29話 猿人との戦い(上)
林から雲霞のごとく湧き出してきた猿人たちは、口々に雄叫びを上げながら怒涛の勢いで田んぼに突入してきた。
丸太のような前腕を補助に使う変則二足歩行ながらも、驚くほど速い。
姿を現した数はあっという間に百を超えた。
真っ黒な毛に覆われたその姿はまるで黒い波のようだ。みるみるうちに田んぼを埋め尽くし、更に勢いを増して村に突っ込んでくる。
「クノ、矢はどのくらいある?」
俺は努めて冷静さを保ち、猿人の黒い波から視線を無理やり引き剥がして、華奢なクノの腰にくくりつけられた矢筒に目を向けた。
いや、明らかに十本もない。
耳には猿人たちの雄叫びが迫り、村の踏み締められた地面をその巨体が疾駆する音が地鳴りとなって押し寄せてきている。
「――俺とイツキで前に立つ。クノは後ろで、本当に危ない時だけ援護を頼む」
何か言いかけたクノを押し留め、イツキと一歩前に踏み出した。
イツキが爽やかにニカッと笑う。こんな時までイケメンだな。頼むぞ。
振り返ると、先頭の人喰い猿は既に竪穴式住居が並ぶ村の中ほどまで来ていた。猿人とはいうが、猿というよりはゴリラ、人というよりはケダモノの面構えだ。
狂ったような凶暴さを隠そうともせず、殺意を滾らせた野太い咆哮を上げながら突っ込んでくる。
奴らがこの村に大挙して押し寄せたのは俺たちを狙ってではないだろうが、もう俺たちがターゲットになっているのは確実だ。
このまま奴らの勢いに呑まれれば、イツキが、クノが、そして俺たちを頼ってくれたカヤの子供たちが、みんな無惨に――
くそったれ!
俺はイツキから距離を置き、スーさんに作ってもらった両手杖を高々と掲げた。
意のままに無数の炎の玉が創出され、イメージどおりに俺をぐるりと取り囲む。
猿人の群れはもう三十メートルのところだ。その勢いに呼吸が押し込まれ、心臓が罠に嵌まった小動物のように暴れている。じっとりと汗をかいているのは炎の熱さからだけではない。
まだだ。もうちょっと――
「やあっ!」
隣でイツキが気合いと共に剣を振るい、エアショットの魔法を放った。
ほぼ同時に、猿人の先頭集団が弾けとんだ。そのまま後続を巻き込んでなぎ倒していく。
え?
その予想外の威力に俺は思わずイツキを見た。明らかに昨日とは比べものにならない。
「あは、俺だって昨夜練習したんスよ」
イツキは俺を見もしないで、もう一度剣を振り上げた。
「ケースケさんばっかりに頼っちゃいられないですからねっ、と」
目も止まらぬ速さで剣が一閃され、もう一度、さらにもう一度。
人喰い猿の波に立て続けに穴が開き、何十ものケダモノの怒号が弥生の村に響き渡る。
――イツキ、本当にイケメンだよお前は。
そして俺の目に、数百匹を超える猿人の群れの最後尾がようやく村に入ったのが映し出された。
今だ!
みんなまとめて、片付けてやる!
俺は限界までため込んだ炎の玉を一斉に奴らに叩き込んだ。
第一射は腰の高さで水平に、イツキのエアショットで勢いを削がれた猿人の群れを扇状になぎ払うように。
俺たちを押し包みかけていた猿人たちが次々と激しい爆発に呑み込まれ、耳障りな絶叫と共に炎に包まれていく。
まだだ。見てろよ。
すぐさま第二射の炎弾を作り出す。
続く第二射は山なりに、村に入った最後尾集団の頭上に降り注ぐように。
無数の炎の玉が軽快な音を残し、きれいな放物線を描いて飛び去っていく。
そして間髪を入れずに第三射。
さらに山なりに、これまで以上の数を天高く打ち上げるように。
狙いは第一射と第二射の中間、猿人どもの真ん中だ。そこをすっぽり覆うように範囲を広げ、イメージとしては無差別の絨毯爆撃。
第一射と第二射で前後を塞いでのこれだ。人喰い猿どもめ、ここにいる誰一人、傷つけさせてなるものか。
――まず、第二射が着弾した。
目の前で燃え盛る炎のかなり奥で、立て続けに爆発音が上がった。遠くで湧き上がる絶叫と怒号。
そして,渾身の第三射が天から落ちてくる。
灼熱の炎弾が豪雨のように村に降り注ぎ、凄まじいばかりの連続爆発が猿人たちをなぎ倒していく。
茅葺きの家々が激しく炎を撒き散らしながら吹き飛び、地獄のような猛火が阿鼻叫喚の村を呑み込む。
どうだ、これでさすがに――
「ケースケさん、やっぱスゲーっす!」
口をポカンと開けて業火に包まれた村を眺めていたイツキが、ものすごい勢いで振り返った。
その時、奇妙な脱力感が唐突に身体を包んだ。思わず膝をつく――おいまさか、これがスーさんが心配していた、魔力切れってヤツなのか?
初めての感覚だが、あの量の三連発。これは来たかもしれない。
「――ケースケさんッ!」
後ろでクノが大声を上げた。美しい白金の髪を振り乱し、キリリと弓を構えている。
その大きな空色の瞳で俺を心配そうにちらりと見て、再び叫んだ。
「ケースケさん、前!」
振り向く俺の目に映ったのは、炎の海から飛び出してくる火だるまの猿人たち。狂気の雄叫びを上げ、目を血走らせて次々と炎の渦を突き破って猛進してくる。
マジかよ。
俺は重い身体を持ち上げ、両手杖を胸の前まで引きずり上げた。
イツキが剣をきらめかせ、エアショットの魔法を焦ったように乱発しているのが目の端に映っている。
イツキのその魔法で火だるまの人喰い猿が次々と弾き飛ばされる。こぶしを地面に叩きつけながら鬼気迫る勢いで突っ込んで来るが、さすがに動きに余裕はない。イツキの魔法が確実に捉え、息の根を止めている。
だが、いかんせん数が多い。イツキのエアショットだけでは、いつか――
「ああああ!」
蒼白な顔面を強ばらせ、狂ったように魔法を乱打しているイツキが、焦りの叫びを上げた。
クソッ!
俺はなにをぼんやりしてるんだ!
だが、大分回復してきたが、どのくらい炎弾を作れるのか。今見えているだけだったらいいが、この先、何匹が炎をくぐり抜けて来るか分からない。ある意味賭けだ。
だったら――
俺はなけなしの魔力を両手杖に注ぎ込み、炎の魔法剣を作った。視界がぐらりと揺れるが構うものか。しばらくはこれで戦える。
イツキの注意が右側に集中しているのを瞬間的に見て取り、俺は白い輝きを放つ両手杖を振りかざして左に駆け出した。
「お前らの相手は俺だっ!」
攻撃対象には困らない。
目についた火だるまの猿人に駆け寄り、すれ違いざまに魔法剣で胴を払う。
ずしりとした手応えと爆音を置き去りに、次の猿人の肩口に一撃を加え、さらに次へ。
大丈夫、体は動く。
両腕を前脚代わりに獣のように疾駆してくる猿人はデカいが、炎に包まれて動きは単調だ。
視界に入った猿人を片っ端から相手にしていく。そろそろ終わりか、そう思った時――
「うわああ! 来るなあっ!」
イツキの叫びが耳に突き刺さった。
見れば、ブスブスと煙を上げる猿人数匹に囲まれ、パニックを起こしたように剣をしゃにむに振り回している。
しかし、炎の消えた猿人はイツキの魔法が放たれるタイミングを掴み、大きく回り込みながら徐々に輪を狭めていく。
まるで熟練の戦士だ。歯噛みするほど高い知能を持っていやがる。
しかも、猿人たちの後ろから一匹、炎が収まりつつある村から、一際大きな猿人が怒りも露わにイツキに向かっている。
あいつはヤバい。俺の第六感がびんびんと警鐘を鳴らしている。
あの炎をどうくぐり抜けたのか、一匹だけ全くの無傷だ。立ち上がれば二メートルを軽く超えそうな巨体、節くれだった太い腕、貫禄すら感じる王者の雰囲気。
この無数の人喰い猿を率いるボスかもしれない。
今はまだ距離があるが――
「イツキ踏ん張れッ! 今行く!」
俺は大声で喚きながら、強引にイツキの元へ走った。
立ちはだかる猿人を叩き伏せ、脇をすり抜け、力ずくでイツキの元へ――