22話 ニソルと仲間達
風呂というものは、一緒に入った者の距離を近づける効果があるらしい。
人数が増えたということであれから急遽浴槽を広くしたのだが、一緒に温かい湯に浸かる女性陣の弾むような声が目隠しの土壁の向こうから漏れ聞こえている。
聞き覚えのない声はカヤの少女達のものだろうか。かなり打ち解け始めているようだ。
ミツバも一緒に入ってるのかな――そんな邪念がふわりと浮かび、俺は頭を振って追い払った。くそ、これはミツバがいけない。別れ際にあんなこと言うから――。
さっきのケースケさん、カッコ良かったです!
確かそう言って、顔を真っ赤にして逃げるように風呂場に駆けていったんだよな。
さっきの俺のどこがカッコ良かったのか甚だ疑問ではあるが、全くもって悪い気はしない。それどころか、あんな年下の子の言葉にちょっと胸がドキドキしている俺がいる。
この旅の途中で聞いたんだが、ミツバはたくちゃんの彼女でも何でもないらしい。あの市ヶ谷駅のホームでハグしていたように見えたのは、ただ単に人の波に突き飛ばされそうになったミツバを、見ず知らずのたくちゃんが受け止めただけのことのようだ。
まあ、あんな状況でハグなんて確かにおかしいよな。たくちゃんにしてもミツバにしても、全然そんなキャラじゃないし。それに――
「――ケースケさん!」
イツキが俺の肩をつついた。
そうだった、残された男子チームでカヤの少年たちの話を聞いていたんだった。彼らを村に送り届けた方がいいのか、どうなのか……
「そうなると、すぐには戻らない方がいいかもしれませんねえ」
櫛名田のおっさんがチラリと俺を見つつ、重々しくため息をついた。
どうやら彼らの村はあの化け物と亜人――毛むくじゃらで凶暴な、話を聞く限りゴリラっぽい何か――に襲われたらしい。その猿人の群れが化け物を村に誘導してきて、それだけでも壊滅的なのに、山の中へ散り散りに逃げのびた村人をその猿人の群れがしたたかにも待ち伏せしていたらしい。アキツ達の目の前で何人も喰われてしまったとのこと。
櫛名田のおっさんの言うとおり、下手なタイミングで戻ると化け物と猿人の群れ両方に遭遇する危険がある。
しかし、猿人ってのはいやに知能が高いじゃないか。
この世界にはそんなのもいるのか。クノのいた猿神の群れとは体格からして違うようだが、後でクノにひと通り聞いておかなければ。
「俺たち、戻らない。あそこ、ぶたれるだけ」
停滞した空気を破って、リーダー格のアキツがはっきりと口を開いた。身長は百四十センチちょっとしかないが、それでも十七歳――イツキやミツバと同い年――とのことで、浮かべている表情は決断を下す大人のそれだった。
残りのニソルとコチも真剣に相槌を打っている。ニソルは百三十センチ前後、コチに至っては更に小柄で小学生ぐらいしかないが、やはりそれでも十六歳らしい。
彼らの眼差しにも子供っぽさはなく、ひたむきに俺たちを見詰め、次々に口を開いてくる。
「俺たち、一生懸命働く」
「本当のマレビト、俺たち導く」
お、おう。えーと、だな。
俺は櫛名田のおっさんに視線で救いを求めたが、妙に深刻な顔で見詰め返された。なにか嫌な予感がする。
「あー、もちろんぶったりはしない。お前たちの力になれるよう、相談して色々決めていこうと思ってる……というか、どんな生活をしてたんだ?」
俺は覚悟を決め、痣だらけで痩せこけた少年たちを改めて観察した。
てっきり村からの逃亡生活の中でそうなったとばかり早合点していたが、ひょっとして――。
話を聞くと、やはり奴隷だった。
概念では知っていたし、映画で見た記憶もある。が、実際に本人を目の当たりにし、つぶさに話を聞くのは、胸を熱い火かき棒でかき回される思いだった。
理不尽で過酷な労働、長い栄養失調で成長が阻害された身体。アキツの全身に刻まれたミミズのような鞭の傷跡、見せしめに骨を折られて治療しないまま歪に癒着したニソルの左腕、コチの首筋を蝕む重度の火傷――きりがなかった。
火傷については、村の領主が二百年前のマレビトの末裔で、受け継がれた炎の呪術で奴隷たちを脅して支配していたらしい。道理で俺の炎の魔法に怯える訳だ。
「でも、けーすけサン、炎たくさん。本物のマレビト。領主さま、炎ひとつ、にせものだった!」
アキツが怒りを込めた言葉を吐き捨てる。ニソルとコチも大いに頷き、コチに至っては指で奇妙な仕草をしながら唾を吐いた――呪われろ、ということらしい。
どうやらマレビトが人を良き方向に導くという、なんともコメントに困る信仰があって、それも上手く使われていたってことだな。
しばらく誰も何も言わない時間が続いていると、女性陣が賑やかに風呂から上がってきた。
「ねえ、この子たち、麻布を編めるんだって!」
目を輝かせたアヤさんが、俺と目が合うなり矢継ぎ早に喋りはじめた。
「ほら、この子たちの服を見て! 時間さえあればもっと良いのも作れるんだって。毛皮もいいんだけど布があれば――」
アヤさんの後ろに続くカヤの女の子三人を見ると、かなり痛んではいるが確かにシンプルな麻布の貫頭衣を着ている。
というか、それより俺の目を引きつけたのは、三人の表情が見違えるほど明るくなっていることだった。風呂で長年の汚れを落とし、温まって血行も良くなったのもあるだろう。
左からヤヒメ、ウイナ、ユクという名前だったと思うが、みんな個性が出て急に女の子らしく見えるようになった。
これはやはり、アヤさんを始めとした女子チームがうまく気持ちを盛り立ててくれたことも大きいんだろうな。
特にアヤさんなんかは、おっとりとした印象から意識的に対人のギアをひとつ上げている気がする。うまくお姉さんの役どころに収まり、女同士の気安い雰囲気を上手に作り上げているようだ。
これはこっちも負けていられない。
振り返ると、カヤの男子達は薄汚れ、先ほどの微妙な空気を引きずったままだ。ははは、駄目じゃんか。
「よし! 俺たちも風呂行くぞ!!」
意識して声のトーンをいつもより上げてみる。やってみると、ちょっと恥ずかしい。ミツバが驚いた目で見てきたが、はにかむようにサラリと視線を逸らされてしまった。
うん、これはさっきの名残りだ。きっとそうだ。傷ついてなんかない。俺は大人だ、前向きに行こう。
◆ ◆ ◆
風呂ではそこそこ会話が弾んでくれた。アキツ達ができること、得意なこと、好きなことを片っ端から聞いていったのだ。
アキツは力仕事が得意らしい。村にいた奴隷の中で一番の力持ちで、開墾の途中で岩が出てくると決まってアキツの出番になるそうだ。
笑顔で力こぶを作って見せてくれたが、痩せて細くはあったけれども筋張ったいい筋肉をしていた。
「俺、魚採れる!」
そう言って満面の笑みを見せてくれたのは、一番小柄なコチ。過去に数度だけ貰えた休日に、村の脇を流れる川で魚を捕まえたことが彼の大きな自慢のようだ。
確かに機敏で反射神経が良さそうに見える。イツキと組ませたら良いコンビになるかもしれないな。
「俺……お話を作るの、好き」
浴槽の中で膝を抱え、お湯に頬まで浸かったニソルが少し照れるように言った。一瞬だけできた間に、アキツとコチが口々にフォローを入れる。
どうやら娯楽も何もない生活の中、眠れぬ夜に時折紡がれるニソルの空想物語は、彼らにとってかけがえのない楽しみだったようだ。馬鹿にする仲間もいたが、この二人が断固として外野を跳ね除けてきたらしい。
ニソルがその表情豊かな目をアキツとコチに向けて小声で何か言っている。制止、謙遜、感謝――そんな内容だろうか。
三人が固い友情で結ばれているのがはっきりと伝わってくる、何とも心暖まる光景だった。
はは、俺、こいつら好きになっちまいそうだ。くそ。
痛々しいほどに痩せ、傷だらけの体をしたアキツ、コチ、そしてニソル。現代日本育ちの俺には想像もつかないような苛酷な人生を、寄り添いあいながらも強く生きてきたのだろう。
明日からはたんまり食べさせてやるし、今のその笑顔を出来るだけ続けさせてやるからな。
ちなみに、ニソルの足の傷に貼った薬草はお湯に入った時に剥がれてしまっていた。
そりゃそうだよな。沁みて痛かっただろうに、我慢強い子だ。後でクノに新しいのをもらっておこう。
風呂から上がり、俺たちは早目に寝ることにした。カヤの少年達の疲れを少しでも取ってやりたい。
不寝番はスーさん、俺、イツキの順だ。
最近書いていなかった手帳、今日はまとめて書いておくとするか。