13話 付喪神の娘
「モフモフ姫、キターーーーー」
スーさんの魂の叫びに、クノに声をかけようとしていた俺は膝から崩れ落ちるところだった。
まあ確かに、言いたいことは分かる。
絹のようになめらかな尻尾があるし、神と崇められていて数百年を生きているという付喪神の娘だし。
日本人にはない透きとおった容姿ってのも、それっぽいといえばそれっぽい。
でもほら、本人が怖がっちゃってるじゃないか。ちょっと繊細な生い立ちっぽいから、優しく接してあげてって言ったろ、まったくもう。
と、真っ先に駆けつけたイツキが一生懸命話しかけ始めた。
「ごめんクノちゃん、待たせた? ちょっとみんなでどんぐり拾いに行っててさ、あんまり離れないようにはしてたんだけど――」
ほらスーさん、年下の爽やかイケメンを見習ってだな――
「――そしたらさ聞いてよ、ケースケさんが超カッコイイ魔法をズバババって――」
やっぱり訂正。
君たちは変な絆で繋がっている。
「こんにちはっ! 初めまして、だね」
俺が呆れていると、ミツバがするりとクノの手を取り、楽しげに笑いかけた。アヤさんもにこやかにクノを囲む。
「あなたがクノちゃんね。話を聞いてからずっと会いたかったのよー」
さすがは女の子同士、クノは初めは圧倒されていたようだが、それでもおずおずと微笑みを返している。
「まあまあ、立ち話もなんですから、座って自己紹介でもしましょう」
櫛名田のおっさんが如才なく場を取りまとめる。俺は笑顔でクノを手招きして、みんなで平岩のそばに輪になって腰を下ろした。
それから小一時間ほど、俺たちはいろいろな話をした。
なんでああも簡単に父である白猿の元を離れることになったのか、俺はずっと疑問に思っていたのだが、どうやらクノにも事情があったようだ。
本人が遠慮気味に語ってくれた話によると、コシの民である母親はクノの出産で命を落とし、それからずっとヤマクイの元で育てられてきたそうだ。
ただ、ヤマクイとは念話で会話ができるものの、眷属の猿たちは言葉を喋るほどの知性がない。
ならばとヒトの言葉を覚えたのだが、せっかく覚えた言葉で会話をしようにも、母方のコシの民を含めヒト族には神の使いと問答無用で崇められ、気楽な会話は一切できなかったそうだ。
結局ヤマクイや眷属の猿たちの元、友だち一人いないまま、ある意味孤独に暮らしてきたという。
「正直、こうやって普通に会話ができる相手は初めてなのです。それに……私、こんな姿でしょう?」
クノは少し悲しそうな顔で自分の体に目を落とした。なめらかな純白の尻尾が持ち上げられ、細い腰にくるりと器用に巻きつけられる。
「お父さまとも違う、眷属の兄妹達とも違う、ヒトには似ているけれどやっぱり違う。私、一生独りなのかなって……兄妹達もヒト達も、気の通じ合う友だちがいて仲間がいて、その、こ、恋人なんかもいるのに」
そう言ってクノは、その透きとおった空色の瞳に花のような恥じらいをわずかに乗せ、一瞬だけ俺をちらっと見てきた。隣に座っているミツバが驚いたように小さく息を飲む。
あまりに唐突な視線に俺がたじろいでいると、次の瞬間にはもう、クノは全体に向かって話を続けていた。
「そんなこともあって初めて皆さんを見たとき、びっくりしたのです。こんなにも私と似通った存在がいたのかと」
「……ええとクノさん、人はみんなこうではないのですか?」
櫛名田のおっさんが首を傾げながら問いかけた。
「昨日のお父さんの時もそうだったのですが、お話を聞いているとどうも違和感が……」
そう、それだ。
そこに俺もずっと引っかかっていたんだ。
ナイスおっさん。
「あ、まだヒトには会っていませんか? なんと言うか……同じなんですけど違うんです……皆さんの方が全然私に近いです。それに何より」
クノはふわりと微笑んだ。
「私、昔語りに出てくるマレビトさん達に、親しみというか憧れというかがありまして」
そう言って、俺たち一人ひとりをじっと見てくるクノ。その可憐な顔には混じり気のない崇拝の念が浮かんでいる。
イツキとスーさんが相好を崩し、照れまくっているのが横目にも分かる。まあ、分からないでもないか。
「マレビトはヒトに似て非なる種族ですが、それでも誇り高くヒトの中で暮らし、導いてきたとか」
クノの視線が俺にしばし留まり、次いで櫛名田のおっさんに移って、そして女性陣に流れていく。
「お父さまからお話を聞くにつれ、そんなマレビトさん達は孤独な私の拠り所となってくれていたのです。私だって一人でも大丈夫だぞ、って――。そんな時に、目の前に突然現れた、驚くほど私に似ている方々」
クノはアヤさんとミツバにおずおずと微笑みかけた。二人も嬉しそうに、心から親しみのこもった笑顔を返している。
そして視線は俺に戻ってきた。薄い空色の瞳がまっすぐに俺を見つめ、一瞬の間をおいて伏せられる。
「そんな方々がそのマレビトだったなんて……なんという巡り合わせでしょう。父も後押しをしてくれました。一緒に行け、こんな計り知れない力は感じたこともない、必ずや語り継がれる偉大な存在となろう、と」
脳裏に浮かんだ父親の姿に後押しされたかのように力強く顔を上げ、強い憧れをはっきりと込めて俺を見つめるクノ。
「こんな私ですけれど……ご迷惑をかけないよう精一杯頑張ります。どうかよろしくお願いします」
クノは見た目の可憐さとは裏腹に、しっかりとした口調で話を終えた。
これまでの境遇に対する悲壮感はなく、美しい空色の瞳には未来に対する明るい期待感が溢れている。
「迷惑なんて、そんなこと!」
ミツバが身を乗り出して横からクノの手を握った。
「クノちゃんも大変だったんだね。私たちでよかったらお友だちになろうよ。それで、これからずっと一緒にいようね」
ああ、俺だって同じ気持ちだ。
そして、俺たちみんなが同じ気持ちなのが伝わったのだろう、クノは全員の顔を見回し、可憐な顔を大きくほころばせた。目にはうっすら涙が浮かんでいたかもしれない。
「そうですね。随分と持ち上げて頂いたところで恐縮ですが、いろいろ教えてもらうのはこちらの方ですし、こちらこそよろしくお願いします、というのが私達の本音ですね」
櫛名田のおっさんが、柔らかく微笑みながら頭を下げた。
そう、俺たちにどんな力を感じたのかさっぱり分からないが、買い被りすぎなのは確かだよな。櫛名田のおっさんが次の言葉を非常に言いづらそうにしている。
「で、早速なのですが――」
はっきりと目立ってきた無精ヒゲを撫でつつ、櫛名田のおっさんが視線を泳がせている。
きっと聞きたいことはあれだよな。俺から聞いてしまうか。
「すまんクノ、よろしくとは言ったけど、俺たち本当に何も知らないんだ。とりあえず――」
クノよ、そんなに真摯に俺を見ないでくれ。とても切り出しにくい。あーくそ。えい、言うぞ。
「……俺たち、すごく腹ぺこなんだ。食べものが手に入る場所、教えてくれないか?」
言ってしまった。呆れられちゃったかな。
「ぷっ」
クノは吹き出し、けらけらと笑い出した。
イツキが何てこと言うんだって顔で俺を見ている。しょうがないだろ、本当のことなんだから。
「……はあ、失礼しました。本当に新しいマレビトさん達なんですね。昔のマレビトさんも皆、初めは同じ状況だったと聞いています」
クノが涙を拭いながらにっこりと微笑んだ。
「心配しないでください、それぐらいは私がお教えします」
◆ ◆ ◆
それから俺たちは、例の草原に向かってしゃにむに歩いている。そこに行けば鹿が狩れるという話をクノから聞いたからだ。
クノが持ってきた木の実や果物を分けて貰いはしたが、肉の話を聞いた後ではまるで食べた気がしない。こんな状況には何を言っても肉だ。すきっ腹に肉の誘惑は絶対的すぎる。
話の中ではっとしたのは、クノが動物の捌き方から調理方法にまで通じているということだ。
こういう環境で暮らしていれば当たり前の技術なのかもしれないが、現代日本人の俺たちにはそんな知識はない。日常的に料理をしていたらしいアヤさんだって魚を捌くのが精一杯だと言っていた。
食糧調達の手段として狩りもはっきりと意識していたんだが、正直、そこまで考えていなかった。我ながらなんともお粗末なことだ。
そんなことを含めて道中クノといろいろ話したが、まだ緊張しているのだろうか、綺麗な顔からはなかなか固さが取れなかった。
まあ、少なくとも謙虚で礼儀正しい子だと思う。白猿という絶対的存在の下で育てばこうなるのかもしれない。生まれてからずっと、会話できる唯一の存在が威圧感半端ない数百歳の付喪神だったんだ。今はアヤさんやミツバと、控えめながらも嬉しそうに話しているだけで充分だろう。
ともあれ、俺たちがこの世界で生きていくことを考えると、クノは本当にありがたい存在だ。俺たちに会えたのは一生に一度の幸運とクノは言うが、俺たちの方こそ感謝しなければいけないよな。
◆ ◆ ◆
草原に着くと、俺たちはふた手に別れた。
俺とイツキがクノに教えてもらいつつ狩りをする間、残りのメンツで野営地を整えてみることになったのだ。
これは櫛名田のおっさんの強い希望でもある。ミツバとスーさんの魔法でどこまでの物が作れるか、練習がてら早い段階で見極めておきたいらしい。
今のところ天候の心配はなさそうだが、それをやっておけば急に雨が降っても慌てないで済むからな。元大工の血が騒いでいるのもあるんだろうけれど、悪くない行動だと思う。
そして俺とイツキは、クノ先生の下で即席狩り教室だ。クノ愛用の弓も含めていくつか手法を教えてもらってみたが、所詮は素人の悲しさ、なかなか上手くいかない。
失敗する度に、蜘蛛の子を散らすように散開して逃げる鹿の群れ。
ああくそ、またダメか――と俺が肩を落としていると、何を思ったかイツキが韋駄天のように駆け込み、あれよあれよという間に仔鹿の首に抱きついて電光石火で引きずり倒してしまった。
そして、地面を転げまわる一人と一頭に、慌てて駆けつけた俺が右拳でズドン。仔鹿が昏倒して終了と、俺たちの狩りは実に呆気ない幕切れとなった。
「見ててなんか遅かったし、イケる気がしたんですよ。それより――」
イツキが照れ臭そうに、でも得意げな顔で起き上がった。
「おーい、クノちゃーん、今の見てたー?」
はは、そっちか。
分かりやすくていい。
クノは唖然として立ち尽くしていたが、すぐに駆け寄ってきた。
「これがマレビトさん――びっくりしました!」
はしゃぐような仕草で賞賛の眼差しを送ってくるクノ。いやいや、教えてくれたのは散々失敗してたし、それに今のはイツキを褒めてやってくれ。
「あは、今のが風の魔法だよ! あははは!」
いや、既に充分舞い上がっている。これ以上褒めなくていいか。まあ、よくやったな。
それからクノに言われるがままに仔鹿に止めを刺し、祈りを捧げた。
かわいそうだとも思うが、これは俺たちの命を繋ぐ糧だ。空腹で感覚がおかしくなっているのかもしれないけれど、クノの祈りを聞いていると不思議と心が安らいでいく。
「さあ、これでこの子に宿っていた神霊も自然に還っていきました」
祈りを終えたクノが、虚空を眺めながら優しく微笑んだ。陽光に輝く白金の髪に縁取られたその横顔は息を飲むほど美しく、なんとも言えない神々しささえ感じられるものだった。
「……ええと、そんなに見ないでください」
俺たちの視線に気づいたクノは、その可憐な顔を耳まで真っ赤にして俯いてしまった。
イツキが隣で、クノちゃんマジ天使っス、とため息をついている。
「あの、今の祈りはお父さまに教えてもらったもので」
俺たちの賞賛の視線に戸惑ったのか、クノがあたふたと言い訳をするように一気に喋りだした。
「私、お父さまの霊力を少しだけ引き継いでいるみたいで、今の祈りはその私にできるたった一つの特別なことで、私、他にはなんにも――」
「――ありがとう」
俺はクノの言葉を遮った。
「うまく言えないけど、あの祈りで気持ちが楽になったよ。今度しっかりと教えて欲しいな。いいかい?」
「……はい!」
まるでたった今開いた花のような笑顔だった。こっちまで嬉しくなってくる。イツキが出し抜かれたような顔で見てくるが、そうじゃないって。
この子は普通に付き合える仲間を欲している。本当に神の使いに見えたなんて、口にしないで正解だったな。
それから俺たちは、再びクノ先生の下で血抜きと解体を教わった。
大変な作業だったし正直グロかったが、不思議と忌避感はない。
クノ、不思議な子だな――俺はこっそりと、最後に見よう見まねでもう一度祈りを捧げた。
目の前には剥いだばかりの皮にくるんだ肉がある。さあ、俺たちの仕事は終わった。
野営地設営班はどうなっただろうか。
次話「食事と感謝」
お楽しみいただければ幸いです。