07話 夜明け前
「……そうかっ! 魔眼――それだよ! 俺TUEEEE!!」
スーさんがスキルとか魔眼とか叫びだしたが、何を言ってるかさっぱり分からない。
分からないが――スーさんの目に浮かぶ、強い希望の光は分かった。昨日からこっち、誰の目にも久しく灯っていなかった光だ。
それは俺の心にも一条の光明をねじ込んできた。スーさんの思考には追いつけないが、意味が分からないのはこの不条理な状況も同じだ。
目の前で人がバタバタ死んでいく、この残酷で理不尽で意味不明な状況。ひょっとしたらスーさんはこれを打破する何かの糸口を掴んだのかもしれない、と。
「ねえねえ、ちょっと教えて!」
スーさんが半狂乱でアヤさんに駆け寄っていく。
「ね、ね、さっき水の球が出てきた時、どんなだった? ここに変な感じはなかった?」
みんながミツバを囲んで話し込んでいたところに強引に割り込んだスーさんは、眉間に手を当てながらアヤさんにまくし立てた。
「え? え? 別になんともなかったけど……」
すっかり困惑顔のアヤさん。
「いやいや、確かにここにまりょ――光が集まって見えたんだけど……。じゃ、じゃあ、頭の中はどんな感じだった?」
「頭の中って言っても……そうね……喉がホントに乾いたなって思って、妙に生々しく水が思い出されちゃって――」
少し恥ずかしげに疲れた微笑みを浮かべるアヤさんとは対照的に、スーさんの目がメガネの奥でキラリと光った。
「それだっ! イメージだよ! 魔法はイメージが大事、そりゃそうだよね!」
狐につままれたような俺たちを前に、スーさんは大きく深呼吸をした。
「よし、実験するよ。ねえ、もう一度その、妙に生々しかった水って頭の中にイメージできる? で、同時にここに」――眉間に手を当てながらスーさんは言う――「軽く力を入れる感じで……」
この時のスーさんはどこか神がかったオーラをまとっていて、アヤさんだけでなく俺たち全員、文句も言わずにすんなり従った。
実際に一度は出現してたものだし、喉が渇いてたから水のイメージが楽だったってものあるしな。
で、結論を言うと――水の球は再現できた。
スーさんの試行錯誤的な熱血指導の下、アヤさんが見事に出現させたんだ。俺たちはみんな大騒ぎで、櫛名田のおっさんすら歓声を上げてた。まあ、せっかくの水を受けるものがなくて、喉を潤すまで何度も出してもらうことになったけど。
初めは落ちてくる水球を両手をお皿のように合わせて受けるだけだったけど、最後にはアヤさんも手慣れてきて、水球を宙に留めておけるようになった。
それなら無駄に地面に水をこぼさなくて済むから、何度も作るよりはアヤさんも楽らしい。スーさんなんて大はしゃぎで、宙に浮いた水球に直接口を付けて飲んで女性陣に引かれてたっけ。
ま、そんなことをしてるうちに、二日目の日が暮れた。
喉が潤ったので、イツキが集めてくれたどんぐりもなんとか喉を通った。
櫛名田のおっさんがみんなに再分配してくれ、歯と爪で強引に破壊して中身を腹に収める。はっきり言っておいしくない。渋いし、何より粉っぽいが、何も食べないより遥かにマシだ。
他にも櫛名田のおっさんが採集してくれた山菜なんかもあったのだが、基本的に天ぷらにしたり茹でたりして食べるものばかりで、生で食べるのはちょっと難しかった。
あとはスーさんが笑顔でこおろぎを一匹捕まえてきたが――満場一致で即逃がした。まだそこまでじゃない。スーさん自身も無理って言ってたし。
まあ、そんなこんなで餓えも多少は緩和され、全員に笑顔が戻ってきた。
日没前に俺たちのメイン食材となったどんぐりをもっと拾いに行きたかったが、気が付いたら夕闇が深くなっている。
皆で相談し、今晩はこのまま平岩の陰で身を寄せ合って眠ることになった。明日また採りに行けばいいだろう。
◆ ◆ ◆
今宵の月もまた、冴えざえとした冷たい光でこの世界を照らしている。あれから皆は早々に眠りに落ちていった。
俺は一人、舞台のように鎮座する大きな平岩にもたれて、あれこれと考えごとをしている。
食べ物のこと、発作のこと、化け物のこと、これからのこと――考えることはたくさんあるものの、昨夜よりは少しだけ気持ちが楽になった気がする。スーさんとアヤさんに感謝だな。
昨夜といえば、ほとんど寝てないんだよな。今日は色々あったし本当に疲れた。空きっ腹もヒドいもんだが、眠気も凄い。
白猿はここには化け物が寄って来づらいだろうって言っていたが、今のところはそのとおりのようだ。このまま寝てしまっても大丈夫だろうか。
明日はまずどんぐりを拾いに行って……その後は本格的に食べ物を探さなきゃ……
そんな思いを漂わせながら俺がまどろんでいると、苦しげな呻き声で眠気が吹き飛ばされた。
……また誰か発作だろうか。
今日は朝から誰も発作を起こしてなかったから、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。現実はそう甘くないってことか。くそ。
俺は執拗な眠気を振り払い、重い体を起こした。
二人、発作を起こしているようだ。竹田さんと早川さんだろうか。白猿と別れて最初に合流した二人だ。
竹田さんは幼稚園に通いだした娘さんがいる物静かな人で、壊れたスマホを淋しそうに、でも大切そうにいじっていたのが強烈に印象に残っている。
奥さんと娘さんの写真がたくさん入っていたらしい。
隕石のあのタイミングは二人とも埼玉のアパートにいた筈らしいが、どうなんだろうか。
竹田さんは今もそのスマホを握りしめ、時折うわ言のように奥さんと娘さんの名前を繰り返している。
初日で痛いほど分かったことだが、こうなってしまったら俺たちには何もしてあげることがない。ただ、看取るだけだ。
だけど、徐々に打ち解けてきた分だけ、きつい。もう知らない他人ではない。
水を口にして喜び合った光景がフラッシュバックする。
竹田さんの呻き声が小さくなり、絶えた。
逝ったか。
俺はやるせない気持ちを押し殺し、亡骸の脇の石を取り除き、そっと中に埋めた。最後に手から溢れてしまっていたスマホは、ワイシャツの左ポケット、心臓の上に仕舞っておいた。これ以上壊すことがないよう、埋める時に細心の注意を払ったのは当然だ。
ああくそ。
市ヶ谷でのあの閃光からこっち、不可抗力に流されることしかできない自分達が情けなく、悔しい。
何もなかったら、今頃竹田さん家族は三人揃って楽しく晩ごはんを食べてたんだろうか。スマホの写真も一枚ぐらい増えてたかもしれない。
だが三人の世界は永遠に壊され、スマホの写真が増えることはもうない。
くそったれが。
何か悪いことをしたっていうのか。
月の冷たい光が、竹田さんのささやかな墓標を静かに照らしている。耳に入るのは、発作を起こしたもう一人、早川さんの呻き声だけだ。
起きているのは、俺一人。
みんな疲れているんだろう。そう、寝ている方が幸せだ。
だけど、せめて一人ぐらいは最期を看取る奴がいてもいい。たかが二日だけとはいえ、このろくでもない状況で共にあがいた仲間だからな。
「…………ケースケ……」
苦しげな呻き声の合い間に、早川さんが俺の名を呼んだ。
この人は若干の人見知りはあるものの明らかに生まれついてのリーダーで、合流してからの短い時間しかなかったとはいえ、俺も櫛名田のおっさんも密かに頼りにし始めていた人だった。
俺は寝てる人を起こさないよう、静かに傍に移動した。
ついさっきまでは、颯爽とした若手サラリーマン、といった風情だった彼が、全身の皮膚が爛れ、目も当てられない惨状で苦しんでいる。
早川さんは、変わり果てた顔で俺に言った。
「……本当に……何なんだろうな、ここ…………でも、最期、付き合ってくれて……ありがとよ…………ケースケ……お前は……死ぬなよ…………頼むから、生きてくれ……」
ちきしょう、何言ってやがる、ちきしょう。
俺は早川さんの手を掴んで、ぎゅっと握りしめた。これから一緒にやっていこうと思っていたのに、くそ、言葉が、出てこない。
「……ああ、意地でも、生きてやるさ」
俺が何とか言葉を捻り出すと、早川さんは微かに笑って、それから息を引き取った。
くそ、これはきつい。これはキツすぎるだろ――
その時、小刻みに震える俺の肩に、すっと誰かが手を乗せた。
振り返ると、ミツバだった。
冴えざえと降り注ぐ月光をきらめかせて、頬に涙がふた筋、静かに流れている。あんなに綺麗だった瞳は、ぞっとするような傷心で埋め尽くされている。
そうか、夕方に目を覚ましたこの子にとっては、初めての光景か。
異常な状況で目を覚ましたばかり、眠れるはずもなく一人ずっと起きていたんだろう。
優しく素直な子のようだ。発作のことは誰か説明していたとは思うが、実際に直面するとどれだけ心をえぐっただろうか。
俺は立ち上がって優しくミツバを抱き締めた。俺と同じで、震えていた。
「みんなで、生き抜くぞ」――柔らかい髪ごしに囁くと、ミツバは俺の胸で小さく頷いた。
そして、しばらく、そうしていた。
やがて、二人の震えが止まった頃、どちらからともなく早川さんの埋葬に取り掛かった。
埋葬が終わる頃には東の空が白み、俺たちはつかず離れずの距離でそれぞれ膝を抱えて座り、無言のまま朝が来るのを待った。
◆ ◆ ◆
そして、俺はそのままこの手記を書いている。長い長い一日だった。
ミツバは俺の向かいでずっと地面を眺めている。
なんだかんだあったとはいえ、原理はどうあれ生きるための第一条件、水の確保はできたんだ。今が夜明け前、一番暗い時間帯だと信じたい。
朝日が昇ったら、強い気持ちで前に進もう。
次話「ケースケの魔法」
お楽しみいただければ幸いです。