3話
魔導師は僕を振り返った。床をなぞるように歩いて傍に来ると頭に手が置かれる。
「樂よ、お前は良い選択をしたな。必ずや私が立派な魔導師にして見せようぞ」
「……魔法使いは悪いことをしちゃいけない、でも魔導師ならいいんだよね」
僕がそう言うと彼は空中で右手をだし一本の杖が床から浮き上がりそれを僕に差し出す。よく分からないまま受け取った。
「うっ! ぐ、お、重い……何コレ」
「それは闇の重さ。お前が背負う一生分の闇の魔力が詰まっている。扱えなければ魔導師として成り立たぬ」
僕は体の重心が保てず尻もちをついた。彼は杖を軽々と持ち上げ僕に手を差し伸べてくれる。
「良いか、お前は既に魔法使いとして名乗ることは出来ぬ。堕ちた者として処刑に値する。だが魔導師とて、魔法使いと変わりはないのだ。ただ、扱える魔力に大きな差があるだけ、それだけなのだ。お前の父は何れ魔法警察に追われる身となるであろう。樂よ、正しい道を進むには時として悪の道を選ばなくてはならない。それを心に留めておくのだ」
彼は僕に優しくそう言ってくれた。道を外すことが悪いことじゃない、それを証明しなくちゃ。
彼の秘密や正体も全て知りたい。僕が選んだ道だから逃げることは出来ないんだよね。
「お前に新たなる力を授けよう、この魔法は色によって意味も力の大きさも違ってくる」
そう言い彼は僕に手をかざす。体が燃えるように熱くなり砂漠にいるみたいだ。汗が止まらず着ている服が汗で濡れてくる。
息も絶え絶えでいると今度は寒さが襲う。まるで真冬に氷水に突き落とされたかのようだ。
彼が手をどけると、感じていた寒さや暑さは消え代わりに得体のしれないやる気が漲ってきた。
手鏡を渡され覗き込むとトレードマークだった黄色い瞳はなく、水色と薄い赤色の瞳が見えた。
右が赤で左が水色だ。
「赤が意味するものは憎しみと怒り、青が意味するものは嫉妬と悲しみだ」
目をパチクリさせる。綺麗な瞳に胸が躍った。
「赤い力を魔道と呼ぶ。その力は地より稲突魔を呼び寄せ、お前が持つ魔法の威力が上がる」
「そうなんだ。すごい……」
「青は非道と呼ばれ、水魔氷結の魔法を幾多も扱える。だが欲望のために使ってはならぬ、身を滅ぼすぞ」
僕はしっかりと頷く。この力さえあれば父親を闇へ葬ることが出来る。
兄の仇を取るんだ! 絶対にこの手で……。
魔導師は窓の近くにある玉座に座ると僕に背を見せ窓の外を眺めていた。
「樂よ……私がお前を殺そうとした故、私を討ちに来たのだと言っていたな」
ドクンと心臓が鳴る。まさか今ここで殺される? 僕は不安と恐怖が募る胸で静かに頷いた。
「理由はそれだけではなかろう?」
彼は世界を変え神になろうとしている、それを言っているのだろう。どんな世界にするのか僕は詳しくは知らない。
ただ父親が、あいつは恐ろしい奴だと言い聞かされていたから悪い奴だと思い込んだだけかもしれない。
「魔導師様は――」
「オーヴ、だ」
彼は不意にそう言った。魔導師、魔導師と言われている彼にも名があったんだ……。
「オーヴ様は世界を変えようとしている、それはどんな世界なの」
彼は黙ったまま口を開いてはくれなかった。僕には話せないのか、それとも話す意味はないと思われているのか。
まだ魔導師になり立てだから……?
「いずれ知る。私の世界を知りたくば、私に仕えよ。そして誰もが跪く魔導師になるのだ」
椅子から立ち上がり僕の方に歩いてくる。すぐ目の前に立った彼は僕の頭に手を乗せる、撫でるわけでもなく乗せているだけ。
その時彼の手から眩しい光が放たれた。それは父親を消したあの光とよく似ている。
「安心せよ、お前を消すわけではない」
恐怖心を察知したのかオーヴ様がそう言った。しばらくして手が離されると僕の着ていた黒いローブは大きくなっていた。
指にしていた力を増幅させる魔法の指輪も甲高い音で床に落下する。
――違う……ローブが大きくなったんじゃない……僕が、小さくなったんだ
鏡を覗き込むと7~8歳ほどの子供が立っていた。嘘だ……僕は、13歳の認められた大人のはずだったのに。
これもオーヴ様の力、なの。
「私は大人と認められし魔法使い、魔導師が嫌いなのだ。呪いではない、案ずるな」
つまり子供が好きだと? そう言うこと?
考え込んでいると体が浮き上がりお腹がふわっとした。僕はオーヴ様に抱かれていた。
まるで自分の子でも抱くような優しくて温かいものを感じる。顔がすぐ近くにあることは分かった。けど覗けない。
覗いてしまえば僕はここにはいられない気がした、きっとオーヴ様の姿を知ることは死に匹敵するだろう。
「子供に退化したお前は日が浅いうちに能力、魔力を覗いて幼くなってくるだろう」
「幼く? つまり子供になるってこと?」
「そうだ。だが何も心配はいらない、分かったね?」
真っ白い手が僕の頬を優しく撫でる。彼は不思議な人だ、よく分からない。会ったばかりだからなおさらだ。
「はい。オーヴ様が心配いらないというなら僕は大丈夫」
「……いい子だ、樂」
そう言って胸に強く優しく抱き締められた。落ち着く、母親に抱かれるよりも安心するのはどうしてだろうか。
静かに目を閉じるとこのまま眠れてしまいそうなほど心地が良かった。
「……オーヴ様!」
「目が覚めたか? よく眠っていたね」
僕は膝の上で丸くなって寝てしまったらしく、彼はまるで猫でも愛でるかのように僕を撫でている。
来たばかりで何かあれば死の危険があるかもしれない世界で、寝てしまうなんて。
僕は膝の上に座り彼を背もたれにしてみた。怒ることなく僕のお腹辺りで手を組んでいる。
「オーヴ様! 客人です……っと、他のお客人をもてなし中でありましたか」
「いやこの子は違う。通せ」
いきなり現れた人間の兵士。剣を手にしている、オーヴ様に仕える人なのだろうか。
「さあ入れ!」
入ってきたのは真っ白なワンピースに身を包み、被ったフードから真っ赤な髪が見えている女の人。
僕は息をのんだ。
「メリダか。世界創作計画は進んでいるか」
「……フフフ、進んでいるわ。ただ反発する者がいて、黙らせてほしいの」
「すぐに行こう。樂、来なさい」
僕は恐る恐るオーヴ様の後をついていく。その時横にぴったりと白い女の人がくっついてきた。
「あなたは、誰? 愛らしい顔、その容姿、只ならぬ魔力を持っているみたいだけど?」
「ぼ、ぼくは樂。魔法使いから魔導師になったんだ」
「……つまり堕ちた者、になったわけね。いい選択だわ、オーヴ様にお仕えするなんて。いい子ね」
彼女は僕を抱き上げ彼の横について歩いていく。無言で歩く二人が何だか恐かった。
外に出ると紫の火花が散る大きな黒い渦が待ち構えていた。気味が悪く彼女の服をぎゅっと掴む。
「あら、恐がってるの? 可愛い子ねえ」
「メリダ、樂をこちらに渡せ。何故お前が抱いている」
「フフフ。ヤキモチかしら? オーヴ様のお気に入りをとりゃしないわよ、さあ僕。主の元へお帰り」
そう言って暖かな胸の中に戻された。彼は僕を思い切り抱き締めてくれる。
黒い渦の中に入る時彼はもう一度だけ強く抱き締めた。まるで心配ないよ、そう言ってくれているみたいだった。
渦を通り抜けるとそこは小さな村が広がっていた。
「ここは……のどかな場所だ。メリダ、どこにいるのだ」
「反発する者は皆、あそこにいますわ」
指を指す方を見ると大きな旗に、「恐ろしの魔導師を打倒せよ!!」と掲げられている。
それを見た瞬間僕の中で何かが暴れだす。よく分からない、自分でも制御できないほどの魔力? 彼らのところへ走る。
「今すぐその旗を降ろさないと僕が地獄に葬る」
「ん? 何だこのガキ。魔導師に加勢しようってのか!? へっ、ガキでも容赦は――!」
「……オーヴ様を悪く言うなー!」
手から放たれた黒い稲突魔が彼らを貫いていく。その場に倒れた人間はオレンジ色の炎に包まれ消失した。
極度の罪悪感が襲う。僕は、なんてことを……。
「それでよい。反発する者に少なからず罰を与えるのは当然のことだ」
「オーヴ様……でも僕殺しちゃいました……」
「死んでなどおらぬ。ただあの者たちは、闇の世界に堕ちただけだ」
彼の言うことはどこか理解できなかった。それは僕がまだ未熟な魔導師だからなのか。
それとも僕が馬鹿だから?
「樂よ。お前はよくやってくれた、魔導師の力を身に付ければ暴走もなくなるであろう」
「ぼくの中でもう一人のぼくが叫んでた。攻撃しちゃいけないって、でも止められなかった」
「本能に従ってこそ真の魔導師に近付ける。恐れてはいけない」
そう言う彼の目を僕は少しだけ見ることが出来た。
でもやっぱりただ恐ろしくてちゃんと見るには時間がかかりそうだと思った。
「さあ、邪魔は消えた。メリダ、この村を……頼むぞ」
「ええお任せを。小さな魔導師、また会いましょうね」
彼女はそう言うと村の中心にあるレンガ造りの家にその姿を消す。僕はオーヴ様と元の世界に戻った。