36話 哀しき激闘と精霊の巫女(下)
「私にも良く分かっていないのですが、なぜか出来てしまったのです」
ドームに戻った俺たちに、髭を弄りながら櫛名田のおっさんが困惑顔で口を開いた。
暖炉では大量に投入された薪がパチパチと勢い良く燃え、今、ミツバは暖かい中二階で眠りに就いている。
アヤさんが脇についているが、あれから血を吐いたりは一切ない。大量に血を失ったことで貧血のような状態だが、危機は乗り切ったということだろう。
ここにいるのは、俺と櫛名田のおっさんにスーさん、少し離れてクノがスーさん特製のソファで横になり、毛皮の山の中からやつれた顔をぼんやりとのぞかせている。
イツキは、そんなクノの世話を言葉少なに焼いていたのだが、それが終わると見回りをしてくると言って出て行ったきり帰ってこない。
「……なにかこう、調子の悪い機械を覗いているような感覚で」
なかなか帰って来ないイツキを案じているのだろうか、櫛名田のおっさんはちらちらとドームの玄関に視線を配りながら言葉を継いでいく。
「クノさんからミツバさんに注がれている何かが酷く非効率なのが分かって……例えて言えば、手を洗うのにタライ一杯の水をザバザバと惜しげもなくぶちまけているような感じでしょうか。私はそれに水路を作って整理して、壁を立てて柱で補強したような……」
身振りを交えておずおずと自分の経験を説明していた櫛名田のおっさんが、そこまで話した後にふと肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「あはは、何を言っているか分かりませんね」
「うわお! それ、きっと櫛名田さんの魔法だよね!」
目を輝かせたスーさんが、一人だけハイテンションで相槌を打った。初めは離れて座っていたのに、じわじわと櫛名田のおっさんへにじり寄っている。
「だって、すっごい光が櫛名田さんから出てクノちゃんをまるまる包んでたし! あれはケースケ君ばりの明るさだったよ!」
魔力を光として見ることができるスーさんの言葉に、櫛名田のおっさんは苦笑いを更に深めた。
「はは……やっぱりそうですか」
遠い目をして自分の髭を引っ張る櫛名田のおっさん。
これまで俺たちの中でただ一人、魔法が発現していなかったのだが――
「あの……」
ソファの上、毛皮の山の中から、クノがか細い声で遠慮気味に言葉を発した。
あれからずっと無言だったクノの、ドームに戻ってから初めての言葉かもしれない。
「……やっぱり、何でもないです……」
一斉に振り向いた俺たち三人の視線を受けきれなかったのか、クノは毛皮の山の中に顔を引っ込めてしまった。
これは……。
俺は立ち上がり、クノのソファの脇にひざまずいた。
「なあ、クノ」
びくり、と毛皮の山が動く。
「さっきは、その、ありがとうな」
そう、これは絶対に言っておかなければいけないことだ。さっきは色々とおかしなことになりかけたが、今こうして大事にならずに話していられるのは、そもそもクノの技があったお陰なのだ。
「……で、その、クノが一人で全部癒やしを背負おうとしたことなんだが――」
正直、俺も気持ちの整理ができていないんだが、これも言っておかなければいけない。
「頼むからあんなことはもう、しないでくれ。俺が言うべきことじゃないんだけれど――」
と、櫛名田のおっさんが俺の肘を引いた。今はそれ以上言うなと黙って首を振っている。
「……じゃあ、どうすればいいんですか?」
涙を一杯に浮かべたクノが毛皮の山からむくりと起き上がった。素直な白金の髪がくしゃくしゃに乱れ、うっすらと汗ばんだ顔に貼りついている。
「……もういいんです。私なんて、マレビトの皆さんには釣り合わないんです」
嗚咽をこらえ、クノは蚊の鳴くような声で予想外のことを言い出した。細い肩は震え、手は強く膝の上の毛皮を握りしめている。
「神の使いなんて言われて敬遠されていた私に、せっかく普通に接することができる仲間が出来たって初めは凄く嬉しかったんです。みんな本当にすごい力を持ってて、でもみんな優しくて、仲が良くて、楽しそうで、それがキラキラと眩しくて……でも、私には……」
毛皮を握りしめるクノの手に、ぽつりと涙が零れる。
「……この間の猿人との戦いの時だってそうです。私は弓を持って立っているだけ。私なんていてもいなくても同じなんです。……他の皆さんもこんなすごい家を簡単に作ったり、あっという間に畑を作ったり、みんな凄すぎるんです。私なんて……」
「クノ……」
「私に出来ることなんて、あれぐらいじゃないですか! ケースケさんの想いも分かっちゃいましたし! だから私、私なりにすごい覚悟をして、ようやくこれなら私でも役に立てると思ってやったのに、でもそれも櫛名田さんに助けられちゃって……。私、どうすればいいんですか? もう、本当に……」
「どうもしなくていいと思いますよ」
声を上げて泣きじゃくるクノに、櫛名田のおっさんが優しく微笑んだ。
「そのままで、いいじゃないですか」
え、と驚く傷心の少女に、櫛名田のおっさんはゆっくりと語りかける。
「クノさんがいたからこそ、私達はここまでこれたのです。覚えていますか――私達がこの世界に来て、空腹を抱えて、でもどんぐりしか食べるものがなかった時、狩りを教えてくれたのは、クノさん、あなたですよ。靴が壊れた時、服がダメになった時、笑顔で惜しみなく我々にこの世界で生きる術を教えてくれたのも、クノさん、あなたです。私達がこれまでどんなにクノさんに救われてきたことか――」
「そ、そ、そうだよっ!」
スーさんが勢いよく身を乗り出した。恥ずかしがり屋で滅多に女性陣の目を見ることのないスーさんが、珍しくクノの目を正面から見つめている。
「ク、クノちゃんはファンタジーでリアルテールなドリームカムトゥルーなんだよ! 眩しくて見れないのは、こ、こっちなんだから!」
どもりながらも真剣な顔でクノに言葉をぶつけるスーさん。
クノは横文字は分からないはずなのだが、その気持ちは伝わったのだろう、少し表情が和らいだ気がする。
「でも――」
「……クノ」
俺は脇から両手でクノの顔を挟み、親指でその涙を拭ってやった。
そのまま目を見て話しかける。
「クノはかけがえのない、大切な仲間だと俺たちは思ってる。あの時、もし怪我をしたのがミツバじゃなくてクノだったとしても、俺はためらわずに同じことを言ったと思う。だから――」
クノの透きとおった空色の瞳にみるみる涙が溢れた。そして、また声を上げて泣き出すクノ。
だけど、今回の涙は心地の良い涙だと思う。俺たちはクノが泣き止むまで、静かに見守り続けた。
◆ ◆ ◆
「……あの、さっき櫛名田さんが言っていたことなのですが」
泣きたいだけ泣いてすっきりしたのだろう、暖炉の前に移動したクノが櫛名田のおっさんの正面に座った。
「私の癒やしの効率が悪いって――。それ、白猿にいつも言われていたことなのです」
クノは顔を伏せ、真っ白な尻尾の先を手で弄りながら話を続ける。
「あの転魂の法は、そもそも膨大な神霊の力を己の中に蓄えた付喪神や精霊が使う技。蓄えを持たない私が使うには外から貰い受けないといけないのに、私は未熟でとても効率が悪いのです。下手に使うと相手の命を奪うほどに……。お父さまには、もっと修練をして効率を高めるまで、使用も口外も禁じられていました」
尻尾から手を離し、クノはすっと顔を上げた。
「でも、櫛名田さんが助けてくれた時、あの時はまるで違いました。いつも空回りしているような私の技が、すっきり整然として……お父さまの、いえ、それ以上の高みの技を見るようでした。まるで昔語りに出てくる精霊の巫女のような――」
「「精霊の巫女?」」
俺とスーさんの声が重なった。
「死んでさえいなければ回復可能だったという、半ばおとぎ話のような存在です」
遠くを見つめるクノが、憧れるような口調で教えてくれた。
「……そこまではさすがに無理としても、櫛名田さんに助けてもらえば私もそれなりに――。あの、さっきのあれを私に指導していただけないでしょうか」
「いや、あれはたまたまと言うか、教えるというほどのものでは」
白髪混じりの髭を引っ張り、困ったように力なく笑う櫛名田のおっさん。
「櫛名田さんならきっと出来るって!」
スーさんが眼鏡の奥の目をキラキラと輝かせて力強く立ち上がった。
「おかしいと思ってたんだよ! 櫛名田さんがなんでどの魔法も発動できないんだろうって。でも、やっと分かった! 櫛名田さんの属性はそうじゃなかったんだ!」
「ま、まあ、確かにどの魔法も出来ませんでしたが……」
「でしょ? きっと櫛名田さんの属性は光なんだよ! 癒やしとか聖職者とか、そっち方面のやつ。ヒールは水じゃなきゃ光だからね。それでクノちゃんの癒やしのフォローも出来たんだよ!」
鼻息も荒く、徐々に詰め寄っていくスーさん。
「そ、そういうものでしょうか? まあ確かに治療系の能力は喉から手が出るほど欲しいですが――」
逃げ場を失い、ちらりと俺を見る櫛名田のおっさん。
でもそのとおり、俺は深々と頷いた。
治療系の能力なんてものがあるなら、それは切実に欲しい。今日のミツバで痛感した。
普通ならそんな夢のような能力なんて笑い飛ばしてしまうかもしれないが、目の前で実物を見たばかりだ。医療関係者がいない俺たちにとって、あんなに心強いものはない。
「……そうですね。どこまで出来るか分からないですが、挑戦してみましょうか」
櫛名田のおっさんも同じ考えなのだろう、しばしの黙考の後、覚悟を決めてくれたようだ。
そのまま髭から手を離し、腕組みをして一点を見つめている。先程の感覚を思い起こしているのだろうか。
「……なんとなくの感触なのですが、クノさんの転魂の法――でしたっけ? あれ自体は凄いものでした。エネルギーのかたまりというか、魔法の力とははっきり別種のものというか。正直、魔法であれを再現するのは難しい気がしますが……」
考えを整理するようにボソボソとつぶやく櫛名田のおっさん。
やがて視線を上げ、いつもの人当たりのよい笑みをクノに投げかけた。
「そうですね、まずはクノさんのフォローに回って、二人でやってみるのが近道だと思います。クノさん、魔法に不慣れな私を手伝うと思ってお付き合いしてもらえますか?」
「はい!」
クノがぱあっと顔を綻ばせる。目の縁は未だ赤いが、可憐な花が咲き誇ったような笑顔だった。
はは。精霊の巫女だったか、昔のおとぎ話だと言っていたが、クノの見た目はまさにそんな感じだな。
櫛名田のおっさんの魔法開発のためにも、医者がいない俺たちのためにも、そして何よりクノ自身の自信のためにも、是非ともモノにして欲しい。掛け値なしに全面的な応援をしよう。
……それに、ああ、この二人なら出来そうな気がする。
柔らかくて温かい笑みを浮かべ合う二人を眺める俺の脳裏に、ふとそんな思いが浮かんだ。