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03話 白猿との出会い

 ――そう、待つのだ、大いなる力を秘めたマレビトよ。


 ゆっくりと振り返った俺たちの視線の先には、純白の体毛に覆われた、人と変わらぬ大きさの猿がいた。


 白毛から僅かに覗く顔は黒面、薄い空色の瞳には深い知性が宿り、全身から神々しさが溢れ出ている。


 悠然と地面に腰を落としたその背中からは不敵に揺れる尻尾が顔を出し、だらりと伸ばされた腕の先、爪から滴る真っ赤な血は、おそらく目の前に転がる化け物たちのもの。


 その背後では、いつ現れたのだろうか、眷属っぽい無数の茶色猿が無表情でこちらを見つめている。





 どれだけの間、俺たちは息を止めていたのだろう。俺たちの呪縛を破り、いがらっぽい声で櫛名田のおっさんが白猿に問いかけた。

「……ええと……あなた、は?」


 ――我が名はヤマクイ。永き時を経て、この山と共に生きるもの。近くのヒト族には、山神とか神猿などと呼ばれておるな。


 櫛名田のおっさんの問いに応じて、深く静かな湖のような声が頭に響いた。

 その言葉の意味を理解するにつれ、口が勝手にあんぐりと開いていく。


 ――我が望むは森の清閑。マレビトよ、そなた達は何を望むものか?


 何を望むものかって……。

 頭が真っ白になっていると、櫛名田のおっさんが両手を広げて一歩前に進み出た。


「わ、私たちはここを荒らすつもりはありません。そこにいるような化け物から逃げてきて……何を望むかと聞かれれば……安全、でしょうか。そしてできたら、他の人とも合流したいと、お、思っています」

 少しだけ声が震えていたが、堂々と言い切った。さすがおっさんだ。


 白猿は微かに眉を上げ、全てを見透かすような目で俺たちを眺めている。


「ええとすみません」

 俺は思わず口を開き、即座に後悔をした。

 ジロリ、と俺を見るこの山神さまの眼圧は半端ない。神と呼ばれるだけのことはある、と心の底から納得してしまった。


「あの、俺たちは気が付いたらここにいて、何が何だか分かっていないんです」

 何とか言葉を捻りだす。

 あの血がついた爪から目を離せ。後ろの猿たちも気にするな。落ち着いて、相手の目を見て話すんだ。


「なので、もし良ければ、ここがどういうところか、俺たちに教えていただけませんか?」


 俺の必死の言葉は虚空に飲み込まれ、無限とも思える沈黙が続いた。


 失敗したか?

 でも、こんな原生林、化け物、そして目の前の喋る猿。明らかにここは俺たちが慣れ親しんだ日本とは様子が違う。

 少しでも何かしらの手がかりが欲しい。何でもいいから情報が必要なんだ――汗が一滴、こめかみから頬を伝って、固く噛み締めた顎に辿りつく。



 やがて、ため息のような感情と共に、ようやく白猿が思念を送ってきた。


 ――ここはこことしか言いようがないが……。お主たちから悪い気は感じられぬ。よかろう、過去のマレビトに免じて、いささか助力してやろう。


 押し殺した俺の安堵のため息と共に、白猿はゆったりと語り始めた。




 ――まず、ここは大いなる神霊の力が万物に遍く世界。生きとし生けるものが命を謳歌し、あるがままに存在する。中には、我のように年を経て知恵を得るものもいるな。


 話を聞けば、ヤマクイは齢数百年、元々は名もなき猿だったものがいつしか知性と力を得て、今はここの森の主のような存在になっているらしい。

 ちなみに形は違えど、他にも彼のような存在は多く在るとのこと。日本っぽく言うならば、ここは万物に神霊が宿るいわゆる八百万やおよろずの世界で、ヤマクイは歳月と共に知性と力を得た付喪つくも神のような存在かもしれない。


 そして彼の言うマレビトとは、彼ら付喪神とは対照的な、この世界の枠から外れた異質な存在らしい。

 遥かな昔から時をおいて幾度か現れている、この世界の神霊の力とは別の大いなる力を持つ謎多き者たち。

 ヒト族と縁が深く、その祖とも導き手ともいえる存在だという。


「――私たちが、そのマレビトだと?」

 櫛名田のおっさんが、困惑気味に言葉を挟んだ。


 俺も全く同感だった。

 大いなる力を持つとか、人族の祖とか導くとか、まるで理解が届かない。


 しかし、白猿は俺たちの困惑を無視するように、至極当然といった顔で淡々と思念を返してきた。


 ――そうだ。光と風が暴れ、マレビト現る……我ら知恵ある者に伝わるとおりに、そなた達は現れた。姿かたちも、まさに聞いているとおり。明らかにヒトとは異なるその姿、マレビト以外の何者でもあるまい。


 ちょっと待て。

 ヤマクイの言葉に、激しい違和感がある。

 確かに光と風は暴れたと言える。それは事実だ。だけど、明らかにヒトと異なる姿って――


 ――しかし、そなた達マレビトに関してはそのとおりなのだが……


 ヤマクイの重く困惑したような思念で俺は意識を引き戻された。


 薄い空色の瞳がまっすぐに俺たちを射抜いている。

 白猿は微かに身動きをし、顎で化け物たちの死骸を示した。一斉に背後の猿たちが死骸に向かって威嚇の唸り声を上げる。


 ――我は、これら異形のことは聞いたことがない。過去にマレビトが現れた時も、現れたのはマレビトだけの筈。しかし今回、ここ以外でもこのような異形が現れておるようだ。真に常ならぬことよ。


 猿たちの威嚇の叫びが耳を塞ぎたくなるほどに高まっていく。


 ――これらは貪欲で、ことわりから外れた悪しきもの。新たなるマレビトよ、そなた達も気を付けるがよい。

 ヤマクイが軽く手を上げると、狂乱の域まで達していた背後の叫び声がぴたりと止んだ。


 ――この後は如何するつもりか? 我らは不要な争いを好まぬ故、一旦山の奥まで退く。ここに留まるのは危険であろう。



「そうですね……とにかく他の人と合流したいと考えています。その後、近くの町や村に行ければと」

 若干の相談の後、すっかり落ち着きを取り戻している櫛名田のおっさんが代表して答えた。


 ――ヒトの集落までは些か遠いな。それにそなた達、まだその大いなる力の使い方も分かっておるまい。悪しき異形がうろついている今、他のマレビトを探し回るのも危険……。


 ヤマクイは暫し瞳を閉じ、ひとつ頷いて背後の眷属に声を掛けた。


 ――クノ、ここへ。


「――、――――……」

 そよ風に揺れる風鈴のように澄んだ声がし、背後の猿の群れが二つに分かれた。その中央からゆっくりと歩み出てきたのは――人?


「お呼びですか、お父さま」


 それはこの世の物とも思えぬ美しさを持った、見た目はほぼ人間そのままの女の子だった。

 十七、八歳くらいだろうか、亜麻色の毛皮をまとい、豊かな白金色の髪が腰まで流れている。透明感のある白い肌に北欧系のすっきりと整った顔立ち。透きとおった空色の瞳が驚いたように俺を見つめている。


「し、し、しっぽ……」

 イツキが呆然と呟いた。

 そう、その娘の俺たち人間と唯一異なる点は、ヤマクイと同じ純白の毛に覆われた尻尾があること。しなやかに伸びた形の良い脚の向こうで、地面を掠めるように揺れているのだ。

 意のままに動かせるのだろう、ちょうど地面に当たらない高さで優美な弧を描き、先端が上品に上を向いている。


 ――これは、コシ族という山向こうに住むヒトの一族に産ませた我が娘で、クノと申す。


 ヤマクイの慈愛に満ちた眼差しを受け、俺たちに向かって少し恥ずかしそうに頭を下げるクノ。


 ――我の霊力を受け継いでおる故、そなた達の力になろう。それに、コシ族の言葉に加え、お主たちが口にしているのと同じ言葉も話すことができる。ご覧のとおり我らとヒト族の中間の外見ゆえに、どちらで暮らしてもこの子は幸せにはなれぬ。姿でいえば、そなた達マレビトが一番近かろう。少々内気ではあるが、根は素直な娘だ。迷惑でなくば連れて行ってくれぬか?


 ヤマクイの言葉に俺たちも驚いたが、本人であるクノはもっと驚いたようだ。しなやかな尻尾をピンと伸ばし、くるりと振り返ってヤマクイの顔をまじまじと見詰めている。


 ヤマクイが何かを言い聞かせるようにクノに視線を向けている。俺たち抜きで念話を交わしているのだろうか。

 やがてクノは弾むように頷き、こちらに向き直った。微かに頬を染め、ヤマクイ譲りの透きとおった空色の瞳にどこか嬉しそうな煌めきを覗かせている。


「新しいマレビトの皆さまだったのですね。お見苦しいところをお見せしてしまいました。私、狩りや料理、毛皮の処理などひと通り自分の生活の面倒は見れます。どうかご一緒させていただけないでしょうか」


 ヤマクイに何を言われたのだろうか。少し恥ずかしそうに頭を下げるクノに、裏表は全く感じられない。



 それで、ええと……。


 ……まっすぐな瞳で俺だけを見つめてくるのはなんでだろう?





次話「チカラの片鱗」

お楽しみいただければ幸いです。

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