第19.5話「ウィール」
第三王子の付き人が仮面を外した時、凍りついた。
「アーリャさん……」
昔の記憶がよみがえる。
戦場で発揮される、恐ろしいまでのマジカ。
冷静に冷徹に、敵を追い詰めていった。
恐ろしいほど強く、誰よりも賢く、そして気高かった。
なんで、こんなところに。
どうして。
アーリャさんだけには、ここにいて欲しくなかった。
この人には詭弁も強弁も通じない。
力に訴えかけても敵うわけがない。
これで俺の人生は終わった……。
せっかくここまで登りつめたのに。
泥にまみれた人生からやっと解放されたというのに。
第三王子……。
王族の落ちこぼれ王子が、落ちこぼれらしくしてりゃこんなことにならなかったのに。
今まで必死にしがみついて生きてきた。
お前の何百倍も、何千倍も努力して、多くの血を見てきたんだ。
それがようやく報われると思ったのに、それをぶち壊しやがって。
たしかに俺は事業を白紙に戻してやろうと毒を流した。
何人か死んだんだろう。
だが、それがなんだ。
上のやつらはもっと酷いことしているぞ。
毒殺なんて当たり前だ。
騒ぐことじゃない。
自分を守るために弱者を犠牲にすることは強者の持つ権利だ。
弱者に人権はないんだ。
だから、こうして成り上がるしかない。
それを邪魔しやがって。
アーリャさん、あんただって知ってたはずだ。
上のやつらがどれだけの悪事に手を染めてきたかを。
戦場ではあんなに優しくしてくれたじゃないか。
あの頃のように、俺をかばってくれても良かっただろう……。
………。
アーリャさん。
俺は、今の俺の姿を見て欲しくなかったよ。
一週間の猶予を与えられた。
猶予といえば聞こえがよさそうだが、見せしめだ。
刑の執行前に、広場ではりつけにされるのと何も変わらない。
村人に憎悪を向けられ、罵声を浴びせられ、石を投げつけられる。
どう考えたって、助かるわけがない……。
畑作業は苦痛だ。
クワは重いし、土は固い。
かなりの労働量があるのに、収穫は少ない。
それでいて、多くの作物を税として持っていかれる。
馬鹿馬鹿しくてやってられない。
何のために生きているのか分からなくなってしまう。
農民は、搾取されるためだけに生きているようなものだ。
奴隷の方がマシなんじゃないかって思う時さえある。
それくらい、この国の農民の生活はひどい。
それをまた、こうしてやることになるとは。
所詮、俺の人生なんてそんなものか。
善人でいても悪人になろうとも結局は同じ。
この畑のように、努力が報われることはない……。
畑以上に苦痛なのは看護だ。
俺はやりたくてやっているわけじゃないのに、そんな目で見るなよ。
王子だか王の気まぐれかどっちだか知らないが、お互いに嫌な思いをして、まったくメリットがない。
もう死ぬのは決まっているんだろ……。
もういいよ。
早く殺してくれよ。
それしかないだろ。
どうせ俺は太陽に行けない。
それくらい覚悟していたんだ。
「お兄さん、ありがとう」
3、4歳くらいだろうか。
体が小さくやせている少女がそう言った。
最初、俺に言っているとは分からなかった。
看護しているお兄さんは他にもいるから。
俺に感謝を述べるやつがいるなら、そいつはよっぽどのバカだな。
「お兄さん、ありがとう」
少女はまた言った。
「私に言っているのですか?」
そう聞くと、少女はうなづいた。
「あなたは小さいからわからないでしょうが、私に感謝を言われる資格はないのです」
「なんで?」
「………」
答えられなかった。
正直に言えばよかった。
けど、言えなかった。
こんな子どもにまで見栄をはろうとしているのか俺は……。
「だいじょうぶだよ。優しくしてくれた人に、ありがとうって言うって、お母さんに言われたもん」
なにがだいじょうぶなのか分からなかった。
けど、
思わず笑ってた。
少女が笑っているのを見て、自分が笑っていることに気づいた。
俺は笑っちゃだめだろう……。
なんで笑っているんだ。
名前はシラというらしい。
ちなみにシラの父親は幼いころに亡くなっているらしい。
母親は、俺が殺してしまったらしい。
でも母親が死んだことをシラは知らない。
日に日にシラは弱っていった。
「あ……とう」
言葉が聞こえなくなってきた。
今まで生きていたのが不思議なくらいだと、ジャイルという男は言っていた。
毒が肝臓にたまっていて、肝臓が壊死している。
もう助からないと。
どうにかしてくれと頼んだ。
むしのいい話だと自分でも思う。
俺が流し込んだ毒のせいだ。
それでどうにかしてくれてなんて。
自分で呆れる。
「内臓が死ぬ苦痛は相当なものです。安楽死させるのが一番でしょう。わたくしにその権限はありませんから、ジャン=ジャック王子に頼んでみてはいかがですか」
思わず殴った。
「死神め」
そう吐きかけた。
いや、よく考えると…、よく考えるまでもなく…、
死神は俺だった。
農作業。
小さな村とはいえ、相当な広さだ。
少ない人口でよく今までやってきたなと思う。
それに、今はどう考えても人手不足だ。
もちろん俺のせいだが。
一週間で終わらないだろうと思っていたが、だんだん効率もあがってきた。
慣れてくると、嫌だった作業もやりがいのようなものを感じるようになってきた。
これでも、昔は父に教わりながら、畑を耕し、種をまき、水をやり、収穫していた。
だから、生粋の役人なんかと違って、一週間もすれば勘も戻る。
幼い頃は、父から教わって、仕事をして一人前に近づいていっているような気がしていた。
今振り返ると、あのころは楽しかった……、楽しいと思っていた。
いつからだったかな、この仕事が嫌いになったのは。
バカにするようになったのは。
畑仕事が終わってからの看護、元気になって去っていくものと、死んでいなくなるもので、だんだん人が少なくなってきた。
自分の目の前で多くのものが死んでいった。
遺体と向き合い、嘆き悲しむ遺族の顔が目から離れない。
俺にも家族はいる……。
それを奪った……。
いや、そんなことは分かっていたはずだ。
分かっていてやったんだ俺は。
俺が選んだ道じゃないか。
………。
違う。
そうじゃない。
俺は、人々を苦しめたくて、殺したくて役人になったわけではない……。
家族を少しでも楽させたかった。
自分の力をもっと世の中に役立てたかった。
多くの人から必要とされる人間になりたかった。
出来損ないだと思われたまま終わりたくなかった。
人々から感謝されるような人間になりたかった……。
だから死を覚悟してまで危険な戦地にも行ったし、マジカの能力もずっと磨いてきたんだ。
それに出世するためには読み書きが有利だと知って、勉強も必死に頑張ってきたんだ。
分からないことは休憩中にアーリャさんが教えてくれた。
驚くほど何でも知っていた。
俺もあの人のようになりたいと思った。
あのまま故郷で農業をずっとやっていても何も変わらないし、誰のためにもならない気がして、この道を目指したというのに。
どこで忘れてしまったんだろう……。
どこで間違ってしまったんだろう……。
眠れない。
食事がのどを通らない。
目を閉じると、目の前の闇が俺を引きずり込みそうな感覚におそわれる。
死を前にすると言うことは、こういうことなのか。
あと4日か……。
俺は間違いなく死ぬだろう。
変な王子の気まぐれで、俺の人生につらい一週間が追加された。
貴族や王族が変人なのは、別にこの王子に限ったことじゃないか。
いや、気まぐれでも変人でもない。
第三王子は、俺に償いの機会を与えたんだ。
たった一週間、いや何十年だって、俺の罪は償いきれない。
それでも。
少しでもこの罪を、この村で償える機会をもらった。
それがただ、俺の自己満足に終わったとしても。
この村のためにできることがある限り、残りの時間をこの村に使おうと思う。
日が経つにつれ、シラといる時間が多くなっていた。
けれど、シラは眠る時間が増えたし、起きていても呻くだけだ。
俺は何もできずに見ていることしかできない。
俺にできることといえば、水を飲ませてあげることと、心のなかで神に祈ることと、シラの小さな手を握ることくらいだ。
そんな朝、シラは死んだ。
王子に死刑を懇願した。
すぐにでも死にたいと思った。
シラは死んだのに、なぜ俺は生きてる……。
「僕が決められることではありません。明日の投票を待ってください」
王子は、最後の最後まで俺の邪魔をしてくれる。
あと1日、もう決まっているのに、これ以上生き恥をさらせというのか。
朝を迎えた。
投票の日だ。
投票といっても、村人が口頭で王子に伝えていくというものだ。
こんな茶番に付き合わされる村人もかわいそうだな。
「投票結果を発表します」
王子は通る声で集まった村人に言う。
ここらへんは王の子だなと思う。
ようやく死ねる。
そう思った。
「ウィールには、この村専属となり、水級魔術師としての任務を遂行してもらいます」
何を言っているのか分からなかった。
王子がウソをついているのだと思った。
あの投票方法なら、投票結果の操作など簡単にできる。
今さら俺を殺すのが怖くなったか?
浅はかな子どものウソだ。
そんなの、村人が気づかないわけがない。
暴動が起きるぞ。
村人のほうを見ると、誰一人として異を唱えるものがいない。
なんだ、これは?
どういうことだ?
「それでは無罪と言っているようなものです。それでいいのですか!」
思わず俺が異を唱えてしまった。
だって、おかしいだろ。
俺だったら、絶対に死刑に入れる。
「いいわけねえだろ。お前は一生ゆるさねえ」
村人が立ち上がり、声を荒げた。
「無罪だとしたら、俺が一生かけてお前を追い詰めてやらあ!」
何人かの村人がそれに追随する。
「じゃあ、この投票結果はなんです!」
「簡単には死なせねえって言ってるんだよ!」
「お前の望みなどひとつも叶えてやらねえ。朝から晩まで働きつづけろ! それがお前の義務だ。人生の最期まで自分のやった事を後悔してから死ね!」
「死にたいと思っているお前を死なせるもんか。一生かけて罪をつぐなえ! それがこの村の総意だ!」
あちこちから声が飛び交った。
怒りも悲しみも恨みも混じっている。
優しい声はひとつもなかった。
耳が痛い。胸が苦しい。
でも……、間違いなく、彼らはそう言った。
死ぬことは許さないと。
罪を償うチャンスを俺に与えてくれている。
今、起きていることが信じられない。
そのままどうしていいか分からずに立っていると、いつか見たこの村の村長が目の前にやってきた。
そして俺の手を痛みを感じるくらい強く握った。
「これが村の総意です。我々は貴方のしたことを許しません。この村のために命を懸けて働いてください」
村長はそう言った。
怒りと悲しみを堪えている目。
涙があふれて、地面に落ちた。
全身の力が抜けて、地面に膝をついた。
看病中に亡くなった人たちや、シラのことも頭の中によぎった。
農作業を教えてくれた父のことや、アーリャさんのことも。
そして第三王子……。
目の前が涙のせいでよく見えなかった。
自分の泣き声のせいで、村人の声もよく聞こえなかった。
死ねない悔しさなのか、罪の重さに対しての責任なのか、犯した罪への後悔なのか、生き残れたことの安堵なのか、それとも……。
よく分からなかった。
けれど、俺の命はこの村に捧げなくてはいけないと思った。




