第39話「アーリャ2」
すいません( ;∀;)気づいたら水曜日になってました。
大きなブナの木陰で、息子のミルが本を読んでいる。
傍らには、お気に入りの牛の白骨化した頭部をひじかけに置いてある。
麗らかな気候であるが、ミルは外套を着こみ、耳までフードをかぶりこんでいた。
青草は揺れ、初夏の風がミルの金色の髪を撫でる。
ミルの顔は暗く憂えを帯びていた。
歩を進めると、私に気づいて顔をあげる。
「お母さん」
「昼食の準備ができましたよ」
「うん……、今行くよ」
「何の本を読んでいたの?」
何か悩み事があるの?
そう聞こうと思っていた言葉が、遠回りした。
「人間の、歴史の本……」
「そう……」
その返答で、だいたいのことを察することができた。
「ミルはどう思ったの?」
「……」
ミルは押し黙った。
言葉を選んでいるように見えた。
「お父さんに遠慮することないのよ。そしてミル自身にも。ミルの言葉で話して」
私の言葉に、ミルは意を決したように言葉を発した。
「醜いよ……。人間は。自分のことしか考えていない。どうせすぐ死ぬのに」
「ミルは人間が嫌い?」
ミルは肯定も否定もしない。
そして、こう言った。
「僕は人間なの?」
ミルの半分は、人の血が流れている。
「半分はね」
「いやだな……」
ミルの隣に座る。
「お父さんのこと、嫌いなの?」
「そうじゃないよ……ただ……」
「ただ?」
「どうしました?」
ウィールの言葉にハッとなる。
「少々、考え事をしていました」
息子のことを思い出してました、なんてことは言えない。
「アーリャさんは、戦術を突き詰める方ですからね」
ウィールは、とっさに出たごまかしのセリフを好意的に解釈した。
ウィールの信頼を嬉しく思うと同時に、気恥ずかしい。
今になって、なぜこのような回想をしてしまっているのか。
もう100年近くも前の話だ。
集中していない証拠だ。気を引き締めねば。
「前々からお聞きしたかったのですが、アーリャさんは第3王子にご執心されているようですね?」
「そう見えますか」
「ええ、まあ。なぜそんなに、第3王子にそこまでされるのですか?」
追われる身でありながら、この国にとどまり、命をかけて獣族から奪還しようとしている。
ウィールの疑問も当然だろう。
「端的に言えば、殿下の人柄ですね。この国を治めて余りある器の持ち主です」
「お、大きくでましたね……。まあ、あの方の非凡さは私にも感じられます」
ウィールは得心してそう言った。
私が殿下に執心する理由……、もちろん理由の一つではある。
ただし、嘘ではないが適切でもない。
それっきり、この話題が出てくることはなかった。
深く立ち入ることに遠慮したのか、ウィールにとっては、それくらいのことでしかない。
私にとっては、私が人間界に暮らし続ける理由にすらなる。
いや、もしかしたら、私が生き続ける理由……。
「すごい警備ですね」
ウィールが前を見て、そう言った。
カルデラの壁は、ものものしい警護体制が敷かれていた。
この国には、この地に辿り着くまでに獣族に手痛くやられてきた歴史がある。
魔族に対しても同じものがあるが、無頓着さがある魔族よりも、縄張り意識が強く、仲間意識がある獣族とは衝突が多い。
もちろん、割を食うのは実力的に劣っている人族のほうだ。
人族の獣族に対する感情は、獣族アレルギーと言ってもいい。
それを考えたら、これほどまでの警備体制の過剰さもいたしかたない。
その過剰ともいえる防衛本能からは、やはり殿下を国を挙げて奪還するという行動に行き着くとは考えにくい。
やはり、私がやるしかない。
「お前ら、ここで何している」
警備の者に呼び止められた。
「商人です。リアム=サンダー第一王子に届け物を」
警備に荷台を見せる。
馬に荷台をひかせ、商人に見せかける物品と、箱にアリスとメアリを潜ませている。
リアム王子が出兵したという情報は得ている。
国家行事で警備が手薄になっていたとはいえ、天敵にやすやすと城内まで入り込まれたというのは、相当な国の汚点である。
その事実を隠しつつ、次の獣族の侵入、もしくは襲撃を防ぐために、リアム王子が選任された。
リアム王子は、この国の第一継承者だ。
獣族という自国よりも強大な相手の前線に立たせるところに、リアム王子への信頼と、実の息子に対しても変わらない王の厳しい姿勢を感じさせる。
「王からの証文です」
こういうのは、タイミングが大事だ。
ここで証文を見せれば、中身を見せろだとか、上の者を呼んでくるとかはしない。
警備の者はもっともらしく頷くと、通れと先を促した。
証文はもちろん偽造だ。王の筆跡をそれらしく真似た。
リアム王子は、カルデラの壁の上で、足場を設置している多くの作業者に向けて、指揮を執っていた。
その姿に、かつての少年の姿はない。
「皇太子殿下」
私の声に、いぶかしげな顔でリアム王子はこちらを振り向いた。
「私です。お久しゅうございます。リアム=サンダー皇太子殿下」
私が仮面を外すと、王子は驚いた顔をしてすぐさま胸に手を当てた。
「お久しぶりです。もう一度お会いしたいと思っていましたが、まさかそれが叶うとは」
リアム王子は、先ほどの緊迫した表情から破顔させて、そう言った。
殿下と同じように、リアム王子の教育係を任されたことがある。
「せっかくの再会ですが、あまり時間がありません。殿下にお願いしたいことがあるのです」
殿下と口にしながら気づいた。
王子に対しては、殿下と言いながらも心の中ではそうではない。
ジャン=ジャック王子だけは、心の中でも殿下だ。
「ジャンですか?」
リアム王子は短くそう尋ねた。
やはりこの子は聡い。
私は頷いた。
「先生の頼みとはいえ、私はこの場を離れるわけにはいきません」
リアム王子が言う。
私の頼みは、殿下の救出の手伝いだと思ったようだ。
「殿下にそこまで負担をかけるつもりはありません。この崖を越えるのを黙って見過ごしてくだされば」
それならば、と王子は答えた。
「感謝します」
これで、第一の障壁は越えた。
一刻も早く殿下のもとに行かねば。
「ジャンの教育係になったことは耳に挟んでいましたが、まさか先生がそこまで入れ込んでいらっしゃるとは……。先生にとっても、あいつは魅力的ですか」
立ち去ろうとした後ろから、王子がそう尋ねてきた。
「ええ」
振り返り、そう答える。
質問の意図が分からない。
引き留めてまでする質問なのだろうか。
王子は寂しげな笑顔を浮かべている。
「マルクが、ジャンを助けに行きました」
第2王子が……?
「彼はジャン=ジャック殿下を憎んでいると思っていました。それに、体調も万全ではないはず」
「俺にもマルクの真意を測りかねますが……。俺は、獣族を刺激しない、国の損害を抑えるという国の判断に従い、ジャンの命をあきらめていました。そんな俺にマルクは、『弟を守れない者が国を守れるわけがない』と」
リアム王子は自嘲気味に笑った。
「兄貴面して、いざとなったら切り捨てる。最低ですね」
そうか。
普段の言動で分からなかったが、この子もまだまだ少年なのだ。
葛藤を抱えながらも、職務を遂行している。
だいぶ成長なされた。
「一つだけ、教えておきます」
リアム王子は、この子はまだまだ成長する。
「皇太子殿下の立場としては正しい判断です。貴方のような立場の方が、一時の感情で動いてはならないのです。その判断をしたことを誇りに思ってください」