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02話 逃走


 二日目



 見たこともない原生林に投げ出されていた俺たちが、混乱と絶望の夜をまんじりともせずに過ごしていた、二日目の未明。


 再び訪れた暴風と閃光に、俺たち生存者は少しだけ手慣れた動作で風から身を守った。

 今回の異変は妙に長く、オゾン臭も強烈だ。


 俺の間近で女の子が一人、地面に投げ捨てられるように現れ――なんと、たくちゃんがハグしてた女の子だ。某有名女子高の制服に、品よく整った可愛らしい顔。間違いない。しかも死んではいないようだ。


 残念ながらたくちゃんの姿はない。

 俺は這うようにして意識のない彼女を安全な場所に引き寄せ、荒れ狂う暴風から体を守ってやった。


 それにしても今回の暴風と閃光は長い。結構な時間が経ったと思うが、収まるどころかますます狂乱の度を増していく。

 轟音を立てて猛る暴風、大嵐の雷のように激しくまたたく閃光。正直、目を開けていられない。


 そして、唐突に全てが止まった。

 暴風と閃光は跡形もなく去り、どこまでも蒼い未明の原生林に残されたものは――





 見たこともない、おぞましい化け物だった。





 俺たちが唖然として見つめる中、化け物はゆっくりと体を起こしていった。いつもはすぐに拡散していくオゾン臭がいつまでも強く鼻を刺激する。


 化け物は熊ぐらいの大きさで、人と猿と猪を混ぜ合わせたような四つ足の何かだ。巨大な猪の胴体、そこからいびつに突き出る小柄な猿の上半身、その先には――血の気が全くない死人の顔。

 発作を起こした俺たちの仲間の亡骸のように皮膚が爛れ、目だけが赤い燐光を放っている。

 奴は混乱を振り払うように頭をひと振りし、鼓膜を引き裂かんばかりの絶叫をあげた。


 そして、薄暗く光る赤い眼で俺たちを見詰めると、おぞましい死人の顔にニヤリと笑みを浮かべ――驚くほどの敏捷さで俺たちに飛びかかってきた。



 化け物の正面にいたのは、泣き言をこぼしていたおばちゃんだ。名前は知らない。

 化け物は驚きに固まるおばちゃんをボロ布のように押し倒し、無防備な喉に喰らいついた。華奢な猿の上半身をのけぞらせるようにして喉笛を噛み千切り――濡れた鈍い音が辺りに響く。

 そして、あろうことか、嫌らしい音を立てて噛み千切った肉片を咀嚼し始めた。


 頭が真っ白になった俺は、大声を上げ無我夢中で逃げ出した。

 そう、おばちゃんが食べられているうちに――そんな利己的な考えがよぎったことは否定しない。

 化け物が他人を貪っている隙をこれ幸いと、俺は我先に逃げ出したんだ。


「こっちだ――!」

 スーツ姿のおっさんが何か叫んでいる。俺とは逆方向、斜面を斜めに下る方へと必死に手を振っている。


 その声を聞いて、恐慌に陥っていた俺の頭に理性の光が灯った。

 小魚の群れではないが、弱くても群れれば安全性が増す。

 それに、逃げた後のことを思えば、なおさらバラバラにならない方がいい。

 そんなことが断片的に頭を駆け巡り、直感的にスーツ姿のおっさんに便乗することにした。おそらくこの人は頼りになる。


「こっちだ!」

 俺は方向転換をしながら、あらん限りの声を張り上げた。

「みんなバラバラになっちゃダメだ!」


 すぐそばにいた男子高校生の腕を引っ掴み、化け物を迂回するように走り出す。


 高校生は俺が腕を掴んだ瞬間、目玉が飛び出るような顔で俺を振り返った。化け物が脇から腕を掴んだと思ったのかもしれない。

 俺が人だと分かるとすぐに向きを変え、並走し始めた。もの凄い瞬発力だった。あっという間に置いて行かれる。


 俺たちの動きが目に入ったのか、他の面々も同じ方向へ向かってくれているようだ。


 よし。

 なんだか分からない小さな達成感を覚えた俺の目に、広場の隅で未だ気を失ったままの女の子――たくちゃんがハグしてた子――が飛び込んだ。

 俺は何も考えずに駆け寄り、その子の体を思いっきり引っ張り上げ――危うく頭上に放り投げるところだった。我ながらなんという怪力。これが火事場の馬鹿力というやつか。


 ごちゃごちゃと考えている暇はない。馬鹿力ならこの状況、願ってもない幸運だ。

 宙を舞うたくちゃんの彼女の体を引き留め、横抱きに抱えるとそのまま足に力を入れて思いっきり走り出した。


 体が軽い。

 女の子の重さはほとんど感じず、先行していたみんなをどんどん追い越していく。


 あっという間に、先頭を走るスーツ姿のおっさんと高校生に追いついた。


「どっちに行くんだ!」

「このまままっすぐ!」


 怒鳴りつけるようにおっさんに問いかけ、さらに加速しようとしたが思いとどまった。一人だけ先行する意味がない。その代わりに今更だが、もうひとつ問いを重ねた。


「俺はケースケ! あんたは!」

 おっさんは一瞬の沈黙ののち、ゼイゼイと苦しそうな息の中から答えを絞りだした。

櫛名田くしなだといいます! さっきはどうも!」

 そう言って櫛名田のおっさんは引きつった笑みを浮かべた。どうやら俺がみんなの誘導の後押しをしたことに気付いていたらしい。人当たりの良さそうな笑顔といい、この人と一緒に行こう、俺は改めてそう心に決めた。



 その時、背後から化け物の雄叫びが聞こえた。


 もう俺たちを追ってきているのだろうか。随分と近く感じる。

 目の前は急激に地面が落ち込み、木々の隙間から朝日に輝くデカい草原が見える。


 背後で悲鳴が上がった。

 俺たち三人はスピードを落とすことなく、転倒する危険など考えもせずに下り斜面に突っ込んでいった。




 どのくらい走ったんだろうか。

 いつのまにか植生が変わり、呆れるほど巨大な杉は見なくなった。地面の分厚い苔はふかふかの落ち葉に変わり、相変わらず巨大ではあるが雑木林といえる森の中、やっぱり下り斜面が続いている。

 高校生の足取りはまだまだしっかりしているが、櫛名田のおっさんがヤバい。足がふらつき、顔面蒼白で今にも倒れそうだ。さすがに俺も息が上がっている。というか、女の子を抱えてよく走ってると自分を褒めるべきか。


 俺は大きく後ろを振り返った。


 化け物の姿はない。

 振り切ったんだろうか?

 もう大丈夫、なのだろうか?


 ここまで一緒に来たのは、俺と高校生――イツキ、という名前らしい――、櫛名田のおっさん、そして俺が抱えている女の子。合わせて四人だけだ。途中まではもう少し人数がいたはずなんだが。

 初めに化け物にやられたおばちゃんと、谷に入る前の悲鳴の人、その二人を抜いてしまったとしても、あと十人くらいは逃げているはずだからな。

 仕事が出来そうなサラリーマンの人とか、メガネをかけたオタクっぽい兄ちゃんとか、OLの制服を着たちょっと年上の女の人とか、うーん、頭が回っていない。みんなこっちに来ているんだろうか。


 辺りを見回すと、進行方向に大きな岩があり、その先は木々が途切れて広場のようになっているようだ。ここで少し後続を待ってもいいかもしれない。


「櫛名田さん……そろそろ大丈夫でしょうか?」

 俺は足を緩め、女の子を抱えたままおっさんに声を掛けた。走っていた時の風が緩まったせいか、全身がかあっと熱い。


「なんとか…………逃げれましたか?」

 櫛名田のおっさんが岩に手をついて、地面に崩れ落ちながら背後を振り返った。


「たぶん……大丈夫……」

 イツキがその隣で中腰で膝に手をつき、呼吸を整えながら顔を上げた。それほど疲弊しているようには見えない。さすが現役高校生、というところか。


 俺たちが走ってきた林からは、何の気配も感じられない。

 化け物から逃げれたのはいいとして、他の人たちともはぐれてしまったのだろうか。


 俺たち三人が荒い息を押し殺して耳を澄ませていると、背にした岩の向こうから、絶対に認めたくない臭いが漂ってきた。

 それは、強烈なオゾン臭、そして粘つくような血の匂い。


 ……おい、嘘だろ?


 地面をよく見れば、一面に広がる落ち葉が不自然なことに気付く。

 表面が乾いたものだけでなく、ついさっきまで地面に埋もれていたような、腐葉土のようにしっとりと濡れたものが入り混じっているのだ。


 まるで猛烈な暴風が吹き荒れ、地表の落ち葉を掻き回した後のような――。


 背筋に嫌な汗がひと筋、つつ、と流れ落ちる。

 オゾン臭はまだいい。問題はこの、粘つくようなもう一つの匂いだ。


 櫛名田のおっさんと目が合った。泣き笑いしているような表情をしている。

 イツキが後ずさりながら、ごくり、と生唾を飲み込んでいる。


 不吉な臭いはするが、大岩の向こうからの物音は一切ないことが、逆に不安を煽りたてる。


 俺は意を決し、地面に降ろしかけていた女の子を再び抱き上げ、そろりそろりと大岩を回っていった。

 慎重にその先の広場を覗き込むと――





 ――そこには文字どおりの地獄絵図が広がっていた。





 数人の男女が体を引き裂かれ、むごたらしく貪られて転がっていた。

 いや、俺の知っている人たちではない。

 その脇で全身が爛れて死んでいる人たちにも見覚えはない。


 そして、これも死んでいると思われる化け物が数体。

 俺たちが逃げてきた化け物と似たようなのもいれば、禍々しい翼があったり、バカでかい蜘蛛の身体をしているものもいる。


 くそったれ。何だよこれ。

 隣でイツキが盛大にえずき、吐いた。

 櫛名田のおっさんは蒼白な顔で絶句している。


 ああちくしょう、これは俺たちと同じように出現した、別の人たちだろうか。

 そして俺の額に脂汗を未だに噴き出させているのは、ここに転がっている化け物たちは皆、何者かに切り裂かれて殺されているという事実だ。


 ――共食い、だろうか。それともまだ他に……

 俺が櫛名田のおっさんと無言で目を見合わせ、その場を離れようとした時、更なる驚きが俺たちを襲った。



 ――待て。

 頭の中に声が響いた。


 魂が震えるような深い声だった。

 みんなビクンと体を震わせ、立ち止まっている。俺だけに聞こえたのではなさそうだ。

 ゆっくりと振り返る。


 ――そう、待つのだ、大いなる力を秘めたマレビトよ。


 視線の先には、神々しさすら漂う、瞳に明白な知性を浮かべた純白の猿がいた。





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