42話 「化け物」
「さてさて、貴方がたは何者でしょうか? 死ぬ前にとっとと説明しなさい」
そう言い放ち、俺の目を見下ろす半人半蛇の化け物。
こちらを丸飲みできそうな大蛇の口には紫色の舌がちろちろと蠢き、その頭の上、ぬるりと生えた死人の上半身は爛れて血膿が滲んでいる。
そして暗い笑みを浮かべる、冷たく整った命のない顔――
ヤバいヤバいヤバい! こいつは危険だ!
あまりのおぞましさに呼吸が押し込まれ、第六感が狂ったように警鐘を鳴らしている。
しかも、何を言っているのか。質問の意味が全く分からない。
そもそもなんで言葉を喋るのか。
心臓が狂ったように早鐘を叩き、考えがまとまらない。
「……説明しろと言われても」
なんとか掠れた声を絞り出した。
周囲には怪我人が転がっている。
後ろには戦い向けの魔法が使えない櫛名田のおっさんとスーさんもいる。
目の前には明らかに危険な化け物。
対応を間違えてはいけない。対話が出来るということは、これからの展開はそれ次第の可能性もある。
しかし、こんな化け物がそもそも何で言葉を話せるのか。
以前倒したトカゲ女もそう、そこで羽ばたいてるクロカワと呼ばれた化け物もそうなんだが――
クロカワ……?
トカゲ女の死に顔が蘇る。もしかすると――いや、まさか――
ひとつの仮説が頭をよぎり、手の汗を防寒着で拭って口を開いた。
「……俺の名前は埜村啓介、日本人だ。気が付いたらこの世界にいた。市ヶ谷駅のホームでスマホのアラームが鳴り響いて、隕石が――」
「ふざけるなああああッ!」
蛇体の化け物が絶叫した。
先ほどまでの取り繕ったような言葉づかいは剥がれ落ち、子供の癇癪のような混じり気なしの憤怒で蛇体が震えている。
禍々しい魔法の渦が、上空で暴れるように広がっていく。
「なんで貴様らだけ……」
大蛇の頭上に生えたおぞましい死人の上半身が、天を仰ぎ、両手で顔を覆ってすすり泣くように痙攣している。
意味も分からない極度に張りつめた空気の中、イツキが抱えた女の子が再び泣き出した。
パニックに陥ったような金切り声が周囲の沈黙を切り裂いていく。
「うるさい! 黙りなさい!!」
蛇体の化け物が両手を振りおろして怒鳴りつけた。
爛々と光る不気味な赤い目で睨みつけられ、ますます泣き叫ぶ女の子。
「いやあああ! ばけ、ばけもの、いやああああっ!」
イツキが慌てて女の子を抱きすくめるも――
キシャアアアアア!
化け物の大蛇の頭が吼えた。
その上、死人の赤く光る目は憎悪で燃えたぎっている。
「……そうか、そうですか。ようく分かりました。……テメエら、ぶっ殺してやる」
吐き出すように言葉を投げ捨て、死人は両手を天に掲げた。
上空の禍々しい魔法の渦が荒れ狂い、猛烈な速度で回転を始め――
異様な静けさが辺りを覆う。目の前で、抗うことすらできないような巨大な力が膨れ上がっていく。
これは――
「みんな、伏せろッ!」
俺は本能に急き立てられるまま、咄嗟に全力の魔法を上空の渦に叩き込んだ。
悪ノリするスーさんに背中を押されてつい最近完成した魔法、極大爆発――
ありったけの魔力を一点に集中し、途方もない爆発を巻き起こす戦略兵器級の禁じ手。
使うことなどないと思っていたが、あの渦をなんとかするにはコレしかないと生存本能が叫んでいる。
眩いほどに輝く極小の点が、彗星のように尾を引いて上空の渦に吸い込まれ――
目も眩むような閃光が迸り、世界から音が消えた。
鮮烈な光が渦とぶつかり合い、喰らい尽くし、その勢いで地上の全てを純白に染める。
遅れて到達する強烈な衝撃波、そして鼓膜を揺さぶる爆音。
遅ればせながら地面に伏せた俺の背中の上を、灼熱の爆風が通り過ぎていく。
……全てをやり過ごして顔を上げると、みんなどうにか大丈夫のようだった。
そして、離れた地面に落下して倒れているクロカワと、傷だらけになりつつ空を呆然と見上げる半人半蛇の化け物。
空の渦は跡形もなく消えていたが、その代わりに――
雷のような轟音と共に、閃光がすぐそこの地面に突き刺さった。
極大爆発の爆風とは違ったひんやりとした暴風が大地を走り、積もった粉雪が巻き上げられ微氷のつぶてとなってバラバラと全身を叩く。
その風は例のオゾン臭に満ちていて……再び閃光。
これは!
この閃光と暴風は嫌というほど知っている。
ついさっき、目の前の化け物たちが現れた時と同じもの。そして、三か月前に俺たちがこの世界に来た時と同じものだ。
それが、空全体、とてつもない規模で暴れ回っている。
極大爆発と巨大な渦との激突が引き起こした壮絶なエネルギーの奔流に誘引されたように、立て続けに閃光が瞬き、至るところで地面へと突き刺さっていく。
極大爆発は無関係かもしれない。だが、今、目の前で起こっている光景は、これまでの規模とは比較にならないほどの天変地異だ。
そして、閃光が落ちたその後には――
無数の魔物が蠢いていた。
数メートルはあるムカデ、黒光りする巨大な蟻の群れ、大型犬ほどもあるダンゴムシのような何かが混然一体となって、丘のふもと、森との間の雪原を埋め尽くしている。
全てが赤い目を持ち、凶暴極まりない声をまき散らして周囲の魔物と凄惨な戦いを繰り広げている。
すぐ傍では何十匹もの六本足の鼠が、巨大な蟻の群れと一触即発でにらみ合っていて――
キシャアアアアア!
目の前の半人半蛇の化け物の、大蛇の頭が再び吼えた。
すると、ピタリ、と魔物群の闘いが止まった。
「……クククク…………そういうこと……ですか……」
突如として訪れた静寂の中、大蛇の頭の上で死人の上半身がニタニタと嗤いだした。
一度崩れた口調がいつの間にか元に戻り、赤い燐光を放つ目だけがこちらを見下すように眺めている。
「強きは力。力は全てを従える、と……ククク……さっきは舐めた真似をしてくれましたが、私は貴方たちを絶対に認めませんよ。その理不尽な存在が塵になるまで、せいぜい足掻きなさい。さあ!」
死人の上半身が鷹揚に腕を振るうと同時に、キシャアアアアア、と大蛇の頭がまたもや咆哮を上げた。
どういう意味だ!?
悪寒と共に周囲を見回すと、こちらをギラギラと見詰める、無数の魔物の赤い目。何かに命令されたかのように、丘のふもと一面に広がる魔物が一斉にこちらを睨みつけて舌なめずりをしている。
おい、まさか。
こちらに向けられる剥き出しの敵意に、思わず丘の斜面を一歩後ずさる。
「アーハッハッハ! 死ね! 死ね! 死――」
ドゴッ!
突然飛来したひと抱えもある岩が、鎌首をもたげる大蛇の右眼を削り飛ばした。
続けて巨大な氷が地面から隆起し、一瞬のうちに半人半蛇の化け物を包み込む。
「ケースケさん! みんな!」
振り返れば、ミツバとアヤさんが丘から駆け下りてきていた。
おい! なんでこんなところに出て――
「ケースケ君、今のうち! いったん壁の中に!」
凛と響くアヤさんの声に、俺は喉まで出かかった叫びを飲み込み、背後を見渡した。
半蛇の化け物は見事に氷漬けになっていて、無数の魔物群は統率が切れたのか、混乱したように固まっている。
やがて再び隣の魔物と争いを始めて――
「よしっ! 今のうちに手分けしてこの人たちを運ぼう! 急げ……ッ!」
俺は叫びながら、咄嗟に両手杖を振るって炎弾をばらまいた。
全ての魔物がお互いに戦いだした訳ではないようだ。
こちらに迫ってくる魔物が次々に炎弾を喰らい、炎に包まれていく。
だが、その他にもばらばらと、幾つもの集団が脇目も振らずにこちらに向かってくる。
くそ!
「俺が殿をする、先に行ってくれ!」
叫びながら両手杖をもう一振りして炎弾を撃とうとして、踏み出した脚が勝手にがくりと折れた。
ふわりとした脱力感が全身を包む。
ちきしょう、魔力切れか!?
そういえばデカいのを一発撃った。
いや、この感じ、まだもうちょっとはいける筈だ。あと残り二割は残っている。
「ケースケさんっ」
ミツバが俺を庇うように駆け込んできた。
そのまま「やあ!」と裂帛の気合いを込めて杖を振るう。
何も飛ばない……とミツバに目を遣った時、周囲の地面が音を立てて動き出した。
大地がダイナミックに形を変え、大きな溝が俺たちを守るよう半円状に形作られていく。
俺は唖然としてその光景を見詰めた。
さっきのアヤさんの氷漬けの魔法といい、いつの間にこんな――
「ケースケさんのバカッ! いつも一人で危ないことを!」
ポニーテールを鋭くなびかせ、ミツバがくるりと振り返った。
いつも明るく笑っている目が吊り上がり、しかし、いっぱいまで涙が浮かんでいる。
その雄弁な視線が、千の言葉以上に俺の胸に突き刺さった。
見ればミツバが一瞬で作った溝は、幅十メートル以上、深さは五メートルはある。魔物どもの足止めをするには充分な空堀だ。
「……すまなかった」
俺はそれ以上ミツバの視線に耐えきれず、振り返ってみんなを見た。それぞれ怪我人を背負い、俺を見ている。櫛名田のおっさん、スーさん、アヤさん、クノ……。
えいくそ、話は後だ。
俺は最後の怪我人に駆け寄り、ひょいと抱え上げた。
「……行こう!」
「はい!」
「うん!」
即座に返ってきた皆の返事と共に、俺たちは一団となって駆け出した。
背後では無数の魔物がミツバの空堀に向かって押し寄せてきている。
それで時間稼ぎができている間に、まずは宿営地に入って門を閉ざし、徹底的に強化した外壁の上からみんなで安全に狙い撃つ――元々の防衛プランに戻るのが先決だ。
手ぶらのミツバが時々振り返り、牽制の弾幕を放っている。
深い雪に足元を取られながらも、俺たちがなんとか門まであと少しのところまで来た時――
キシャアアアアア!
氷漬けにしたはずの、大蛇の咆哮が聞こえた。




