後編
第二章
「ねえねえ、洲宮君。最近元気ないけどどうしたの?」
休み時間、隣の鍵塚さんが僕に話しかけてくる。しかし、僕は「何でもない」と答えて頬杖をついて前を向いた。
調子が悪いのは自分でもわかっている。我が姉も鍵塚さんも心配の目を向けて調子はどうか聞いてくる。
「大きなお世話だ、ほっといてくれ!」
と僕は叫びたいが、それをきっかけに根掘り葉掘り聞かれるのはもっと辛い。必然的にこのように塞ぎ籠もってしまう。
その様子を我が姉は心配したのか最近家に帰ることが多くなった。僕が待ち望んでいた状況なのに何故だろう、何だか嬉しくない。
最近生徒会は疎遠になった。もちろん当てられたノルマはしっかりとこなしているが、それだけだ。自分から積極的に動こうと思わなくなってしまった。
キーンコーンカーンコーン。
授業開始のチャイムが鳴る。ああ、うるさい。僕はため息を吐きながら教科書を取り出して教師の話に耳を傾けた。
そして放課後――いつも通り生徒会室に行こうとするが、何故か鍵塚さんの姿が目に入った。鍵塚さんは鼻歌を歌いながら帰る準備をしている。どうしてそんなに楽しそうなのだか、僕は無性に苛々し、羨ましく思った。
だから、僕は始めて鍵塚君に自分から声をかけた。
「楽しそうだな」
とりあえずそんな無難な言葉を掛けてみる。すると鍵塚さんは顔をあげて。
「ん? そう。ありがとさん」
と返してくれた。そしてそのまま机の中の物を鞄に放り込む。
僕はまた会話を続けようとする。
「鍵塚さん、君は毎日何をしているのだ」
ふと、前から疑問に思っていたことを聞いてみた。
鍵塚さんは一年の頃から授業が終わると真っ先にいなくなっていた。僕は部活をしているのだろうかと思っていたが彼女が部活に入部したなんて聞いたことがない。バイトも生徒会への届け出が必要だ。しかも鍵塚さんはあの性格だから友人なんているわけない。
「ん~、そうですねぇ……とりあえず色々です」
そう言ってコロコロと笑う。僕はこれ以上聞く必要はないと思い「そうか」と言って去ろうとする。
だが、そこで鍵塚さんは僕を引き止めた。
「洲宮君、私が何をしているのか知りたいですか?」
小悪魔な笑みを浮かべてそう聞いてくる。
知りたいか知りたくないかの二拓だったら知りたいに決まっている。だから僕は頷いた。
すると鍵塚さんは嬉しそうにウンウンと頷いて。
「そうですか、知りたいのですか。ならば教えてあげましょう。ですがここでは人の目がありすぎるので場所を移しましょう。よろしいですか?」
そう言って鍵塚さんは探るような目で僕を見る。
僕は了解の返事をした。
「そういえば生徒会を休むのはこれが初めてだな」
鍵塚さんの後について行っている際僕はそんなことを考えた。
「ここなら大丈夫ね」
図書室の奥まで進んだ鍵塚君はそう言って振り返る。
図書室はテストまで日があるせいか至って閑散としている。それに加えて僕達がいるスペースは古代歴史の学術書など一体誰が閲覧するのかわからない本が置いてある場所。ここら周辺は無人に近いし誰かが来てもすぐにわかる。隠れ話にはもってこいの場所だった。
「さて、始めに確認しておくけどここからの話は誰にも言わないこと。もし言ったら死刑だから」
そうやって念を押す鍵塚さん。一つ言わせてもらうが死刑なんて言葉はあまり使わないほうがいいぞ、緊張感が緩むから。
「わかった、誰にも。そう、生徒代表にも言わないことを誓う」
僕は真顔で頷いた。すると鍵塚さんは左右を見渡して誰もいないことを確認し、さらに声を落として話し始めた。
「実はね……最初に言っておくけどこの学園は巨大な実験場で私達はクローンなのよ。って何その憐れむような目つきは?」
鍵塚さんが怒り出すが仕方のないことだろう。いきなりトンデモワードが飛び出したのだから誰であろうとも僕のようなリアクションをするだろう。
鍵塚さんは不満気なようだったが頭を掻いてため息を吐いた。
「と、まあ。こんな事実を言われても信用しろなんて言われても難しいわね。うん」
まあそれはそうだろうな。
「けど、それを認めてくれなくては先に進めないわ。だから洲宮君、私の話が信じられないのだったらもう帰った方が良いわ。だからここで決めて。進むか、それとも退くか」
鍵塚さんは真剣な瞳で僕を見つめる。
僕はその視線を感じながら考えた。
常識的に言って鍵塚さんの話は電波だろう。こんな話を信じたら周りから変な目で見られるのは確かだ。
そして、ふと時間を確認すると、今から生徒会室へ向かえば今日の分のノルマはギリギリ終わらせることができるかもしれない時刻だった。
これから生徒会室へ戻り、遅れたことを詫びればまた明日からは普段通りに過ごせるだろう。我が姉を起こして朝食とお弁当を準備する。授業を受けて放課後になると生徒会室で我が姉の手伝い。そして夜になると必要になるかどうか分からない夕飯を作るか作らないかで頭を悩ませる。
そんないつもと変わらない日常に鍵塚君の話を乗らないだけで戻せる。
しかし、僕は……僕は…………
「……………………………………………………………………………………信じよう」
長い長い沈黙の後、僕は非日常を選んだ。何故かはわからない、あえて理由を挙げるとすれば、今の日常がつまらなく感じていたからかもしれない。我が姉から「弟」という言葉を聞いてから僕の中で何かが壊れてしまい、何をしても以前のような充実感は得られなくなっていたのも考えられる。
とにかく、僕は鍵塚さんの言葉を信じることにした。
鍵塚さんは僕の返事を聞くと唇の端を吊り上げ、いつものイイ笑顔とは違う種類の笑みを浮かべた。
「じゃあこれから二人で作戦を考えましょう。この学園の秘密を知るために」
そう言って鍵塚さんは一冊の学術書を取り出して開き、その中に挟まれた一枚の紙切れを僕に手渡した。
鍵塚美沙都
「……………………………………………………………………………………信じよう」
キャー! 洲宮君が賛成してくれた。私は天に昇るような気持ちになりました。
この調査書を見かけたのはつい先週、何か面白いことないかな~。と思って適当に本を漁っていたら出てきましたじゃないかこのネタ。
さっそく私はこの紙切れに書かれている内容を皆に知らせようと思ったのだけれど何故か皆は信じてくれない。それどころか私を電波扱いするし嫌になってきたところでした。
もし洲宮君が皆と同じように鼻で笑って帰ったらもう私は立ち直れなかったと思います。
しかし、神様は私を見捨てていなかった。しかも何と、憧れだったあの洲宮君が賛成してくれたのです。これはもう神様が言っているのでしょう。
汝、その真実を暴け、と。
この調査書の真偽はともかく皆が憧れている洲宮君と一緒に活動するというのは本当に嬉しいです。明日、私が他の女子からの嫉妬の視線を受ける状況を想像すると身が悶えます。
私は一言か二言かを洲宮君に何かを言いましたがあまり覚えてきません。だって心の中で跳ね回る喜びの感情を抑えるのに精一杯でしたから。
今、洲宮君は夢中になって紙切れを読んでいます。その表情はここ数日見せなかった真剣な光を宿していました。
夕陽をバックにして真剣な瞳で考え込む美少年。
やばいです、鼻血が出そうです。ショタ同盟メンバーの気持ちが分かりました。確かにこれは保護しなければいけません、これは人類が作り上げた最高峰の芸術です。断じて不純な輩どもに汚されていいものではないのです。
でもその様子を洲宮君に見せるわけにはいきません。私はクールな女なのです、悪の親玉なのです。それらしく振る舞わなければなりません。
クールに微笑んでいる私を見てほしいのですが、残念ながら洲宮君は気づいてくれず、淡々と用紙を目で追っていました。
「……そうか、僕と姉さんは姉弟ではなく赤の他人なのか」
洲宮君が何か不穏当な発言をしたような気がしますが空耳でしょう。
洲宮溪
「……煩いな」
クールな様子を装っているが身悶えを必死に隠しているのがバレバレな鍵塚さんを尻目に僕はその用紙を読む。
○年×月△日
ついに準備が整った。思えばこの実験の構想から開始までどれぐらいの年月流れたのだろう、もう覚えていない。
しかし、ようやく私はここまで来た。これから長い長い実験が始まるだろう。
題してラグナロク計画。育てたクローンを社会のため役立てようとする計画だ。
本来の意味とは目的が違うがこうしておかないと研究費が貰えない、困ったものだ。
まあ、愚痴はいい。とにかく私は実験を始めることにした。
まず国のデータバンクから貰った過去の偉人達の遺伝子からクローンを作り出す。そして肉体をホルモン調節により一年で成長させる。成長途中、脳にα波を与えて最低限の生活が出来るよう催眠学習を行った。
ここで注意しておかねばならないのは、ホルモン調節での成長は高校生ぐらいでストップさせる。高校生の年代が最も伸び率が高いのでそこを利用しないわけではない。
そして第一世代の彼らがこの島に解き放たれた。これからどう成長するのか楽しみである。
普段意識していなかった疑問が沸き出し、そしてこの用紙はその疑問に答えてくれる。
しかし、僕は自分達がクローンである事実よりももっと重要なことに気付いた。
僕と我が姉とは姉弟なので決して恋愛感情を持つことは許されないと思い込んでいた。しかし、この用紙に書いてあることが事実だとすると話が変わってくる。僕達はクローン。つまり遺伝的には繋がっていない。それが意味することは……
「……そうか、僕と姉さんは姉弟ではなく赤の他人なのか」
って、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!
そんな問題ではない。単に血が繋がっていなければ良いのではない。こういうことはお互いの理解を経てゆっくりと進めていくものであり、一緒に同居しているとか、遺伝子が同じだとかそんな物理的な考えは駄目だ。
例えクローンでも僕と我が姉は姉弟。その事実に変わりはない。
けど、もしもの話だが、我が姉が僕に「溪、あなたのことが好きなの」とか告白されたらどうしよう。血が繋がっていないと分かった以上、告白を受け入れても何の問題も……
……僕は己の頭を近くの本棚に力の限りぶつけて邪念を追い払った。
全て読み終えた僕は無言でそのくたびれた用紙を鍵塚さんに返した。それを受け取った鍵塚君はそれを元の位置に挟みながら。
「で、この紙切れは不完全なの。理由は分かるよね」
と、聞いてきた。僕はその先を受け取り。
「この実験の目的だな」
この用紙。ボロボロに朽ち果ててしまっているため、肝心なこと――何故こんなことをするのか、その理由を書いていないのだ。そのような個所は決まって破り取られていたり紙が傷んで文字が読めなくなったりしている。
「そう。で、話は変わるけどこの校舎内で三ヶ所だけ調べていない場所があるの、それはどこだと思う」
その問いに僕は首を振る。すると鍵塚さんはこちらを振り向き、笑顔になって。
「生徒会室の後ろにある鍵の付いた本棚、職員室の後ろの方にある本棚、そして学園長室。洲宮君、協力お願いできるかな?」
断る理由がなかった、僕は即答で頷いた。
鍵塚さんが喜んでいる横で僕は窓側にまで移動して上を見る。ここからはよく見えないが最上階の生徒会室では無断欠席した僕を我が姉が心配しているだろう。
もう僕は昨日と同じように振る舞うことができない。この企みは我が姉に多大な迷惑を掛けてしまう恐れがあった。
しかし、僕は真実を知ってしまったから止まらない。
例え行きつく先が地獄だとしてももう僕は歩みを止めないだろう。
「ごめん、姉さん」
謝罪の念を込めて僕は生徒会室に向かって頭を下げた。
洲宮恋歌
「けーちゃん、今日はどうしたの~?」
生徒会の仕事を終わらせた私は家に帰り、今日無断欠席をした弟を責める。
すると弟は「ごめん、姉さん」と申し訳なさそうに頭を下げた。
「ここ最近けーちゃんは元気ありませんでしたよね~。もしかして~、あれが原因ですか~」
いい機会だと思い、私は最近弟の様子がおかしい原因を聞いてみる。
確か弟の様子が変になったのは私が生徒代表に就任して一周年の日からだった。私も忘れていたけど、他の生徒会役員がドッキリパーティを催してくれたので家に帰ることが出来なかった。
後日にゴミ箱の中を見てみるとおそらくあの日のために用意してあった私の好物料理が捨てられていたのを見て私は罪悪感で一杯になってしまった。
その日から私はなるべく家に帰るよう心掛けていたけど、弟の様子は全然変化しない。私は不安になった、もしかして弟の元気がない原因は別の所にあったのではないかと不安になる。
私の不安が見て取れたのか弟はフッと微笑み「もう大丈夫だよ」と囁いた。
口ではそう言っているが表情を見るとそう思えない。何か破滅を抱える異常者の雰囲気を弟は纏っていた。
私は急に怖くなり、弟を抱きしめた。
突然の抱擁に弟は一瞬驚いたが次の瞬間には緊張が取れて私に体を預けてくる。
「ああ、けーちゃんだ」
私は弟が弟だということを再認識して頭を撫でた。
洲宮溪
「生徒代表、少し聞きたいことがあるのだけれどいいかな?」
放課後、今日は生徒会室に顔を出して昨日の分のノルマを片づけている最中、丁度我が姉の判断を仰がなければならない案件があったので会ったついでに聞いてみた。
すると我が姉は人差し指を唇に当てて。
「総合生徒会長ですか~? う~ん、それはわからないですね~」
「うん? どうして」
理由を聞いてみる。すると我が姉は視線を宙に彷徨わせて。
「まあ~、それは色々と~」
何か隠しているな、そう思う。伊達に我が姉とは長い付き合いだ。嘘を言うとき目を彷徨わせる癖は治っていない。
「しかし~、どうしてそんなことを知りたいのですか~?」
僕が考え事をしていると今度は我が姉が質問してきた。しかし、こういう類の質問の答えはあらかじめ準備をしてあったので問題はない。
「うん、実は前から気になっていてね。どうして総合生徒会長はこの第三校舎のような過密スケジュールを許すのだろうと。どうして姉さんがこんなに働く必要があるのかと直訴したくなってね」
そう答えると我が姉は表情をパアッと明るくして。
「そうですか~、なるほどなるほど~。御心配ありがとうございます~。けど、私は大丈夫ですよ~」
そう言って微笑む我が姉。しかし、ここで終わらせるわけにはいかない。何としてでも情報を手に入れなければ。
悩んでいるうちに我が姉の机に置いてある一枚のスケジュール表が目に入った。照れている我が姉の隙を狙って盗み見てみるとそこには三日後に各校舎の生徒代表が集まる主旨が記されていた。
運がいいな。
僕は陰でほくそ笑みながら自分の机へと戻って行った。
「各生徒代表の集会?」
次の日。昨日に得た情報を鍵塚君に話すと何故か鍵塚さんは胡散臭そうな目を向けた。
僕は首肯する。
「そう、だからその日に生徒代表がいないから丁度いい。僕が合図して一〇分後に入ってくれ」
「でも、どうやって侵入するの?」
「それは簡単だ、その日に誰かからの差し入れが入るので、僕がそれを残っている生徒役員に配る。もちろん僕も食べるぞ。おそらく全員意識を失っていると思う。ドアの鍵は開けておくから心配はないな」
「けど、それではアシがつかない?」
鍵塚さんの疑問。だが、僕はそれに対して微笑み。
「心配は無用。僕は生徒会の中でも信用が高いからな。僕が一番に食べたら皆も安心してそれを食べる」
そう言って僕は瞳を怪しく光らせた。
「そこは君を信じます。けど、鍵は開けなくていいですよ。もう持っていますから」
そう言って鍵塚さんは胸元から鍵束を引っ張り出してきた。
「なんだ、それは?」
「この第三校舎にある全ての教室の鍵。そしてこれが生徒会室の鍵。洲宮君と一緒に生徒会室に入った時、ついでに作っておいた」
なんてことをこともなげに言う。
「用意がいいのはどっちだか」
今度は僕が呆れる番だった。
鍵塚美沙都
三日後。私は洲宮君の合図を受けてから丁度一〇分後、生徒会室のドアに鍵を差し込んで回し、そ~っと中に入った。すると洲宮君が言っていた通り、全員が机に突っ伏して寝入っていた。
少し周りを見渡すと洲宮君も皆と同じく体を机に預けていた。少しだけ悪戯しましょう。
私は洲宮君の頬っぺたを指でつついてみました。う~ん、柔らかい。
しばらくの間私は洲宮君を擽ったり写真を撮ったりとして遊んでいましたが、そんなことをしている場合ではないことに気付きました。そして、ソロリソロリと忍び足で生徒代表の机の前まできます。
「さて、と。探しましょうかな」
私は指紋を残さないために手袋をはめ、ピッキング用の針金を取り出した。洲宮君には言っていないけど私って実は手先が器用です。ピッキング技術に命を賭けている生徒に弟子入りしてまで教わったこの技術。この私に開けられぬものなどない!
一〇分後――私はまだ鍵穴の前で作業していました。
二〇分後――「あれ~? おかしいなぁ」まだです。
三〇分経っても未だ開けられない私は周りが見えなくなっていました。
だからでしょうか、突然肩に手を置かれた時、驚きのあまり声すら出せませんでした。
「あ……あの……これは、その」
私はしどろもどろになりながら振り返りました。何しろこの状況、言い訳の余地がありません。実行現場逮捕として明日から留置所です、ごめんなさい。しかし。
「もういいから代われ」
声をかけた人物は洲宮君でした。そして心なしか機嫌が悪そうです。
「あれ、もう切れたの?」
私は一瞬焦りました。睡眠薬の効果が切れ始めているとなると急いで退散しなければなりません。しかし、それは杞憂に終わりました。他の生徒会役員はまだ爆睡中です。なら、どうして起きているのですか?
「差し入れに細工をしたのは僕だ。だから睡眠薬を入れていないのを見分けるぐらいわけない」
なるほど、その手がありましたか。要は生徒会役員が眠ればよいのであり自分が食べる必要は無いのです。頭いいです! 洲宮君。
「あれ? なら何で寝たふりをしたのですか」
そうです、それなら最初から起きていればよかったじゃないですか。疑問が残ります。
すると洲宮君は欠伸をして。
「今日は二時に起こされて生徒代表を迎えに校舎まで行き、そして姉さんが持ち帰ったぬいぐるみの中に仕込まれた発信器や盗聴器を検査して、そして五時から朝食や弁当の準備だったからな。だからつい眠ってしまった」
マジ寝ですか! 洲宮君! なんて抜けているところがあるのでしょう。しかも色々と突っ込み所があります。でも、それが可愛いです。
私が洲宮君の可愛さに身をくねくねしている隙に洲宮君はあっという間に鍵を開けました。早い! これならあのピッキングの師匠と五分に張り合えるはずです。
「早いですねぇ、洲宮君」
私がそう賞賛すると洲宮君はなんでもないような顔で。
「まあ、たまに親衛隊から爆弾を送りつけられるからな。こういう鍵開け型はまだ良い方だ、一番困ったのは五×五のルービックキューブ型爆弾だな。あれはさすがに冷や汗が出た」
えっ? 洲宮君。あなたは親衛隊と一体何をやっているのですか。今度一緒に『親衛隊との闘争』という名の本を出しましょう。絶対売れますよ。
「さて、と。開いた。では僕は机に突っ伏しておくから後はよろしく頼む」
そう言って手袋を私に返して洲宮君はさっさと自分の机に戻って突っ伏しました。
私は心の中でお礼を言いながら何かこの学園の手掛かりになりそうなものを物色します。そして見つけました。机の一番下の段にある引き出しの中の奥に古びた紙きれを見つけました。
私は「これだ!」と思い。それを引っ張り出しました。
そして生徒会室から退散しようとしたとき、お礼を言おうと洲宮君に近づきました。しかし。
「……………………ぐー」
何とまた寝ていました! どれだけ眠かったのですか洲宮君。もっと睡眠時間を取った方が良いですよ。睡眠不足はお肌の敵ですからね。
私はそそくさとその場を後にしました。
洲宮溪
「……馬鹿が」
鍵塚君の足音が遠ざかって行ったのを確認して僕は目を開けた。
そして、本棚に近寄って証拠の隠滅を行う。犯行というのはやっておしまいというわけではない。その後に来るであろう捜査をいかにして掻い潜るか、そこが寛容となる。
僕は本棚を入念にチェックして証拠となりそうなものを全て消していった。
「で、どうだった」
午前中、いつもの場所で僕は鍵塚君に昨日の成果を聞く。
「……どうぞ」
鍵塚君はなぜか意気消沈し、昨日入手した用紙を渡す。
□年×月△日
実験が始まって一〇年。初代の代わりに自分が定期報告をする。
最初、彼らは慣れない気候や未知の病原菌のため全滅寸前に追い込まれた。しかし、生き物の生命力というのは凄いものだと感心する。残された彼らは植物や動物と一体化し、危機を凌いだのだ。だが、その反動として彼らは理性を失い、異形の怪物と化した。これではもう実験は続けられないと判断する。よって彼らを近くの森へ放逐する。
次に目を付けたのは法則を操る力のこと。数学でも物理学でもそうだが、法則というのは神秘的だ。絶対に取りこぼしをしない。ゆえに、見方によっては法則こそ神だという考えも立証できる。だから法則を自在に操れる方向へ進路を切った。
純度を高めるために彼らは三年のサイクルで一つに戻すことにする。
三年ということで学園を作ってみた。この中で生まれたクローン達は学び競い合って切磋琢磨し、自分達の能力を高めてくれるだろう。三年過ぎた後、彼らを容器に入れて分解し、幼少から再構成することによって彼らの純度はさらに高まるだろう。そして最終的には神が誕生するだろう。
「神を創る?」
用紙を読み終えた僕は率直な疑問を口にした。何かまた話が大きくなってしまった。まあ、僕達がクローンという事実だけでもかなりの衝撃だが、今回はさらにぶっ飛んでいる。
神を創ると本気で考えた人間の正気を確かめたい。しかし、そこまで狂っていないとこんな実験をするどころか思いつきもしないだろう。
僕は何か諦観のような思いを抱いた。そして、癪な話だがこの狂人の考えが少し理解できた。
完璧を求める先にあるのは超人ではなく神。唯一普遍絶対な者を求める気持ちは僕にだってある。何か失敗した我が姉を見ているとそういう気持ちが湧いてくるからな。
「さて、次は職員室だな。もうプランは出来てある。さっそく行動に移そう」
そう鍵塚さんに提案すると、鍵塚さんは首を振って恐る恐る口を開いた。
「ねえ、洲宮君。もう止めにしない?」
一瞬言っていることが理解できなかった。さらに鍵塚さんは続ける。
「こんなこと言うのは間違っていると思うけど。私、怖くなってきちゃった」
だからごめん。と言って鍵塚さんは頭を下げる。
それに対し、比較的僕は冷静でいられた。勝手に誘っておいてなんだそれは! やふざけるな! ここまでしておいて。と、罵詈雑言が出るのかと思っていたが、何故かそんなことをいう気にもなれない。
僕は「そうか」と頷ずこうとすると、突然良い考えが閃いた。一度あれを試してみよう。
「別に抜けても構わないが、知った内容を隠し通せるか?」
その質問に鍵塚さんは答えず、目を左右に動かせる。自信がないのだろう。
「忘れさせてあげようか」
その問いに鍵塚さんはハッと目を上げる。
「クローン、そして神。話が巨大になりすぎてもう抱え込めないのだろう」
僕は鍵塚君に近づいて抱き締め、頭をこちらに引き寄せて優しく撫でながら。
「始めは軽い気持ちだった。君は好奇心旺盛だからな、もっと知りたいと思ったのだろう」
突然の出来事に驚きながらもその問い掛けに鍵塚さんはコクリと頷く。
「でも、君は急に怖くなってしまった。真実を知ってしまったから自分の周りを取り巻く環境が変わっていった。君はその変化に悲鳴を上げているのだろう」
鍵塚さんは何も言わない。僕はそれをイエスと捉えた。
「だから、忘れさせてあげる」
優しく、本当に優しく。鍵塚さんが心を僕に許すよう頭を撫でる。
しばらくそのまま抱擁していると鍵塚さんが口を開き。
「……忘れさせて」
微かな声でそう呟いた。それを聞いた僕は鍵塚さんに見えないよう嗤い。
「じゃあ、体を楽にして心を許して。波に揺られるようなイメージを保って」
僕の囁きに鍵塚さんから力が抜けていくのが実感できた。そして僕は鍵塚君が催眠状態に入るよう幾つか甘い言葉を囁き、そして締めとして。
「三、二、一……はい」
その声とともに鍵塚君は完全に堕ちた。
「……上手くいくものだな」
虚ろな眼をしている鍵塚さんを静かに座らせて本棚にもたれさせる。辺りを確認しても不振に思われていない。これは運がいい。僕は静かに笑う。
心理操作系統能力者は容易に人を操れるものではない。操れることには操れるが、残念なことに被者の操られていた時の記憶は残っている。
だから心理操作系者は簡単に悪事を働けるわけではない。だが、そのことはあまり知られていないらしく心理操作系はかなり理不尽な扱いを受けている。
入学式のときもそうだった。
僕は早速友達を作ろうと思っていたが、クラスメイト達は僕が心理操作系だと知ると「操られそうだから嫌だ」と敬遠され、剣道部でも能力のせいで誰も近寄らず、一人寂しく素振り稽古。もちろんすぐに辞めた。そして、カマイタチが使えるようになった
仕方ないので同じ心理系統者が集まるグループに入り、ようやく安息の場所を手に入れたと思っていた矢先にあのショタコン同盟会から美少年ランキング三位の通知が来た。
そのせいでグループメンバー達は「一人だけもてやがってこのリア充が!」と叫んで血の涙を流しながら僕をグループから追い出した。
何もかもが嫌になって部屋に引き篭もっていた僕を外に連れ出してくれたのが姉さんだった。まだ多忙な日々を送っていなかった姉さんは来る日も来る日も嫌な顔せずにずっと僕のそばにいてくれた。
僕はその時思った。僕の味方は我が姉一人だと。誰も彼も僕を敬遠する中で姉さんだけが唯一手を差し伸べてくれた。
だから僕は姉さんに恩返ししようと決め、常に傍にいて姉さんにとっての邪魔者から守るために生徒会へ入会した。
「今はどうでもいいことだ」
僕はその言葉とともに思考を振り払う。そして、強力な暗示を掛けるために鍵塚君の虚ろな瞳を見据える。
簡単な命令や短い期間なら会ってすぐに出来るかもしれないが、前に述べた通りに掛けられた命令の記憶が残る。それを避けるために相手の記憶や潜在意識まで作用させる場合は相手が自分に心を許してくれないと掛けられない。そして完全催眠と呼ばれ、相手を永久的に自分の傀儡にさせる技はさらに難易度が上がり、強力な心理操作が可能である力と相手が完全に虚脱している放心状態でなければ成立しない。
今、鍵塚さんは傀儡となる条件を満たした。
僕は鍵塚さんに記憶を消去し、そして幾つかの命令を脳に刷り込んだ。そして。
「三、二、一……はい」
その合図とともに鍵塚君の眼に光が戻る。
「あれ……何で洲宮君がいるのですか」
鍵塚さんは今の状況を分かっていないようだ、僕は苦笑して。
「たまたま通りかかっただけだ。もう少しでチャイムが鳴るぞ。遅刻が嫌なら急ぐといい」
その言葉に目を丸くした鍵塚さんは時計を見て。
「うわあ! もうこんな時間。これでは走っても間に合いません! 洲宮君、少し手伝ってください」
僕は猛烈に嫌な予感がしたので「断る」と答えてさっさと去る。
「待ってください~! ただ洲宮君をぶん投げてそして飛んでいる洲宮君の背中に私が乗るだけですから~!」
「ふざけるな! どうして僕がそんな某アニメのような真似をしなくてはならないのだ」
走りながら僕は突っ込む。
だが鍵塚君に捕まると確実にやらされてしまう。僕はだんだん近づいてくる鍵塚さんの足音から必死で逃げた。
「……うう」
チャイムが鳴っているのにも関わらず僕は席に座らず窓辺で死んでいる。ブレザーの後ろ側にはおそらく足跡が付いているだろう。
「まさか本当にやるとは」
鍵塚さんのエキセントリックな行動を少し控える暗示も掛けておくべきだったと僕は後悔した。
鍵塚美沙都
「……あれ?」
私、鍵塚美沙都は考える。何で私はここに立っているのだろうと。
「うーん、分からないなぁ」
ここにいる必要はない。すぐにでも移動して何か面白いネタを探しに行くはずなのに何故かここから動きたくない。
ふと、洲宮君が私に近づいてくる。声を掛けようとしたのに何故か体が動かない。洲宮君が私の隣を通りかかった時、何かを私の前に落とした。バットだ。
私はそれを自然な動作で拾って当然のように近くにあった火災警報器をフルスイングで叩き付けた。
洲宮溪
「ふむ、ここか」
火災報知機が鳴り、職員室にいる教師達は全員避難した。僕は職員室に誰もいなくなるよう警報と共に発煙筒を職員室前の廊下にばらまいて臨場感を演出した。
すると目論見どおり職員室には誰もいなくなった。
そして今、僕は一番奥にある本棚の前へと立っている。
僕はポケットから鍵塚君から拝借した鍵束を取り出す。そしてその中から職員室用の鍵を使って本棚を開ける。僕はその中から出来るだけ古びた本を中心にめくり、四冊目であの用紙を見つけた。
僕はその用紙を懐に納め、自然な様子で職員室から出て行った。入れ違いに異変を確認しようとした教師が職員室に入る。
そして僕は皆がグラウンドへ避難しようと移動する列に何食わぬ顔で紛れ込んだ。
教師から「警報は誰かの悪戯であった」と説明を受けた。そして、「心当たりのある生徒はすぐに名乗り出て下さい」と付け足された。
◎年×月△日
これがおそらく最後の日誌になるだろう。度重なる環境汚染により自然界のバランスが崩れ、地球はヒトという弱い種属が到底住めない環境になってしまった。まあこれも自業自得といえばそうなのだろう。ここに至り、私は目的を変えた。
学園の地下に巨大な施設を作り、クローンを生み出す装置の他に、彼らの能力、知識、経験等全てを保持する生物を生み出すことにする。この生物を便宜的に神と呼び、この装置を神の卵と呼ぶことにする。
神を創り出す目的はただ一つ。再び人類に地球の支配を取り戻させること。意志を持った機械、突然変異を起こした生物達によってしばらく人類は食物連鎖のピラミッドの最底辺を彷徨うことになるだろう。しかし、この実験が成功すればまた人類が地球の王者になれる日が来る。その時はいつなのかは分からないが、続ける限り必ず来るだろう。私は再び人類が世界を謳歌する日を夢見てここに筆を置く。
「さて……これからどうしようか」
自室で今まで集めた用紙を眺めながら僕はそんなため息を吐く。
何か熱中できるものを探して始めた真実探し。途中から発案者の鍵塚さんがリタイアするものの最後まで集めきった。
「しかし、集めたから何なのだ」
この事実を公表すれば面白いことになろう。事実を認める者、認めない者の間で抗争が起きるだろう。しかし、僕はそれにあまり乗り気でなかった。何故か気分が乗らないのだ。
「何というか『自分がクローンで、作られた目的は神の創造でした』と知ってもなぁ……」
自分はもっと驚くかと思っていた。しかし、蓋を開けてびっくり。その事実を至極冷静に受け止めている自分が存在している。
「まぁ、乗り気でないのならやらなくてもいいだろう。もうそろそろ晩御飯を作る時刻だし」
僕は時計を見てそう判断する。そして集めた用紙を机の中に閉まって部屋を出た。
「けーちゃん、本当に何もないの?」
いつになく厳しい口調で我が姉が責める。しかし、僕は慌てない。普段通り「別に」と答えるだけ。
僕は生徒会室でいつもノルマを終わらせた後、家に帰って夕食の準備をしていた。いつもなら夕食が出来た以降に帰ってくる我が姉は今日ばかりは早く帰ってきて開口一番こう言ったのだ。
「けーちゃん、今日のあれはあなたがやったのでしょう」と。
しかし、我が姉にしてはよく気付いたものだと感心する。誰にも気づかれないはずだったのだがまさか我が姉が一番に気付くとは、さすがは生徒代表といったところか。
「けーちゃん、何を笑っているの」
どうやら表情に出てしまっていたらしい。気を付けなければ。
「けーちゃん、もう一度言うわ。あなたのしていることは冗談では済まされないの。この校舎に通う全生徒が迷惑を被っている。あなたは何も思わないの?」
再度の尋問。我が姉は同じことを繰り返す。しかし、そんな良心に訴えかける戦略は無意味だということに気づかないのか。僕は目の前で誰が死のうが一向に構わないぞ。
しばらくの間、僕と我が姉との睨み合いが続いた。いや、睨みあいといっても睨んでいるのは我が姉だけで僕は涼しい顔で受け流しているだけだが。
「……鍵塚さんは白状したわ。あなたに操られたって」
カマを掛けてくる。しかし、下手だな、こういう種類の嘘は止めに使うのであって揺さぶりには適していない。
だが、我が姉は僕の瞳を捉えて顔を近づけて動揺を捉えようとする。
しかし、綺麗な瞳だな、さすがは我が姉。その澄んだ瞳ゆえに皆は我が姉に心酔しているのだろう。
「どうやら本当に何もないみたいね」
我が姉がため息を吐いて失望の色を浮かべる。
「では、僕はもう料理を再開していいかな。冷めてしまう」
もう聞くことは何もないだろう。僕は席を立ち上がってキッチンへと向かう。
しかし、その際に我が姉は僕を引き留めた。「何?」と僕は聞く。
すると我が姉は俯いて迷っているようだった。そして顔を上げて射抜いた時、僕はゾクリと身震いした。
「……もっと早くに気付けば良かった」
その言葉を聞くか否や僕の左頬に激しい痛みを感じて強制的に右を向かされた。
ああ、殴られたのだな。と、僕は理解する。そして、再度我が姉の方を向いた時、僕の時は止まった。
姉が、あの我が姉がこれまで一度も無い凝縮された感情を僕に向けていたのだ。
思えば我が姉は常に笑顔を纏い、限りない慈悲全てを多くの人間に向けられていた。
僕もその大勢の一人だった。いつも僕は大衆向けの拡散された喜怒哀楽を享受するしかなく、それが普通だと思っていた。
ここで始めて僕は気付いた。僕は我が姉――恋歌姉さんが好きなのだと。姉さんの笑顔怒り顔泣き顔等全ての感情を余すことなく僕に向けて欲しかっただけなのだと。それさえ叶うのなら他には何も要らないことに気付いた。
「……ごめんなさい」
姉さんは悲しみに顔を歪めながら去って行った。
何で去るのだ、勿体無いではないか。姉さんは僕の物。その泣き顔を止めていいなどと誰が許した?
僕は姉さんが去って行った方角を呆然と眺めていた。
第三章
「ねえねえ、洲宮君。これからどこに行くの?」
中央校舎へ向かうバスの中、隣の鍵塚さんが聞いてきた。
僕は端的に「中央校舎」と答える。すでにアポは取った、このままいけば予定時刻までには到着するだろう。
「しかし、楽しみですねぇ。私、他の校舎に行くなんて初めてですよ」
鍵塚君は何やら興奮している。実は鍵塚さん。僕が誘うと二つ返事でオーケーしてくれた。奥の手として暗示を掛けようかと思っていたが少し拍子抜けだ。しかし、暗示を無闇に使うとその人物の自我が崩壊する可能性があるので、そう考えるとこれは僥倖と言えるだろう。
「さあネタネタ。面白い事件を探り出しますよー!」
そう言って気勢を上げている鍵塚さん。彼女から全てが始まったことを考えると何故かため息を吐いた。
「申し訳ありません。代表は急な用事が入ってしまい、現在は不在です」
生徒会室で受付を担当していた女子生徒がそう頭を下げる。
「不在?」
僕は微かな憤りを覚えた。突然になってキャンセルするとはどういうことなのか。これでは無駄足になってしまう。
表情が顔に出ていたのか女子生徒は恐縮して頭を下げ「誠に申し訳ありません、連絡が行き違いになっていたようです」とお詫びをした。
さて、どうしようか。代表が不在な今、ここにいる必要はない。すぐにでも帰りたいが生憎鍵塚さんがこの校舎内を見学している。よって約束の時間までここにいなければならない。
「仕方ない、僕も校舎内を見学するか」
そう呟いて踵を返そうとした時、奥の方から「お待ちください」と呼び止められた。
僕は燻し気な目で声がした方を見ると、向こうから音もなく女生徒が近寄って来る。
氷のような女性だ。僕の第一印象はそれだった。容貌は確かに美しく、彫刻刀で美と言うものを再現した彫りの深い顔立ちと全身から発する冷たい雰囲気が相まって、更に美しさを高めている。
その女生徒と目を合わせた瞬間、僕は既視感を感じた。そして、理解する。
僕と彼女は同族だと。お互い狂った情熱を秘めていることを悟る。
だからだろうか、彼女の怜悧な瞳で見つめられても僕は笑顔で会釈することができた。そして、彼女は懐から一枚の地図を渡す。
「私の名は闇鴉愁苑。どうかお見知りおきを。そして、この時間帯ですと代表はおそらくこの場所にいると思います」
僕はその地図を見る。これは中央校舎内地図であり、その校舎の敷地内の隅にある森の部分が赤くマーカーされていた。
僕は「どうもありがとうございます」とお礼を言って去ろうとすると、またしても「お待ちください」と呼び止められた。僕は多少辟易して振り向くと。
「食料と医療品とコンパスが入った鞄とこの校舎の鍛冶部が作り上げた刀――『千変万化』です。お使い下さい」
長さ二寸弱ある長刀を僕に手渡してきた。僕は戸惑いながら礼を述べる。
「刀は返さなくても結構です。……返せるなら」
そんな不吉な言葉を残していった。
「す、洲宮君……ここは一体どこなんですかあー?」
鍵塚さんのそんな悲鳴が辺りに響く。僕は「それはこっちが聞きたい」と心の中で思う。
僕と鍵塚さんは今、森の中を彷徨っている。
最初は軽い気持ちだった。どうせ校舎の敷地内とタカをくくり、何の準備もなくこの森の中に入ったのが運の尽き、まさか森に入って一発目で全長二mを超える虎に出会うとは一体誰が予想しただろう。
鍵塚君は超能力で重くしたステッキを振り回して攻撃し、僕は刀で応戦して何とか撃退した。
しかし、これは大いなる受難の幕開けに過ぎなかった。
巨大化した食虫植物、集団で襲いかかる猿の群れ、地面を覆い尽くす軍隊アリ、川で獲物を待ち構えているピラニア。果ては石で出来たゴーレム……
一体ここはどこだ? 僕は中央校舎の生徒代表と会いに来たはずなのに何故命を賭けた冒険をしているのだ?
そんな疑問を浮かべながら僕は紅色の羽そして金色に輝く怪鳥ガルーダと一進一退の攻防を繰り広げていた。
ガルーダが急降下を仕掛けて僕達をあの鋭いかぎ爪で捕らえようとする。しかし、相手の思惑通りに進ませる必要はない。僕は刀を大上段に構え、神速の振り抜きで真空の刃を飛ばす。
しかし、相手もさる者、ヒラリとカマイタチを避けて急降下を続ける。そしてその鋭い爪が僕に触れそうになった時。
「危ない!」
鍵塚さんが重量を増やしたスティックを振り回してガルーダを追い払う。鍵塚さんは何とか一撃を与えられたが、ガルーダがすぐに上空へ回避したため追撃は加えられなかった。
「ありがとう」
僕は素直に礼を述べる。鍵塚さんは「構いませんよ」と返した。
空を見上げるとあのガルーダが旋回している。おそらくもう一度仕掛けるつもりだろう。
「厳しいな」
ポツリとそんな感想を漏らす。この戦い、最初から主導権を向こうに握られている。こちらは相手のカウンターしか狙えないのに対し、向こうはいつでも先制できる。
その差はかなり大きい。『常に先制を取れ』その言葉の意味がようやく分かった。
「ええい、くそ!」
僕は苛立ち紛れにカマイタチを飛ばす。しかし、距離が離れすぎているためそれが当たることはなかった。
「それにしても洲宮君って強いですねぇ」
上空を睨みつけていると洲宮君がそんな感想を漏らす。
「洲宮君って本当にデスクワークですか? 先ほどの動きは一朝一夕で出来るものではありませんよ」
その問いに僕は「そんなことはない」とそっけなく返す。鍵塚さんが不満気な表情をしているが今はどうでもいい。
何故自分が猛獣相手に立ち向かえるのか、それは簡単だ。自己暗示をかけて脳のリミッターを解除しているからだった。
人間というのはどれだけ全力を出しても無意識の内に力を抑えている。普段は一〇%、火事場の馬鹿力でも三〇%程度だろう。
しかし、僕は心理操作系統だ、他人を操れるなら自分も操れるだろう。己に暗示をかけて一〇〇%の力を発揮させればいい。
そう考えたのは生徒会役員として働き始めのころ。書類仕事が中々進まない事実に苛々していた頃にふっと思いついた。「自分に仕事の効率を高める暗示をかければ良いではないか」という考えに。
最初は失敗ばかりだった。自分に暗示をかけてみるとブレーキが利かなくなり、何度倒れたことか。あの時は姉さんに迷惑を掛けてしまった。
現在ではそんなこともなくなり、まるで呼吸をするかのように自分に暗示をかけられるまでに成長した。
ちなみに現在鍵塚さんには『殺すことに恐怖するな』という暗示を掛けている。
恐怖は躊躇いを生み、躊躇いは攻撃の委縮に繋がる。もちろん普段からこんな暗示は掛けていないが、今は事情が違う。これぐらい良いだろう。
「さあ、来ましたよ!」
鍵塚さんの叫びで僕は思考を打ち切る。ガルーダの急降下に僕はカマイタチで応戦するが、すでに相手はタイミングを読み切っている。もう通用しないと考えた方が良いだろう。
僕は横に跳んでかぎ爪から逃れる。先ほどまで立っていた場所の土が抉られた。
「どうしましょう、これではジリ貧ですよ」
鍵塚さんが心配の声を上げるが、僕もその事実に気付いている。このままではいつあのかぎ爪の餌食なるかわからない。
「もう賭けだ。鍵塚さん、奴の急降下に合わせて僕を打ち上げろ」
もうこれしかない。僕は恐怖を抑える暗示を掛けて鍵塚さんのスティックに乗る。そして、ガルーダが急旋回出来ない速度を出した時を見計らって僕は跳び上がり、胴体ないしは翼を切り裂いて空から引きずり下ろす。
「三、二、一……零!」
その掛け声とともに鍵塚さんは僕を乗せたスティックを振り抜いた。その際に僕はバランスを崩さず、かつ最も高く跳び上がれる角度で跳び上がる。これら一連の流れは超絶技巧を要するのだが、普段鍵塚さんの実験に付き合っているせいか苦もなくできた。意外なとこであの経験が役に立ったと僕は僅かに苦笑する。
ガルーダは不意を打たれ、急いで旋回しようとするが最高速度を出しているので容易には曲がれない。むしろ旋回しようとしたことによって僕の眼前には無防備な脇腹が映っていた。
「これで……終わりだ!」
僕は刀をガルーダの脇腹に突き刺し、そして体の上に乗って足場を確保した。
そして刀を抜き、気合いを込めてガルーダの羽から頭あたりまで一気に切り裂いた。
身も凍るような絶叫が辺りに響き渡り、ガルーダの体が斜めへと傾いでいく。僕はバランスを崩して地面へと落下するが、激突する寸前鍵塚さんが受け止めてくれた。
僕の重力を制御したのだろう。僕はほとんど衝撃を受けることもなく地面に降り立った。
ガルーダを退けた僕達はその場でへたり込んだ。
「……」
「……」
お互い無言。疲れ果ててしまい、話す気力が湧かない。しかし、このまま塞ぎ込んでもあれなので無理矢理声を出す。
「良かったな鍵塚さん。これでネタには困らないぞ」
その憎まれ口に鍵塚さんはムッと拗ねて。
「命を賭けてまでネタを追いかけるほど酔狂ではありません」
では普段僕にしていることは一体何なんだ? 言っておくがあれに僕は毎回命の危機だぞ。と、咄嗟に出かかった言葉をグッと飲み込む。ここで鍵塚さんと険悪になっても何の得もない。
僕は空を見る。丁度太陽が真上あたりに来ているのでそろそろお昼だと思い、鞄から弁当を取り出した。
「ん? なんですか、それは」
鍵塚さんが興味深そうに近づいてくる。それに僕は鞄からもう一つ同じのを取り出して鍵塚君に渡した。
闇鴉と名乗る女生徒に渡されたのだが、こんな事態を想定していたというなら驚きだ。闇鴉さんには感謝しなければならない……なわけないだろ! こんなに準備を整えるぐらいだったら始めから引き留めないでくれ! 言っておくが僕は中央校舎の生徒代表に命を懸けてまで今すぐ会う必要はないのだぞ!
「ん~、おいしいです」
そんな恨みをよそに弁当の中身のサンドイッチに舌鼓を打つ鍵塚さん。僕もこんな風に生きられたらどんなに楽か。そう考えてしまう。
「では、出発しましょうか」
弁当を食べて元気が出たのか鍵塚さんは上機嫌だ。僕はため息を吐きながら立ち上がって出発の準備をした。
「ぐるるるるるる!」
僕と鍵塚さんが歩いていると前からそんな唸り声が聞こえる。僕は鍵塚君に合図を送って戦闘準備を整えた。
僕は千変万化を構えていると突然横の茂みがガサガサと動き、次の瞬間には大熊が僕たち目掛けて飛び付いてきた。僕は前に、そして鍵塚さんは反対側に跳ぶ。必然的に大熊を挟み打ちの体制へとなる。
僕は早く倒そうと構えた時、僕の後ろ側からまた別の大熊が襲いかかってきた。前の大熊と似ているところがあるからおそらく夫婦だろう。
「鍵塚さん、逃げろ!」
この状況では僕が不利、一旦逃げることにする。
ちゃんと指示通り逃げてくれるか心配だったが、鍵塚さんの姿はもうない。どうやら分断された時にはすでに逃げていたのだろう。
「鍵……塚さん」
不利と悟るや否や真っ先に身を隠した鍵塚君を褒めるべきか責めるべきか迷いながら僕は二人の大熊から必死の逃避行を演じる羽目になった。
「……もう嫌だ」
何とか振り切れた僕は俯きながら森の中を彷徨う。家に帰りたい。そんな思いが僕の中に膨れ上がっていた。
だからだろうか、森を抜けて突然視界が開けた時、僕は涙を流してしまった。
膝をつき、手をついてこれまでの溜まった諸々の感情をため息とともに吐き出す。
そうしてしばらく経った後、目の前に古びた一軒家があることに気付いた。
屋根は藁ででき、壁は木から構成されている藁屋敷。僕は注意深く辺りを見回しながら中へと入った。
中は一部屋しかない、まず目に入ったのは部屋の中央にある囲炉裏で、それを中心としてこの部屋は構成されているようだった。
「何の用だ?」
僕はビクリとして周りを見渡すが人の気配はない。
「ここだ」
囲炉裏を挟んで正反対の位置にいるらしい。ここからは丁度死角となる部分だ。
僕は靴を脱いで上がる。すると死角が消え、居住まいを正して正座している少年の姿が目に映った。
「よくここまで辿りつけたな、そこまで僕に会いたいとは……少し呆れるぞ。ああすまない、自己紹介がまだだったな。僕の名は御神楽圭一、中央校舎生徒代表だ」
と、目の前の少年は名乗った。
小柄で線が細く、どこか頼りないなで肩の外見。おそらく身長は僕と同じぐらいだろう。しかし、御神楽は自分と明らかに違う部分があった。
その瞳である。一見冷めているように見えるがその実は激しく熱い情熱を宿している。
僕はこの氷のような知性と炎の如く情熱によって夢宮学園の中でも最大規模を誇る中央校舎を纏めていたのだな、と感じた。
「君は誰だ」
僕が相手に合わせて正座をすると御神楽代表が口を開いた。
その声音を改めて聞くと魂が縮こまりそうになる。
「僕の名は洲宮溪。第三校舎の生徒です」
僕はそれに負けず、気丈に言い返す。すると。
「洲宮……ああ、あの洲宮恋歌君の弟か」
少し考えてそう納得する御神楽代表。
「姉を知っているのですか」
「知っている。彼女は纏めるのに適しているからな。月一である各校舎生徒代表の集まりでも議長を務めてもらっている」
それは知らなかった。姉さんは御神楽代表からも認めてもらっているのか。
居心地が悪く感じ始めたので僕は早々に話題を切り出す。
「代表はこの学園の秘密を知っていますか?」
この質問に御神楽は手を顎に当てて考えて。
「……何のことだ?」
と、答えた。しかし、僕はそれを嘘だと見破る。
「御神楽代表、それは嘘ですね」
唇に笑みを浮かべて問い詰めた。すると御神楽代表は少し目を見開いて「何故そう思うのか?」と聞いてくる。
僕は集めていた用紙のコピーを御神楽代表に見せた。
「な……こ、これは?」
御神楽代表は震える手でそのコピーを拾い上げる。その眼は驚き一色で染まっている。
「この用紙に書かれていることが真実ならば中央校舎には何かがあるはずです。代表、あなたは何かを知っているのでは?」
そう問い詰めても御神楽代表は返事をしない。ずっとその用紙に見入っている。
しばらくの間、沈黙が流れた。用紙を読み返している御神楽代表とその代表の返事を待つ僕。先に動いたのは御神楽代表の方だった。
「君の望みは何だ」
刺すような気迫が僕の全身を包みこむ。僕は震えを隠しながら御神楽代表の思惑を図ることにした。
「望み、とは一体何故聞くのですか?」
僕の問いに御神楽代表は用紙のコピーを自ら生み出した電気で焼き切りながら。
「これは表に出てはならない内容だ。ゆえにこの真実を知る者は消さなければならない」
ただし、と付け加えて。
「それはその者が有害になると判断した時だけだ。洲宮君がこの事実を隠しておくと誓うのならば僕からは何もしない。だが、隠すだけでは洲宮君の得がない。だから、口止め料として君の望みを叶えよう」
「どんな望みでも」
そう聞くと御神楽代表は頷いて「可能ならば」と答える。
僕は笑みを深くして深呼吸、そして腹に力を込めて言い放った。
「なら、僕の姉さんを下さい」
御神楽代表は「はっ?」と言って目を点にした。僕はさらに続ける。
「この内容は皆に公表しません。その代わりに代表の人脈から強力な心理操作系を一人紹介してくれませんか」
僕の言葉の最中から御神楽代表が俯き震えているのにも関わらず僕は続ける。
「残念なことに今の僕の力では姉さんを操ることが出来ないのです。と、いうことで僕よりも力の強い者の助けを得て姉さんをあや……」
「ふざけるな!」
御神楽代表の一括により僕の言は途絶えてしまった。御神楽代表は眼に怒りの炎を宿しながら。
「姉を操って自分のものにするだと? 洲宮君、君は自分の言っていることが分かっているのか!」
「その通りです。何故なら、僕は姉さんに恋をしているからです」
「洲宮溪君、それは恋ではない。妄執だ、その想いは君の姉どころか自分さえも不幸にしてしまうだろう」
「それはご心配なく。僕は姉さんの幸せを第一に考えていますからそんなことは断じてありえません」
「だから……」
この話題では僕の心は揺るがないと判断したのだろう御神楽代表は話題を変える。
「洲宮溪君、君の姉は君のことを姉思いの心優しい人物だと聞いていた。しかし、その考えは改めなければならないな」
「ああ、そうでしょう。僕も自分を相当狂った人物だと自覚していますから」
「君の姉は立派な人物だ。その姉の近くにいる君が何故そんな狂った考えを抱いているのか」
「ふむ……そうですねえ。強いて挙げるなら立派な人物が近くにいたからこそこんな風に狂ってしまったのです」
「……何?」
御神楽代表が眉を吊り上げる。
僕はその様子を見て嗤う。
分からないだろう。生まれたときから恵まれて、何もかも自分の思い通りに進んできた者に僕のように劣等感に苛む者の考えは。
僕は生まれた時から比較されてきた。何をしても姉さんの影が付きまとい、自分のことなど外見しか評価してくれない。
ただでさえ心理操作系統は差別されやすい。友達も出来ず、僕に寄ってくるものは全員僕の容貌か姉さんの弟という評価だけ。そんな孤独の中、唯一姉さんだけが僕の傍にいてくれた。
そういう環境だ。孤独の元凶の一つである姉さんに対してある種の憎しみを覚え、しかし、姉さんだけが僕を見てくれるという救いもある。
憎しみと感謝。姉さんをめちゃくちゃに壊したい破壊衝動と僕には姉さんしかいないという依存心。そんなドロドロした暗い感情を長い間ため込むとどうなるか。それは火を見るより明らかだ。
「安心してください。第三校舎も各生徒代表の集まりでも一切干渉しないことを誓いましょう」
「そういう問題ではない! 他人を自分の思い通りに操ることが外道なのだ!」
「確かに外道かもしれませんがそれでお互いが円満に解決するならそれで良いと思いますが。ほら、姉さんを操ったところで計画に支障は出ませんし」
「確かにその通りだな。しかし、それを見過ごすことは人として僕が許さない」
「許さないと仰りますが代表はすでにそんな綺麗事を並べる資格があるのですか?」
「ぐっ……」
そこで御神楽代表は詰まる。おそらく心当たりがあるのだろう。僕はさらに攻勢をかける。
「よく考えてください。僕の望みは姉さんを手に入れることであり、真実を公表することではありません。代表は皆が真実を知ることを恐れている。ほら、何も問題はありませんよ」
そこまで言って僕は御神楽代表の返事を待つ。これで納得してくれたら僕としても嬉しいのだが。
「この場所は立ち入り禁止区域であり、何人も行方不明者が出ている」
唐突に御神楽代表が語りだした。その静かな音程に僕は警戒感を強める。
「と、言うことはだな。ここで誰かが殺されても、公式的には行方不明となるわけだ。洲宮君その意味がわかるかな」
御神楽代表が僕に水を向けてくる。しかし、僕はそれに答えることができずに、御神楽代表の体から発する冷たい殺気に冷や汗をかく。我知らず、手に持つ刀に力が入る。
「洲宮君」
御神楽代表の底知れない深い瞳が僕を見据える。
「最後に言い残したい言葉はあるかな」
僕はそれに返事せず、立ちあがって抜刀し、御神楽代表に襲いかかった。
僕は御神楽の右肩から袈裟切りに切りつける。対する御神楽はまだ立ってすらいない。「これはいける」と思った。しかし。
「馬鹿が」
御神楽は刀の横腹に掌底を打ちつけて軌道を変える。僕の第一撃目は御神楽の髪の毛数本を刈っただけで終わってしまった。
僕の体が泳いだ隙を見逃すわけがない。御神楽は立ち上がる力を利用して僕の肝臓部分に攻撃を加えようとする。
「……ちっ」
舌打ちして御神楽は横に跳ぶ。そして数瞬の後に左斜め下から僕の刀が通り過ぎた。
燕返し――あのまま攻撃してくれれば僕の肝臓と引き換えに御神楽の首を取っていたのに。
僕と御神楽の間に距離が出来る。僕が一歩近づけば刀が届く絶好の距離だ。だが、油断はしない。何か隠し玉がある危険性がある。
じりじりと僕が一歩近づけば御神楽が一歩下がる。囲炉裏を中心に半周ほどし、御神楽の後ろに出口が来た時、彼は身を翻して外に躍り出る。
「しまった!」
僕は慌てて追撃のカマイタチを放つが、焦っていたので狙い通りに飛ばなかった。
御神楽を追って外に飛び出た僕は周りを見渡すと、すぐに姿を見つけた。僕はニヤリと笑うが、御神楽が発する超然とした雰囲気に何か近づき難いものを感じる。
「これを使うのは久しぶりだな」
そう言って御神楽は懐から小さい刀――脇差を取り出した。
「そんなもので僕に勝てるのか?」
刀と脇差のリーチの差は軽く見積もって二倍以上。それぐらいの差があれば刀で切りあえばこちらが勝つ。
しかし、御神楽は僕の思惑を見据えたのか、そっけなく。
「馬鹿が、誰が刀で競うと言った?」
御神楽は脇差を利き腕でない左手に持ち替えて。
「僕の武器はあくまでこれだ」
そう言って拳を突き出した。脇差は盾にするつもりらしい。
刀を侮辱されて僕は怒りを覚え「ならやってみろ!」と叫び、御神楽に襲いかかった。
まずは突く。僕の持つ刀は二尺以上であり、対する御神楽の脇差は多く見積もっても一尺五寸ほど。そのリーチを生かして僕は突きを連発する。
だが、その突きが御神楽を刺し貫くことはなかった。器用に脇差を操って刀の軌道を逸らしてくる。僕は熱くなって乱暴な動作で突きを繰り出した時。
「甘い」
御神楽は脇差を刀の上に滑らせて刀の動きを封じつつ僕に近づいてきた。慌てて刀を振り上げようとしても脇差は重心を的確に押さえているのかビクともしない。
「ちっ!」
この状況をまずいと感じた僕は左手を離して僕の胸元を掴もうと伸びてきた右手とがっちり組み合う。その咄嗟の判断に御神楽は「素晴らしい」と感嘆の息を漏らす。
僕と御神楽は互いの息がかかるほどの距離でにらみ合う。
刀と脇差の対決は残念ながらこう着状態。脇差は刀が動かないよう絶妙な力加減で抑えている。何故脇差を僕に斬りつけないかというと、恐らく相打ちになることを恐れている。
しかし、素手での対決は残念ながら利き腕である御神楽の方が有利。時にいなし、時に押して素手での主導権を握ろうとしていた。
ついに御神楽の右手が僕の左手首を抑えられてしまった、左手首の関節がゴキリと嫌な音を立てる。
「ならばこれだ!」
僕は足を振り上げる。その動作に意表を突かれたのか御神楽は硬直し、その隙に僕の左キックが胴体へ直撃した。
御神楽は五、六mも大げさに転がったが、大してダメージを受けていないと悟る。
大げさに転がったのはダメージを受け流すため。そしてあれだけ距離を開ければ追撃は難しい。二つのメリットがある。
「素晴らしいのはどっちだか……」
僕は肩で激しく呼吸をする。左手が痺れている。折れてはいないようだがもう左手は使えそうにない。
そんな危機的な僕と対して御神楽はダメージを受けた様子はなく、表情に何の変化もない。隠しているだけかもしれないが、それは隠せるほどの余裕があるということ。
「さすが生徒代表は伊達じゃないな」
さすがの僕でも気付く。向こうが格上だと、このまま戦えば確実にこちらが負けてしまうという事実に。
カマイタチは飛ばせない。あの技は遠距離攻撃ができるが、放った後の隙が大きすぎる。考えなしに放つとかわされて硬直状態の僕に電撃で詰み。というパターンになってしまう恐れがあった。
「ならばやることはただ一つ」
僕は刀を一旦鞘に納め、前傾姿勢を保つ。最速の剣技である抜刀術の構え。これなら利き腕一本で放てる。これで勝負を決める。
そのただならぬ雰囲気に御神楽も足を止めてこちらの様子を窺う。
格上の者に対抗するには短期決戦に持ち込む他ない。長期だと絶対にジリ貧となってしまう。ならばいまだ余裕のある今に全てを賭けるしかない。
僕と御神楽との睨み合いが続く。お互いの隙を探していくつか型を変えて相手の様子を窺う。
そして、僕と御神楽が同時に踏み込んだ時、意外な人物が二人の間に割り込んできた。
僕の刀をステッキで受け止め、御神楽の拳が握られた腕を抑えている人物――
「ふう~、間一髪だったね」
「鍵塚……さん?」
僕は目を丸くしていたのだろう。そんな僕に鍵塚さんは二パッと笑って答える。
「全く、ここまで予想通りですと少し呆れますよ」
「カラス?」
いつの間にか鍵塚さんのすぐ横にあの女生徒が立っていた。御神楽が疑問の声を上げる。
突然の出来事に何も話せないまま硬直していた僕と御神楽に闇鴉さんは一瞥して。
「何があったのは分かりませんが校舎の敷地内で刃傷沙汰は御免です。ここは双方武器を納めて下さい」
そう慇懃に礼をする女生徒。僕は御神楽と決着を付けたかったが鍵塚さん相手に勝ち目はない。御神楽も自分達を止めた鍵塚さんを警戒しているのだろう。僕に斬りかかってくる気配はない。
「次はない」
そう言い残して御神楽は武器を降ろして一人森の中へ入って行った。
「放っておきましょう。代表ならばこれぐらいの敵を蹴散らすことなど雑作もないはずです」
闇鴉さんがそっけなく言う。冗談では無く本気で言っていることから闇鴉さんと御神楽との間にできた信頼関係を驚くとともに、「この森に潜む猛獣どもを雑魚扱いする御神楽と戦ってよく生き延びたな」と今更ながらにゾッとした。
「では、戻りましょうか」
闇鴉さんがそう宣言して指で輪を作り思いっきり吹いた。数秒もすると上空からバサバサと羽ばたき音が聞こえたので僕が見上げると上から純白のペガサスが下りてきた。
「きゃー! ペガサスに乗ったのは初めてです! これは自慢になりますよー!」
とか鍵塚さんが叫んでいる。僕はそんな様子を冷めた目で見つめながら。
「……これがあるのなら初めから用意しろ」
と恨み言を呟いていた。
「洲宮様」
無事空中散歩を終えた僕たちは中央校舎正門前に辿り着いた時に闇鴉さんが僕に話しかけてきた。僕が振り向くと、彼女は鍵塚さんをじっと見つめている。僕は彼女の意図が分かったので鍵塚さんに近寄り、指をパチンと鳴らす。途端に鍵塚さんは虚ろな表情を浮かべた。
「さて、何の話だ」
鍵塚さんを外したということは、あまり聞かれたくない話なのだろう。だから彼女に席を外してもらった。
「手を組みませんか」
闇鴉さんはゾッとするような低い声で僕にそう同盟を申し出てくる。
彼女の話に最初はあまり乗り気でなかったが段々と興味深く感じてきた。
「どうです? やりませんか」
彼女の提案に僕は深く考える。確かにそれは魅力的だが失敗する可能性の方が高い。そして、失敗すると僕は命すら含めて全てを失い、仮に成功しても僕はたった一つを残して全てを失うだろう。そんなばかげた提案、普通なら乗らない。しかし、僕は今あの御神楽から命を狙われている。
「わかった。やろう」
そう答えて僕は笑みを浮かべる。このままでは殺されるのだ。それなら最後に思い切った冒険でもしてみようではないか。
その日の夜。僕は久しぶりに充実感を得てあのもやもやした気分が全て吹っ飛んだ。そのせいか普段の料理にも気合が入る。
「けーちゃん、今日はどうしましたか~?」
姉さんもいつもとは違う味に驚いている。そうだろう、今回の出来は僕の作った料理の中でも三本の指に入る出来栄えだ。
僕は笑みを浮かべるが、姉さんの問いに答えることはしなかった。
第四章
「そんな事実はないと言っているだろう!」
目の前の生徒が苛々した表情で吐き捨てる。
彼は柔道部の主将。この第三校舎の中で屈指の戦闘力を持つ部の一つだ。そんな彼を僕は呼び出して予算の不正を責め立てる。書類上では合宿費となっているが、調べてみると名目上はそうだが、実態は単なる騙し――その柔道部員が宿泊施設に泊まった経緯はないのだ。前々から怪しいと思っていたが証拠がなかった。しかし、鍵塚さんが集めていた情報によって真相が解明できた。
柔道部の主将はなおも喚いている。そんな彼を僕は涼しい目で流して、あるタイミングを見計らってボソリと呟いた。
決定的な証拠を突き付けられ、意識に隙が出来た瞬間に暗示を掛ける。
人というのはどんなに意志の強い人間でも隙さえ見せてくれれば簡単に暗示に堕ちるのだ。
「さて、と。次は風紀委員の芝倉さんだな」
虚ろな目をした彼に暗示を掛け終わった後、僕は次の獲物に目を向ける。
剣道部エース塩柳さん、ボクシング部副キャプテン虎山君、空手部ホープ鳥川さんそして柔道部主将村木など体育会系の一騎当千の強者は大体抑えた。
全ては生徒会で知った情報と鍵塚さんが集めたネタが役に立っている。笑ってしまうほど簡単に事が進んでいく。
「姉さん、待っていてね」
唇の端を吊り上げながら僕は風紀委員会室に乗り込んだ。
「最近不穏な気配がしますね~」
姉さんの発した言葉に生徒会役員全員が頷く。その原因は上がってきた嘆願書や苦情が激減したからだった。
理由は洗脳した連中に『しばらく校則に反することは控えるように』と命令しておいたからだったのだが、少し度が過ぎたらしい、皆が不信感を持っている。少し反省しよう。
午後〇時五九分――僕は放送室にいた。あと数秒で一時となる。僕は深呼吸をして気持ちを落ち着け、放送室のスイッチを入れた。
ピンポンパンポーン
「あー、あー。マイクテスト、マイクテストです。聞こえていますか? ああ、それなら大丈夫ですよね。では、ここでお知らせを伝えます。これから一時間、戦争を想定した特別授業を行います。ある特定の生徒がこれから暴走します。ですので、力を合わせて彼らを止めて下さい。それでは失礼します」
そう言い終わった後、僕は手に持ったスイッチを押した。
すると校舎の至る所で爆発音が響き、遅れて生徒の悲鳴が僕のいる辺りまで聞こえた。
「ふむ……手製の爆弾だからさほど効果はないと思っていたから意外だな。結構皆パニックに陥ってくれている」
僕は放送室を出て傍に控えていた鍵塚さんを筆頭にこれまで集めた一騎当千の強者達を引き連れて歩く。
通常、四〇人クラスの内三人が先生の言うことを聞かなければそのクラスは学級崩壊になる。
考えてみればこれほどおかしなこともない。四〇人中三人。つまり七・五%という少数の生徒達によって残り九十二.五%が被害を受けるのだ。
第三校舎の在籍生徒数は約二〇〇〇人。この内の七.五%は一五〇人。さすがにこれだけの人数を操るのは骨なので別の方法を取った。
二〇〇〇人も在籍していれば必ずと言っていいほど今の体制に不満を持つ生徒が存在する。何も一から刷り込む必要はない。
校舎の秩序を破壊しろという軽い暗示を掛ける。つまり、ポンと背中を押してあげるだけで不満分子達は自ら考えて行動を起こすだろう。僕の役目はそれが暴発しないよう注意を払っておけばよい。
たった一五〇人。それだけの人数を操ることによってこの二〇〇〇人を擁する第三校舎は混沌の渦に叩きこむことが出来る。
「よくもこれまでやってくれたな!」
「ひ、ひいいいい!」
混沌はこういうものだ。これまでの常識が通用せず、ただ力の強い者が存在を証明できる。今起こっているのは嫌味な教師に対して今までの不満を生徒達がぶつけている最中だ。殴られたりされているがおそらく生きているだろう。
「うう……」
「痛い……痛いよぉ……」
廊下では生徒同士がぶつかり合い、呻き声を上げる生徒がそこら辺りに転がっている。
「団長! その座をよこせ!」
「そうだそうだ! 一人だけ恋歌様の賞賛を受けやがって!」
「それは誤解だ! 我はただ……」
「「問答無用!」」
学蘭親衛隊のリーダーが親衛隊員から袋叩きにされている。あまり知らなかったが親衛隊の内部では様々な事情を抱えているらしい。
「や、止めてくれ。僕はそんな趣味はない」
「そんなことはなしです。ショタコンランキング一位のあなたに一度女装をしてもらいたいのです」
ショタ同盟のメンバーが暴走し、これまで抑えていた欲望を解放させている。あのランキング一位の生徒は気の毒だろう。
全てが壊れていく。
姉さんが大好きだった生徒同士が醜く争い、姉さんが守りたかった校舎の秩序が目の前で崩壊していく。
これらの混沌を作り出した僕はそれらを見ても何の感情も沸かなかった。理由は分かっている僕の目的はこれじゃない。今まで僕の上辺だけしか見なかった奴らへの復讐の意味もあったが、それが果たされた今、もうこんな状況に意味を見出す事は出来なかった。
途中、逃げ惑う生徒と遭遇したが鍵塚さんが持ったスティックでこちらに向かってくる生徒を全て吹き飛ばした。
「しかし、彼らは本当に凄いよな」
芝倉さんという暗示を掛けた女生徒がいた教室を除く。するとまるで爆撃を受けたかのような惨状が教室内で広がっていた。
「そういえば彼女は確か爆弾を生成できたよな」
芝倉さんの能力は分子間力を自在に操れる。その力により個体として凝縮している金属など純物質の分子エネルギーを意図的に上昇させて爆発させた。
例えるなら水の沸騰だろう。水のままだと何も起きないが、その水に熱エネルギーを送ってお湯にすると発生した水蒸気により中の体積が膨張する。膨張した体積の逃げ場を作らないままさらに送ると、最後には容器が破裂してしまう。
教室を除いてみると爆発に巻き込まれたらしい生徒が黒こげとなってピクピクと痙攣していた。あの様子だとまだ生きているだろう。楽にしてあげようかと考えたがそんな無駄な時間を使いたくないので僕は放置した。
僕達は地下まで降りる。普段なら一〇人以上警備の人がいるはずなのだが、上の騒動の収集に駆り出されているのだろう。二、三人しかいない。
僕は懐から無地のスプレー缶状のものを取り出して上に刺さっている安全ピンを抜き、彼らの前に転がす。
「三、二、一……零!」
音こそ無いものの、カッと眩い閃光が辺りを強烈に照らす。
一瞬あっけにとられていた警備員達はその閃光を直視してしまったので目を押さえて転げまわる。
そして鍵塚さん達が同時に跳び出して目の見えない警備員達を瞬く間に組み伏せた。
「さて、行くか」
警備員をその辺に転がしておいて僕達は先へ進んだ。
「し、侵入者だ!」
異変に気付いた警備員が浮足立って抵抗してくるが僕が引き連れている者達の戦闘力は一級品。負ける道理はない。しかし。
「また一人脱落したか」
相打ちになり、倒れ伏した生徒を見詰めて僕はそんな感想を漏らす。
腐っても鯛。人数が少なかろうと彼らは侵入者を撃退するための訓練を受けたプロフェッショナル。一人、また一人とこちらの駒が減っていった。
「ここが『神の間』か」
最深部に辿り着いた僕はそんな感想を漏らす。一〇人以上いたのにここまで残ったのは鍵塚さんただ一人。計算外と言えば計算外の結果に僕はため息を吐いた。
この空間は夢宮学園に存在する全ての校舎に繋がっており、広さ、幅、天井の高さどれを取っても桁違いなものだった。ここから対面の壁が見えない。
その広大な空間の至る所に存在しているのが半径一m、高さ二mの赤い溶液が満たされた円柱ガラスだった。中には人間らしき生命が存在し、たまに動いている。
円柱ガラスの下から伸びているコードを辿っていくと、部屋の中央に鎮座するひと際巨大な円柱ガラスに行きついた。
「これが神の卵か……」
その円柱ガラスの溶液は赤色でなく、黄色だった。そして、中には人間がいるようだが、黄色の液が濃いのと三角座りをして俯いているので顔を確認できない。
「これを壊せば全ては解決だな」
この巨大な容器に毎年卒業生が飲み込まれ、この中にいる生物の栄養となっている。
僕は笑みを浮かべて鍵塚さんにこの卵を破壊しろと命令を下しかけたその時。
「洲宮――――――――!」
絶叫が響き渡り、鍵塚さんは突如飛来した円柱ガラスに衝突して吹っ飛んだ。円柱ガラスが割れて中の生物が溶液とともに流れ出る。
その生物がピクピクと痙攣している様子を眺めて飛んできた方向に目を向けるとそこには鬼の形相をした御神楽圭一が走ってきていた。
「貴様――――――――!」
再度叫んだ御神楽は拳を僕に全力で叩き付けてきた。僕は勢いを殺せずに少し後ずさる。
受け止めた手が痺れているがそれを表情に出さずに御神楽を見る。
『修羅の化身』と表現したほうが正しいだろう。目が血走り顔には血管が浮いている。そして怒りと疲労のためか全身を震わせていた。元が端正な顔なのでその変化が一層際立つ。
「早いですねぇ、御神楽代表。地下で繋がっているとはいえこの早さは以上ですよ」
「第三校舎に暴動が起きたと聞いたとき、僕はすぐに君の仕業だと目星がついた!」
「なるほど、その直感はすごいですね、褒めてあげましょう」
パチパチと拍手すると御神楽はさらに目尻を吊り上げて。
「貴様を生かしておいたのが間違いだった! あの時に殺しておくべきだった!」
「間違いなのはこの実験でしょう。さっさと終わらせるべきだと思いますが」
「終わらせてどうする! 僕達に死ねというのか!」
「しかし、何もしなければどんなに生きても三年で神の卵に飲み込まれて死ぬわけですから。それなら思い切って外に出ましょう」
「あの日誌を読んだだろう! 僕達人間が再び世界を支配するには神が必要だと!」
「生きるのに神は必要ありません。必要なのは生きるという意志だけです」
「意志だけで思い通りにならない! 現実を見ろ」
「どっちがですか?」
そう言って僕は言葉を切る。
「すでに時代は変わっている事実から目を逸らしているのは」
それ以上の言葉は要らなかった。御神楽が突進のごときスピードで迫ってくるのを迎え撃つため僕は千変万化を構える。
刀の横一閃が御神楽の髪数本をパッと散らしたのが印象的だった。
御神楽は僕の懐に潜り込もうとしたので一歩下がって距離を開ける。すかさず詰めてこようとするが僕は突きを放って御神楽を近付けさせない。
今回は前回の失敗を生かし、なるべく距離を取って戦う。悔しいが御神楽と接近戦を演じても全く勝ち目がない。
僕は突きを主体として隙を作らずに御神楽を追い詰める戦法に出た。その際に刀を掴まれないよう注意鵜を払う。
御神楽は走ってきたので息が上がっているが長期戦は分が悪い。援軍が来られたらまずい。
最初のうちは全然当たらなかったがやはり疲労が出てきたのだろう。少しずつ御神楽の制服に掠り始めた。
「ならばこれどうだ!」
分が悪いと悟った御神楽は横にあった円柱ガラスを叩いて穴を開け、中の溶液を僕に流し込んできた。
「くっ!」
思わぬ攻撃に一瞬怯みかけたがすぐに持ち直す。しかし、御神楽にとってはそれで十分だったのだろう。あっという間に攻撃が届いてしまう範囲内に侵入してきた。
「死ね!」
そう言い放ち、僕の右目に指を突き入れようとすると同時に僕は御神楽の胴体を両断しようとする。
そして次の瞬間。お互いの動きが止まった。
僕は御神楽の手を押さえ、御神楽は僕の刀を持つ手を封じている。
これは完全な膠着状態。どちらにとっても有利も不利もない。
「三、二、一……零!」
その掛け声とともにお互いが後ろに跳んだ。
僕と御神楽――約五歩分のスペースが空く。
そしてまた死闘が再開されようとした時、銃声が響いて僕の右足に熱が走った。
僕と御神楽が驚いてそちらの方を向くと。姉さんが拳銃を構えたままこちらに近づいてきていた。
姉さんって射撃の腕もあったのかと、僕はそんなことを考えながら足を押さえて屈み込んだ。
僕は痛みに顔をしかめながら姉さんの方を再度向いたとき――時が止まった。
あの時と同じ眼をしていたからだ。誰に関しても優しく微笑む姉さんがはっきりと怒りと悲しみの表情を僕に向けていた。
「ごめんなさい」
泣きながらそう呟く。あの姉さんのことだ、誰かに悪意を持つことなど始めてなのだろう傍目から見ても姉さんの動揺が確認できた。
「あの騒動はどうなった?」
無表情に御神楽が姉さんに聞く。すると姉さんは首を振って。
「生徒会長に暴動者全員の存在を消されました。第三校舎の生徒達は何で暴動が起きたのか、それどころか消された生徒の顔さえも忘れてしまいました!」
そう叫ぶように言うと姉さんは顔を覆って泣き始めた。姉さんには失礼だがその様子を僕はある種の快感とともに眺める。
姉さんが感情を表に出すことなんて僕を叩いた時以来だろう。あの時は一瞬だったが今回は長い間感情を出している。
「何を笑っている貴様!」
僕は笑っていたのだろう。その言葉とともに腹部に激しい痛みを受けて姉さんの方へと転がる。御神楽に蹴られた衝撃により危うく胃袋の中身が逆流しそうになった。
「つつっ」
僕は吐かないよう体を丸めていると、照明に照らされていた光が陰った。どうやら姉さんが覗き込んでいるらしい。
「……ごめんなさい」
そう懺悔しながら姉さんは僕の首に手をかける。顔を俯けているのでその表情は見えない。
「……ごめんなさい。もっと早くに気づけばよかったね」
姉さんの手に力がこもる。僕は首にかかる圧迫感を感じながら小さくつぶやいた。
「姉さん、顔を見せて」
すると姉は顔を上げ、キッと僕を睨みつける。滅多に見せない姉さんの怒りに僕は快感を覚えた。
「ごめんなさい! あなたを救ってあげれなくて!」
景色が遠くなり、感覚が失われ始める。薄れゆく意識の中、僕はある種の幸福感に包まれていた。
姉さん。やはり綺麗だ。その表情、その涙。普段見せない姉さんの素顔を見れるのは僕一人。ああ、僕はなんて幸せ者だろう。
そして、僕の唇はその叫びに対する答えを形作っていた。
ようやくするとこんな感じ。
姉さん、僕は十分に救われたよ。ようやく姉さんの本当の感情に触れることができたのだから……と。
「おかえり、姉さん」
ドアが開く音が聞こえたので僕は料理を中断して玄関に向かう。
すると案の定姉さんが靴を脱いでこちらに向かっている所だった。
「ただいま~、けーちゃん」
そう言って姉さんは僕と抱きついた。僕は姉さんの甘い匂いを嗅ぎながら柔らかい髪をなでる。
姉さんはもっと撫でてというように僕の肩に頭を預ける。
あの日、確かに僕は殺されそうになった。しかし、死ぬ寸前に僕は全ての力を振り絞って姉さんに暗示をかけた。
そう、僕の命令には絶対服従という暗示を、ね。
そしてその暗示に掛かった姉さんは僕が息できるよう少しだけ緩める。
まだ生きている僕を皆の前に置いて姉さんはこう宣言した。
「首謀者、洲宮溪は死にました」と。
姉さんは僕を抱き抱え、神の間を後にした。そして僕を連れて家に戻り、そしてどれだけ抵抗しても無駄なほど強力な暗示を姉さんに刷り込ませた。
暗示はあっけないほど簡単だった。校舎崩壊と弟の死。その二つを同時に襲われた姉さんは抵抗する意志を失っていた。
やりすぎだとは思わない。普段はフニャフニャして頼りないように見えるが、芯はとてつもなく強い。その鉄壁の壁を打ち崩すためにはどうしても校舎を崩壊させ、僕の死を間近で見せつける必要があった。
「姉さん、お腹空いた?」
僕はソファに座り、姉さんを膝の上で対面に座らせる。すると姉さんは僕の質問にコクリと頷いた。
「でも、もう少しで晩御飯だからこれで我慢してね」
僕は脇に置いてあったクッキーを口の中で咀嚼し、それを姉さんの口の中に注ぎ込んだ。
姉さんの温かい舌が自分の口内を舐める感じが心地良いのでしばらくそのままにしておく。
姉さんの舌が僕の口内を動き回る感触は最高なのだが、あまりに口付けを長くやりすぎたので姉さんは口を外して次のを催促し始めた。
僕は苦笑して次のクッキーを口に含み、唾液でどろどろになったクッキーをまた姉さんに口移しで運んだ。
洲宮溪はすでに死んだことになっている。ゆえに僕は誰にも知られるわけにはいかず、従ってこの家から出ることは許されない。
けれど不満はない。何故なら僕はようやく手に入れたから。
全てを犠牲にしてまで欲しかったもの――すなわち姉さんを手に入れることが出来たのだから。
第三校舎生徒代表、そして女神と崇められて崇拝されている姉さんの血一滴、髪の毛一本に至るまで全て僕のものだ。誰にも渡さない。
「さて、と」
三枚目のクッキーを姉さんに口移しで食べさせながら僕は今後のことについて考える。
できればこのまま過ごすのが理想だがあいにく姉さんは来年の三月で卒業して神の卵と一体になってしまう。
だが、そんなことは断じてさせない。卒業する前に何とか阻止する必要がある。姉さんは現在も第三校舎生徒代表を務めている。罷免されてもおかしくなかったが、首謀者である僕を自らの手で殺したことを評価されたのだろう。第三校舎の生徒の不満についても生徒会長によって全て忘れ去られたから問題はなし。
そして、校舎の不満分子を今回の事件で一掃できたことにより生徒会に舞い込む仕事の量が減った。さらに僕の指示によって煩雑だった命令系統を一本化することによって仕事の効率も上昇。だから姉さんはこうして毎日家に帰って来れる。
そして、嬉しいことに姉さんは先週付けで各校舎を統括する立場に留任している。これは好都合。僕は姉さんを通して情報を集め、神の卵を破壊する段取りを整える。
今回の経験から恐れるべきは生徒会長ただ一人だということを知った。
僕はあの闇鴉と連携を取り合い、奴を倒す算段を練る。そして、僕は姉さんと永遠に二人で暮らす。
「楽しみだなあ」
僕と姉さんとの間に出来た唾液の糸を指に巻き付かせながら僕は嗤う。
敵である生徒会長の正体は不明。姉さんに聞いても詳しい情報は得られず、容姿はおろか男か女かさえも分かっていない。そんな圧倒的不利なのに僕は嗤いが漏れてしまう。
姉さんと二人だけで暮らせる未来を考えたらそれだけで僕は力と知恵が次々と湧いてくる。
「姉さん、ずっと一緒だよ」
そう囁いて僕は姉さんを抱き締める。すると姉さんは「はい」と答える様に僕を抱き締め返した。
「と、いうのが今回の事件の顛末です。闇鴉様」
中央校舎生徒会室。下柳から報告を受けた私は唇の端を吊り上げる。
予想以上の働きだ。精々混乱をもたらすだけで精一杯だと思っていたがまさか第三校舎生徒代表を手に入れるとは予想外だった。
「やはり彼は私と同族ですね」
私は笑う。初めて邂逅した時からその直感を抱いていた。あの眼は狂っていると、目的のためなら手段を選ばない外道だと感じた。
その予想は当たり、私が少し助言をしただけでここまでの働きを見せてくれた。
「さて、次は誰を仲間に引き入れましょうか」
私は考える。あの鍵塚と名乗る女にあの用紙の所在を教えたのは私。その用紙は第三校舎だけではない。この夢宮学園に存在する校舎全てにあの用紙を隠してある。
そして、いつか今回のように狂った生徒がかかるのを待つか、見込みのある生徒を引き入れる。
「待っていて下さい、御神楽代表」
私はそう呟く。
全ては御神楽代表のため。彼が神の卵と一体化することなどあってはならない。神が許しても私が許さない。
私はいつか来る――洲宮姉弟のような理想の状況を私と御神楽代表に置き換えて想像し、歓喜に震えた。