14話 食事と感謝
俺たちは今、どデカい草原を見下ろす丘の上にいる。
夕日が眼下一面のススキ原を赤く染め、ひんやりとしたそよ風が疲れた体に心地よい。鼻を刺激するのは、肉が焼ける旨そうな匂い。大事なことだからもう一度言おう。肉が焼ける旨そうな匂いがたまらない。
◆ ◆ ◆
俺とイツキ、そしてクノの狩猟班がひと仕事終えて丘の上の野営地に帰ると、驚きが待っていた。
なんとそこには、かまくらのようなドームがふたつ、綺麗に並んでいたのだ。
笑顔で出迎えてくれた櫛名田のおっさんによると、男性用と女性用で一棟ずつ、ミツバとスーさんの魔法で作ってもらったという。
ドームの表面は滑らかに固められ、入り口の他に要所に換気口まで設けられている。その形の美しさ、完成度はさっきの洗面器もどきとは雲泥の差だ。
やり取りを聞いていたクノが可愛らしい口をあんぐりと開けていたが、こんなものが簡単に創れてしまうとは俺だってビックリだ。
「櫛名田さんの言うとおり作ったら、凄いのができました!」
ミツバが底抜けに明るい笑顔で駆け寄ってきた。ああ、この子はこんな顔が似合うな。こっちまで楽しくなってくる。
俺とイツキが大袈裟なぐらいに褒め、こっちの成果報告として体の後ろに隠していた肉を取り出す。
生臭い上に少々アレな外観だったが、騒ぎを聞きつけてドームの裏手から出てきたスーさんとアヤさんも含め、一斉に歓声を上げてくれた。
その後、櫛名田のおっさんの提案で調理用の炉を作ることになった。
ミツバとスーさんを従えてあれこれと指示を出していく櫛名田のおっさんに作業を任せ、俺とイツキは生肉を付近の木に吊るしておくことになった。
こうして少しでも血を抜いておけば、その分生臭さを減らせるらしい。クノはアヤさんと調理用の香草を採りに行くとのこと。
しかし、こうやってどんどん食事の準備が進んで行くと、久しぶりのまともな食事の予感に腹が鳴りまくってヤバい。手近な蔓を使って肉を吊るし終えた俺とイツキは、上機嫌で軽口を叩きながら薪を集めた。
「ではケースケ君、お願いします」
出来たばかりの炉の前で、櫛名田のおっさんが大げさに頭を下げた。
全員が仕事を終えて集まり、後は料理を始めるばかりだ。みんな上機嫌でにこにこと俺のことを見守っている。
――ああ、火を点けろってことか。
まだ自分でも信じられないが、ひとつ頭を振って火魔法で着火する。
指先から青い炎がほとばしり、無事に焚きつけに火が移った。初めは静かに灯っていただけだったが、俺がなんとなく魔法で煽ってやるとあっという間に炎が立ち上がり、胸まで届く盛大な焚き火に変わっていく。
「今……火を操った……?」
みんなが歓声を上げる中、クノが心底驚いたという顔で見詰めてきたが、俺だってまだ信じられてないんだからな。
それに、ミツバたちが作ったドームの方が凄いと思うぞ。背筋がくすぐったくなるからそんな目で見ないでほしい。
アヤさんがそんなクノの脇腹をつつき、炉の脇に併設された作業台で肉の下準備を始めた。二センチぐらいの厚みに切り分け、真ん中に切り込みを入れて香草を挟んでいくらしい。岩塩のようなものも用意されている。
その間、ミツバとスーさんは土魔法で串を作っている。人差し指ぐらいの太さがあるから串というよりは棒だが、肉をこれで串刺しにして火の上にかけるようだ。
スーさんはまだ少し挙動不審だが、ミツバと良いチームワークが出来つつある。櫛名田のおっさんとイツキは薪を継ぎ足しつつ、楽しそうにみんなと雑談を交わしている。
ああ、魔法はさておき、いい雰囲気だな。食べ物は偉大だ。
仔鹿には可哀想なことだが、これも自然の定めなのだろう。もう一度感謝の祈りを捧げておいた。後でクノにちゃんと教わっておかなければ。
下ごしらえが済むと、いよいよ焼き始めだ。
何枚も肉を串刺しにした棒を炉の左右の壁に橋のように渡し、たっぷりの熾火の上方、強火の遠火で炙っていく。全員が食い入るように見守り、そして何故か無言だ。
やがて、炙られて色の変わり始めた表面で油がぶくぶくと泡を作り、肉の焼ける良い匂いが辺りに漂い始める。
「……ヤバいっす。よだれ、止まらないです」
イツキが、焼けていく肉に視線を固定したまま呟いた。
「ああ、俺もだ」
俺も視線を肉に固定したまま返事をする。
というか、視線を肉から外すことが出来ない。
まだ血抜きが甘いのか、赤味のある油が熾火に滴ってはジュッと音を立てて蒸発していく。すると途端に広がる甘くジューシーな匂い。
すきっ腹にこの音、匂い。ああ、たまらない。全ての神経が肉に惹きつけられていく。
「ふふふ、男の子はこれだからねえ」
「アヤさん、あなたもよだれが垂れてますよ」
櫛名田のおっさんが優しく笑いながら突っ込む。
「そういう櫛名田さんも!」
ミツバがさらに突っ込み、輪が和やかな笑い声で満たされた。
「まだ狩ったばかりですから、良く焼いて油と一緒に血を落とした方が美味しいですよ」
「まだ待つの? クノちゃん、それ何て拷問?!」
スーさんの悲鳴にまたみんなで笑う。初対面でやらかしたスーさんだが、その後はなんとかクノに普通に相手をしてもらっていると思う。これ以上は自粛してほしいと切に願っているが。
そして、いよいよ実食タイム。ほぼ二日ぶりのまともな食べ物だ。
噛み締めた途端に溢れる肉汁。涙が出るほど旨い。
生臭さはあるものの、間に挟んだ香草と最後にふりかけた山椒の粉で驚くほど美味になっている。牛や豚とは違うが、これが肉だよ。ついつい食べ過ぎてしまった。
ていうかスーさん、本当に泣くなって。気持ちは判るけどさ。
それにしても、食事というものはこんなにもありがたいものだったのか。極限まで空腹だったからか、口に入れる一口ひと口が活力の源となり、文字どおり俺たちの明日への糧となっていくのが分かる気がする。
そして、なんというか、一緒に食事をした俺たちの絆もまた深まったんじゃないだろうか。
食事を終えた俺たちは、自然と男女に分かれて満ち足りた気分でのんびりと過ごしていた。
まだ陽も残っており、クノを含めた女性陣は野営用のドームを再視察に行っている。時折聞こえる笑い声には、ミツバのものもあればクノのものも混じっているようだ。
二人とも危ういところはあるけれど、アヤさんが上手に盛り上げている気がする。ああ見えてさりげなく大人なんだよな。
男子チームはと言うと、イツキが仔鹿を仕留めた時の様子を再現しながら熱く説明している。スーさんの食いつきが半端なく、櫛名田のおっさんはそれを微笑みながら眺めている格好だ。
「……あのさ、今晩、男性陣で交代で火の番をしない?」
会話が途切れたタイミングで、俺はひとつ提案をしてみた。
「おお、なんかそれっぽい! 定番だよね!」
「そういうの憧れてたっス!」
スーさんとイツキが即座に賛成してくれたが、ええと、ちょっと違うんだよ。
「あー、そうでなくて、例の化け物の話なんだ」
俺の言葉に、空気がさっとシリアスなものとなる。せっかくのくつろぎタイムだったのに、ごめんな。
「あのさ、昨日の平岩のそばは白猿の匂いだか何だかで、化け物は寄ってこないって話だったんだけど――」
「――ここは何の保証もない、と」
櫛名田のおっさんが、するりと後を引き取った。
「そうですね、やっておきましょう。良いところに気づいてくれました。四交代で二時間半ずつやれば十時間で……八時から朝の六時までカバーできますね。これ、ここに置いておきます」
櫛名田のおっさんが腕時計を外してかまどの脇にぽんと置いた。俺のデジタルのは例の転移の時に壊れてたけど、アナログの時計は大丈夫だったらしい。今は夕方、六時ちょっと前か。デザインはちょっとおじさんぽいけど、自動巻きの結構いいヤツだ。これは大切にしないとな。
「そういうことなら、僕、思いっきり夜型だから最初の番をするよ。二時間半といわずに、夜中の二時ぐらいまでは平気かな。魔法で試してみたいことがあるんだ」
スーさんがその愛嬌のあるぽっちゃり顔でニッコリと笑った。反対するどころか、目が輝いている。
「そしたら、僕はいつも部活で四時に起きてたし、その時間からで良かったら残り全部問題ないっス」
ことも無げにイツキも賛成し、立候補までしてくれた。さすが早寝早起きの体育会系だが、みんなそんなにすんなり受け入れてくれるものなのか?
みんなが寝ている中で一人ただ静かに警戒を続ける、罰ゲームのようなものだぞ?
「ケースケ君、あんまり寝てないでしょ? 二人の間は任されたから、今日はゆっくり寝てください」
櫛名田のおっさんがニコリと笑う。
あ、昨夜寝てないのがバレてたか。
いやいや、そうでなくて。
「ふふ、ケースケ君が言いたいことは分かってますよ。でも、正しいことだと思いますよ――ね、スーさんにイツキ君?」
「うん、ケースケ君の言うとおり、夜の見張りは必要じゃないかな」
「ケースケさんが一人で全部やることないです。僕たちも手伝いますって」
はは、なんかじんわり嬉しい。
いい人たちばっかりで良かった。
「……ありがとうございます。じゃ、ちょっとだけスーさんに付き合って、今日は休ませてもらいます」
今日の分の手記だけ書いて、後は皆に甘えて爆睡させてもらおう。
――やっぱり仲間がいるって良いよな。
狩りの寸劇を再開したイツキたちを眺めながら、俺はしみじみ思う。スーさんがなぜかインディアン役で出演しているが、細かいことはいい。
一人では不寝番すら満足にできないだろう。みんな疲れてるはずなのに本当にありがたい。それになんだか、この不寝番の提案をみんなは嫌な顔一つせずに受け入れてくれた。
今日一日、何ひとつ危険なものを見ていないにもかかわらず、だ。
でも俺は怖い。不安で仕方ない。脳裏には例の化け物がこびりついているし、化け物が出なくても、鹿がいるくらいなら熊や狼だっているかもしれないんだ。
まあ、難儀な性格をしてると自分でも思う。周りに愛想を尽かされてもおかしくない。そんな俺を受け入れてくれる皆は本当にありがたい仲間だと思う。
だけどな、そうやって一つひとつ危険を遠ざけて、絶対に生き延びてやるんだ。
そして、それは俺だけじゃない。みんなも揃って生き延びていくんだ。
今日、俺たちは生命をひとつ狩り、それを食した。
お陰で明日も生きていけるだろう。日本で生活していた時には分からなかった感覚だ。
これが生きるということ。
なんともシンプルで、素晴らしい感覚だ。
こうやって一日一日を生き、みんなで笑っていたい。
ああ、女性陣が帰ってきた。
クノには聞きたいことがたくさんある。
あの祈りのこと、この世界のこと、白猿のこと、――そして俺たち、マレビトのこと。
さて、どれから聞くのが一番空気を壊さないだろうか。
次話「マレビト」
お楽しみいただければ幸いです。