41話 赤目の王
逃げ惑う一団の背後から現れた、新たな三体の異形の化け物。
俺とミツバに怪我を負わせた、魔法を使うトカゲ女が雪原をものすごい早さで這い進んできている。
その上には、巨大な皮翼を羽ばたかせた半人半狼が。
更に背後の林から、胴回りが三メートルはあろうかという緋色の大蛇が。
――あれは、ヤバい。
反射的にありったけの炎弾を飛ばしたが、同時に先頭のトカゲ女が、奈落のような口から忌々しい漆黒の魔法を吐き出した。
まずいっ!!
「きゃああーーっ」
予想外のことに俺の思考が固まった瞬間、雪原をもがくように逃げていた一団に漆黒の球が襲いかかった。人々を飲み込む激しい爆発。
一瞬遅れて俺の炎弾が雪崩をうってトカゲ女の周囲に刺さり、痛烈な炎で化け物をなぎ倒す。
なんてことを!
逃げていた人々のいた辺りは濛々と雪煙に包まれて様子が分からない。
「くそったれ!」
俺は両手杖を力任せに天に突き上げ、即座に大量の炎弾を練り上げて第二射を放った。
あれしきじゃ奴らは死なない。あいつらに少しでもゆとりを与えちゃ駄目だ!
俺の思いが伝わったのか、イツキとミツバ、アヤさんも一斉に魔法を放ち、無数の軌跡が銀世界の虚空に刻まれていく。
瞬く間にミツバの岩の弾丸が着弾し、次々とトカゲ女を包む炎に穴を穿っていく。俺の炎弾群も一歩遅れて到達した。
イツキの風の刃とアヤさんの氷の槍は飛距離が足りず、少し手前の雪面で派手に雪をまき散らしている。短く悪態を漏らすイツキ。
だが、ギリギリ届いた俺の炎弾が連鎖して、鼓膜をつんざくような爆音と共に、トカゲ女のいた辺り一帯を巻き込んで大爆発を起こした。
くそ、こんなもんじゃまだまだ安心できない。
俺が続けて第三射を用意していると、逃げていた人々を包んでいた雪煙が爆風に煽られ、中の様子が目に飛び込んできた。
露出した地面、無残に転がっている人々。
こちら側に弾き飛ばされたのだろうか、手前の雪原に横たわる女の人の紺色のワンピースが嫌に目立つ。何かを守るように抱きかかえていて――ピンクのランドセルがちらりと見えた。
なんてこった!
俺の頭が真っ白になりかけた時――
「うおおおお!」
イツキが外壁から身を躍らせた。
高さ十メートルはある外壁から矢のように飛び降り、見事な着地をして雪原を一散に駆けていく。
おいイツキ、なんて無茶を!
いくら自分の魔法が届かないからといってそれは――
いや、ある意味でイツキの行動は正しいのかもしれない。弾幕で時間を稼げるかもしれないが、飛距離ギリギリのここから魔法を撃っているだけじゃ埒が明かない。あのトカゲ女はまだしも、後ろにいる二体がヤバい。
それに何より、弾幕で時間を稼いでいるだけじゃなく、あの人たちの救助にも力を注がないと!
「ミツバ、アヤさん、撃ち続けてくれ! 援護射撃だ、弾幕を切らすなよ!」
覚悟を決めてイツキの後を追う。
後ろで誰かが何かを言っていたが、雪に覆われた地面がぐんぐんと迫ってきて――ぐはっ!
雪の中を転がり、なんとか立ち上がる。
さすがに敏捷の身体強化を持っているイツキのようにはいかなかったが、そこまでのダメージはない。深く積もった雪と、咄嗟に魔力を全身に回したのが良かったのか。
頭上をミツバとアヤさんの魔法が飛んでいく。行くぞ!
視線を上げると、イツキはもうだいぶ先まで行っている。
俺は膝上まである雪を力ずくで蹴散らしながら、一歩一歩跳ねるようにして駆け出した。
遥か前方では、俺が先ほど撃った炎弾の炎が収まってきている。
ミツバの岩の弾丸が間断なく襲いかかっているが、いわばめくら撃ちだ。アヤさんは氷の槍を小型にして、なんとか周辺に届かせているようだ。
しかしどのくらい打撃を与えているのか。運頼みにはしたくない。
俺は足を緩めて両手杖を掲げ、特大の炎球を作りだした。加減はしないぞ。
「おまけだ! これでも喰らってろ!」
ひと声気合いを込め、じりじりと熱を放つ巨大な火球を勢いよく放つ。
大人の身長ほどもある灼熱の球が唸りを上げ、イツキの頭上を山なりに越えて――トカゲ女のいた辺りで大爆発を起こした。
轟く爆音。巻き上がる雪煙。
よし、これでまた時間を稼げたはず。
再び雪を蹴散らして走り始める。と、俺の背中に思わぬ声がかかった。
「ケースケ君!」
櫛名田のおっさんが外壁の門から走り出てきていた。スーさんとクノもいる。
おい何を――。
「危ないから、中で待っててください! 奴らまだ――」
「馬鹿っ! 危ないのはそっちも同じです! せめて怪我人を運ぶのだけでも手伝わせてください!」
櫛名田のおっさんがいつにない口調で怒鳴ってきた。
目には鋭い怒りと強い覚悟がみなぎっている。
「怪我人、二人じゃ、運べないよ!」
スーさんも叫んできた。早くも息が上がっているが、目には櫛名田のおっさんと同じ強い意志が浮かんでいる。
「私だって、手伝えます!」
クノもか、くそ!
爆発で吹き飛ばされたのは、確かに四人か五人はいた――みんなが言うのは正しい。
俺とイツキの二人だけで行くより、人数が多い方がスムーズだ。
だからといって――
櫛名田のおっさんもスーさんも、そしてクノも顎をきりりと噛みしめて必死に走ってきている。
俺もいつの間にか顎が痛いほど噛みしめているが――俺もみんなと同じ顔をしている、のか?
ええいもう!
俺はくるりと振り返り、牽制の炎球をもう一発作り出して丘の下へと放った。
そして、櫛名田のおっさん達が動きやすいよう、更に力を込めて雪を蹴散らしながら走っていく。
「大丈夫ですかっ!?」
早くも一番手前の紺色のワンピースの人のところに到達したイツキが、二発目の炎球の爆音に負けぬ大声で叫んだ。
雪面に屈んで何かしたかと思ったら、ピンクのランドセルを背負った女の子を引っ張り出して抱き上げた。
良かった、ここから見る限りは大きな怪我はしていないようだ。
だが、そのまましゃがんで足元の女の人を揺さぶっている。まさか!?
「大丈夫ですか!」
ようやく俺も追いつき、イツキの肩越しに覗き込んだ。
イツキの腕の中で大声で泣いている女の子の母親だろうか、紺色の品の良いワンピースを着た三十歳ぐらいの女の人が、血まみれの顔で横たわっている。
まさかこの人、死んで――横面を叩かれたようなショックに思わず一歩後ずさる――だが、イツキの激しい揺さぶりに、女の人は苦しそうに身じろぎをしてゆっくりと目を開けた。
……良かった。
込み上げる安堵と共に顔を上げ、他の人の元へと駆け寄った。
全部であと四人、爆心地を遠巻きにするように転がっている。こちらもみんな死んではいない。ただ、全員が一目で分かるぐらいのひどい怪我をしている。
くそったれが。
湧き上がる怒りに任せ、もう一発炎球をお見舞いしてやろうと立ち上がった時――
バサリ、バサリと大きな翼で羽ばたく音が耳に入った。
はっとして見上げると、巨大な皮翼を広げた半人半狼の化け物がすぐそこに浮かんでいる。
くそ、こいつは飛べるんだった。
しかも、以前倒した似たような異形の化け物より、比べ物にならない程の威圧感がのし掛かってくる。
俺は両手杖を持ち直し、油断なく身構えた。
「お前らもか。どういう……」
死人の顔を持つ化け物がその口を開いた。軋むようなその声には、こないだ戦ったトカゲ女にはない明瞭さがあった。
何よりその内容。暗く灯る赤い目には微かな混乱すらうかがえる気がする。
「え? しゃ、喋った……」
イツキが呆然とした面持ちで漏らした。追いついてきた櫛名田のおっさん達も、イツキの脇で足を止めて驚きに目を見張っている。
そうか、こないだ戦ったトカゲ女の最期、結局まだ誰にも話していなかったか。
こいつも喋るということは、多かれ少なかれ赤目はみんなそうかもしれない。しかし、ここまでしっかり喋るのもいるとなると――
「なにヲ……ナにヲヲヲヲ!」
化け物が唐突に雄叫びを上げた。赤い燐光を放つ目に浮かぶ混乱は消え、見る間に鋭利な憎悪に変わっていく。
強烈なオゾン臭が鼻をつき、漆黒の魔法が化け物の腕に集中して――
あれはマズい!
俺は咄嗟に炎弾を放った。単発だが最速の一発。
瞬時に羽ばたく化け物との距離を詰めて……横から飛来した別の魔法に弾かれた。
「落ち着きなさい、クロカワ」
先ほど遠目に見た緋色の大蛇だった。ヌメヌメと光る胴の直径は一メートル以上、鎌首をもたげる巨大な頭の上ににょきりと爛れた死人の上半身が生え、その顔にはやはり暗く灯る赤い目。
それが向こうから雪の上をするすると近づいてきていた。強烈な悪寒が背筋を鷲掴みにする。
な……こいつは絶対にヤバい!
かつて感じたことのない圧倒的なおぞましさと強者の雰囲気に、意せずして足が下がろうとする。
途方もない量の禍々しい魔力が、周囲の空気を巻き込みながらヤツに集積されていく。
「さてさて、あなた方は何者でしょうか? 死ぬ前にとっとと説明しなさい」
半人半蛇の化け物が頭上に巨大な漆黒の渦を浮かべ、俺の目を見下ろして禍々しい笑みを浮かべた。