15話 マレビト
徐々に迫る夕やみの中、俺たちはドームの見学から戻ってきたアヤさん、ミツバ、クノの三人を、真っ赤に輝く炉の熾火の前に迎え入れた。
「なんか火って落ち着くわねー」
寒くもないのに手を火にかざし、アヤさんがにっこりと微笑む。
「クノちゃん、ここ座って」
イツキがごく自然に自分の座っていた炉の前の特等席をクノに譲った。一瞬だけ戸惑い、アヤさんとミツバをちらりと見た後に腰を下ろすクノ。
うーん残念、まだ男子チームには打ち解けきれていないのかな。ま、これからだな。
ミツバは遠慮ぎみに俺の隣に腰かけてきた。少し尻をずらしてスペースを作ってやる。ここだって火に近い特等席だからな、そんなに嬉しそうに見上げなくたっていいさ。
そして俺たちは、暮れゆく一日の最後の時を焚き火の前でゆったり過ごした。赤々と燃える炎に時折誰かが薪をくべる。腹も膨れ、満ち足りた気分だ。
話題はそれぞれ自分たちのことや、この世界に現われてからのこと。ここに来て初めは意味も分からず混乱と絶望ばかりが頭に渦巻いていたが、三日目が終わろうとしている今は、水や食糧を得たり、寝る場所を作ったりすることもできるようになった。
全てはなんだか判らぬ魔法の力のお陰だ。
俺自身はこの魔法というモノを全面的に信頼しきれていないものの、この先もなんとかイケるんないじゃだろうか、そんな楽観的な空気がみんなの顔を明るくしている。
ま、相変わらずなんで俺たちがここにいるのかはさっぱり分かっていないけどな。
「そんなことがあったんですね……」
俺たちの話を静かに聞いていたクノが、手を伸ばして枝を一本、火床にそっと載せた。じわじわと煙を上げ、やがて、ぼっと音を立てて燃え上がる。
「でも、みなさん凄いです。あんなお家を作ったり――」
クノは櫛名田のおっさん達の力作、二棟のドームを賞賛の眼差しで振り返った。
「――そして、火や水を操ったり。聞いてはいましたが、まさかここまでとは……さすがマレビトさんですね」
「ああ、そのマレビトなんだけど」
チャンス到来、俺はすかさず言葉尻に乗り、かねてから聞きたかったことをクノに聞くことにした。
「――昔話に出てくるマレビトって、みんなどんなだったんだ?」
……私もお父さまに聞いただけですが。
クノはそんな前置きをして、マレビトの歴史から語ってくれた。
クノの父親、付喪神の白猿は、他の知性を得た存在と密に交流している訳ではないが、それでも長い年月を生きていると多少の交流は出てくる。
そんな交流の中で彼らに伝わる話のひとつが、この世界の「ヒト」にまつわる話らしい。
白猿曰く、この世界のヒトは彼らから見ると不思議な存在で、元を辿れば、遥か昔に海を越えた遠い大地に生息していた毛のない猿の子孫だという。
その種族は付喪となった雌に率いられている以外は他と変わらぬ普通の獣だったのだが、ある時を境に火や道具を操り始め、その種族の子供の中には生まれながらにして知性の輝きを持つものが混じるようになったのだ。
これには当時の知性ある付喪達は驚いた。彼らの知性は、百年以上の歳月を生き抜く個体に蓄積された大いなる神霊の力によるものだったからだ。
それなのにその群れの子供たちは生まれて数年で言葉を操り、泣き、笑うといった豊かな感情をも持っているという。
興味を持った当時の観察者は、彼ら知性の輝きを持つ毛のない猿達を「ヒト」と名付けた。ヒトとは、万物に遍く神霊の力「ヒ」を生まれながらにして強く宿している子供たち、といった意味だ。
――そこまで話を聞いた俺はふと思った。
その「ヒ」という言葉、偶然かもしれないが、日本語では「火」「日」という人間にとって根源的な言葉を連想させる。原始人にとっては極めて重要な発音だよな。
同じ発音ですぐに頭に浮かぶのは、英語の「he」つまり「彼」、名前を呼ぶにはばかる存在を言い表す時に使う言葉だ。名前を呼ぶにはばかる存在の代表格といえば、神――。
はは、ちょっと強引な言葉遊びだが、この訳の分からぬ世界もやっぱりどこかで俺たちの世界と繋がっているのかな――そんなことが頭をよぎったりした。
閑話休題。
思考があさっての方向にさまよっていた俺は、話を止めて小首を傾げるクノと目が合った。
これはすまない。続きを頼む。
「そんな不思議なヒトの子供たちには、ある秘密があったのです」
そんな俺にクノは品良く微笑み、小さく息を吸って再び話し始めた。
――神霊の力を持たずとも知性の閃きを持つ、ヒトと呼ばれる子供たち。
実はその父親は、群れにいた毛のない猿とは異なる、ある特異な存在だったという。
彼は毛のない猿より更に毛がなく、黒毛が頭とその他数か所に生えているだけで、そして、明らかに高度な知性を持っていた。
その彼の子供たちが、ヒトと呼ばれる知性ある子供たちだったのだ。
つまり、突然変異で知性の閃きを持つヒトが生まれた、ということではなく、突如として現れた知性の高い生き物の子供がヒトだった、ということだ。
そして、当時の付喪神による慎重な接触が試みられ、驚くべき事実として瞬く間に世界に広まった。
彼はこの世界の縁者ではなく、異なる世界からの来訪者だったのだ。
元の世界からある日突然「飛ばされて」来たという。
彼は高い知性に加え、元いた世界では持っていなかったという大いなる力を身に付けていた。
その力は、神霊の力を元とするこちらの世界の霊力とは異なるものの、やはり驚異的な能力だった――何もないところから炎を呼び出し、そしてその炎を自在に操ったという。
「そう、ケースケさんと同じです」
そう言って、誇らしげに俺を見つめるクノ。
たっぷり十秒はそうしていただろうか、隣でミツバが身じろぎをし、クノはようやく話をまとめに入った。
「原初の彼は異界からの来訪者、稀人、と呼ばれるようになりました。神霊の力溢れるこの世界に新たな一員として迎えられ、たくさんのヒトを生み出してこの世を去ったそうです」
「そ、それはつまり――!」
スーさんがやおら立ち上がり、驚愕の表情で叫んだ。
それはつまり?
「そ、それはつまり、どこぞのトリッパーがもふもふパラダイスでモノホンのリア充ハーレムライフを送ったと――」
目に涙を浮かべ、天に慟哭するスーさん。
「な、なんとうらやまけしからん話――あ痛っ!」
スパーンという景気のいい音を立て、アヤさんがスーさんの頭を後ろから張りとばした。
その顔に浮かぶ笑みは限りなく無表情に近い。
「ええとクノちゃん、他のマレビトの話はないかしら?」
「は、はい。そうですね……」
件のマレビトは百年も経たずに寿命を迎え、当時の知性ある付喪たちも時の流れの中で存在を消していったらしい。
しかし、マレビトの子孫であるヒト族は、火と道具というアドバンテージを武器に過酷な生存競争を生き抜き、着実にその数を増やしてきたそうだ。
そして、その後の悠久なる時の流れの中、何度か天と地が暴れることがあった。
そのうち毎回ではないものの、新たなマレビトが出現し、ヒト族と合流してその度ごとにヒトの勢力圏は爆発的な拡大を見せていく。
今では世界の半分近い地域にヒトは広がり、確固たる知性の輝きを手にして、世界に冠たる種族となっているそうだ。
現在の主流となっているのは、初期に現れて弓を始めとした画期的な狩猟の技術を伝えたマレビト達の末裔で、今この地にいるヒト族もその流れを汲んでいるらしい。
最近では、二百年程前に西の大地に現れたマレビト達が稲作という文化を携えていて、その末裔が海を越えて徐々にこの地にも勢力を伸ばしつつある――
以上が、クノの語ってくれた、マレビトとこの世界のヒトの歴史だった。
なんと、まあ――。
俺たちはしばらく言葉が出なかった。
この世界には過去にも俺たちのような来訪者がいて、この世界にヒトを生み出し、その発展に寄与してきたのだ。
それは、元の世界には戻らずにこの世界に骨を埋めたということなのだろうか。
稲作などの技術を未開の地でゼロから復元するにはかなりの試行錯誤が必要な筈で、それはこちらの世界で長く過ごしたことを意味する。
十年? 二十年?
骨を埋める覚悟がなければそこまでできないのではないだろうか。
帰れない。少なくとも過去に現れたマレビト達はすぐには帰らず、この世界で長い期間暮らしたことが予想される。
信じたくはないが、内容を整理して考えると――俺たちとマレビトとの類似性、伝えた技術、クノが嘘をつく子には見えないことなど――どうしたってこの話は信じざるを得ない。
くそ。
帰れない。少なくとも、すぐに帰れる可能性は薄い。
覚悟はしていたが、こうやって突きつけられるとクルものがあるな。
でも、それならここで生き抜いてやろうじゃないか。こちとら覚悟はしてたんだ。やってやろうじゃないか。
「ひとつ、質問いいですか?」
ここまで沈黙を守っていた櫛名田のおっさんが、あごの無精ヒゲを撫でつつ、いつにない鋭い表情で口を開いた。
「クノさんが今話している言葉なのですが――」
チラリと俺を見て、続ける。
「――日本語、ですよね」
おう。
それは気付いてもなかった。
独特の訛りはあるものの、クノの話しているのは紛れもない日本語だ。しかしここは異世界だとすると、確かに、そんなのあり得るのか?
「ええと? ニホンゴというのは分かりませんが」
クノが可憐に首を傾げた。
「これは西から広がってきた農耕の民が使っている言葉です。私としては、元々この地で暮らしているお母さまの部族が使っている言葉の方が得意なのですが、こちらの言葉をみなさんが使っていますので」
西からの農耕の民?
さっきの話にちらっと出てきた、二百年前に現れて稲作を伝えたっていうマレビト達の末裔のことか?
ということは、そのマレビト達って、まさか――
次話は第一部最終話「ミッシングリンク」です。
お楽しみいただければ幸いです。