30話 猿人との戦い(下)
「イツキ踏ん張れッ! 今行く!」
俺は大声で喚きながら、強引に人喰い猿に囲まれたイツキの元へ走った。
立ちはだかる猿人を叩き伏せ、脇をすり抜け、力ずくでイツキの前に割り込む。
「もう大丈夫だ! 落ち着け!」
泣きそうな顔のイツキを背後に庇い、手近な猿人を炎の魔法剣でぶん殴った。
なんとか間に合った。
荒い息をつきながら、残りの猿人どもを睨みつける。
俺の一撃を受けて全身から派手に炎を噴き出して崩れ落ちる仲間に驚いたのか、猿人は一糸乱れぬ動きでさっと輪を広げ、こちらの出方をうかがうようだ。
こいつら、馬鹿じゃない。
汗ばむ手で輝く両手杖を握りしめ、俺は一歩前に進み出た。
猿人たちは明らかに大火傷を負いつつも、俺の前進にたじろぎもしない。逆にじりじりと包囲を狭めてきた。
そのギラつく眼には、舌なめずりをするような気配すら漂っている。
くそが。
こいつら、強い。
俺一人でもギリギリなのに、イツキを守りながらだと――いや、イツキだってまだまだ力があるはずだ。
俺はひとつ大きく息を吸い、肩越しに低い声でイツキに話しかけた。
「イツキ落ち着け。お前が出来るのはエアショットだけじゃないだろ。こういう接近戦こそ、あの早さで動けばいいんじゃないか?」
はっと息を飲む音が聞こえた。俺以上に荒かったイツキの呼吸が、徐々に落ち着いていく。
「……当たらなければ、どうということもない?」
「そう、それだ。全部、躱せるだろ。お前ならできる。囲まれる前に抜け出して距離を取れば、より安全にもなる。イツキならできる。ヒットアンドアウェイってやつ――ッ!」
猿人が一斉に動き出した。
ぱっと左右に分かれ、数匹が背後に回り込むと同時に、正面からは一際大きいボスが飛びかかってくる。
咄嗟に半身になってボスの進路から身を躱し、地面すれすれから両手杖ですくい上げるような一撃を――
ダメだ!
何という身のこなし。
俺の斬撃は反らした上体を掠め、空を切った。そしてその直後。
ガシリ、と、動きが止まった両手杖の先端を掴まれた。
炎は――発動しない! 叩きつけないとダメなのか!?
そのまま毛むくじゃらの両手が輝く両手杖を掴み、ぐいぐいと押し込んでくる。
覆い被さってくる巨体の上端、額の後退したゴリラのような顔がニヤリと笑った。
畜生め!
力比べで負けるか!
いつも出している力の、更に上まで全身の力を引き出し、両手杖を押し返す。
鼻をつくオゾン臭と――再び襲う脱力感。
くそったれ!
一瞬の怯みを気力で跳ね飛ばした。驚きの色に染まる人喰い猿の顔。
一人前に感情はあるみたいじゃないか。
俺はグイッと両手杖を捻って奪い返し、すかさず距離を取った。
改めて炎の魔法剣を構えて牽制しつつ、ちらりと背後を確認する。
イツキは――
ほっとしたことに、イツキはすっかり持ち直していた。
目もくらむような速度で動き回り、呆れるほどの大振りながらも、猿人どもに痛烈な一撃を繰り返し与えている。
だが、表情に余裕がない。猿人を何匹もまとめて翻弄しながらも、妙に焦ったような顔をしている。
また一撃を喰らわせたイツキが、苛立ちも露わに猿人を振り返った。
「くそ! コイツら、しぶとい!」
そういうことか!
イツキが振るう剣は本当の刃物ではない。スーさん渾身の作だが、所詮は土と石を錬金魔法で固めたものだ。
つまりはバスタードソード、その精巧なレプリカにすぎず、刃物でない以上、いくら斬りつけたところで棒で叩いているのと同じだ。
あれでは時間がかかりすぎ――
おっと!
視界の端で巨大な影が動き、俺は反射的に両手杖で払った。
ボスだ。
無心で放った一閃はヤツが伸ばしかけた手を掠め、耳をつんざく怒声を上げさせた。転げるように間合いを取り直すボス。
やはり魔法剣は効いている。炎こそ噴き出してないが、掠めた丸太のような腕にはしっかりダメージが入っているようだ。類人猿そのままの顔を歪め、歯を剥き出しにして威嚇してくる。
その向こうで、苛立ったイツキが距離を取って足を止め、剣を大きく振りかぶっていた。あれはエアショットの魔法――
「イツキ! 魔法を飛ばすな、剣に閉じ込めるんだ!」
俺の咄嗟の叫びに、イツキはぎょっとしてたたらを踏んだ。
俺の脳裏に閃いたのは、イツキだって魔法剣を使える可能性があること。魔法剣だったらレプリカの剣だって――
その瞬間、イツキの手の中で剣が緑白色の輝きを放った。
まばゆく光るその剣は、エアショットの魔法を撃つ直前に制止したのが幸いしたのだろうか、俺の炎の魔法剣と色こそ違うものの、まごうことなく魔法剣だ。
「ウソ……うわっ!」
イツキが動きを止めたのを好機と見たのか、猿人が一斉に襲いかかった。
が、すぐにイツキは例の俊敏さを取り戻し、人とは思えない速度で離脱。抜け出し間際にキラリと緑白色の剣が舞った。
すぐに方向転換して油断なく構えるイツキの目の前で、斬撃を受けた猿人が絶叫を上げ――
――ドサリと倒れた。
見れば肩口から腰まで鮮やかに切り裂かれている。
信じられないという顔で、自らが持つ緑白色に輝く剣と倒れた猿人を見比べるイツキ。
「ケースケさん、これ……」
魔法剣だ!
俺のと違うが間違いない。
快哉を叫ぼうとしたその時。
俺が元々戦っていた辺りを、新手の猿人がひと群れ、ケダモノの咆哮と共に駆け抜けていった。
遮るものなき空間を、地響きを立てながらクノが守る領主の家に向かっていく。
マズい、まだいたのか!
くそ、俺の足では追いつけ――
「イツキッ!」
咄嗟に両手杖を振り回し、周囲の猿人たちを威嚇して叫ぶ。
「みんなを頼む! ここは任せろ!」
イツキの足なら間に合うはずだ。というか間に合ってくれ!
俺はがむしゃらに突進して、イツキを囲んでいた猿人に力任せの一撃を加えた。背後からボスが追ってくるが、眼前の猿人たちが怯んだ隙にもう一匹魔法剣の餌食にする。
「分かりました! ケースケさん頼んます――クノちゃん今行くよ! うおおお!」
俺の一撃を受けた猿人が松明のように炎を噴き出す合間を縫って、イツキが鬼の形相で韋駄天のごとく走り去った。
その混乱をついて俺は更に炎の魔法剣を振るい、イツキに気を取られた猿人のこめかみを殴り飛ばす。
そのまま勢いを殺さず、顔から火を噴き仁王立ちで固まった猿人をくるりと回り込んで、背後から迫るボスめがけて蹴り飛ばした。
思わぬ飛来物に、死骸もろとも地面に転がるボス。
その隙に、白く輝く魔法剣を立て続けに閃かせ、周囲に散らばる邪魔な猿人を片付け――
おい、頼むっ!
――途中から魔法剣の輝きが薄れはじめ、最後の一匹から炎を噴き出させた時、遂に白い輝きは消え失せた。
こっちも魔力切れかよ!
これ以上の魔法はさすがにヤバい!
周りを見回すと残りはあとボス一匹。
火を噴く死骸に纏わりつかれ、ようやく今押しのけたところだ。
イツキの方もなんとか間に合ったようで、領主の家に向かった猿人たちを鬼神の速さで斬り伏せた様子。
村を覆った猛火は鎮火しつつあるが、ちろちろと舌を伸ばす炎と立ち昇る煙以外に動くものはなく、無数の猿人の死骸が転がっているのみ。
……あとは、こいつだけ。
輝きを失った両手杖に寄りかかり、最後の気力を振り絞る。一旦足を止めた今、もう一度動き出すにはそれが大量に必要だ。
ゼイゼイと妙な音を立て、勝手に暴れる呼吸。
目尻に流れ込んだ汗を肩で乱暴に拭い、最後の人喰い猿を睨みつける。
……こいつと白兵戦かよ。
最初の一撃をスルリと躱したあの独特の体捌きがフラッシュバックする。
くそったれが!
なら、これでも喰らえ!
俺は輝きを失った両手杖を右手に持ち替え、ボスめがけて思い切り投げつけた。
狩りで鍛えた俺の投擲は、この距離で外すことはない。
力一杯投げられた両手杖が刹那の軌跡を描き――
立ち上がりかけていたボスの胸を貫いた。湿った鈍い音が辺りに届く。
信じられない、といった顔で胸に突き刺さった両手杖を眺める巨大な人喰い猿。
そして、ゆっくりと天を仰ぎ、妙にしわがれた声で大きく哭いた。
襲いかかってきた数百の猿人の、最後の一匹の断末魔が大空に響いていく――。
……やった、か。
あの、黒い波のように押し寄せてきた無数の人喰い猿が、全て動かぬ骸となってそこら中に転がっている。
狂ったような獣の雄叫びと、巨体が突進する地響きに埋めつくされていた村に、奇跡のような静寂が戻っている。
……守りきった。
あの大群が襲ってきた時、正直、ダメかと思った。だけど、俺が守ると決めた人達が背後にいた。
そしてなんとか、守りきった。
張りつめていた気持ちが急激に弛み、ふわりと意識が遠のいていく。
ダメだ。
カッコつかないじゃないか。
心地よい暗闇を意志の力で押しのけ、なんとか倒れずに地面にへたり込んで、あぐらをかいて身体を支えた。
皆が駆け寄ってきている。
イツキとクノ。
少し遅れて、領主の家から飛び出してきたニソルにコチ、アキツとまだ名前を知らないカヤの子たち。
口々に歓声を上げ――みんな、怪我ひとつない。
良かった。
本当に良かった。
あれ、ヤバい泣きそうだぞ俺……




