弱い、強い、握力。
「私の自慢は握力です!」
向かいの華奢な女の子が顔の前で手を丸めながら答えた。
腕は細くて白いし、特に強そうな感じはしない。
「まじ?じゃあ俺と握手してよ!」
宗大はいつでもどこでもちゃっかりしていやがる。
女の子は手をおろして、首を横に振った。
「えー、わたし、この子がいーなー」
女の子は、俺のジョッキを小指で軽く叩いた。
女の子の手を握るのなんていつぶりなんだろうか。
急に口元の吹き出物が気になりだした。
「これだからイケメンってやつはよ」
宗大は俺に耳打ちをして、静かに席に座る。
ちぇ、と口をすぼめる宗大の横で、俺たちは握手をした。
「えっ……」
俯きながら差し出してきた手を握り返したが、そっと握られるだけで、握力は感じなかった。
ただ、俺の手汗で溶けてしまいそうな初雪に包まれていただけだった。
「どう?」
ぷっくりと涙袋を作ってこっちを見つめる女の子。
左手の小指で小鼻を掻いて、笑顔を作ってみせた。
茶色がかった不思議でなめらかな黒目から、目を逸らせなかった。
「ずるいぞ啓介!」
手と手は引き剥がされた。
わたがしのように柔らかくて、氷のように心地いい冷たさ。
ジョッキを握っても、まだあの手が恋しかった。
「まじで強かったよ」
どうだったどうだった、と口々に聞かれて、俺はそう答えるしかなかった。
女の子は、小さく小指を立てて、満足そうに頷きながらレモンサワーを一息で流し込んだ。
ちょんちょん。
太ももをスマホでつつかれた。
『一緒に抜け出しません?』
スマホの画面には、大きな文字でそう書かれていた。
その横には、困り顔で俺の顔を覗き込んでいる可愛らしい女の子がいる。
唇はラメできらきらと光っていた。
俺もスマホで打ち込んで、その子と同じく落とし物を取るフリをして、女の子の足をつついた。
「ちょっと、お手洗いに」
女の子は手を丸めて、爪を眺めながら立ち上がった。
こちらを向いて、しーっ、と口に小指を当て、廊下へと飛び出していった。
「俺もちょっと外の空気吸ってくるわ」
俺もひそかに小指を伸ばして、酒を一気飲みした。
口触りのいい氷を一つ砕いて飲み込んだ。
席に四千円を置いて、ロングコートを羽織る。
「おい、どこ行くんだよ」
宗大は最後まで噛み付いてきた。
二人で逃げるんじゃないだろうな、と睨まれる。
「だから外だって」
嘘はついていないさ。
宗大の視線から逃げるようにふすまを閉じて女の子の後ろについて歩く。
ゆっくり小さく振られる腕。
長い廊下の冷気で赤くなった手先。
前髪のない薄い茶色のロングヘアー。
女の子の顔を照らすのは、電球から月明かりに変わった。
騒がしい繁華街の人の行き交いを避けるように、俺たちは路地の入り口に入った。
人の熱気がなくなり、深夜の冷え込みを肌で感じるようになった。
美怜さんは、白い息で手を温めている。
「なんで俺なのさ」
美怜さんは温めていた手を丸めて、顔の前に浮かせた。
「んー、直感ってやつ?」
美怜さんは視線を落として、口角をほんの少しだけ上げた。
酔い覚ましのコーヒーを買って、俺は一歩美怜さんに近づいた。
「どうして握力あるなんて嘘ついたの?」
スマホが光った。
見なかったことにしよう。
美怜さんの手に触れないようにコーヒーを手渡した。
「んー?嘘じゃなーいよ」
開かないや、と笑ってコーヒーをバッグにしまった美怜さんは言う。
俺の前に、そっと手が差し出された。
「啓介くんはどー思うのー?」
俺はもう、完全に握られている気がする。
「手の握力じゃないでしょ?」
さっきと同じように、俺は美怜さんの手を握った。
「ふふ」
美怜さんは、手の結び方を変えた。
溶けかけた氷のように、細くしなやかで柔らかい指。
今度は、ほどけそうになかった。
俺のレザーバッグと、美怜さんのショルダーバッグが寒さを切り裂いてゆく。
美怜さんは足を止めて、こちらを振り返って微笑んだ。
「せーかい」
真下から声が聞こえた。
俺の胸にこつんと頭を当てて、屈託のない子どものような笑顔で見上げられていた。
つややかな唇は、小さく震えている。
美怜さんのロングヘアーは水のようになめらか。
その頭は、俺よりずっと小さく柔らかい。
頬に、手が吸い込まれた。
「美怜さん……」
俺の唇にはレモンの匂いが残った。




