45話 スーさんの春
八十二日目
あの大規模な魔物の襲来から二日。
俺たちの宿営地はようやく落ち着いてきた。
あの戦いで救出した六人はまだ「入院中」だ。
ドームのひとつを貸切にして、クノと櫛名田のおっさんが集中的に魔法で治療を行っている。
災い転じて福をなすと言うべきか、大量の生傷を前にして、クノの転魂の法と櫛名田のおっさんの光魔法を融合した治療研究は大幅に進んでいるらしい。
そして、その間俺たちは昨日一日、外壁の補修やら外の燃え残りの後始末をして過ごした。
気がかりだったあのおぞましい大蛇の痕跡も探してみたが、最後に咆哮を聞いた丘の中腹あたりは文字どおりの爆心地で、ちょっとしたクレーターになっていて何も残っていなかった。
あの赤目の人身大蛇は今思い返しても危険な化け物で、どうしてか魔物の群れを操っていたし、何より俺たちに対する敵意が強烈だった。あんなのが生き残っているようだとおちおち眠ることもできない。
確かに状況的には木端微塵になっていておかしくないし、昨日も今日も周辺は魔物ひとついない静かなものなのだが。
俺にできるのは念のための見回りと、外壁の補修がてら、ミツバとスーさんに更なるその増強をお願いしておくぐらいだ。
そして、その増強も今見てみるとあらかた終わっているようで――
「おはよ、ケースケ君。それ、昨日のうちにもう終わってるよ」
妙に顔をだらけさせたスーさんが、ドームの間からひょっこり顔をのぞかせた。
なぜかカヤの女の子たちに両手を引かれている。
「ケースケ君、早起きして見回りしてたの? いつの間にかいないんだもん、アヤさんが早くご飯食べてほしいって怒ってたよ」
「うお、この後行くよ。……ところでスーさん?」
言ってみればスーさんは両手に花の状況だ。まあ相手はカヤの女の子、身長的には子供のようなものだが。
「スーさ、土器作る、手伝う」
「スーさ、すごいところ、見せる」
スーさんのそれぞれの手を引いていたウイナとユクが、悪びれることなく、にぱっと笑って説明してくれた。
「みんな知らない。スーさ、すごいマレビト」
「スーさ、セジ隠す、だめ」
そういえばこの二人、いつもスーさんと一緒にいるんだよな。だいぶ肉付きも良くなって、元々可愛らしい顔立ちだったし、小学生ぐらいしか身長がないことを除けば極々普通の女の子だ。
その二人が純粋な信頼で瞳を輝かせ、自慢の宝物を見せびらかそうとする子供のようにスーさんの手を引っ張っている。
「ああいやさこないだ言ってたカヤの大人たちが土器を作れるって件でね、昨日から妙に乗り気みたいでそれで何故か僕が――」
スーさんが困ったような、でもどこかでこの状況に照れているような調子で怒涛の補足を始めた。
土器か。そういえば昨日、カヤの大人たちのリーダー、カグラが作りたいって言ってきたな。
紐状にした粘土をぐるぐる積み重ねながら形を作って、それを焚き火で焼くとかだったか。
言葉で聞くと簡単だけど、事前の乾燥とか焼く時の火加減とか細かいことをカグラは一生懸命説明してて、実は結構な職人芸のような印象を受けた。
カグラたち後から合流したカヤの大人はこれまであまり解け込めずにいたけれど、おとといの戦いで刺激を受けたんだろう。
やる気を出して、自分たちからここのために動いてくれるのなら大歓迎だ。
で、スーさんが手伝いに呼ばれたということは、きっと錬成の魔法がらみだろう。
粘土で形を作ったものを一気に仕上げて欲しいってところか。これまでもミツバが土魔法で作ったものを錬成魔法で仕上げていた訳だし、まあ問題なく出来るだろう。
というかスーさん――
「あはは、じゃあ頑張って。いい作品を期待してるよ」
顔のニヤニヤを抑えることができずに、延々と言い訳を続けるスーさんをすっぱり置き捨てて歩き出した。
くくく、スーさんてば何をそんなに照れているんだか。本当は嬉しいくせに。
きっとこれ、ミツバの土魔法を仕上げるスーさんの姿を見ているウイナとユクが、土器の話をするカグラに「スーさんならすぐ出来る」とかなんとか自慢したのがきっかけだろう。
いやいや、純粋な信頼には応えてあげないと。はは。
「スーさ、だめ!」
「スーさ、早く行く! すごいところ、ケチしない!」
ウイナとユクのかわいらしい叱責にちらりと振り返ると、耳を真っ赤にしたスーさんが足取りも軽く両手を引かれていくところだった。
◆ ◆ ◆
「みなさん、具合はどうですか? 朝ごはん持ってきましたよ」
居住用のドームに戻った俺はアヤさんとミツバの無言の圧力から逃げ、治療中の六人の朝食を運ぶことにした。
クノと櫛名田のおっさんの尽力の甲斐あってか、昨日の夜には彼らもだいぶ落ち着いていたから、今朝はそれなりに食欲もあるだろう。
治療用に貸切にしているドームに入ると、全員の視線が一斉に集まってくる。
若いお母さんと小学生の女の子、それと妙に体格の良いスーツ姿の男性が四人。ああ、だいぶ顔色も良くなってきたな。
もう昨日のうちに自己紹介は済ませてある。
軽く声を掛けて会釈をし、出迎えてくれたクノと一緒に朝食の肉入りスープを配っていく。櫛名田のおっさんは今は仮眠中とのこと。念のためにと、昨夜ひと晩中ここで付き添っていたそうだ。
まだ精神的にデリケートであろう母娘への配膳はクノに任せ、俺は男性陣へスープを運んだ。
「ケースケ君だっけ? ありがとう、腹減ってたんだ」
男性陣のリーダー格、有村さんが代表して礼儀正しくお礼を言ってきた。
この人たちは皆知り合いらしい。
有村さんが二十四歳で某大学柔道部の元主将、残りの三人がその後輩、大学四年の現役柔道部員。
この人たちが隕石の光を浴びたのは、後輩たちの就職活動で、製薬会社に勤務している有村さんのところへ会社訪問をしている最中だったそうだ。ひと段落してお茶でも飲みに行こうかと外に出たところに閃光を浴び、一緒くたにこの理不尽な世界に放り込まれたとのこと。
訳が分からないのが、ふもとの原生林に放り出されてすぐ赤目どもの戦いに巻き込まれ、逃げ出した先で俺たちに助けられたらしいのだが、同じような状況の俺たちと何故こんなにこの世界への出現時期がズレているのか。
俺たちの二か月半はどこに行った――それを聞いた昨日は思わずそう言いたくなった。
いやまあ、お陰でこの人たちは助かっているし、俺たちは俺たちで有意義な時間だったから良いのだが。
「しかし、本当にクノさんの治癒術? あれはすごいな。もうこんなに身体が動く」
「ああ、クノはなんていうか……この世界のやんごとなき姫君みたいなものですからね。俺たちも彼女と会えて本当に良かったと思っています」
ええと、嘘は言っていない。
それに、旨そうに粗末なスープを掻き込む人懐こい有村さんの笑顔に、実は俺も火の魔法が使えるんですよ、とは流石にまだ言い出せない。その辺りは魔法大好きスーさんあたりにお願いすることにしよう。
「そういえばちょっと聞きたいことが――」
有村さんが少し離れた場所にいる母娘の様子を目で確認し、急に声をひそめた。
小学生の女の子はクノと打ち解け始めたようで、たどたどしくも会話を交わしている。
あの子にはちょっと聞かせたくない話なんだけど――有村さんは小声でそう前置きして、ずいっと顔を寄せてきた。
「……僕たちが襲われた、あの化け物っていったい何だい?」