28話 廃村にて(下)
「クノちゃん、大丈夫だった!? さっきは心臓が飛び出るかと思ったよ!」
韋駄天のように駆けつけてきたイツキが、心配そうにクノの顔をのぞき込んだ。
クノは真っ赤な顔でこくこくと頷いている。イツキの姿を見て、ようやく俺と抱き合っていたのに気づいたのだ。
俺もそんな事は忘れていて、弾かれたように慌てて離れたのだが、どうもそこからクノの様子がおかしい。
器用に動く尻尾をぎゅっとウエストに巻きつけ、耳まで赤く染めてチラチラと俺を見上げてくる。
喋るどころか、動作も甚だぎこちない。
青い顔をして必死に駆けつけたイツキが心配してしきりに話しかけているが、まともな返事が返っていないようだ。
そうこうするうちに、アキツ達、カヤの少年三人組も追いついてきた。
「けーすけサン、強い!」
ニソルが俺の腰に飛びついてきた。純粋な瞳でキラキラと見上げてくる。
「けーすけサン炎たくさん、でも殴らない。俺たち、運がいい」
三人のリーダー格のアキツも嬉しそうに笑っている。と、村の方を気を取られていたコチがアキツの手を引っ張った。
「見て。にせもの、呪われた」
コチの指差す先には、村を囲む柵にもたれ掛かるように死んでいる男の死体があった。隣にももう一人。
遠目にも損傷がひどく、見るからに無惨な有り様だが、子どものようなアキツ達と比べて明らかに体が大きい。
「領主さま、死んだ。コチの呪い、効いた」
そう言ってコチは、指で奇妙な仕草をしながら唾を吐いた――呪いの仕草だったか? 前にもやっていた気がする。
とにかく、そうするとあのどちらが俺と同じ、炎を操るという領主か。惨たらしい死に様には同情するが――。
ちらりとコチの首筋を見る。火傷はだいぶ治ってきているが、けして許される行為ではない。死んで当然とまでは言わないが、ふさわしい末路なのかもしれない。
――まあ、今はそれより、状況の把握だ。この村で一番強く、そして一番村に執着していたであろう領主があそこで骸を晒している。
村の惨状は狼もどきの化け物がうろついている時点でお察しだが、問題はまだ化け物が残っているかどうかだ。
川を渡ってきたので全部なのだろうか。
「イツキ、もう一度村を探ってみてくれるか?」
俺の言葉に、真っ青な顔で無惨な死体を見つめていたイツキが無言で頷いた。目を閉じ、魔法を使うときの微かなオゾン臭を漂わせる。
「……ええと…………村にはもう動くものはない、かな」
しばしの集中の後、イツキが目を開いた。
村に入るなら、今がチャンスなのか?
猿人がどうなっているかは分からないが、あの狼もどき達が占拠していたぐらいなら、既にここにはいないだろう。
――行ってみるか。
◆ ◆ ◆
人っ子一人いない村の中は、水を打ったように静まり返っていた。
地面にいくつかどす黒い染みがあり、妙な緊迫感が漂っている。
目に入った亡骸は柵のところの二人だけだが、それ以外はあの狼もどき達が綺麗に片付けてしまったのだろうか。
俺たちの左側、渡ってきた川の下流側には、収穫途中の田んぼが踏み荒らされたまま放置してある。アキツ曰く、この向こうから化け物を引き連れた猿人の群れが乱入してきたらしい。
村は昔教科書で見た原始人の集落そのままだ。不恰好な竪穴式住居がまばらに建っているだけで、違いは無人だということ。
気持ちのよい陽光が降り注いでいるにも関わらず、どこか薄ら寒い。
ようやく普通に戻ったクノが、例の祈りを捧げてくれた。どれだけ効果があるか分からないが、少し気持ちが楽になった気がする。
「けーすけサン、こっち」
びくびくと俺の手にしがみついていたニソルが、右奥の少し大きい小屋を指差した。
それは村でひとつだけの木造の建物で、坂の上から他の粗末な茅葺き小屋を睥睨するように建っている。
そして、そこはかとなく感じる、奇妙な違和感。
深呼吸をひとつし、ゆっくりと足を向ける。
近づいていくと、壁には穴が開き、大きなひっかき傷がそこかしこにつけられているのが目に入った。
他の小屋は無傷なのに、この建物だけが荒らされているのだ。違和感の原因はこれか。
「これ、領主さまの家」
小声で教えてくれたニソルによると、鍬などの道具や収穫した米はみなここにしまってあるらしい。
イツキをちらりと見ると、申し訳なさそうに首を振った。
「いや、こういう閉ざされた空間の中はあんま分かんないっす。すいません」
ああ、そうか。
イツキの風レーダーの魔法は、確か空気の流れとか振動とか、そんなものを認識してるんだっけ。
しょうがない。
慎重に入ってみるしかないだろう。中に何もいないことを祈る。
俺はみんなの顔を見渡し、ここに留まるように合図をして、ひとり足を踏み出した。
静かに息を整えながら、頼れる相棒、スーさんが作ってくれた両手杖に魔法を流し込む。
即座に上がるブーンという頼もしい唸り。同時に純白の光が両手杖を包み、火の魔法剣の出来上がりだ。
建物の入口まで、あと五歩。
戸口から見える薄暗い屋内が妙に広く感じる。
何かの気配があるように感じてしまうのは、泥棒みたいなことをしようとしている罪悪感からだろうか。
いや、確かに泥棒をするのは事実だ。いろんな道具や収穫後の米を持ち帰りたい。そもそもここに来た目的のひとつはそれなのだ。
俺たちだって生き延びなくちゃいけない。ここで朽ち果てさせるよりは、ってことだ。
領主さん、恨んでくれるなよ――
入口から中をそっと窺った時、ガタリ、と奥で物音がした。
俺は反射的に飛びずさった。そのまま火の魔法剣を大きく構える。
物音はすぐやみ、中から誰かを叱責するような短い声が――
……人の声?
「誰か、いる!? 僕、ニソル!」
歓喜の声を上げて、ニソルが俺の脇をすり抜けていった。
え、ちょっと待て――
続けてコチとアキツも建物に駆け込んでいく。そして聞こえる歓声。
どうやら、村の生き残りはここに隠れていたらしい。
◆ ◆ ◆
結局、建物に隠れていたのはアキツ達の奴隷の仲間が十三人。今はわらわらと出てきて、領主の家の前で話をしている。
山の中で猿人たちから逃げ切り、初めは木の実草の根をかじって飢えを凌いでいたらしい。村に食べ物があることを思い出して恐るおそる戻ってみると、そこには化け物の姿はなく、代わりに猿人たちが占拠していたそうだ。
そして三日前、そこに新たな化け物が現れる。あの狼もどきだ。
激しい戦いが繰り広げられ、勝ったのは狼もどき達。猿人たちは一斉に逃げ出し、狼もどき達はそれを追いかけていく。
村には何もいなくなり、チャンスとばかりにここに来たところ、じきに狼もどき達が戻ってきてしまった。慌てて奴らの届かない梁に逃げ登り――。
とまあ、そういうことらしい。
狼もどき達はそのまま村に居座り、隙を見ては下から食べ物を持って上がっていたそうだが……。
ニソルの言うとおり、早めにここに来て本当に良かった。
「この人たち、本当のマレビト。俺たち、ぶったりしない」
アキツが新たな面々に説明をしている。
しかし、カヤ族だったか、この世界のヒトって本当みんな小さいのな。奴隷仲間はほぼ同年齢のはずだから、みんな高校生ぐらいの歳なのに、小中学生の集団にしか見えない。
「あの山の向こう、すごくいい場所ある。みんな、行く」
コチは何だか得意気に説得している。まあ、ここに比べたら全然いいか。
「けーすけサン、優しい」
ニソル、それは説得でも何でもないぞ。
まあ、ただそうやって俺の手を握って見上げてくると、小さな弟ができた気分になる。この子の信頼を裏切らないようにしないとな。
「あー、じゃ、まずこれでも食べるか?」
俺たちが背負ってきた皮袋から干し肉を取り出すと、一斉に歓声が上がった。
やっぱり腹は減っていたらしい。こんなこともあろうかと、アヤさんが多めに持たせてくれたのだ。
ちょうど昼頃だし、俺たちも一緒に食べるとしよう。あまり長居はしたくないが、もしまだ村の外に狼もどきが残っていたとしても、奴らなら充分に対応できる。逆に変な森の中よりも、拓けたここの方がやり易いかもしれない。
イツキには申し訳ないが、魔法の警戒だけは続けてもらっておこう。
簡単ながらも賑やかな食事が終わり、俺たちは領主の家からめぼしい道具を回収し、収穫済みの米も出来るだけ持ち帰ることにした。
とても全部は持ちきれなかったが、あと何回か往復してもいいだろう。田んぼに未収穫で残っている分もある。
「よし、じゃあ帰――」
「ちょっと待って!」
鋭くイツキが制止の声を挟んだ。
「ケースケさん、あの田んぼの向こうに何か来たッス!」
イツキが押し殺した早口で囁いた。軽く目を閉じて続ける。
「群れです……すごい数……木の陰に隠れてこっちを観察してる感じ……あ、動いた、でかっ!……二本足、でも歩き方が変……」
そして目を開け、まじまじと俺を見つめた。
「……例の猿人てやつかも」
俺はイツキにゆっくりと頷き、田んぼの向こうに目を凝らした。鬱蒼とした林が不気味にざわめいている。結構な数だぞ、これは。
もしかしたら、仲間を集めて狼もどきに復讐に来たのかもしれない。くそ、最悪のタイミングだ。
俺の隣では、クノが背筋を伸ばし、いつの間にか弓を凛と構えている。
いつだったかのぎこちなさは綺麗に消え失せ、その薄い空色の瞳は鋭く林に向けられている。距離は百五十メートル手前といったところか。
俺は必死に頭を巡らせ、対応策を考えた。
背後で不安げに囁きあっているカヤの子どもたち、イツキがすごいという猿人の数、乱射すると火事になる俺の魔法……
――仕方ない。
「みんな、中に!」
俺は領主の家にカヤの子どもたちを入らせた。
ここで防衛戦をする。
周りの小屋は燃えてもしょうがない。というか、奴らが寄ってきたら燃やしてしまう。
相手は獣だ。火を恐れて混乱するかもしれない。
俺とイツキとクノ、三人を残して全員が建物の中に逃げ込んだとき――
田んぼの向こうの林から、身の丈二メートルを超える猿人たちが一斉に走り出てきた。
その数、百以上――。




