第7話「生徒に会いました」
「サックスさんが亡くなりました」
俺がそういうと、ジャイルは黙った。
そして少しの沈黙、
「残念です」
沈痛な面持ちでそう答えた。
サックスとは、パトリックの父親の名前。
サックスさんは、この世界では珍しく、俺の考えに賛同してくれる数少ない人だった。
心にぽっかり穴が空いてしまったような感じがする。
支えてもらっていたんだな、と今さら強く思える。
「立ち入ったことを伺いますが、死因はなんでしょうか?」
ジャイルがそう尋ねるあたり、サックスさんの取り巻かれる状況は安穏ではなかった。
息子のパトリックが言ったとおり、あのじじいの意に反することをやってしまった。
簡単にいえば、重税の反対、格差社会の是正を主張した。
騒いでいる分にはまだ良かったが、議会の承認を得ようと根回しをしてしまった。
「服毒による”自殺“だそうです」
村人からサックスさんが亡くなったらしい話を聞き、サックスさんの自宅に駆けつけた。
もうすでにサックスさんの息子が後を継ぎ、サックスさんの住んでいた面影はなくなっていた。
お悔やみ申し上げようと思ったが、門前払いされた。
この世界に線香をあげる習慣でもあれば、家にあがれたのかもしれない。
いやそんなことはないな。
サックスさんのしていることは、家族の誰からも共感を得られていなかったと思う。
長男サナトリックは、父親の方針から一転し、病弱、子ども、その他諸事情に関わらず、土地に対して徹底的に一律な納税をもとめた。
そして次男のパトリックはというと、あの父親全否定発言。
サックスさんは、この人生の中で少しでも報われたのだろうか。
そうあって欲しい。
「あの方が自殺なさるとは思えません」
「僕もそう思っています」
「それで……、サックス卿のあとは」
「ご子息のサナトリック氏が引き継がれました」
「そうですか」
ジャイルは重たい口調で続けた。
「それゆえ、“学校”を続けられなくなったと」
うなずく。
この孤児院は、サナトリックの方針の真逆にある。
厳格な徴収をしたいのに、ムダな土地を使い、戦力にならない子どもばかりを集めている。
少なくとも、サナトリックからはそう見えるに違いない。
この開けた土地で、この孤児院が見つかるのも時間の問題だ。
バレたら何をされるか分かったものではない。
「残念です。惜しい方を亡くしました」
ジャイルは苦い顔をしてそう言ってくれた。
ちょっと、ホッとした。
実の息子であるパトリックに、サックスさんをあそこまで否定されたのは、怒りがわきあがるのと同時に落ち込んだ。
この世界では、誰もサックスさんを肯定する人はいないのではないかと。
それを、貴族寄りであるジャイルが肯定してくれたことが嬉しかった。
「それで、この学校をどうされるつもりですか?」
「正直、悩んでしまっています」
「ぎゃあああああ!」
突然、子どもの叫び声が聞こえた。
教室を見ると、アリスがものすごいスピードで入っていくのが見えた。
アリスが叫び声をあげている子どもを抱きしめる。
子どもはアリスの腕の中でめちゃくちゃに暴れている。
かみつかれたり、殴られたりしているが、アリスはぎゅっと抱きしめたまま動かない。
しばらくして、子どもは泣き始めた。
「まだ、治りませんか」
俺がそう尋ねると、ジャイルは首を振った。
「陽魔術では、心の傷は治りません。しかも、外傷よりも治りが遅い。心とはやっかいなものです」
ここの孤児たちは、ほぼ戦争で親を亡くしている。
それぞれに負った傷は様々で、今でも苦しんでいる。
アリスは今も言葉を失ったままだ。
簡単な問題じゃない。
今叫んだ子のように、発作的に今のように奇声をあげて暴れる子は多くいる。
俺には見えない何かを見ているのだろうか。
「学校を建ててもうすぐ4年です。子ども達の自立どころか、心すらも癒せない。僕の試みは、思い上がりで思いやりのない思いつきに過ぎなかったのかもしれません」
俺は、なぜこの子たちに勉強を教えようとしたのか。
前世のマネごとをしていただけじゃないか。
この世界で勉強したところで、何に役立つのか。
この狭い教室に押し込めて、意味のない知識を押し付けて、ストレスを増やしているに過ぎない。
無力感を感じる。
「貴方様らしくありませんね」
「え?」
「これくらいのことで諦めるようなお方ではないと思っていました」
「しかし、重税であえぐこの国に、孤児たちを受け入れるような余裕のある村があるとは思えません。それに、4年経って何も成果を出すことができなかった」
「……少し、貴方様の子どもらしいところが見られて安心しました」
「?」
「4年間、成果が出ないとおっしゃいましたね。子どもに対してそのような性急な結果など求めるのは筋違いというものです。それに、成果が出ていないわけではありません。貴方様はまだ、子ども達をちゃんと見ていません」
ジャイルは、彼自身の半分ほどの背丈の子どもに向けて手招きした。
すると、にこやかに笑みを浮かべながら走り寄ってくる。
ほっそりと青白い面影は、どこかジャイルを感じさせた。
「この子は、手が使えません」
手を見ると、不自然に開きっぱなしになっていた。
「おまけに、火系魔術使いです。火系魔術師は有り余っています。マジカの才能もなく、身体的に欠損がある彼はこの先、生きていくのは困難でしょう」
そんな話、本人の目の前でして大丈夫かと思い見ると、動揺する素振りもなく力強くうなずいた。
「それでも私は、彼を助手にするつもりです」
「それは、なぜですか?」
「まず申しておきますが、同情の念はありません。それは不公平だからです」
「つまり、この子自身の能力を買ったと」
うなずく。
陽魔術どころか手も使えない。
どうやって助手ができるのだろう。
「ぼくは、“先生”になるよ!」
その子は元気よく言った。
「先生?」
「この子は、体の構造を把握しています。ものを教えるのに、手は必須ではありません」
ジャイルがそう補足した。
「私がこうしている間も患者は待っています。私はここを離れ、私が伝えたいこと全てを彼に託すつもりです」
それはまだ先になるでしょうが、とジャイルは言った。
「それだけじゃないよ! ぼくは字も絵もうまいんだ! 紙に書いてみんなに見せれば、もっとみんなに伝わるんだ!」
ぼくのとっておきだから、他の人にはナイショだよとその子は言った。
どうやって字や絵を書くのかと言ったら、枝を口に加えて地面にきれいに心臓を描いてみせた。
「初めて会った時の彼は、無気力で、心を閉ざしていました。私の授業もただぼんやりと座っているように見えました。それが今や、クラス1の秀才です」
ジャイルはその子の頭をなでた。
何がこの子を変えたのだろうか。
「この学校が知識を、知識が目標を、目標が生きる希望を与えたのです。何の成果がないと、その貴方様の発言こそ、思い上がりかと存じます」
大きく変わったのは、何もこの子だけではないようだ。
ジャイルもまた、昔の彼ではない。
「ジャン王子。可能か不可能かではなく、できることをやるということを貴方様の姿勢から教わりました。その貴方様が、状況だけで諦めなさるとは貴方様らしくありません。貴方様がどうしたいのか、それだけを聞かせてください」
目を閉じた。
子ども達の声が聞こえた。
学校を始める前までは、静かだった。
暴れるのも、ケンカするのも、かみつくのも、まだみんなは勉強しているんだ。
人との関わり方を、これからどう生きていくのかを。
それを、俺の勝手な判断で終わらせてはいけない。
俺は、俺のできることをする。
「ジャイルさん。僕はこの学校を、サックスさんの遺志を守りたい。そのためには、力が必要です。この国を変えるほどの力を。そのためには、ジャイルさんの力が必要です。僕に協力してもらえませんか?」
ジャイルは胸に手をあてて、ひざまずいた。
「その命、謹んでお受けいたします」




