プロローグ
「ん…」
むくりとベッドの上で起き上がり、ぐっと伸びをする。
起床の感覚は爽快というには程遠く、さりとて不快な部分もない。至って普通だ。首を回して足を下ろし、立ち上がって肩を慣らすようにほぐす。感覚を確かめるように暫く身体を動かしてから、いつもの格好に着替え、泊まっている部屋を出た。
階段を下りて行くと、食堂を兼ねたロビーには夕暮れの灼けた光が差し込んでいる。宿代は前払いなので特にどういう手続きもなく、カウンターに鍵を置いて通り過ぎる。
「よ、昨日ぶり」
丁度、テーブルの一つで食事中だった顔見知りを見かけ、声を掛ける。
「ああ、アンタもまだ居たのか」
「そりゃ居るだろ。お互い、未だこの辺がせいぜいだからな」
「違いない、もう少し鍛えないとな」
アッシュ・ロウという名の戦士だ。知り合ったのは二週間前なのだが、以来妙に馬が合ってそれから何度か、ペアであちこち遊びまわったりした仲である。
そのまま同じ卓につくと、注文を取りにきたウェイトレスに肉料理と果実酒を注文する。
「今日はどうするんだ? お互いこれからが活動時間だし、昨日みたいに組むか?」
彼の誘いに、一瞬悩んでから口を開く。
「…んー、いや、今日は一人でのんびりやろうと思ってた所でさ。昨日結構稼いだし」
「あー、まあな。なら、また今度遊ぼうぜ」
「おう、また誘ってくれ」
俺の注文した料理が丁度届いて、同時に食事を終えたアッシュが席を立つ。
宿を出て行く彼に、一礼した給仕娘が食器を片付けるのを端で見ながら、自身の食事に手を着け始めた。
食事を終えて宿からすぐの通りにでると、更に日が傾き、西日の反対の空は夜の帳が掛かり始めていた。
町の中央を二分する通りは、商店や露天商が軒を連ねている。ちょっとした木造の屋台のような物もあれば、敷いた敷物に座り、商品を陳べて道行く人に売り込みの声を上げていたりと様々だ。
こういった通りの露天商は、日によって商い場所が変わっていたりするので、常連の商人がいたとしても見て巡らないと見つからない事が多いし、その日に居ない事だってありえる。
(お、いたいた)
だが、居れば分かるもので。数軒先の軒先に敷物を拡げ、商品や見本を並べている小柄な姿を見留め、足を向ける。
丁度接客中で、チラリとこちらに気付いて視線を向けたが、すぐ客へと戻す。
「いやー、あんさん運がええで! これ昨日仕入ればっかりの薬草やねん♪ 古いと、加工して貰ったりせな効果落ちたりするからなぁ」
相変わらず妙な訛りと言うか方言の強い口調である。
「まぁな。知り合いに薬師でも居ないと中々保存が難しいからな。で、いくらだい?」
「へぇへぇ♪ ほな6bでいかがかいなぁ?」
「少し高いな、この辺の相場は4b前後だろ?」
「そら買い置き品の相場ですがな、ダンさん♪ この新鮮さで、状態もばっちり! ウチの目利きは確かやで~! そこらの薬草の倍は効果間違いなし! それがこの値段や、叩き売りに近いで!」
「ん、ん~…でもなぁ」
この手の交渉は、商人達にとっては死活技術だ。なるだけ商品を高く売り、儲けを出さねば次の仕入れすら儘ならない。
傍で見ているとお笑いのようにも聞こえるが、笑顔の裏で商人はこちらの懐しか見ていない。
彼らが最初に申し出る値段は、値引きが利く額だと知らないと――
「もう、いけずやなぁダンさん♪ 次もご贔屓にしてくれたら」
そこでまたチラリとこちらを見やり、含み笑いと共に客の男に耳打ちする。すると、男の顔がだらしなく緩んだ。
「お、そ、そうか?じゃあ、今回はこれ、6bでいいや。使い切ったら次もアンタんとこで買わせて貰うからなっ」
「はいな♪ 末永くご贔屓に~♪」
そのまま言われるがままの代金を支払って、どこか浮き足立って露天の前から離れて行く男。
ああ、また犠牲者が増えたのか…と心の中で彼に手を合わせておく。
「よぉ、商売繁盛してるか、悪徳猫」
「だぁれが悪徳やねん。年中枯れた野蛮人のくせしよってからに」
「別に枯れちゃいないさ。花街だって行くしな」
「それが枯れてるっちゅーん。もっとこう、金の掛からん相手みつけたらどうや」
「割り切りのいい関係ってのが、好きなんでね」
目の前に居る小柄な女性は、行商人のアンシャック。猫人族らしく、ぴんと三角に尖った耳が鮮やかな赤髪の間から顔を出し、背後に目をやるとくるりと先端が丸まった尻尾を揺らしている。
知り合ったのは一ヶ月前、この町に来る前の町で、彼女の店で買ったのが切掛けなのだが――。
「あん時お前んとこで買った剣、この町じゃ半額で売ってるじゃねぇか。悪徳以外の何だってんだ」
「ちちちっ、この町まで来ないと買えない商品を、一つ前の町で購入できたんやで? 運送、人件その他もろもろ費用が付加されるんは、当然や」
「次の日、別の行商人も売ってたぞ。この町の三割り増しぐらいでな」
「…ふ、市場のリサーチが足らんからや」
「むかつく面だな、ちょっと斬っていいか」
「出来るモンなら…って、ちょお、本気で抜かんといてぇな!?」
とまあ、字面的には物騒な会話だが、この位はいつもの挨拶みたいなものだ。前の町では確かに稀少な品だったし、勉強代と思って納得もしている。
その後、探索で稼いだ品を買い取って貰ったり、必要雑貨を買ったりと贔屓にしてたら、こっちの町に移ったのも同時期だったという訳だ。
「ところで、さっきの耳打ちは…またあれか」
「ししし、男の客はチョロイなぁ♪ 贔屓にしてくれたら一晩付き合ったげる、言うたらコロリやもん♪」
軽くしなをつくって身を捩る強欲猫に半眼を向けてやる。
「で、ウワバミ猫にしこたま飲み食いされた挙句、酔いつぶれて何もさせて貰えんと」
「あんさんの時と同じになー」
そう、俺もこいつの犠牲者の一人なのだ、結局は。見た目可愛いし、小柄ながら減り張りの聞いたスタイル。
鵜呑みにする方が馬鹿なのだが、男という生き物は先天的に、そういうものであるからして、あれは不可抗力であると申しあげたき次第である。
それで懲りた俺は、こいつとは絶対に飲まないと心に決めている。
「でもなぁ、いつか痛い目見るぞ、そう云う事やってると。行商人は、町を離れれば逃げられるが、評判ってのは広がるもんだからな」
「それくらい承知や。だからちょろそうな相手にしか、この手は使わへん」
(つまり俺はちょろそうだったのか)
自覚はあるのが悲しい。だからこそ花街なんぞに通って自分を慰めるわけだが。
(いや、そう云う所にもいい子は居るんよ? 当たりの時は。滅多に当たらないけどさ)
街から街への根無し草な生き方をしている俺みたいな奴にとっては、一つ処で色恋沙汰は面倒の種でしかない。その点、金銭だけの繋がりですむ相手というのは、ありがたいものなのだ。
まあ、今はその辺の話はどうでもいいとして。
「薬草三つ、相場の3bでな。駆け引きもいらん。駄目なら他所で買う」
さっきの男は相場が4bなどといって居たが、こいつの言うとおりリサーチ不足だ。多分、こっちに流れてきたばかりなんだろう。だからこんな猫に付け入られる羽目になる。
「…ちっ、だからあんさんもてないんやで?」
「だまれ野良猫」
舌打ちしながらも素直に差し出される薬草と交換に、懐から出した皮袋から銅貨を九枚手渡す。
ちなみにレートは青銅貨十枚で銅貨一枚、銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚と言うところだ。もっと上もあるが、庶民に関係あるのはその辺りまでだろう。単位は青銅貨がd、銅貨がb、銀貨がs、金貨がg。国ごとの経済状況によって多少のぶれは出るが。計算しやすくて助かる。
不定期で気ままに書きなぐって行くだけの物語です。適当で申し訳ない。