第10話「理由もわからず攻撃されました」
「…受け渡す、ですか」
「そうです」
先生はよどみなく、はっきりそう答えた。
「そもそも、彼女には待っている家族がいるんじゃないでしょうか」
「彼女は孤児でしょう。本人に聞いてみたらどうですか?」
少女のほうを見ると、目をそらされ、彼女は気まずそうに下を見た。
家族はいないのか…。
こんな幼い子が、誰も頼る者もいないなんて。
なんて人生だ。
「孤児だからと言って、奴隷商に返すことはできません」
「どうされるおつもりですか?」
なにも考えていない。
このまま見過ごすことはできないという感情だけだ。
「5歳の少女が1人で生きていけるような国ではありません。
飢え死にか、モンスターに食い殺されるのが関の山でしょう」
質問に答えられないでいる俺に、先生は諭すように言う。
モンスターとは、人を襲う動物の総称だ。
人がいる地帯の駆除はされているが、腹が減れば人里におりてくる。
前世のように人間を怖がってくれないし、むしろ好戦的らしい。
ニワトリを襲うキツネよろしく、モンスターとの戦いは避けられないものなのだそうだ。
君はこれから自由の身だ!がんばれよ!
というわけにはいかない。
そう考えると、この少女を助けた行為は浅はかで無責任に思える。
それは分かっている。
「じゃあ、僕が引き取ります」
一人の少女をかくまうことくらいはできる、だろう。おそらく。たぶん。
「これから出会うすべての孤児を引き取っていくおつもりですか? 彼女を引き取るということは、そういうことですよ」
うっ、、
たしかに他の孤児に出会ったときに、この子を助けて次の子を見捨てるということはできない。
「じゃ、じゃあ孤児院を建てるように、父に進言してみます」
「それが今、殿下ができる最善でしょう。王に納得して承認させるのは難しいでしょうけどね。国の財政的にも、王の思想的にも」
王はやらないだろうな…。
結局見捨てることと変わらない。
なんとかならないだろうか。
先生がいる森なんか、数十人くらいならこっそり住まわせることはできないだろうか。
その間は自分で食料を育てて自活してもらって…、
いや、大人が育てるのが困難な畑を子どもができるわけないか。
ん、待てよ、先生のマジカなら孤児を育てるくらいの食物
「殿下!! 伏せ!」
先生の大声。
犬かよと一瞬思ったが、言われるがままかがむ。
ボンっ!
かがむ途中で、爆発音。
音の方向を向くように倒れながら地面に張り付いた。
視線をあげると、さっきまでは無かった木が生えていた。俺と少女が立っていたくらいの位置に。
木は少し焦げて、煙を出している。
何が起きたか把握できない。
あの木は先生の?
あの子はどこに行った?
よく見ると、少女は木の向こう側にいた。
俺のことを睨んでいる。
鬼の形相とはこのことかと思った。
先ほどの天使のような少女と同一人物に思えない。
顔は赤く、眉と目はつり上がり、目には涙を浮かべている。
口角がピクピク震えており、息が荒い。
そして、その手には、火の玉がゆらゆら揺れていた。
めちゃくちゃ怒っている。
俺? なんで?
少女は火の玉を浮かべているほうの手をあげた。
完全に俺を狙っているようだ。
なぜなんだ…。
何かしてしまったなら暴力じゃなくて言葉で教えて欲しい。
その攻撃を避けようと身構えたところで、ツタが少女の両手両足を縛った。
火の玉は地面に落ちて消えた。
「あああああぁぁぁあああ!!!!」
あの少女、いや、女の子の声とは思えないほどの声で叫んだ。
ふりほどこうと、力の限り体をばたつかせている。
「殿下、ご無事ですか?」
「は、はい。だいじょうぶです…」
先生の木で防いでくれたのか。
体はなんともない。
心は訳の分からないうちに傷を負っているが…。
あんな美少女に睨まれるなんてご褒美です!と言えるメンタルがほしかったな。
「王族への殺人未遂なので、殿下のご命令であるならば死刑にもできますが…いかがいたしますか?」
「刑に処するつもりはありませんが…。とりあえず理由を知りたいですね」
少女は読解不能な言葉をわめきちらしている。
後ろの裾をつかみながら泣いていたあの頃のかわいい君に戻っておくれ…。
そんなことを思っていたら、泣きじゃくり始めた。
時々、ひっくひっく嗚咽するのがかわいい。
…じゃなくて。
「なんで俺を殺そうとしたの?」
「…」
嗚咽しながら黙っている。
「殺したって言ってたけど、誰を?」
ぴくっと少女は反応した。
そして顔をあげて、俺を睨んだ。
「……、………!」
少女は何かをしゃべっている。
でも、聞こえない。
あれ?
もしかして、俺の耳いかれた?
そう思って先生のほうを見ると、先生はこちらを見て首をかしげた。
少女は口に悲しそうに手を当てた。
でもまたすぐに俺に険しい顔を向けて、身振り手振りで何かを伝えようとした。
さっぱりわからない。
少女はハァハァと息切れしながら俺らの表情を眺め、何も伝わっていないと分かったのだろう。
呆然としながら、うなだれた。
「もしかして、しゃべれない?」
聞いてみると、少女はしゃくり上げ始め、また大声で泣き出した。
興奮しすぎて言葉が出ないだけだろうか。
…いや、そうとも思えないな。
むちゃくちゃだけど、ちゃんと話そうと努力してくれている。
先天的にしゃべれない子なんだろう。
この世界で障がい者がどのような扱いなのかは分からないが、声が出ないことを本人は気にしていることだろう。
悪いことしちゃったかな。
「どうしますか?」
見かねた先生が聞いてくる。
「まあ、この際、僕を襲った理由はなんだっていいです。この村に行ってみましょう。もしかしたら孤児ではなく、誘拐された際に、両親が亡くなったとかウソをついていたのかもしれません。今頃、ご両親が心配されているかもしれませんよ」
俺にとっては何気ないセリフだった。
少女の顔が変わった。
どこらへんが彼女の地雷地帯だったのかは分からないが、そのセリフが言っちゃいけないセリフだと気づかせるには十分だった。
彼女は焦点の合ってない目を見開いて空一点を見つめ、ガタガタと震えだした。
見開かれた目から、涙が溢れてくる。
えええ??
尋常じゃない彼女の変化にびびりながら彼女の視線の先を見つめるが、何も見当たらない。
救いを求めて先生のほうを見ると、そうなるのも仕方ないという感じで少女のほうを見ていた。
先生はなにかわかるの?
分からないの俺だけ?
「お、おい、だいじょうぶか?」
頬を軽く叩く。
ぅ、と軽く反応はする。
が、ほとんど反応がないようなものだ。
「この子はどうしてしまったのですか?」
「両親を、普通の亡くし方をしていないのでしょう。ほぼ間違いなく、この少女は戦争孤児です。直近の戦争で農村が巻き込まれたと聞きました。目の前で心の傷を負うような殺され方をしたのでしょう」
そうか…、それでこうなってしまったのか。
知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしてしまった…。
「両親が殺され、孤児になって、あげく奴隷として売られる。すごい人生ですね」
被害者を前にして他人事で思いやりのないセリフが出てきたことに気づき、自分自身を嫌悪した。
かといって、そんな話に実感をもって聞けない。
俺にできることはないし、変に同情することは無責任に思える。
俺が王だったとしたら、彼女のために何かできるのだろうか…。
……。
ん、いや待てよ。
「この国では戦争遺族に補償はされないのですか?」
「軍属には支給されます。民間人は、補償の対象外です」
…え?
え?
「戦争に巻き込まれたのなんて、人災もいいところじゃないですか!??
それで補償なしとはどういうことですか? 彼女、いや戦争遺族たちはどう生活していけばいいのですか?」
「………」
先生は押し黙る。
こんなこと、先生に言っても意味がないことくらい分かる。
でも怒りがわく。
戦争している本人は当事者だからいい、けれど、民間人なんて本当に被害者じゃないか。
どちらも補償すべきだし、優先するなら民間人の方だ。
「僕を殺そうとしたのも、僕が王族だと分かったからでしょうか。まさか、こちら側の人間が、彼女の両親の命を奪ったとか…?」
「戦火のさなかにあることです。起こりえないとは言いませんが、軍が自国の民を攻撃するということはないでしょう。
それに、私たちの会話で王族と分かる聡さが、この子にあるかどうか。…この子の考えを推し量るのは難しいですね。
ただ分かっていることは、彼女はまだ、殿下に危害を加えようとしているということです」
殿下殿下言っていれば、誰だって俺が王族だって分かりそうなもんだと思うが。
どうして俺を殺そうとしているのかは、俺が考えてもしょうがないことだ。
ただ、彼女をこのままにしておけない。
このまま怒りと悔しさをぶつけられず、逆に無力感に打ちのめされて生きていけるわけがない。
だが今の俺には、彼女に励ましの言葉もかけてあげられないし、金銭的援助もできない。
引き取るにしても、今のままじゃ俺といることは彼女にとって苦痛以外の何物でもないだろう。
「殿下、何を考えているかは分かりませんが、殿下にとっては関係のない話です。下手な偽善で関わっていい話ではありません。この少女にとっても殿下にとっても、良い結果にならないでしょう」
「僕は落ちこぼれですが王族です。関係のない話ではありません」
「わあああああああぁぁぁあああ!」
思わず耳をふさいだ。
先ほどまで静かだった少女が、目が覚めたかのように暴れ始めた。
言葉は出ないけど、叫び声は出るのか。
これだけ大声が出れば、しゃべれそうな気もするが…。
そういう問題じゃないのか。
この一連の反応だけでも、この少女の心は簡単なものではないと分かる。
彼女に関わることが大きなお節介になるかもしれない。
でもね、日本にはこんな言葉があるんですよ、先生。
やらない善よりやる偽善。
…よし。
思いついた。
「彼女を離してあげてください」
「…? さきほども言いましたが、彼女の怒りはとけていません。殿下を襲いますよ」
「構いません。それで気が済むのなら」
先生は眉をひそめた。
「わざと攻撃を受ける気ですか? 殿下は生身です。どうなるかお分かりでしょう」
「そのつもりはありません。ただ、このまま憎しみをぶつける相手がいないのはあまり気の毒です。彼女と戦います」
先生は眉をひそめたまま表情を変えない。
「先生、だいじょうぶです。お願いします」
先生はやはり腑に落ちない顔をしていたが、
「…わかりました。ただ、もし殿下の身が危ないと感じたら、彼女を殺してでも止めます」
少女を拘束していたツタが解かれる。
交互に俺と先生を見る。
話を聞いていたのだろう。すぐに火を灯し、臨戦態勢に入った。
もう心が折れていて戦わないで泣き出すということも考えていたが、なんて芯が強いのだろう。
さて。
予見眼では、単調に俺を狙ってくるだけだ。
予見眼を使うまでもなく、攻撃を避けられるだろう。
まあ怖いので使うけど。
「うわあああああ!」
少女は叫びながら、火の玉を投げた。
これがマンガだったら、くらえ!とか父と母の仇!とかいうセリフが出てきそうだ。
そのスピードは、小学生のドッチボール程度。
良かった。
スピードだけが心配だった。
これで少女の気の済むまで攻撃を避け続けられるだろう。
その気になれば、小学生がよくやるお尻ぺんぺんして直前で避ける、なんていう芸当も可能だ。
もちろんやらないが。
そう、こちらからは攻撃せずに黙々と攻撃を避け続けるつもりだ。
それしか思い浮かばない。
俺から慰めの言葉なんてかけられないし、俺が謝って済む問題でもない。
避け続けることで逆に逆鱗に触れてしまうかもしれないが…、まあ思いをくすぶらせるより発散させた方がいいだろう。
少女は火を手に灯しては投げてくる。
火を灯すまでの時間が長い。
体内のエネルギーをマジカに変換するスピードは、慣れとその人の資質によるそうだ。
モーションも分かりやすい。人に向けて発射するなんてことはしなかったんだろうな。
スピードはさっき述べた通り。しかも疲労でどんどん遅くなっていく。
もう歩いていても避けられる。
「うぅ、ううう…」
マジカを灯し続けた手を地面に叩きつけた。
エネルギー切れか、それとも諦めたのか。
うずくまって泣き出した。
力なく、すすり泣くという言葉がぴったりな感じで。
ゆっくり近づく。
これが彼女のフェイントかもしれないので、注意しながら。
近づいても、彼女は泣くばかりで動こうとしない。
今マジカを使えば、避けきれない距離に俺がいるにもかかわらず。
ただ、彼女は何かつぶやいているようだった。
耳をすます。
「ぉぇんぇ…」
そう聞こえた。
「ぉぇんぇ、ぉぇんぇ」
言葉を出せない少女が、声を絞り出している。
イントネーション的に、ぉぇんぇ、は、ごめんね、だ。
それから…他の言葉は…たぶん、
ごめんね、お母さんごめんね、一緒にいってあげなくてごめんね。
そう何度も母親に謝っていた。




