23話 新天地
十五日目
風に揺れるススキの穂。
抜けるような青空の下、夏の熱気をどこかに忘れた微風が軽やかに広々とした草原を撫でていく。
俺とイツキ、そしてクノの三人は揺れ動くススキの陰でしゃがみこんで、ぼんやりと空を眺めていた。どう見ても秋空にしかみえない。遥か高みに広がる青さに、ただ見惚れてしまう。
「けーすけサン、そっち行った!」
遠くでカヤの少年、コチの叫び声が上がった。クノが小さな肩をびくりと震わせる。
ようやく来たか。
「これは多分、イノシシですね」
イツキが目をつむったまま囁いた。微かにオゾン臭が漂っている。
これは先日、翼のある化け物と遭遇した時に発見したイツキの新しい風魔法だ。どうやら空気の動きを広い範囲で認識できるらしく、俺は風レーダーと呼んでいる。狩りにはもってこいの魔法だ。
今日は大物を狙い、カヤの少年たちに勢子として手伝ってもらっている。獲物を見つけたら大声で囃し立て、俺たちの方へ追い立ててもらうのだ。
「ケースケさん、クノちゃん、ちょっとこっちに移動しましょう」
イツキがぱっと目を開いて、背中をかがめたまま小走りに駆け出した。
そう、獲物が期待どおりの待ち伏せ地点に逃げてくるとは限らない。というか、ほとんど来ない。そこでイツキの風レーダーなわけだ。これで獲物の進行ルートを把握し、その前方に回り込む。
この方法を取るようになって、俺たちの狩りの成功率は格段に上昇した。
イツキが示してくれた地点に移動し、息を殺してその指差す方向を見詰める。
「来ます。あと十五メートル」
遠くでわめくアキツたちの声から離れて、迫る地響きが俺の耳にも聞こえてきた。隣でクノがきりりと弓を引き絞る。
風に揺れるだけだったススキが、突如として乱れた。迫り来る大型の獣。
ちらりと見えた猪の背中に、俺は準備万端に待ち構えていた両手杖を反射的に投げつけた。距離は十歩もなく、この近さで外すわけがない。鈍い音を立て、低く下げた首筋に突き刺さる。
一瞬遅れてクノが放った矢が、やや軽い音と共に猪の前脇腹に突き立った。
立派な大猪だ。
深々と刺さった俺の両手杖を巨大な角のように振り回し、ススキを薙ぎ倒しながらあさっての方向に突進していく。
が、すぐに足がもつれ、周囲のススキごと地面に転がった。突然の闖入者に驚いた山鳥が二羽、弾かれたように飛び去っていく。
俺たちは顔を見合わせて頷きあい、慎重に歩み寄っていった。
五歩のところまで来た時、手負いの獣がクノを見上げた。クノの中の何かがそうさせたのか、手負いの猪はもがくのを止め、その場におとなしく横たわった。折れた矢が刺さったままの腹が、激しく上下している。
クノは、自らが傷つけた獣と目を合わせたまま、ゆっくり弓を掲げ、猪の眉間に最期の一矢を打ち込んだ。物言わぬ獣の目が濁り、眼差しが宙に固定される。
そのまま悲しげに歩み寄り、例の祈りを捧げるクノ。俺とイツキも教わったとおりに祈りを捧げ、いつもの不思議な解放感を共に体験した。
「よっしゃ! 大物ゲットっス!」
「やりました!」
イツキとクノが狩りの緊張を喜びに変え、飛び上がってハイタッチを交わした。イツキがクノに教えた、数少ないもののひとつだ。
「ケースケさんも」
クノが少々照れながら寄ってきた。白金の長い髪が風にふわりと持ち上げられ、上気した顔に薄い水色の瞳が輝いている。
「お疲れさん」
俺がそっと手を合わせると、クノは顔を真っ赤にしてニコリと笑った。
「ケースケさん、僕も僕も!」
子犬のように飛び回るイツキともハイタッチをしていると、ススキをかき分けてアキツ達カヤの少年三人組が駆けつけてきた。
「わあ、大物!」
「でっかい! けーすけサン、すごい!」
「イツキ、ハイタッチする?」
アキツ、ニソル、コチの三人はこの数日でかなり打ち解け、気軽に喋るようになってきた。まだまだ細いが、深く染みついた疲れが取れ、動作にも張りが出てきたと思う。
個性も出てきて、社交的なアキツ、少し不器用で控えめなニソル、ちょこまかと好奇心旺盛なコチと、三者三様で微笑ましい。
「イェーイ!」
イツキがそんな三人とハイタッチして回っている。はは、三人とも本当に明るくなったな。ほらイツキ、ちゃんとニソルともやってやれって。
「けーすけサン、これ、切る?」
ひとしきりイツキと跳ね回ったコチが、巨大な猪を見て首を傾げた。すぐ脇でアキツが困ったような顔をして俺を見上げる。
「でっかすぎ、俺たち、持てない」
なんだ、そんなことか。
俺はひょいと猪を持ち上げ、肩に担いだ。
「「「おおおー!」」」
沸き起こる歓声に、身体強化魔法の怪力も悪くはないか、と俺は微かに苦笑いした。照れ隠しに空いている腕で半歩後ろのニソルを捕まえ、猪と反対の肩に乗せる。大サービスだぞ。
わわわ、と慌てたニソルだったが、俺がにっこりと笑いかけてやると、嬉しそうにぎゅっと俺の手を上から握ってきた。
「みんなお疲れさん。よくこんな立派なのを追ってきてくれた。さ、帰って驚かせてやろう」
俺は左右の肩に獲物とニソルをそれぞれ乗せたまま、宿営地に向かって歩き出した。
みんなの笑い声が草原に響き渡る。まだ赤い顔でぼうっとこちらを見ていたクノも小走りで追いついてきて、俺の半歩隣を寄り添うように歩いている。
うん、いい狩りだったな。
◆ ◆ ◆
「おか……えり?」
宿営地に帰り着くと、カヤの少女たちが出迎えてくれた。肩に乗せたニソルの仲良し、ヤヒメがびっくりして固まっている。
俺は笑いながらニソルを降ろし、宿営地の門をくぐった。ひと足遅れてアヤさんが笑顔で迎えてくれる。どうやらヤヒメたちと中庭で布作りに挑戦していたようだ。
そう、この宿営地には門どころか中庭まであるんだ。かつてないほど立派なものになってきていると思う。
なんでここまで立派にしてるかというと――
カヤの少年少女たちを受け入れて次の日、俺たちはここに移動してきた。
元々目指していたカヤの村はおそらくもうない。どうするべきかの話し合いの折、アキツ達が、逃走の途中で見かけたというこの地を拠点として強く推薦してきたのだ。
「いいところ、知ってる」
アキツ達が加わった翌朝、食事を終えて相談を始めた俺たちに向かって、アキツが目を輝かせて話し始めた。
「コチが見つけた場所。広くて、ちっちゃい川、流れてる」
「あそこ! 俺が見つけた、いい場所!」
それまで焚き火の炎に枝をかざして遊んでいたコチが、自分の名前に振り向き、火のついた枝を投げ捨てて話に加わってきた。
「うん、あそこはいい。田んぼ、いっぱい作れそう」
ニソルもおずおずと肯定する。仲睦まじく隣に座るヤヒメも、ニソルに合わせてこくこくと頷いている。
田んぼ作れる?
俺はそっちに反応してしまった。
そうか、こいつらずっとそれをやらされてきたんだっけ。
「田んぼを作るかはさて置いて――」
思わず俺と目を合わせた櫛名田のおっさんが、小さく微笑みながらコチの投げ捨てた枝を拾って焚き火に放り、再び腰を下ろした。
「広くて水が近い、良さそうな場所じゃないですか。とりあえず行ってみませんか」
とまあ、そんな経緯で来てみたのだが、予想以上に良い場所だった。
なだらかな丘を背負って大きく広がるススキ原――ニソルに聞いたら、やはり今は秋らしい――に、丘からひと筋の小川が蛇行しながらゆっくりと流れている。小川はそれなりに深く、水量はしっかりありそうだ。かと言って周辺が湿地になっている訳でもなく、小ぶりの河原を挟んで地面はしっかりとしている。
いいところじゃないか。
すっかり気に入った俺たちは、歓声を上げるみんなと一緒に丘のてっぺんに野営地を作ることにしたのだった。
それから数日、野営地は充実の一途をたどっている。更なる移動を見合わせたことに加え、アキツ達の村を覗いてこようという話が持ち上がっているのだ。
「まだ誰か、にげまわっているかも」
ニソルが心配そうに俺に言う。
「ここに連れてきちゃ、だめ?」
アキツ達も後押しをしてきた。
村はおそらく廃村と化しているだろうが、いろいろな道具はもちろん、収穫したばかりの米が大量に残っている筈だという。
「猿人、米の食べ方知らない。きっとそのまま、もったいない」
このアキツの言葉には俺たちも大きく心を揺さぶられた。まもなく冬がやってくる。今のところ狩りの獲物は豊富だが、備えがあるに越したことはない。行って回収してくるべきだろう。
問題は、その遠征が危険であるということだ。
村の場所はここの裏山をぐるっと回った先、順調に歩けば丸一日でぎりぎり往復できる距離にあるらしい。
だが、カヤの少女達、特にニソルにべったりのヤヒメの体力回復が思わしくない。移動に加えて向こうで猿人やら化け物やらと遭遇する可能性を考えると、少なくとも彼女を連れていく訳にはいかない。
理想は少数精鋭で遠征をし、残りはここで待っていてもらうことなんだが――。
それで気掛かりになってくるのは、遠征している間のここの安全だ。
今のところは猿人やら化け物やらは影も形もないが、ひと山越えた先にいることは事実だ。いつこっちに姿を現してもおかしくない。
本音を言えば、狩りに出ている間だって不安なのだ。
ということで、その不安を少しでも解消すべく、この宿営地を少しでも安全にしようと土魔法チームに頑張ってもらってきた。今では周囲をぐるりと土壁に守られ、実に立派な宿営地になってきている、という次第だ。
「お帰りなさい!」
奥で櫛名田のおっさん達とそんな建築作業に勤しんでいたミツバが駆け寄ってきた。
実に楽しそうな笑顔だ。はは、こっちまで伝染してくる。
作業はどのぐらい進んだんだろう、ちょっと見てくるか。




