていなかった。
「メアリ、その言葉は本心か?」
「……すみません、私のようなものが、そんな過ぎた言葉」
「メアリ、言葉を隠さないで、ちゃんと言って。本心なんだね?」
メアリはしばらくの沈黙のあと、はい、と答えた。
外に出たいと、メアリは確かにそう言った。
「メアリ、扉の蝶番の上の部分に手を当てて」
「……え? はい」
扉の向こうだから見えないが、メアリは俺の言ったとおりにしてくれているだろうか。
俺を信じて。
「そしたら、その蝶番を粉にして」
俺がそう言葉を続けると、少し間を置いたあと、蝶番がさらさらと粉になって地に落ちていった。
すると上の部分の支えを失った扉が、こちら側に首をもたげた。
そのまま重みの反動で、下の蝶番を軸として、扉は開かれた。
泣きはらしたメアリがぽかんとこちらを見ている。
やがて状況を把握したのか、メアリは目を見開き、歯はカチカチ鳴り始めた。
自分を抱きかかえるように手を回し、膝をつく。
強引過ぎたか……。
この扉は、外とを拒絶する壁であると同時に、自分を守る壁だ。
でも、メアリは外に出たいと言った。
この扉をメアリは越えたいと言った。
ベッドの下に潜り込んでいた、俺の知っている頃のメアリとは違ってる。
だったら、兄として、俺のやり方でメアリの背中を押す。
変に気遣って、腫れ物を触るような関係なんて、俺は望んでない。
メアリの苦しみに、俺は寄り添う。
「メアリ、俺を見て」
メアリは地に向けていた虚ろな目を開けた。
「俺が見えるか」
メアリはうなずく。
「外の世界には、怖いものはたくさんある。メアリが望むなら、ずっとそこにいてもいい。でも」
俺はひざをつき、メアリに向けて手を伸ばした。
「俺にはメアリが必要だ。俺を信じて、そこから一歩踏み出せるか?」




