33話 冬の到来と忍び寄る影(下)
「けーすけサン、かっこいい!」
「うわあ、ふかふか!」
アヤさんからミツバたちの防寒着を受け取り、外に出ようとした俺を再びカヤの子たちが取り囲んだ。
よっぽど俺のこの白い防寒着が気にいったらしい。
「けーすけサン、領主さまみたい!」
いつもニソルにべったりのヤヒメが、目を輝かせて叫んだ。口々に賛同の声を上げるカヤの面々。
いや、別にここの領主とかはいないんだが――ああ、そうか。こういう上等な服を着れたのは領主だけだったのか。
「あー、みんなの分の毛皮もちゃんと狩ってくるから、みんなも順番で着れるようになるぞ? ちょっと待っててな」
俺の言葉に一瞬きょとんとし、やがて大喜びで跳ね回りだすカヤの子たち。
「えーと、それとな。ここに領主はいないぞ」
大興奮の合間を縫ってもうひと言追加すると、皆がピタリと動きを止めた。
だが、これまでの境遇のせいか、一様に首を傾げて理解が追いつかないといった顔をしている。
ううーん、なんて言うべきか。
「強いて言えば、みんなが領主さまかな。俺だけじゃない。アヤさんもクノも、櫛名田のおっさんも、ミツバもイツキも、みんな同じなんだよ」
「「スーさも?」」
カヤの初期メンバーの女の子、ウイナとユクが異口同音に疑問の声を上げた。
スーさ、とはスーさんのことだ。一番始めに俺たちのことを「様」付けで呼んできた時に「さん」付けで充分と言ったのだが、お約束のようにスーさんで混乱してしまったのだ。
スーさんさんとか、まあそんな具合だな。
で、本人のあの親しみやすいキャラもあって、結局「スーさ」の愛称で落ち着いているのだが――
……すまんスーさん、忘れてた訳じゃないぞ。
「ああ、もちろんスーさんも同じだな」
「わあ、スーさも領主さまなんだ!」
「スーさ、すごい!」
変なところで予想外の喜びを見せるウイナとユク。
スーさんはああ見えて意外と面倒見が良く、カヤの子たちに人気がある。思っていた展開と違うが、まあ、徐々に理解してくれればいいだろう。
さ、櫛名田のおっさんとミツバを待たせても悪い。
俺はウイナとユクの頭を撫で、アヤさんとクノにもう一度お礼を言って外に出た。
◆ ◆ ◆
「ふう、ざっくりこんなカンジかな?」
寒風に吹かれつつ、俺とお揃いの白い防寒着を着たミツバが小さい両手杖を満足げに下ろした。
「はい、いい感じですね。それにしても――」
櫛名田のおっさんがミツバをねぎらいつつ、眼前の光景を仄かな苦笑いと共に見渡した。
「――いやはや、慣れてきたと思ってましたが、これだけ大規模なものを見ると……」
目の前には、広大な田園地帯がその形を現しつつある。ここまで僅か半日。
真っ白な雪に覆われた丘の頂きにある宿営地、その下になだらかに広がる裾野。その裾野の西側に、傾斜に沿って段をつけられた区画が、黒々とした土をのぞかせて整然と並んでいるのだ。
ミツバの土魔法がここまで進化しているとは、さすがの俺も驚いてしまった。
それは、さながら何かのショーを鑑賞しているような、一度見たら忘れられない光景。
さらさらのパウダースノーに覆われたススキ原に、軽くミツバが杖を向ける。
すると杖の先で数メートル四方の黒土がぼこぼこと盛り上がり、ススキを巻き込みながら櫛名田のおっさんの指示のとおりに地形を成していくのだ。
とてつもなくダイナミックで、何というか、まるで魔法を見ているような……いや、魔法なんだけれども。
「みつばサン、すごい! セジたくさん!」
開墾経験者としてアドバイザー役で来てもらったアキツは終始興奮状態で、放っておくと平伏して拝みだしたかもしれない。
そんな俺たちの称賛を受け、ミツバもノリノリであれよあれよと進んできてしまったのだが――
「……ミツバ、大丈夫か?」
ひと通り造成を終えて杖を下ろしたミツバが、寒風の中でハアハアと息を弾ませているのに気がついた。
まさか、魔力切れか?
いつぞやの猿人との激戦で、そんなものがあると初めて思い知らされた俺は、その後スーさんと色々検証をしてきた。
まず、基本的に俺たちはかなりの量の魔法を使えるようだ。使用後の回復速度も早く、スーさん曰く俺たちは勇者か魔王かドラゴンかといったレベルらしいのだが、まあそれは置いておいて。
俺の場合、魔法剣程度であればほぼずっと使っていられるが、最大の魔法、メテオ三発でほぼ魔力が空になる。
だいたい二時間あれば一発分ぐらい回復するのだが、この間のメテオ三連発はそうやって回復する前にも一発撃っていたからな、あれはきわどかった。
問題は、そんな魔力切れの時だ。
魔力切れになると脱力感がものすごく、しばらくの間はなんだか病み上がりのような、身体的に頼りない状態になる。
そして、一度そうなると回復にもやたらと時間がかかるようなのだ。俺はあの戦いの後、三日ぐらい体がおかしかったからな。
スーさんは何かまた意味を掴みかねることを言っていたが、俺は風邪のようなものだと理解している。
軽い風邪はすぐ治るが、こじらせるとなかなか治らない。更にそこで無理をすると肺炎を併発して、最悪の場合……死んでしまうかもしれない。
思い返すとあの猿人との戦いの後半、あれ以上魔法を使うと取り返しがつかなくなるような、本能的にヤバい感じがあった。
光ひとつない深淵に滑り落ちかけているような、といえば伝わるだろうか。とにかく二度とやってはいけない。
まあそんなことなので、無理はしないに限るのだが――
「あは、ちょっと張り切っちゃったかもです」
てへっ、と明るく笑うミツバ。
整っていながらも愛嬌のある顔は、純白の毛皮の防寒着と相まってまるでどこかのやんちゃなお姫様のようなのだが――心なしかいつもの元気さがない気がする。
「無理するなよ。ちょっと早いけど、昼にしよう――櫛名田さん、いいですか?」
「もちろんです。確かにいつにないハイペースでしたね。キリも良いですし、一旦戻りましょうか」
人の良い微笑みを浮かべつつ、ミツバの肩を優しく叩く櫛名田のおっさん。
「えー、まだ水路とか作ってないし、ここの外壁なんて手付かずじゃないですかあ」
可愛らしく口をとがらせ、櫛名田のおっさんに懇願する姿はまるで仲の良い親子のよう。
まだ深刻な魔力切れって訳ではなさそうだし、いつも聞き分けがいいミツバのこういう姿はなんだかちょっとかわいい。
ま、そうは言っても今は一旦戻るべきだろう。
「ほらほら、天気も怪しくなってきたし――」
俺はますます重く垂れ込める空を仰いだ。今にも雪が舞い落ちてきそうだ。
「それに、よく頑張ったじゃないか。半日でこんなに進むとは思ってなかったぞ? 魔法、練習してたもんな。エラいな、ミツバは」
「え? えへへ……そう、ですか?」
くるりと俺に向き直り、頬を染めて嬉しそうに白い息を吐くミツバ。
「水路はスーさんに固めてもらいながらの方がいいんだろ? じゃ、外壁はどの辺に立てるか、それを見回りながら一旦帰ろう」
「はいっ!」
手のひらを返したようなミツバの返事に櫛名田のおっさんが苦笑を浮かべている。
はは、確かにそうだな。
本当に雪も降ってきそうだし、何より――
さっきから、何かに見られているような、妙な気配がするんだよな。
……気のせいだといいんだが。
◆ ◆ ◆
「ふと思ったんですけど、水路は春になってからの方が良いかもしれませんね」
宿営地までの帰り道、寒さに手を擦りあわせながら櫛名田のおっさんが口を開いた。
「今作ってしまうと、霜やら凍結やらでどこかしら壊れてしまうかもしれません」
「まあ、ミツバが頑張ってくれたお陰で、ここまではもう出来ちゃってますからね」
俺は今日の午前中の成果を見渡した。
昨夜の初雪が丘を白く覆う中、かなりの面積が黒々とした土をのぞかせた水田区画に様変わりしている。
これが午前中だけの成果だ。何度見返しても、ミツバの魔法に対する感嘆しか出てこない。
「本当にたいしたもんだな」
「えへへ、そんなことないですよー」
白い息を弾ませながら、嬉しそうに淡褐色の瞳を輝かせているミツバ。
「みつばサン、すごかった! 偉大なマレビト!」
小柄なカヤ族のアキツは未だ興奮冷めやらず、崇拝の眼差しでミツバを見詰めている。
「この先、春まで手を付けないのであれば、このまま外壁ナシでもいいかもしれないな――ッ!」
――何か声がした!
外壁を作るとしたらあの辺……と目で追っていた先、林のずっと奥から何かが聞こえた気がする。
「え? 何――」
背中の両手杖を抜き放ち、咄嗟に一歩前に出た俺の後ろでミツバが混乱している。
林の中はうっすらと雪をかぶり、木々は寒風に揺れている。
今、ここにいる俺たち以外はみんな宿営地の中にいるはずだぞ?
誰も外に出てきていないはず――
また聞こえた!
下草がなくなり、見通しが良くなった林の奥のさらに奥。
こちらから逃げるように、何かが――。
唐突な爆発音が大地を揺るがした。
沸き起こる何人かの悲鳴。
――あそこか!
木々の向こうで、もうもうと雪煙が上がっている場所がある。その手前で何かがのそりと地面から頭をもたげた。
なんだ、あれ?
巨大な焦げ茶色の蛇……ではない。デカいトカゲのような何か。
朝、イツキ達が見つけた足跡の主か!
「櫛名田さん、みんなを連れて中へ!」




