09話 ライフライン
「本当に申し訳ないっ」
俺は寝起きで茫然とした顔のみんなに、地面に両手をついて謝った。
さっきのはどう考えても、俺が引き起こしたものだろう。地面で横になっていたみんなには直接の被害がなかったものの、あの猛火の範囲に誰かがいたらと思うと冷や汗が止まらない。
「ええと、今のは何だったんですか?」
目をぱちくりと瞬かせている櫛名田のおっさん。アヤさん、イツキも同様だ。
スーさんと俺の話を傍で聞いていたミツバも心底驚いた顔をしているし、スーさんに至っては、コントのように尻もちをついたままだ。
俺はみんなに、スーさんの話を聞きながら火の魔法の実験をしていたことを説明した。
「ううーん、いきなりは信じがたいですけれど……」
手を頭上に伸ばし、何もないことを確認していた櫛名田のおっさんが、ふと視線を俺の後ろに固定した。
「ところで……」
おっさんの視線の先には、昨夜急逝した二人のささやかな墓標。
眉をひそめて今いる顔ぶれを見回し、すぐに理解に至ったようだ。温厚な顔から表情がこそげ落ち、長い長い深呼吸の後にゆっくりと口にした。
「――竹田さんと早川さん、ですか」
短いその言葉に込められた櫛名田のおっさんの深い嘆きに、俺の胸にも忘れかけていた痛みが唐突に戻ってきた。鋭く抉る切なさは、夜が明けた今も全く変わっていない。
ミツバが隣にいたアヤさんの肩に顔をうずめ、やがて声を上げて泣き出した。
「冥福を、祈りましょう」
俺たちはしばらくの間、二人の墓前で頭を垂れていた。
◆ ◆ ◆
やがて誰からともなく動きだした俺たちは、アヤさんにお願いをして水を出してもらい、顔を洗って喉を潤した。
不思議と気持ちがさっぱりしたのは、いかに昨日までの二日間が酷かったかの証かもしれない。朝に顔を洗うというただそれだけの行為で、この不条理な世界から少し抜け出せたような気がしたのだ。
しかし、アヤさんの――えい、もう魔法と認めよう――水の魔法はひと晩経っても健在だった。
あの時だけの奇跡とかではなく、安定して任意に随時再現できそうだった。これはこの先、しっかりと当てにできるかもしれない。
「さて、いつまで沈んでいてもしょうがないですし、とりあえずは食事にしましょうか」
櫛名田のおっさんのひと声で、皆で輪になり、残っていたどんぐりを広げた。
食事といえる程の内容でもないが、貴重な食糧だ。相変わらず粉っぽいどんぐりをみんなで貪りながら、さっきスーさんから聞いた光の仮説を話題に挙げてみた。
俺たち全員が光に包まれたのが発端で、それに耐えきれず出現した時点で亡くなっていた人。生きて出現できたけど光が体から漏れ出し、後追いで亡くなっていく人。
そして、光も漏れずに生き残っている俺たち。
――スーさんの目には、そんな風に見えるんだ、と。
「ここにいる人にはもう、光が漏れている人はいない、と?」
櫛名田のおっさんが、俺と同じことをスーさんに尋ねた。
「……安心は出来ませんが、筋は通っているようですね」
やはり同じ結論だったようだ。
「あとはそう、朝の炎の件ですが――」
櫛名田のおっさんがそう口にした瞬間、スーさんが弾かれたように立ち上がった。
「そうだった! ケースケ君、あれすごいよ! 僕があんなに試してたのに、あっさり火が出ちゃった。ね、ね、どうやったの?」
喋りながら俺ににじり寄ってくる。
「いやいやスーさん、あれは火が出ちゃったとか、そんなかわいいもんじゃなかっただろ――」
俺は後ずさりながらスーさんごと拒否をした。
実際、あれは危険なだけだ。火を扱えるというなら、もっと身近に使えるものの方が良い。
でも、さっきの失敗でなんとなく分かった気がするのも事実だ。
いきなり結果としての炎を作るのは難しいけれど、燃えやすいものをイメージして、そこから発展させればいいんだと思う。
だったら――
俺はスーさんとの距離を確認し、もう一度ガスバーナーをイメージしてみた。人差し指に力を集めて、今度はそこから可燃性のガスを噴出させるイメージだ。都市ガスのあの独特の匂いを思い描いて……
できた。
できてしまった。
指先から、人差し指と同じ太さの青い炎が二十センチほど噴き出している。
微かに漂うオゾン臭、これはアヤさんの水の時と同じだ。誰かが出現する時の閃光と同じ匂い、誰かが発作を起こした時の血生臭さに混じっているのと同じ匂いだ。
これはスーさんの光の仮説を裏付けているのかもしれないな。
俺が炎を消した指先を眺めていると、目をキラキラさせたスーさんが視界に割り込んできた。興奮状態だ。顔が近い。
俺はさらに後ずさり、スーさんを飛び越して櫛名田のおっさんに話を戻した。
「ど、どうやら俺は火の魔法が使えるようですね」
そこから俺は、白猿が何度も口にしていたマレビトの大いなる力と、この魔法の力との関連について話を進めてみた。
アヤさんの水の魔法もそう、今俺が出現させた火もそうなんだが、これがいわゆるマレビトの大いなる力なのではないだろうか、と。
「突拍子もないですが、まあ繋がりそうな話ですね。ただ難点を言えば――」
困ったような人の良い笑みを浮かべ、櫛名田のおっさんは肩をすくめた。
「――私のようなおじさんにとって、魔法が実在するというのは少々抵抗が……」
「はは、それは俺も同じですよ」
俺も櫛名田のおっさんと同じ苦笑いを浮かべていただろう。俺は弱冠十九歳、まだおじさんではないけれど、全くもって同感だからな。
ただ、アヤさんが生み出せる水も、俺が出した火も、今の俺たちにとって途方もなく貴重なものだ。そんな可能性を秘めたものを利用しない手はない。
俺が炎を生み出せたように、もし全員が何かしら魔法を使えるのだったら――。
俺はそう考え、朝、俺にしてくれたのと同じ魔法の属性の話を、スーさんからもう一度みんなにも説明してもらったのだった。
◆ ◆ ◆
「ケースケさんは火なんですね。それっぽいなあ」
現役高校生のイツキは魔法というモノをすんなり受け入れているのか、しきりに頷いている。
「私は水って訳ね。元水泳部だし、なんか納得しちゃった」
俺より年上であろうOLのアヤさんも抵抗はないようだ。上品でおっとりした顔に呆れの色は全くない。
「私はどれも当てはまらない気がしますね」
これは櫛名田のおっさんだ。ごましおの無精ひげを撫でながら言うには、どれもしっくりとイメージできないらしい。
スーさんに「櫛名田さんも光は操れていますよ」とフォローされたが、浮かべたあいまいな微笑みに俺は心の中で少しだけ共感してしまった。
「私は……あるとしたら、土だと嬉しいかも。これでも園芸部なんです」
少し元気の出てきたミツバが上目遣いでちらっと俺を見てきた。いいことだ。俺は励ますように頷いてやった。
すると、ミツバがはにかむようにチラリと笑みを返してきた。前向きで、人に元気を分け与えるような、感じのいい笑顔だった。
この子は本来、こんな風に笑ってる子なんだろうな。俺たちみんなのためにも、この子にはもっと笑っていて欲しいものだ。
「それにしても、水に加えて火はありがたいですねえ」
ひとつ大きな息をした櫛名田のおっさんが、真面目な眼差しでしみじみと口にした。
「アヤさんの水と同じで、安定して出せそうですか?」
「ああ、それ、大事ですよね」
それは俺も気になっていたところで、重要なポイントだ。俺はもう一度、指先からガスバーナーのような炎を噴出させてみた。
これは大丈夫ではないだろうか。
例えて言えば口笛。一旦できるようになると何度でもできる。実に自然な感覚で再現でき、我ながら使えなくなる事態が想像できなかった。
「「おおおお、やっぱりカッコイイ!」」
視線を上げると、俺が出した炎を前にイツキとスーさんが意味不明の盛り上がりをみせていた。
「ケースケさん、やっぱりそれすごいッス! ちょっとそこの草を燃やしてみてください!」
「火魔法ってロマンだよね! いいなあ、メテオとか出来ちゃう? 天の彼方の星屑よ、我に仇なす大地を滅せよ――とか言っちゃったりして。くうううっ」
イツキ、それは火事になるぞ。そしてスーさん、テンション上がり過ぎだって。今ので何が星屑なのか、どうなって大地が滅びるのかさっぱり分からないから。
でもまあ、お陰で要領は掴めた。
今後も安定して火を扱っていけそうだ。
しかし、これで俺も子供たちのヒーローの仲間入りか。
非現実感と自らへの呆れ、そしてはるか昔に忘れた子供の頃の憧憬が入り混じり、胸一杯に生暖かい感慨となって広がっていく。
だが、現実面に目を遣れば、これで火を確保できたことになる。櫛名田のおっさんの言うとおり、この意義は大きい。
この狂った世界における、か細い俺たちのライフラインがふたつになった訳だ。しかも火というもの自体、上手く利用すれば自衛手段にもっていける可能性も高い。
この先、化け物は置いておくとしても、熊とかの大型野生動物に遭遇したりは充分ありそうだからな。
返り討ちにするところまでいかなくとも、怯ませたり足止めしたりは出来るんじゃないだろうか。
俺たちのこの理不尽な世界の生存にも、少しだけ明るさが見えてきたと思う。
欲を言えば、あの化け物に対しては積極的な攻撃手段が欲しいところだが――この後、ちょっと試してみようか。
次話「自己流メテオ」
お楽しみいただければ幸いです。