第40話「脱出を試みました」
目の前には、俺の返事を静かに待っている獣族がいる。
室内は仄暗く、猛禽類に似た目がいたずらに光り、夜道に出くわした猫のように目だけが浮かんでいる。
暗闇に目が慣れてくると、獣人の全身が見えてくる。
獣人は、熊ほどの大きさで、顔の輪郭はキツネのように鋭く鼻が突き出て、馬のように脚が太く、顔以外の全身がライオンのたてがみほどの毛で覆われていた。
手や足には、かぎ爪を思わせる鋭利な爪が伸びている。
部屋は獣臭が充満している。
目の前の長老らしき獣人にただ見られているだけなのに、首筋にナイフを当てられたような、そんな殺気を感じた。
両手と両足が拘束されて身動きができないが、おそらく自由の身であっても、足は震えて動かないだろう。
それくらい、びびっている。
あの跳躍距離とスピード、先生のマジカをものともしない俊敏さと爪の切れ味。
俺の命なんか、息を吹きかける程度の労力で吹き飛んでしまうだろう。
そんなのが、こちらを見据えて鎮座している。
ぼぼぼぼぼ、と低く重たい鳴き声が、俺をさらったほうの獣人から発せられた。
「話す気がナイなら、話を聞かせるようにしたホウがいいのではナイかと、ソイツが言うが、どうする?」
長老獣人がそう言って、思わずソイツのほうを見る。
ソイツは表情を変えず、冷たくジッと俺を見つめていた。
「話ひます!」
かすれた声が出た。
ノドが渇いている。
しかもかんだ。
自分でも滑稽なくらいなびびり方だと思う。
でも自分の命が風前の灯火だったら、こうなっちゃうと思う。
映画ダイ・ハードの主人公になりたかったんだよな。
こんなのもう詰んでるわと思われる場面で、たった一人で、底知れぬ肝っ玉と相手を出し抜く動きで、爽快な一発逆転大勝利をかましてくれる、
そんな主人公に。
いやいや、なりたかったってなんだよ。
まだ諦めるような場面じゃない。風前の灯火でもない。
幸いにして、今の手持ちには大会時に未使用だったエナドリ缶がある。
丸腰で人食い熊に向かっていくわけじゃないんだ。
ここから脱出すればいい。
この武器で獣人の隙を作ればいける!
……いけるのか?
脱出したとして、嗅覚は犬並みなんだろ?
すぐ見つかっちゃうじゃん。
見つかったら、新幹線もびっくりなスピードで追って来ちゃうわけだろ?
すぐ捕まっちゃうじゃん……!
「ヤッパリ話す気はナイか?」
「あります! 何から伝えていいか迷っていただけで!」
とにかく、なにかしゃべらないと。
しゃべって冷静に考える時間を作らないとととと。
「目的を、目的を教えてください。なぜ僕の技術が必要なんですか?」
「目的など知ってドウする」
「もし僕らの国にこの力が使われるようであれば、簡単に教えるわけにはいきませんから」
とっさに言ってみたが、目的が本当に、国を侵略するためだったら…。
俺「教えるわけにはいけない(ドヤッ」
獣「お、じゃあ拷問して吐かせるか」
ってなってしまうじゃないか!
……いや、いいのか。
科学の力が、なんの歯止めもなく人間に使われたら、地獄だ。
マジカの最高レベルがどれほどのものか分からないけども、科学のような、効率的に多くの人を殺し、何十年も残留物や後遺症で苦しませるものはそうないだろう。
俺の一人の命と引き換えにその地獄がなくなるのなら、……。
アリス、一緒にこの国を変えるっていう約束は守れそうにないよ。
でも俺はお国のために死んでくるけえの。
俺は死んでも、この魂はお国へ帰ってくるからな。
お前は桜の咲く季節に、靖国へ会ひに来ておくれ
アリス、メアリ、あとを頼む……。
いや……、やっぱり死にたくない……。
しかも苦しみながら死ぬじゃんこれ……。
マンガでよくある生爪はがすシーンのような拷問とかやるんかな……。
「目的は、魔族からワレらの土地を奪い返すことだ」
ぐるぐるネガティブ回路全開中の俺に、獣人はそう言った。
そうか、魔族のほうか。
よかった、人族じゃなかった。
ほっとして、口から浅い吐息が出た。
獣族は、人族と同じように魔族に住処を追われていると聞いたことがある。
獣人だって、自分の故郷を取り返したいという気持ちは一緒か。
普通に考えれば、格下相手の人族のために、未知の力に手を出したりしないだろう。
魔族相手に使うのならいいか。
いいのか?
「技術を教えれば、僕の命だけでなく、僕らの国に手を出さないと誓ってくださるのならお教えいたします」
「イイダロウ」
あっさり了承した。
信じていいのだろうか。
冷静に考えよう。
………。
やっぱ、どう考えても信じちゃダメだわ。
獣族が人族の約束を守るメリットがまるでない。
むしろデメリットすらある。
俺を生かしておくことで魔族側に情報が洩れるリスクがあるし、俺だけが技術を持っているとは思わないだろうから、国も危険視するかもしれない。
獣族が約束を反故にした場合、ただでさえ実力上の獣族が化学兵器を持つことになる。
明るい未来は見えない。
脱出しよう。
もう腹を決めるしかない。
どうせ死ぬか生きるかだ。
「教えます。約束は必ず守ってください」
「ワカッタ」
「拘束を解いてもらえませんか」
「口で説明シロ。必要なものはソロエル」
そう簡単に拘束を解いてはくれないか……。そりゃそうだよね。
実力が下とはいえ、未知の力を持っている相手を警戒するのは当然だ。
さて、どうする。
幸いなのは、エナドリ缶をサイドポケットに装着されたままだということだ。
盾とクロスボウは没収されている。
サイドポケットに目がいかなかったのか、クロスボウと盾のほうに秘密があると思ったのかは知らないが、ラッキーだ。
相手はエナドリ缶を使えるとは思っていない。
手が拘束しているから、突然何かしてくるとも思っていないだろう。
この幸運を生かさない手はない。
この状況でも使えるエナドリ缶もあるのだ。
自重でも、衝撃を与えれば発動するものがある。
特に4号を使えるのが大きい。
4号は閃光弾。
マグネシウムが燃焼することによって、光を放つ。
それはもう、太陽を直視するレベルだ。
それでやつらの良すぎる目をつぶしたあと、2号で三酸化硫黄を発生させて鼻をつぶす。
その間に脱出しよう。
……ふと思ったが、獣人に攫われている途中で、よく7号とか暴発しなかったな。
あれ爆発してたら死んでたぞ……。
俺の人生って、綱渡り過ぎやしませんかね。
前世でも車にひかれたり、親父に気絶するまで殴られたりして死の恐怖を感じていたけど、それをはるかに超えているわ……。
せっかく王族に生まれて平穏無事な生活を送れると思ったのにな。
いや、今更何回もネチネチ考えたことを掘り起こしても仕方ない。
ポジティブに行こう。
ここまで渡りきってきたんだ。
ここでも、俺の類いまれなる知性と豪運で乗り切ってみせる。
映画の主人公になれなくても、俺は俺の人生の主人公になる。
問題なのは、発火させるときにもろに火を浴びるということだ。
閃光弾とはいえ、熱は出る。
全身鎧を着込んでいるとはいえ、熱っせられたフライパンで炒められるようなもんだよな……。
いや、それを気にしている場合じゃない。
生か死なんだ。
ここまできたら、無傷で帰れるわけがないんだ。
気にしたら負けだ。
一瞬の躊躇が明暗を分ける。
よし……。
腹は決まった。
やろう。
まずは、予見眼を使って相手の動きを警戒して……
「オイ、今なにしようとシタ?」
体が浮いていた。
首をつかまれている。
ノドがおされ、強い吐き気。
息が、苦しい。
頭が酸素を求めている。
首の後ろ側はかぎ爪が食い込んで鋭い痛みを感じる。
首から下が重力によって引っ張られて、首がちぎれそうだ。
まるで何も見えなかった。
まだ何もしていない。
心の中が読めるのか……?
いや、何もしていなかったわけじゃない。
予見眼を使おうとした。
まさか、なんの動作もいらない、目に力をこめるだけの所作すら追えるというのか……。
つかんでいる手をかきむしるが、まったく動かない。
首を何度もふる。
何もしないからおろしてくれと、必死に目でうったえる。
手を離されて、床に落ちた。
何度もむせる。
頭にたまった血が循環していく。
「イイカ。お前が何しようと、虫が留まっているようなものだ。ムダなことはするな」
意識がもうろうとしていく。
獣人が、なぜか前世で幼いころ見た父親に見えた。
そのころの父親は恐怖でしかなかった。
「二度と余計なことを考えないように、右足を折ってオコウ。手が動けば問題ナイダロウ」
耳を疑った。
え、と思った時には、右足が引きちぎられるような痛みが走った。
「っがあああああああああああ!!!」
転げまわる。
体を打ち付けても、いくら叫んでも、まったく痛みが消えない。
目の前が涙があふれてきて見えない。
耳には激しく打ち付ける心臓の音が聞こえる。
「モロイな」
そんな言葉が聞こえてきた。
なぜかアリスとメアリの顔が浮かんだ。
2人が、微笑んでいるように見えた。
『世界を変えるなんてワケないよ。3人で世界変えていこう』
そんなこと言っていた、俺。
何かできる気でいたのかな俺は。
もろい。
あまりにもろい。
俺ってこんなに弱かったのか……。
いや知っていたはずなんだ。
いつから勘違いしていたのだろうか。
まがりなりにも事業を成功させ、
大会では有力候補の第2王子を破り(未遂)、
できる気になっちゃってたな。
どれもこれも、前世の記憶を使いまわしているだけでしかないのに。
………。
いや、ちょっと待て。
足が一本イカれたくらいで何弱気になってんだ。
映画の主人公だったら、腕1本だけになっても戦ってるぞ。
足1本折られたからって、何弱気になってる。
それにメアリやアリスが受けた心の傷に比べたらどうってことはない。
二人との約束は、足一本で吹き飛ぶような軽いもんだったかよ。
どんだけ口先野郎なんだよ俺は。
なんだか腹立ってきた。
自分にもこいつらにも。
親父もこいつらも、痛い目に遭わせれば自分の言うこと聞くと勘違いしやがって。
どいつもこいつも俺のことを虫けらのように扱いやがって。
………。
なんだか床が濡れてる。
なんだろうか。獣族は家ん中に水をまく習性でもあるのだろうか。
ふと自分の体を見てみる。
サイドバックにつけていたエナドリ缶が破損していた。
3号だ。
3号から漏れ出した水だ。
チャンスだ。
間違いなくチャンスだよこれは。
やろう。
やるなら、今しかない。
痛みで暴れていると思われている今だ。
すべてのエナドリ缶を起動させる。
まずは7号のテルミットで熱を発生させ、あたりを焼き払う。
そして4号の閃光弾で視力を奪う。
2号が反応して、酸化硫黄を発生させ、嗅覚を奪う。
3号の水が、水素爆発を引き起こす。
ほぼ、俺の命はないだろう。
閃光弾はだいじょうぶ。目をつぶるから。
酸化硫黄もたぶんだいじょうぶ。マスクがある。
爆発も、なんとかいけるだろうか。この鎧の防御力に頼るほかない。
問題は、熱だ。
この鎧は、軽さと強靱さと耐食性を追求したものだけども、熱にはめっぽう弱い。
アルミ合金の耐熱性のなさは、理系じゃなくても知っている人は多いと思う。
アルミ合金を多く使われている飛行機が火災を起こした場合、ボロボロに機体が溶けているのを想像してもらえればいい。
つまり、鎧は溶けてボロボロ。
俺の体もきっとボロボロになる。
ボロボロというか、あっという間に焼き豚だな。
その前に、爆発で死んでる可能性も高いけど。
それでもいいか。
俺ごとお前らぶっ飛ばしてやる!




