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吸血姫  作者: 白石ひな
3/5

訪れ人


 翌日も天気は雲一つない快晴だった。私の心はこんなにも曇っているのにと思いながら外の景色を眺める。視界には昨日までと何一つ変わらない景色が広がっている。今日もまた、これまでと同じ日常が巡ってきたのだと少しだけほっとした。


 昨日この城まで迷い込んできた彼が消えてから私はしばらく大きな声をあげながら泣いていた。泣いてしまえばつらいと思う気持ちも、涙と一緒に流せるのではないかと考えながら泣いていた。ほんのわずかなしこりは心に残ったものの、それも時間が経てば忘れられる。いや、忘れなければ私自身が壊れてしまう。だから忘れなければならないと、そう思ったのだ。


 そのまま疲れて寝てしまった私の顔は案の上ひどいものだった。髪はぼさぼさで目元は腫れているし、全体的にやつれた顔をしている。こんな日に銀髪の彼が訪ねてこないことは不幸中の幸いとでも言うべきだったのかもしれない。


 「おなか、すいたなあ」


 私はそうつぶやくと、体をゆっくりと起こして布団から出る。そして朝食とも昼食ともいえない微妙な時間のご飯を作ろうと階段を下りていった。


 この城に移り住むようになってから私の家事スキルは格段に上がった。それまでは家事などやったことがなかったので、当初は運び込まれてくるものを一切の加工なしで食べていたのだが図書館で発見した料理本がきっかけで料理をしてみようと思い立ったのだ。それからは少しずつ、少しずつだったけれど難しい料理にも挑戦してみたりして、いまではもしかするとどこかの主婦と同じくらいできるのではないかというくらいに上達した。料理はもはやこの城での生活での数少ない楽しみとなっていた。


 「よし、できた!」


 机の上にはできたてのシチューと昨日持ってきてもらったばかりのパンが2つほど置かれていた。私は器にたっぷりとよそったシチューをうっとりと眺めてからゆっくりとスプーンを沈ませる。そして肉と野菜とをバランスよくすくって口の中へと運び込んだ。


 「ん~、おいしーい」


 シチューは私の好物だ。無理だと思いつつも城で食べた味と同じものが再現できないかと奮闘した結果がこれだった。自分で言うのもなんだがほぼ完璧に味をコピーできている。


 シチューは幸せの味だ。城で過ごした楽しかった時間を思い出させてくれる。私はその情景を脳裏に浮かべるだけで幸せだった。あのころは、あのころは、と過去にとらわれてはいけないとは思いつつも過去に思いをはせることでしか心を落ち着かせることができない。そんな自分が少しだけ嫌だった。


 ご飯を食べ終わるとすぐにまた自分の部屋に戻る。机の上に置かれているのは私の最も好きなおとぎ話で何かあるたびにこの本を読んで心を静めていた。本はすごい。私を一気にその世界に引きずり込んでくれる。嫌なことすべて忘れてその世界に没頭させてくれるのだ。


 私はゆっくりと本を開いた。



 むかしむかしのお話です。金色の髪をもつとても美しい少女がおりました。その少女はこの国のお姫様でした。少女は美しいだけではなく心優しい女の子でしたから国中の人に愛されて育ちました。ですがあるときそんな少女を嫌ったひとりの魔女が表れます。魔女は少女を守ろうとする兵を蹴散らし少女に歩み寄ると、少女を大きな大きな氷の中に閉じ込めてしまいます。その氷はどんな炎をもってしても溶けない氷、少女を永遠に閉じ込めんとする氷でした。魔女はその氷をうっとりとした表情で眺めると満足げにその場を立ち去ってしまいます。少女は氷の中に閉じ込められたままでした。


 少女をどうにかして助けようとさまざまな人々が手を尽くしましたがやはり氷は溶けず少女は閉じ込められたままでした。王と王妃は閉じ込められた娘を見ては毎日枕を濡らし、臣下たちも西へ東へ走りましたがついに少女を助ける手を見つけることはできませんでした。


 そんなある日のことです。


 隣の国の王子が少女を一目見ようと訪ねてきたのです。少女と彼は幼馴染で、言葉には出さなかったものの、お互いを思いあっていました。幼いころからともに育った少女の氷に閉じ込められた姿は衝撃的だったのでしょうか。王子は涙を流しながら氷へと近づいていくと、ゆっくりと氷に唇を落としました。するとどうでしょう。閉じ込められていた少女が眩しい光を発したかと思うと少女と彼を隔てていた氷はなくなり、部屋の中央には少女がすやすやと寝息をたてて眠っているではありませんか。


 王子は驚きながらも少女のもとにかけよると少女を抱き上げました。王子の腕の中で少女はゆっくりとまぶたを開きました。少女はとても長い夢をみていたようでした。あたたかくて幸せな夢。そしてその夢の中には少女に寄り添う王子が出てきていたのです。少女は目を開いて王子の存在を認めると王子を抱き寄せました。王子も少女をしっかりと腕の中に抱きました。そうして二人は少女の夢の通り、寄り添って生きていくこととなったのです。



 私もこの物語のようにこの城から解放されて運命の人と生きていくことができるのだろうか。そう考えてはみるものの、実際には叶わないことはよくわかっている。だからこそ夢を見るのだ。そうなればいいという私の空想はたかが空想ではあるものの、それゆえに誰にも邪魔されない私だけのものだった。


 「いつか、王子様が迎えに来てくれるの、私のことを」


 これは何の物語だっただろう。白馬に乗って颯爽と現れた王子様が少女と結ばれる。そんな話をいつか読んだ気がしたが、それも私のお気に入りだった。


 私は本を閉じて胸に抱き寄せる。そしてベッドの上にごろんと転がって目を閉じた。そうすればいまこの現実から逃げ出して空想の世界に浸ることができる。そうすれば辛いことなんてない。私は自由だ。


 そう思ったのに、私が空想の世界に浸りきれなかったのは滅多に聞くことのない馬の駆ける音を耳にしてしまったからだろうか。私ははっとしてベッドから身を起こした。馬の足音はどうやらどんどんとこちらに近づいてきているようだった。森の奥。人が訪れることなどほとんどないこの城へと、好き好んで来る輩などいるのだろうか。私は眉間にしわを寄せながら窓の外を見る。そこから見えるのはいつもの景色、だったはずなのだ。馬に乗った金髪の男がこちらに向かってきていること以外は。


 「え……」


 あの金髪には見覚えがあった。いや、忘れるわけがなかった。ただでさえ少ない訪れ人。しかもつい昨日のことだ。私は目の前の光景が信じられず数回瞬きしてみるが、やはり見間違えではない。金髪の男は間違いなくこの城へと進んできていて、もう視線が交わってもおかしくない距離まで来ていた。


 そして彼は馬を止めると馬から降りて城へと数歩近づいた。昨日と同じだった。すがすがしいほどに晴れ渡ったこの天気も、彼の後ろに広がる緑も、私と彼の、距離感も。


 「こんにちはお嬢さん。君に、会いに来たよ」


 「な、なんで……」


 私は思わず飛び出た言葉を塞ぐように口元に両手をあててみたが、少し遅かったようで私の声はしっかりと彼に届いてしまっていたようだった。彼はにっこりと笑うと、私のことをじっと見つめながら口を開いた。


 「君に興味を持ったんだ」


 「へ?」


 その言葉の意味がわからないといった風な顔をしながら、私は彼の様子を窺う。昨日と同じような穏やかな天気だ。風が気持ちいいのだろう。彼は風で乱れた髪を右手でかき分けていた。


 「俺は君のことが知りたい。君の名前を、教えてくれないか」


 どうしてだ。どうして彼はやって来たの、こんな森の奥まで。私は昨日あんなにも、拒絶したのに。


 君のことが知りたいなどと言われてこんなにも嫌な気分になることはそうそうないだろう。自分でもわかるほどに表情は歪んでいた。でもそれに気が付いていないのか、眼下にいる彼は一切笑みを崩さない。


 「私は昨日、来ないでって……そう、言ったのに」


 絞り出すように声をあげるとさすがの彼も何かを悟ったのか険しい表情になった。


 昨日の拒絶は私の精一杯だった。あんな風に誰かを拒絶するなんてはじめてのことで、胸が苦しくなった。本当は拒絶なんてしたくない。だけど私は人を不幸にするから。――だから、だから。


 「帰ってください」


 「嫌だよ。俺は君のことが知りたいって、言っただろう」


 彼は冗談でも言うように肩をすくめてみたけれど、もちろん私がそれを笑って見せることなどなくて彼と私の間には静寂が流れた。私は彼をにらみつける。彼は私を穏やかな目で見つめる。心が、折れそうだった。でも折れるわけにはいかない。折れてはならない。そう思いながら私は着ていたスカートをぎゅっとつかんだ。


 「私はあなたに何も教えたくないし、あなたと関わりたくないんです」


 「ははっ、強情なお嬢さんだね。……でも、わかったよ、今日はおとなしく帰ろう」


 彼はそう言いながら数歩先に置かれていた馬に近づいて、軽やかな動作でそれに乗る。私はその一連の動きをにらみつけるようにしながら眺めていた。馬にまたがった彼はそんな私のことをくすっと笑ってから、こう告げてみせたのだ。「そうやって無理やりに追い返されたんじゃ、余計に興味がわく」と。


 それからすぐに彼は私のもとを去って行った。私は彼の姿が見えなくなるのを確認すると、やっと体の力を抜く。そしてベッドに体を沈み込ませた。


 これでよかったのだと、何度も何度も自分に言い聞かせる。私は彼と関わりたくない。関わってはならない。だって私は誰とも触れ合ってはいけないのだと、そう言われたじゃないか。人を不幸にすると、言われたじゃないか。


 だからうれしいなんて思ってはいけないのだ。私のことを知りたいと言ってくれて、私のもとを訪ねてくれた。それがうれしいなんてただの、勘違いだ。私は自分の気持ちを見て見ぬフリをするしかなかった。





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