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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。

邪龍の住処に手を出すな!

作者: ヴァノ
掲載日:2026/05/01

 数ある作品の中から、本作を見つけていただきありがとうございます。


 物語を彩る緻密なSFガジェットと、虚構で現実を塗り替える理不尽な神話の戦い。少女たちが活躍する、痛快なサイバーパンク・アクションをお楽しみください。


 高級ホテルのバスルームを思わせる静謐な空間の中央に、無機質なヒューマノイド用の調整槽が置かれている。


 落ち着いたダウンライトの淡い光が大理石のタイルを優しく照らすその場所にはやや不似合いな代物だが、部屋の主である神格筐体(フレームコアユニット)の眠りを妨げるほど無粋ではないようで、満たされた高純度冷却ジェルにはさざ波ひとつたっていない。


 だがその平穏もまもなく、終わりを告げるようだ。デジタルのカウントがゼロになると同時に微かな機械音が、部屋の空気をわずかに揺らした。


 少女のために用意されていたセラミック製の人工骨格は白く艶めかしい。個々を繋ぐパーツは無く、淡く輝く流体関節によって繋がっていく。


 必要以上に人体を模した素体ではなく、可動部位の柔軟性や耐摩耗性を考慮したもののようで、消化器や筋肉などは見当たらない。その代わりに精巧なフレームで構成されたユニットが体の各部にバランスよく配置されていく。


 それは工業都市オーストラ・インダストラが誇る、最高傑作の名に恥じない『戦闘のため』の義体。


 戦術外骨格S.U.I.T.E.(スイート)の暴力的な加速に耐え、効率よく巨大怪獣を屠るためだけの(ヴェッセル)だ。


 その洗練された冷たい容器へ、神格筐体(少女の魂)が静かに接続される。


 瞬間、無機質な肢体を嘘のように生々しい実体が覆い尽くしていく。幾重にも重なり合う光の粒子は、冷たい流体関節を撫でるように滑らかな白い肌へ、そして柔らかな灰銀の髪へと丹念に書き換えていった。


 やがて微かな青白いノイズが弾け、美しい一人の少女の『相』が完全な形で実体化する。 小さな気泡がジェルの液面を揺らし、目覚めの時を迎えた彼女は静かに髪と同じ灰銀の瞳を開いた。


「あーれっくすぅ……しゃわぁー……」


 静かに調整槽の縁から身を乗り出した少女の動きは、ナマケモノのように鈍い……。


 神秘的ですらあった覚醒シークエンスを終えたばかりの彼女だが、どうやらまだ眠りが足りないようだ。防滑加工された大理石の床の上はあまりすべすべしていないのだが、ジト目の少女はのったりと仰向けで大の字になってしまった。


「はしたないですよ、ドヴェルグ(小人さん)


 無機質な機械音声が確かな呆れ声で少女を(たしな)める。だが少女の命令を無視する気は無いようで、少し部屋が明るくなった後に優しいシャワーが少女の体に降り注いだ。


 揮発性の高いジェルはすぐにさらさらと乾くようにはできているが、それでも多少はまとわりつくので少女は気持ちよさげに髪や肌から洗い流していく。やがて新しい体を洗い終えた少女は、少し喉を潤してから軽やかに立ち上がった。


「あとはよろしくね」


 少女が動き出してから間を置かずシャワーは止まり、旧式でアンティークな見た目のロボットがホイールを回しながら近づいてくる。その手に捧げ持ったふかふかのバスタオルを受け取り、少女はプライベートルームへと向かった。


「ちゃんと拭いてからにしましょうね? それから司令部への出頭は七時間後ですよ」


「うー……」


***


 見た目とは裏腹に彼女の寝室は、上質なファブリックと暖色系の間接照明でまとめられた大人の女性の空間だ。


 ほんのりと甘いアロマの香りが漂うベッドの上に、シャツ一枚で無防備に胡坐(あぐら)をかいて座り込む姿は本当にこの大人空間の主か? と疑いたくなるが、まぎれもなく彼女はこの部屋の主である。


 膝の上には両手で抱きしめるのに丁度いいサイズの『お兄ちゃん人形』がちょこんと乗せられている。彼女はゆっくりとぬいぐるみを胸に引き寄せたかと思うと、そのままぎゅっと抱きしめた。


「お兄ちゃん、おっはよー♡ 今日もお兄ちゃんはモコモコしているなぁー、ふへへ」


 灰銀の髪を乱しながらそのお腹に顔を埋めてわたわたと身悶えする姿は、たとえ誰かが見ていなかったとしてもちょっとその、アレではないだろうか? と心配せずにはいられない。


「ねぇ、お兄ちゃん。 あたしは昨日もすっごく頑張ったんだよ♡ ね? 褒めて、褒めて?」


「フッ さすがは僕のクロエだ。君は僕の理想の女の子だぜ!」 キラッ★


 最早だれにも止められない勢いで二人分の演技を続ける少女に、何の迷いもないのが恐ろしい。


「もう、なんか色々我慢できないぜ! 結婚しよう! クロエ!」


「う……うん♡  しゅきぃ! お兄ちゃん大しゅきぃいいい♡」


 三十分くらいは何も見なかったことにするだけの分別が、生活支援AIのアレックスには備わっている。


 彼はいつも通りの時間に少女の朝のルーティーンが終わった頃合いを見計らって、C字型のマニピュレータを器用に操り寝室のドアをノックした。


「クロエ、そろそろ朝ごはんの時間ですよ。書類にも目を通さないと」


「クロエって呼んじゃダメ! あとちょっとだけお兄ちゃんだけのクロエで居るんだもん!」


 アレックスはクロエが見た目こそ少女だが中身は良い大人であることを知っているので『もんはどうなんだろう?』と思ったが、彼は分別のあるAIなので特に何も言い返すことは無かった。


 彼女の蓄積されたストレスをAIである自分には、はかり知ることができない。ならばせめて少しぐらいのわがままは聞いてあげるべきだろうとアレックスは考えた。


「わかりましたドヴェルグ(小人さん)、あと30分だけですよ? 今日の朝食は蜂蜜バターのパンケーキ四段重ねとストロベリースムージーです」


 アレックスは彼女の素体であるヒューマノイドに消化器など備わっていないことを知っているが、そんなことには関係なくクロエが食事を楽しんでくれることもよく知っている。


 少し不思議(S F)ではあるが、それは些細なことである。


「……すぐ行くー!」


 クロエは奇矯なところはあるものの、アレックスにとっては敬愛すべき主人であった。なので多少はその扱いも学習して研鑽を積んでいるのである。


 だから彼のご主人様が今しがた届いた衝撃のニュース、


『四百年前に失われた伝説の廃都ジパング・メトロエリシアが発見された』


 を聞いたとき、凄まじい速度でワークスペースのコンソールへと直行していく姿を想像することは容易(たやす)い。


 少し考えて、アレックスはこの情報を朝食が済んだ後でそれとなく伝えることにする。主人の健康を守るよくできたAIである彼は、クロエが朝の習慣を滞りなく終えることを優先したのだ。


 だが同時に少し怒られることになるだろうとも思う。結局のところ彼女の探求心を満たすのはパンケーキではなく、未知の生データだけなのだから。


 クロエ・アルジェント ノヴァリア学術連邦統合司令部 直属特務部隊 戦術指揮官 兼 主任データ解析官とはつまり、そういう人物なのだ。 


***


 アレックスが部屋を出た直後、クロエはワークスペースのコンソールを叩き、秘匿回線を繋いだ。


 空中に展開されたホログラムモニターは、すでに発見されたばかりの廃都ジパング・メトロエリシアの輪郭を青白く映し出している。


 表層には模倣した元地域である日本らしい意匠を施した建築物の廃墟が目視できるが、見たところ消失から四百年以上も経っているわりには、崩壊も進んでいないようだ。


 ノヴァリア学術連邦の情報・通信の要『シリカ・ヴァレア』から、この高精細な初期スキャンデータを真っ先に回してきた共同研究者――リディアの仕事は相変わらず早い。


「ハイ、リディア。状況はどう?」


『おはよう、クロエ。データは送っているわよ。……けど、既に帝国の部隊が動き出してる。カスピア・ナフタの間近に出現したみたいね』


 次元航行都市の輪郭は、他の都市と連結するために巨大な一つの六角形(ヘックス)モジュールとなっている。帝国傘下の都市カスピア・ナフタとの連結は既に済んでいるようだ。


「……ついてないわね。あそこだと出張ってくるのは帝国の第三師団あたり?」


『もっと上。情報部では正規軍にも動きが見えるって……どうする?』


「行く」


 クロエの返答に迷いはない。


 送られてきたデータを凄まじい速度で展開しながら、彼女は灰銀の瞳を細めた。


「私たちの推論でしかなかったFLUX(フラックス)の実物が目の前にあるのよ? 帝国の連中がジパングの禁忌技術を破壊する前にオリジナル・データを回収する」


『本気? あなたの『大細工師の工房』なら広域探索はお手の物でしょうけど……正規軍のE.D.E.L.(エーデル)F-VESSEL(戦闘人形)……”ブリュンヒルデ”や”ドナー”あたりが出てきてもおかしくないのよ?』


リディアの声には共同研究者として以前に、クロエの友人としての焦りが混じっている。


『帝国のF-VESSEL(やつら)が介入する前に回収して撤収するなんて、時間がなさすぎるわ』


「技術部ご自慢の最新鋭高速艇があったでしょう? 今許可を取った。うちの娘たちを向かわせてるところ」


 モニターには司令部からのメールが届いていた。


『おっけぇ~♡』


 ふざけた上司だが、こういうときの話の速さは助かる。


 こうしている間にもクロエはコンソールを叩いて特務兵装展開や装備品出納・特別装備携行申請を次々と仕上げていく。


『S.U.I.T.E.-450 Rev.7 Mod.C "Cluster(クラスター)"』や『S.U.I.T.E.-450 Rev.9 Mod.E "Edge(エッジ)"』といった基本装備に、『CFP-EX "EXPLOIT(エクスプロイト)"』 のような多目的モジュラー装甲兼・使い捨て端末まで多くの項目が並んでいるがクロエの選択に迷いはない。


 リディアとの会話を続けながら必要な兵站を確実に揃えていくその姿には、先ほどまで「お兄ちゃん人形」を抱きしめていた少女の面影など微塵もなかった。


「カタログスペック通りなら、なんとか行ける、かな?」


『痕跡を残さない隠密性と、最短ルートでのゼロデイ・アクセス。軍の厳しい規格をクリアした最新鋭の泥棒ツール、今回の任務にはうってつけね』


 ホログラムモニターに極秘資料を含む高速艇のスペックが展開された。リディアの仕業だろう。


 直列に繋がった次元航路の各セクター通過速度、連続シフト耐久テストの結果——数値はどれも常識外れだ。


 全二十六層の異次元(セクター)を、AからZまで順に踏破するしかないショートカット不可の連続環状航路シーケンシャル・ループにおける絶望的なタイムアタックを成立させる移動手段として、これは間違いなく最適解と言える。


TRACER(トレイサー) Tactical Rapid Access Covert Extraction Rover』 


「行ける、この子なら!」


 まだ制式名も付いていない高速艇は、俯瞰してみると前縁と後縁たった二種類の直線だけで構成されたシンプルな翼型の機体だ。


 前縁は機首中央から左右に向かって鋭角に伸び、全幅の端で折れて後縁へと繋がる。


 後縁は緩やかなW字を描いて中央へ戻る。曲面は一切なく、全ての辺が出会う角度は徹底して統一されている。真上から見ると左右対称の矢じり、あるいは渡り鳥が翼を広げた瞬間を切り取ったような輪郭だ。


 横から見るとほぼ線にしか見えない。全幅に対して全高が極端に低く、中央部だけがわずかに膨らんでいるが、それも乗員を最大六名と物資を収めるための最低限の厚みに過ぎない。


 機体表面を覆う液状化金属コーティングは、力場との共鳴により入射した電磁波を熱へと変換・拡散する。可視光からレーダー波まで、触れたものをことごとく飲み込むその表面が最大限のステルス性を約束していた。


 だが、正直な感想を言うと、


『なんか、普通よね』


「もうちょっと、何とかならなかったのかな~、と」


『だよね』


「ねぇ~」


 あまり受けは良くない。


 だが別に目立つ必要は無いし、むしろこの方が良いのよね、と思いなおしクロエは次のタスクに移った。


『ねえ、クロエ。一つ聞きたいのだけれど……ジパングが漂流していた異次元(セクター)……仮に『α』として、この暴力的なスペックの高速艇なら自力で到達できると思う?』


「結論から言えば不可能ね。連邦の歴史上、多重次元の航路(ダストシュート)から完全に切り離された隔離空間へ外から物理的に干渉できた記録なんてほとんど存在しない。少なくとも既知の技術では一つも存在しないわ」


『ええ、同感よ。――なら、四百年以上前、ジパングという都市を丸ごとルート外の『α』に弾き飛ばして隔離し、今まで原型を保たせていた力って、一体何かしら?』


 ショートカット不可能な絶対の断層をこじ開け、都市一つを丸ごと次元の彼方へ隔離する力。


 その規格外の事象が意味する答えは既に二人の中にある。


 クロエは通信越しにニヤリと笑みを浮かべた。


『ええ。それこそが、私たちが喉から手が出るほど欲しいお宝』


「禁忌LETHAL(リーサル)級へ至るための(FLUX)、その何よりの証明よ。――帝国の野蛮な連中に壊される前に、絶対に回収するわ」 


***


 技術部の格納庫に到着したクロエに、騒音が叩きつけてきた。


 正面の大型シャッターはすでに開放されており、外気が流れ込んでいるというのに、格納庫の中は戦場じみた熱気と慌ただしさに支配されている。


 トレイサーの外部動力機関はとうに暖機を終えて低く唸りを上げており、機体の周囲に設置された格納庫の冷却システムへと吸い込まれる排熱が、開いたシャッターに向かって陽炎(かげろう)のように揺らめきながら流れ出ていく。


 整備用の足場では、交換を終えたばかりのパーツの梱包材をメカニックたちが手際よく片付けていた。


 出動命令からここまで、まだ一時間も経っていない。それでいてトレイサーはすでに出撃できる状態にある。機体の整備性の高さと、それを使いこなすメカニックの練度の高さがうかがえた。


 整備を終えたばかりのトレイサーの船体付近には騒がしい震源地が三つほどとりついており、クロエはそちらに視線を向けた。


 相変わらず見つけやすい、クロエ特務隊に所属する三人の部下たちである。


「あ、隊長きた」


 最初にクロエに気づいたのは、機体下部の点検ハッチに半身を突っ込んでいた小柄な影だった。赤毛を揺らして逆さまになったまま片手を振る。


「ちょっと待ってくださいよ~、今いいとこなんで!」


「いいとこって何よ?」


「運航前の目視点検で~す! テスト航行で次元シフト連続十二回もしてますから、診断機だけだと見落としがあるかもしれないので!」


 答えながらも手は止まらない。クロエは内心で一点、合格の評価を下した。


 足場の下では二人目が、ホログラムモニターを四枚同時に展開している。


 アイスブルーの瞳を細めて睨みながら格納庫の移動式コンソールを叩いていた少女はクロエに気づくと、手短に報告を寄越す。


「航法AIのウォームアップ完了。各セクターの最新次元断層データも流し込んだ。――クロエ様、カスピア側の帝国艦隊の動きが少し速い。予定より一セクター分、到着が早まるかもしれません」


「どのくらい?」


「楽観的に見て三十分、悲観的に見て一時間」


「悲観的な方で計算して」


「了解です」


 そして三人目は。


 クロエが機体後部へ視線を向けると、カーゴハッチの縁に腰かけた真っ白な人影が、足をぶらぶらさせながら携行食をのんびり食べていた。


「あ、お姉さまおはようございます♡ ご飯食べます? あんまり美味しくないけど」


「いらない。装備の確認は」


「終わってますよ~。エクスプロイト全基、ペネトレーション・エッジも異常なし。スイートの同期チェックも完璧です」


 言いながら携行食の最後の一口を飲み込み、ぽんと手を叩いてカーゴハッチから飛び降りる。着地と同時に背筋が伸びた。靴底が格納庫の床を叩く軽い音が響いた瞬間――彼女の左右には、すでに残りの二人が音もなく整列していた。


「クロエ隊、全員出撃準備完了です」


 クロエは満足げにうなずくと、手短に指示を飛ばす。


〇一〇〇(ゼロワンハンドレッド)、ブリーフィング・ルームにて作戦指示を行う。”ランタン””フロスト””ウィスプ”の各員は速やかに移動せよ!」


 先ほどまでの陽気な空気は嘘のように消え去った。


 一切の瞬きすら忘れ、人間性を削ぎ落とした冷徹な表情でクロエを見つめる三人の姿は、精巧な戦闘人形そのものだ。


「「「要求受諾(タスク・アクセプト)。イエス、お姉さま(マム)♡」」」


 凛々しい敬礼の直後、三人は示し合わせたようにクロエにウインクを飛ばす。


 ノヴァリア特務仕様C級F-VESSEL(戦闘人形)たちの機械的統制システム・コントロール賞味期限は、たったの一秒も保たないらしい。


 語尾の特大ハートマークを幻視し、クロエは深刻なバグを疑い始めて額を押さえた。


***


 クロエが踵を返してブリーフィングルームへの通路へ向かいかけたとき、背後から小走りの足音が追いかけてきた。


「あ、隊長ちょっと待ってください!」


 声の主はランタンだ。赤毛をツインテールにまとめた三人の中でいちばん活発な少女が、クロエの腕をひょいと掴む。反射的に振り払おうとした手が、続く一言で止まった。


クラスタ(戦術外骨格)のローカル調律サーバー、稼働前チェックさせてください。五分だけ」


 ……それは、断れない。


 B級F-VESSELであるクロエの主装備”クラスタ"はただの装甲ではない。ローカル調律サーバーとして機能する三人娘を含む部隊のネットワークハブであり、全隊員の精神的基盤の安定度に直結する。


 戦場でサーバーが不安定になれば、公理制御に支障をきたすのはクロエだけではないのだ。


「素体が新品ですからね。クロエ様の前の義体とはフレーム定数が異なります。旧データでサーバーを起動した場合、調律精度が最大十二パーセント低下する試算が出ています」


 それを誰より熟知しているのが情報処理を担当するフロストである。彼女はアイスブルーの瞳を細めて淡々と補足した。


「……十二パーセント」


「はい。私たちの公理制御の安定性にも影響します」


 クロエは一瞬だけ目を閉じた。


 十二パーセントは無視できない数字だ。作戦行動中に部下たちが行動に支障をきたせば、それはクロエの責任問題となる。指揮官として許容できる誤差ではない。


「わかった。やって」


「「「ありがとうございます♡」」」


 三声が揃った。ハーモニーが綺麗すぎる、とクロエは思ったが口には出さなかった。


***


 格納庫の隅、トレイサーの胴体が作る影の中に、ちょうどいい高さの整備台がある。


 クロエはそこに腰かけさせられ、渡されたクラスタのコアユニットを膝の上に置いた。


「仮装備でいいの?」


「はい。フルロックは後でいいです。まず体に当てるところから」


 ランタンがあっさり言う。


 クロエは少し考えてから、コアユニットを胸元に当て、仮固定のラッチを一つずつ留めていった。カチ、カチ、と短い音が続く。


 新品の素体に初めて外装が触れる感覚は、いつも少しだけ奇妙だ。自分の体のはずなのに、輪郭がまだ定まっていないような——馴染む前の、わずかな違和感。


 三人はその間、黙って見ていた。


 フロストの視線がデータパッドと自分の間を行き来している。ランタンは腕を組んで首をかしげている。ウィスプはただ、穏やかな顔でクロエを見ていた。


 見ている、というより——確かめている、に近い目だった。


 仮固定が終わったところで、フロストが口を開く。


「では、コアへのアクセスから始めます」


 フロストの指がクロエの胸元——外装パネルの固定ラッチに触れる。カチ、と小さな音がして、クラスタの前面パネルが外れた。


「――っ」


「動かないでください。接続ポートの確認をします」


 フロストの声は変わらず事務的だった。その指先がコアユニットの周縁をなぞり、接続状態を一つ一つ確かめていく。その動作に迷いはなく、確かに技術的な手順を踏んでいる。


 踏んでいる、のだが……。


「隊長〜、背面のサーバーラックも見ます?」


「必要なの?」


「外骨格のバックフレームとサーバーの物理固定部が、Rev.7から新しいロック方式になってるので〜。振動試験のデータだと、旧フレームとの互換で稀にズレが生じるって報告が」


 ランタンがそう言いながら、クロエのジャケットの裾に手をかける。


 その動きの、わずかな遠回りには気づいていた。


 気づいていたが——それを指摘するには、この作業全体を止める必要がある。止めるには相応の理由が必要で、今ここでクロエが持ち出せる技術的な反論は残念ながら存在しなかった。


「……やって」


「やった〜♡」


「なんで嬉しそうなの」


「だって隊長の体、また少し変わりましたよね。素体が新しくなると微妙に違うから、確認したかったんです♡」


 さらりと言われて、クロエは微かに眉を寄せた。


 新品の素体に乗り換えるたびに、三人娘は必ずそういうことを言う。サーバーの精度確認だとか、フレームの馴染み具合だとか、もっともらしい言葉をつけて。


 クロエの解釈では、それは調律サーバーの感度校正に関わる話だった。


 ハブたる自分の状態を把握することが、彼女たちの安定に繋がる。だからこそ彼女たちはこうして律儀に確認をしに来る。それはクロエという機能に対する、合理的なアクセスだ。


 そう、理解していた。


「……お腹周り、少し細くなりましたね」


 耳元でフロストが静かに言った。採寸テープを外しながら、ほんのわずかだけ声が柔らかかった。


「素体規格の差かしら?」


 クロエは少し目を伏せた。自分の『相』固有の問題だろう。文句を言う筋合いはない。ただ——柔らかすぎるのは、少し困る。


「そうですね」


 フロストはそれ以上何も言わなかった。データパッドに数値を打ち込み、次の計測へ移る。


 ウィスプがソックスを脱がして足首のクリアランスをフレームゲージで確認している間、ランタンは背面サーバーラックの固定を手早く確かめながら、何でもない口調で言った。


「隊長、今朝はちゃんと繋がりましたか?」


 クロエは少し間を置いた。


「……何の話?」


「調律の話ですよ〜。新品の体って、最初の接続が一番繊細じゃないですか。ちゃんと安定してるかなって」


 F-VESSELにとって公理制御の安定とは、感情と本能を適切な範囲に収め続けることを意味する。人間と同じ構造の感情回路を持ちながら、それに支配されない——その綱渡りを可能にするのが調律だ。


 そして調律を安定させる最も原始的な方法が、『心の拠り所』を持つことである。


 この世界における理想の形は、信頼できる男性をパートナーとして得ることだ。だが男女比が一対一万とも言われるこの時代において、それがどれほど非現実的な話かはクロエもよく知っている。だから彼女には代わりがある。都市の中枢機能が生成する擬似信号——形だけ整えられた仮の理想が、彼女の調律を支えている。


 朝、ぬいぐるみを抱きしめる三十分は、その接続を確かめる儀式だ。


 アレックスはそれを知っている。だから何も言わない。


「問題ない。アレックスが確認している」


「そっかあ」


 ランタンはそれ以上聞かなかった。


 ただ、背面の作業を終えた彼女の手が、サーバーラックとは関係のない場所に、ほんの一瞬だけ軽く触れた。肩甲骨の内側を少しだけ。


 クロエはそれを、調律信号の感度確認として処理した。ハブたる自分の状態を直接確かめることが、彼女たちの安定に繋がる——ちゃんと合理的な理由がある。


 「そうっすよね~」


 ランタンの大きな声のせいで、クロエには聞こえなかった声がある。


 ウィスプがほとんど息だけで、フロストに向かって呟いた一言。


『……ね、フロストちゃん。私たちって幸せだよね』


 フロストは何も答えない。ただ少し前には最終入力を済ませたはずなのに、データパッドのキーボードを打つ振りを続けた。

 

***


 七分が経過した。


 フロストが静かに口を開く。


「サーバーコアの接続精度、定格の百二パーセント。調律信号の安定性も良好です。作戦行動中の誤差はゼロと見ていいでしょう」


「……五分って言ってたわよね」


「作業が丁寧になりました」


 一切悪びれない。クロエは短く息を吐いた。


「ウィスプ、そっちは——」


 振り向いて、言葉が止まった。


「あ、こっちも終わりました♡」


 ウィスプが無邪気に片手を挙げる。


 その手に、丁寧に畳まれた布が抱えられていた。


 クロエは自分の現状を、一拍遅れて把握した。


 足首のクリアランス確認という名目で始まったはずの作業が、いつの間にか下半身まで及んでいた。レギンスのインナーが、綺麗に——本当に綺麗に——折り畳まれて彼女の腕の中にある。


 「いつ」「どのタイミングで」「どうやって」という三つの疑問が同時に浮かんだが、答えは出なかった。


「……ウィスプ」


「はい♡」


「それはいつ脱がした」


「ランタンちゃんが背面の作業してるときに〜。お姉さま、フレームのフィット感どうでした? きつくなかったですか?」


「そっちを先に聞くの!?」


「だって大事じゃないですか〜。ここが合ってないと長時間行動で疲労が蓄積するって整備マニュアルに——」


「返して」


「はい♡」


 ウィスプは言われた通り素直に返した。畳み方が丁寧だったのが、逆に腹立たしい。


 ランタンが背後で肩を震わせている。フロストは正面で画面に何も表示されていないデータパッドを操作したまま、微動だにしない。


 インナーを受け取りながら、クロエはため息をつく思いだった。


 七分間、ランタンとフロストに意識を引っ張られ続けたその間——最も静かに、最も確実に、最も丁寧に仕事をしていたのはウィスプだ。いつだって彼女はそうなのだが。


(なんであんなに手際がいいのよ……? ホントにいっつも!)


 その問いに、クロエはやはり答えを出さないまま、インナーを穿き直した。


「行くよ。ブリーフィングは予定通り〇一〇〇(ゼロワンハンドレッド)


「はーい!」


「了解です」


「いっきまーす♡」


 三人が並ぶ。クロエが前を向いて歩き出すと、その後ろをついてくる足音が三つ重なった。


 ランタンとウィスプが小声でひそひそ話しているのを、フロストが短く制している。


 聞こえないふりをすることに、クロエは慣れていた。


 もしも振り向いていたなら、気づいたかもしれない。三人の視線がどこを向いているか。データパッドでも、サーバーのステータスでも、遠くの機体でもなく


——クロエの背中を、いつでもただまっすぐに見ていることに。


 三人娘の公理制御は、今日も安定している。


 ローカル調律サーバーとして正常に稼働する自分の存在が、仮の信号を安定して中継できているから——そう考えるとクロエは少し嬉しくなる。


 彼女の解釈は半分だけ、正しかった。


***


 発進カウントが終わった瞬間、世界が消えた。


 正確には、トレイサーが次元断層への突入加速を開始した瞬間、全員が座席に叩きつけられた。


「――っ、ちょっと待って、これ何! 隊長! 隊長ぉおお!!」


最初に絶叫したのは、パイロットシートのランタン。


「聞いてたのと全然ちがう!」


「逆スペック詐欺ですぅ……これ……」


三人の声が重なった。


「『暴力的な加速をお楽しみください』って、コレかぁ」


 クロエは座席のアームレストを両手で掴んだまま、歯を食いしばって前を向いていた。格好よく平然としていたかったが、頬の肉が横に引っ張られているのを自覚している。これは無理だ。シフト中は部下たちに顔を向けるわけにはいかない。


「技術部ご自慢って言ったのはクロエ様じゃないですか! これまだ絶対完成してませんよ!」


「次元マンタの潜航メカニズム解明がどうとか言ってたなぁ……変態どもに技術を与えるとこうなる……」


「ダメじゃないですか!」


 フロストが珍しく声を荒げている。普段の三割増しで感情的だ。


 ランタンが何か言おうとしているが、加速Gで声が出ないらしく、口だけぱくぱくしている。もはや自動航行がまともに機能することを願うしかないが、この暴力的状況で彼女を責めるのは酷だろう。


 ウィスプは静かだった。静かに、完全に、目を閉じて座席に沈んでいた。起きているのか気絶しているかの判断がつかない。


「ウィスプ」


「……はい♡」


「生きてる?」


「……生きてます♡」


 間があった。


「……お姉さま、これってあと何回シフトするんでしたっけ」


「十二回」


 ウィスプが何も言わなくなった。


***


 三回目の次元シフトが終わったあたりで、三人娘は文句を言うことを諦めた。


 体が慣れたわけではない。ただ声を出す気力が全員から失われていた。


 フロストはシートにガッチリ固定したデータパッドに表示した情報ウィンドウを無言で睨んでいるが、操作する指にはいつもの軽やかさが無い。ランタンは頭を座席の背もたれに預けて天井を見ていた。ウィスプは変わらず目を閉じている。しかし定期的に呼びかけると「……はい♡」と返事をするので生きてはいるのだろう。


 クロエはメインコンソールを叩き続けていた。


 次元断層データの更新。フロストが流し込んだ最新データと照合しながら、到着後の展開シークエンスを組んでいく。ドローンの放出順序、優先探索エリアの設定、回収目標のデータの形式予測——やることは山積みだ。


「クロエ様」とフロストが言った。


「何?」


「流石ですね……この状況で」


「義体の慣らしには丁度いい環境よ」


「慣れるものなんですか、これ」


「この程度で使えないならE.D.E.L.(エーデル)F-VESSEL(エフ・ヴェッセル)相手だと……ゴミね」


 私たちでは役に立てないだろうか、そう聞くことは躊躇(ためら)われる。


 俯いたフロストは少し黙った。


「……もし戦闘になったら」


「勝てない。いつもの怪獣相手じゃないわ。気配を感じたら全力で逃げなさい」


「……はい」


 下唇を少し噛んでから、フロストはデータパッドに視線を戻した。


***


 合計十三回、地獄の次元シフトを経てトレイサーは最後の減速を終え、ジパング・メトロエリシアの外縁部上空に到着した。


 作戦時刻は〇七〇〇オーセブンハンドレッドを回ったところだが、航路の次元差により、現在このセクターは深い夜闇に沈んでいる。


「帝国の索敵網、現在の死角はジパング南東地区周辺。建物密集地帯を縫えば視認リスクはほぼありません」


 フロストが航行中に逆算し続けていた索敵データを、簡潔に報告する。その声に迷いはない。六時間かけて積み上げたデータが、今この瞬間のために収束している。


「ルート確定。ランタン、ステルスモードへ」


「了解でーす」


 ランタンの指がコンソールを叩くと、トレイサーの機体が、音を飲み込んだ。

 

 主機関であるF-BLADE(外部動力機関)の駆動を極限まで落とし、莫大な推進熱の発生そのものを絶つ。


 代わって航行中に蓄積した電気エネルギーがステルスモード専用スラスターと電磁場アレイを静かに起動させ、無音・無排熱の滑空態勢へと移行した。


 機体は本来の姿である『完全な沈黙(ステルスモード)』へと移行して闇に溶け込んでいく。


 トレイサーは建物の間を縫うように高度を下げていった。


 窓の外を廃都の景色が流れていくのを、クロエは黙って見ている。


 そこは帝国の大規模軍事侵攻に晒され、FEARGRIEF(フィアグリーフ)が臨界を超え、禁忌を宿した機体によって消失した——はずの都市だ。


『それにしては……』


  次元回廊から切り離されて四百年以上経過した都市は資料で確認した当時と、さほど変わらない姿を保ったまま眼下に広がっている。


「目標地点、確認。商工業地区、大型物流施設です。搬入口の高さ、幅ともに格納形態で通過可能」


 滑り込むように、トレイサーが大型物流施設内の舗装路へと侵入した。着地の瞬間も音一つ立てない。


 予想以上にすんなりと着陸を終えたが、彼女たちに一切の油断はない。


 操縦士であるランタンに最終的な機体の隠蔽を任せ、舗装された路面上をゆっくりと移動しているトレイサーから戦闘人形であるクロエたちは、素早く離脱する。


  彼女たちはそのまま素早く散開すると、即座に施設周辺の警戒態勢へと移行した。


『格納形態、移行します』


 通信越しのランタンの音声と同時に、トレイサーの翼が折り畳まれていく。渡り鳥が枝に止まるために翼を畳むように——全幅が縮小し、機体がコンパクトな形状へと変形した。


 機体はそのまま大型搬入口前のスペースで停止する。


『完了。隠蔽(コンシール)モードへ移行します』


「了解。ランタンはそのまま隠蔽を維持。他は内部制圧へ移行しろ」


 クロエはそれだけ言って、大型倉庫内への侵入を開始した。


***


 外観からの予想通り、天井の高い大型の倉庫スペースだ。天井はトラス構造の鉄骨が剥き出しになっており、工業用の巨大な照明が等間隔に設置されている。

 

 倉庫内は暗かったが、四百年以上が経つというのに構造物は原形を保っている。整然と並んでいる資材棚は空だが、倒れてすらいない。床面に積もった埃の量が、時間と釣り合っていない気がした。


 クロエのセンサーが自動的に周囲の虚構浸食(汚染)を計測し、網膜に投影する。


 帰ってきた数字は明らかに——おかしい。


「フロスト」


『はい。私も同じデータを見ています』


 フロストが先読みして答えた。


虚構浸食公理率(フィア)値、想定の十パーセント以下です。巨大怪獣(MSGK)の活動痕跡も検出されていますが——汚染の進行が著しく低い』


「自然減衰では説明できないな」


『はい。精確には広域探索でデータを集めてからになりますが、何者かが能動的に保全し続けている可能性が——』


「高い」


 クロエは断言した。


 これが一つ目の異常だ。二つ目は、さらに単純だった。


 ウィスプが天井を見上げながら呟いた。


「四百年経っているんですよね、ここ。壊れてないっていうか、うちの格納庫より綺麗だったり?」


「正確には四百二十二年だな。さすがに綺麗ではないけれど——壊れていない、は正しい」


 クロエは施設の壁に触れた。コンクリートの感触が手のひらに返ってくる。経年劣化は年月相当にも思える。


 ただ巨大怪獣たち(メスガキども)が本能のままに汚染をまき散らしていれば、これほど保全された状態は考えにくい。


 では、何が——


 その問いに答えるものが、センサーではない何かに引っかかった。


 かすかな、揺らぎ。クロエは少し目を閉じる。


 索敵データには映らない。電磁波でも熱源でもない。クロエの直観だけが拾う、不正な公理の気配。


 何かが、いる。


 敵意ではなかった。怒りでも警戒でもない。ただ——いる。この廃都の至る所に、何かが満ちている。


「……」


 二重の異常。想定より低いFEAR値。能動的な処理の痕跡。公理の揺らぎ。


 獲物の気配を感じ取る強欲な捕食者としての直感、それが静かに歓喜していた。


 これは——


「お姉さま」


 ウィスプが隣に立っていた。いつになく真剣な目で、クロエを見ている。


「何かわかりましたか?」


「まだ何も。でも——」


 クロエは灰銀色の目を開けた。


「ここに来て正解だった」


***


 倉庫内の安全確認を一通り終えたクロエたちは、目の前に広がる空間を見渡す。


 天井まで十二メートル。奥行きは百五十メートルを超え、幅は百メートル以上。荷捌き場(トラックバース)の床面は広く空いているので、『工房』を展開しても問題は無さそうだ。


「確認します」


 ウィスプがデータパッドを構え、スキャンを走らせる。床面の強度、天井の構造、搬入口の方角——数値が順に返ってくる。


「問題ありません。アンカーの打ち込み深度も確保できます」


「ランタン、トレイサーの隠蔽は?」


 通信越しにランタンが応答する。


『別棟の倉庫内へ移動、隠蔽完了です。熱源も電磁波も完全にシャットアウト。外からは何も見えません』


「フロスト、帝国軍の動向は」


 既に合流済みのフロストは手短に伝えた。


「現在、第三師団所属と思われる部隊が北西地区で展開中。こちらに向かう兆候はありません。ただし——」


 フロストが一瞬だけ間を置いた。


「帝国正規軍及び同盟国艦艇と思われる部隊の動きを確認。合流後に索敵範囲が拡大する可能性があります」


『余裕はない、か』


 クロエは三人に背を向け、倉庫の中央へ歩いた。


 一呼吸。


「工房を展開する。ウィスプはサポートについて。他の二名は警戒網の構築を」


***


 クロエとウィスプを残し、場に静寂が落ちた。


 意識を、全身へ向ける。左右対称に懸架された八基の多目的モジュラー装甲(エクスプロイト)が、クロエの内包する戦術神格”ドヴェルグ”に反応して、一基、また一基と起動していく。


 ウィスプがクロエの隣に寄り添い、虚構公理の行使(大魔法)のサポートを行う。声は出さない。彼女の役目は、工房の仕様を決定するクロエに代わり、静かに設置する位置を合わせる事だ。


 衣が解けるように、八基のエクスプロイトがクロエの躰から離れていく。それらは重力に逆らって宙に浮き、彼女を中心にゆっくりと旋回する。


 続いてシステマチックな第二形態への移行が始まる。身にまとう装甲の形を捨て、地面に根を張るための形状へ。鋭く、重く、動かない形へ。エクスプロイトの虚構公理代理射出形態であるアンカーが音もなく出現する。


 白い少女(ウィスプ)がわずかに息を吐くと同時に、八基のアンカーが、目標を定めた。


 クロエの工房が展開される範囲の頂点——八方向へ、それぞれが向かう。ウィスプの指先が微細な調整信号を送り続け、各基の軌道を精密に補正していく。一ミリの誤差も許さない。


 クロエが右手を持ち上げて、静かに振り下ろす。


 八基が同時に落下し、深々と床面に刺さった。


 次の瞬間——


 倉庫スペースに、骨格が伸び、壁が張られ、屋根が閉じていく。音がない。爆発もない。煙もない。ただ静かに、あるべき形が、あるべき場所に、構成されていく。


  職人が(のみ)を入れるように。彫刻家が余分を削るように。廃都の一角が、静かにクロエが支配する領域へと完成していく。


 これが戦術神格”ドヴェルグ”たるクロエの真骨頂。

 戦闘目的に合わせた機材の現地生産・修理を可能とする権能『大細工師の工房』の顕現であった。


 エクスプロイトの余剰パーツが『工房』の(アンカー)を残し、最後の変形を始めた。


 それは虚構公理の顕現(大魔法)である工房の展開に伴うFEARGRIEF(現実汚染)を内部へ吸収し、圧縮し、封印処理を完了させた汚染投棄筒(ダンプ・カプセル)の形状へと再構成され、わずかな金属音とともに床面へと転がった。


 静寂が戻った倉庫でクロエは息をつく。


 身に着けるものはS.U.I.T.E.(スイート)クラスタのコアユニットのみ。装甲と呼べるものが、今のクロエには何もない。


 ウィスプが隣に立っていた。消耗したクロエに代わって、データパッドで『大細工師の工房』の各種数値を確認し終えたようだ。


「……完璧です、お姉さま」


 小さな声だった。


「ありがとう」


 クロエは珍しく、素直に言った。


***


「ドローン、第一波展開」


 クロエの声に、工房が応えた。


 工房の天井の一部が開く。極小の反重力飛行ドローンの最初の一機が飛び出した。続いて十機、五十機、百機——やがて数えることを諦めるほどの数が、次々と生成されていく。


「第二波、地下ルートへ」


 フロストが指示を引き継ぐ。


「地下鉄通路から商業地区へ。第三波は用水路ルート経由で住宅地区へ展開」


 極小の粒が、地下へ、路地へ、廃都の隅々へと滲み込んでいく。


 上空には何も見えない。ただ、データだけが集まってくる。


 クロエはモニターの前に座り、地図が塗り替えられていくのを静かに見ていた。


「再生産を並行して」


「了解でーす!」


 ランタンが再生産ラインの管理コンソールへ向かう。


「再生産ライン、起動します。エクスプロイトの補充、開始しますね」


「フロスト、帝国艦隊の動向は変化なし?」


「変化なし。索敵範囲の拡大も、まだ先です」


「ランタン、再生産ラインの状況は」


「順調でーす。このペースなら、日付が変わる前には最大数まで戻せます」


 クロエは小さくうなずいた。


 作戦は、今のところ順調に進んでいる。


「……少し休もうか」


 三人が、ほぼ同時にクロエを見た。


 クロエが自分から休憩を提案するのは、珍しかった。


「ウィスプ、何か食べるものある?」


「すぐにご用意いたしますね、お姉さま♡」


 ウィスプが、にこりと笑った。


***


「つまりね、私たちの狙うお宝(FLUX)っていうのはF-VESSEL用の対話機能プラグインなの。巨大怪獣と人間との対話インターフェイスよ。穏便にお帰りいただくための。ジパングの技術者が作り上げた、いたって平和的な機能ね」


「えー隊長、なんですかソレ? そんな余計なアプリ入れる余分なストレージなんか無いですよ? ウチら」


「そうね。私たちには無縁だわ」


 調律だってそれなりの容量を割いている。クロエたちを戦闘人形として成立させるためのアプリ群はどれも重要なものばかりだ。


「でもお姉さま、それが、よくわからない力で都市を消滅させたのですか?」


「さぁ? それを今から調べましょう、というお話よ」


 六時間近く続いた順調すぎる待機時間に、クロエの口もやや軽くなっている。

 

 ウィスプが手際よく淹れた温かいスープを受け取りながら、クロエは工房のメインモニターへと目を落とした。時刻はすでに一三〇〇サーティーンハンドレッドを回っている。広域マップは、放たれた無数のドローンが送ってくるデータによって着実に塗り替えられていた。


「……やはり、異常ね」


FEAR(フィア)値の分布ですね」


 スープを啜りながらフロストが同意する。


「ええ。単なる自然減衰じゃない。この広大な廃都の汚染を、何者かが能動的かつ継続的に処理し続けているような……規則的なパターンが見えるわ」


 さらに、建造物の構造データには、やけに綺麗な整ったFEARGRIEF(フィアグリーフ)の痕跡が断片的に検出され始めている。これならば確かに現実汚染は最小限で済んでいるはずだ。 


「少なくとも通常処理では在り得ない。もっと根源的なアプローチの結果ね」


 それは紛れもなく、探し求めていたFLUX搭載型F-VESSELの実在を証明する根拠となり得る。


『手が届く』


 研究者としての高揚感が、クロエの胸を静かに満たしていく。


「エクスプロイトの再生産、三基目の補充が完了しました〜。ドローンの展開も落ち着いたんで、生産ラインをこっちに全振りしますね。そうすれば夕刻にはフル装備に戻れますよ!」


 ランタンが明るい声で報告する。  

 

 平和な時間だった。 このまま順調にデータを回収し、帝国の連中が嗅ぎつける前に撤収する。作戦は完璧に推移しているかに思えた。


「――光点が、消えました」


 フロストの、氷のように冷たい声が響くまでは。


「ドローンの故障?」


「違います」


 フロストの指がコンソールを叩き、メインモニターに一つの軌跡を展開した。


「不規則ではありません。一定速度で、一直線にこちらへ向かってドローンが次々と消失(ロスト)しています!」


 クロエは立ち上がった。


「帝国艦隊の索敵網に引っかかったの!?」


「いえ、トレイサーの隠蔽は完璧です。正規の索敵網は全く動いていません。これは……」


 フロストが息を呑む。


「次元断層に異常振動を検知。単一物体の高速接近……速度がおかしいです! これは――トレイサーの最大巡航速度を、大幅に超えています!」


 単独で、隠蔽を無視して一直線にこちらへ向かってくる存在。それが意味するものを理解した瞬間、クロエの背筋を氷の刃が撫で上げた。


「全員、逃げろッ! 奴が来る前に——」


 遅かった。


 ドグンッッッ!!!


 廃都の地盤そのものが悲鳴を上げるような、凄まじい着地の衝撃。 次の瞬間、大細工師の工房の強固な屋根が、爆発的な衝撃波によって和紙のように消し飛ばされる。 生産ラインを失った工房は一瞬で廃業を余儀なくされた。


「きゃあっ!?」 「くっ……!」


 舞い散る粉塵と瓦礫の中、吹き抜ける暴風にクロエたちは顔を庇う。


 視界が開けた先、舞い上がる土煙の向こうに、その()()は立っていた。粟立つ皮膚が、魂が、絶対的な戦力差を理解して警鐘を鳴らしている。


「アハッ……見ぃつけたァ」


 それは、あらゆる戦況、あらゆる敵対公理に対して、確実かつ有効【Effective】な現実調整を成立させる最適化能力を有する。


 それは、放たれた一撃が「必ず命中し、必ず破壊する」という因果の確定【Deterministic】を強制する。


 それは、不正な公理の行使が入り込む余地のない、強固で純粋な概念防御【Exclusion-Axiom】をまとう。


――既存の物理的現実を塗り替えて、独自の現実をレイヤー【Layer】として上書きする化け物。


 帝国第一師団序列七位、戦術神格”ジークフリート”を内包する、E.D.E.L.(エーデル)F-VESSEL(エフ・ヴェッセル)


 粉塵を払うように一歩踏み出した竜殺しの大英雄は、代理射出機(エクスプロイト)を三基しか持たない無防備なクロエを見下ろし、凶悪に嗤った。


「散開ッ!」


 クロエの叫びよりも早く、三人娘は動いていた。


「この程度で使えないならゴミね」「気配を感じたら全力で逃げなさい」――出撃前に下されたクロエの言葉。


 彼女たちはその言葉に込められた指揮官の意図を汲み取り、一切の感情を殺していた。


 今最も役に立つ最善の行動は、無駄な抵抗で犬死にすることではない。部隊の生存と、収集したデータの確実な持ち帰りだ。


 ランタン、フロスト、ウィスプの三人は弾かれたように地を蹴り、無敵の竜殺しから全速力で距離を取る。


「絶対に、逃がす……!」


 クロエは目前に立つ英雄との白兵戦を完全に放棄した。


 剣を交えることすら無意味だ。彼女が為すべきは、ただ一つ。全速力で後退する部下たちが逃げ延びるための確実な退路を開くこと。


 クロエの意思に呼応し、再生産されたばかりの三基の多目的モジュラー装甲(エクスプロイト)が、巨大な鶴嘴(ピック)へとシステマチックに変形する。 狙うはジークフリートではない。三人娘の逃走ルートを塞ぐ巨大な崩落箇所と、地下へと通じる強固な隔壁だ。


 エクスプロイトにより、戦術神格”ドヴェルグ”の神話を再現する権能が行使される。


 放たれたのは熱や爆風ではない。幾何学的な光の奔流が瓦礫と隔壁の物理構造を概念的に分解・再定義し、地下へと続く複雑な坑道(トンネル)を一瞬にして穿ってみせた。


 汚染限界に達した三基の端末が汚染投棄筒(ダンプカプセル)へと変貌し、わずかな金属音とともにクロエの身体から全てパージされる頃には、クロエ隊はその場から完全に居なくなっていた。


 クロエはそれを見届け、部下たちが為すべきことを完遂した事実にほんのわずかだけ安堵しかける。


 だが、舞い上がる土煙の向こうで、無敵の竜殺しは逃げる三人娘を追う素振りすら見せなかった。 ただ、ひどく退屈そうに、あくび混じりのため息をついただけ。


「極上の竜の気配に誘われて来たというのに……ほんっと、面倒くさい」


 輝く白き英雄の相を(まと)う少女は、身に着けた外套『タルンカッペ』を(ひるがえ)す。瞬間、彼女が展開した虚構が現実を歪め、あり得ない現実で上書きしたのをクロエは感じ取った。


『まさか……!』


 地下へ逃れたはずの三人娘の姿が、まるで空間ごと切り取られたかのように、クロエの眼前へと強制的に引きずり出され、無造作に床へ叩きつけられる。


「なっ――!?」


「このタルンカッペは隠れ蓑じゃないの」


 クロエは良く知っている。E.D.E.L.(エーデル)級の理不尽は元となる神話の改ざんすら可能だ。


「本来ならば、これはニーベルングの勇者が手に入れた魔法の外套。纏った者の姿を隠し、十二人分の力を与える隠身の宝具よ。でも考えてみて? 竜を殺し、神々の終焉の舞台に立つ英雄に隠れる必要なんてあるかしら」


少女は外套の襟元を指先で静かに撫でた。優雅に、しかし侮蔑を込めて。


「だからカスタマイズしてもらったの。隠蔽されたものを逆に目立たせて暴く。そして逃げる者の十二倍の速さを得る。逃げ隠れする臆病者を、強制的に捕捉する虚構公理(フィクション)、それがこの子のルールよ」


 エーデル級は()()で戦う。多少のボトルネックはあるが、その本質は『理不尽の押し付け合い』に他ならない。


「プロの隠密撤退? ご苦労様。でもそれ、私に見つけてくれって大声で叫んでるようなものなのよね」


 退路の構築は間違いだった。


 確かに彼女たちの行動に一切のミスはなかった。 だが、逃げるという最適解すらも、エーデル級が押し付ける理不尽な概念ハックの前では、絶対的な発見の目印へと反転させられてしまったのだ。


「う、あ……っ」


 逃げ場を完全に失い、苦悶の声を漏らす部下たちを前に何もできない。


 ジークフリートは、床に転がる汚染投棄筒(ダンプ・カプセル)を靴底で忌々しそうに蹴りのけ、丸腰となったクロエを冷たく見下ろした。


「大戦期を闘い抜いたノヴァリアの名高き邪龍(エース)。その成れの果てが、コソコソ逃げ回るだけのドヴェルグ(小人)だなんてね。私とマスターの格を証明する相手としては、あまりに惨めすぎるわ」


 ジークフリートの言葉には、無敵の英雄らしからぬ苛立ちが混じっている。


 圧倒的な火力と最新のスペックを持ちながらも、帝国序列七位に甘んじている彼女(ジークフリート)にとって、ノヴァリア学術連邦のトップエースとして確固たる格を持つクロエは、自らの価値を証明するための最高の獲物のはずだった。


 しかし、目の前にいるのは伝説の欠片もない、ただ逃げ回るだけの惨めな小人。そんな相手に戦う価値などない。


「ほら早く本性を出しなさいよ。私が欲しいのは伝説の首だけなの。こんなお遊びに付き合ってる暇はないのよ」


 ジークフリートは冷酷な瞳を、床に這いつくばる三人娘へと向けた。


 少女の手に握られたバルムンクもまた、虚構概念の宝剣だ。彼女が領域内において『対象の防御を無効にして攻撃は命中する』という結果を定義した瞬間、その因果が強制的に固定される。


「あァァッ!?」


 ランタンが悲痛な悲鳴を上げる。装甲はおろか薄手のインナーすら無視した斬撃が、皮膚を削り鮮血が舞う。


「ファーヴニルを出せ」


 ジークフリートの冷酷な視線が動くたび、フロストの足が、ウィスプの肩が、概念の刃によって傷つけられる。


「出さないなら、アンタが大事に抱え込んでいたお宝(部下たち)から壊していくわよ?」


 それは物理的な斬撃ではなく、存在(ルール)を強制的に書き換えられる強烈なエラーとフィードバックだった。


 本来、無機質な素体の上に相を纏っている彼女たちにとって、肉体的なダメージなどRPGで言えばHPの減少でしかない。見た目の傷など、自分の意思で治ったことにしてしまえるはずだ。


 しかし、今の彼女たちの纏う相は、ジークフリートの不正な公理の浸食によって『傷ついている』『壊れている』『血が止まらない』といった様々なバッドステータスを強制的に押し付けられているのだ。


 陽気で有能な部下たちが、圧倒的な概念の暴力によってゆっくりと嬲り壊されていく。


 それは、英雄が邪龍(ファーヴニル)を引きずり出すために用意した、あまりにも残虐な蹂躙の遊戯に過ぎなかった。


***


 三人の部下たちは不正な公理の浸食(バッドステータス)によって自由を奪われ、不可視の(くさび)で床に縫い留められていた。


 システムを内側から焼き切られるような凄まじい苦痛に耐えながらも、ウィスプが掠れた声で指揮官だけは生還させようと声を絞り出す。足を引っ張りたくはない。事実として、クロエだけなら或いは……。


「あ、ァ……お姉、さま……逃げ、て……」


 ジークフリートは彼女たちを一瞥すらせず、退屈そうに宝剣を肩に担ぎ直した。


 万全の邪龍を引きずり出して戦うため、すでに手出しは終えている。ただ圧倒的な強者の余裕で、クロエに冷酷な選択を迫る。


「選べ。このまま小人(ドヴェルグ)として部下が惨めに破壊されるのを見届けるか、伝説の邪龍ファーヴニルとして私に狩られるか」


 クロエ本人には手を出さず、その管理下にある部下たちの命を人質に取る。そんな状況を作り上げた上で、ジークフリートは逃げ場のない理不尽な二択を突きつけたのだ。


  彼女たちは単なる部下ではない。誰にも奪われることなど許されない、クロエだけの(モノ)だ。 ジークフリートの傲慢を前にして、クロエの内でかつてないほどの巨大な感情、どす黒い怒りが膨れ上がっていく。 それは戦術指揮官としての冷静な計算を焼き尽くす、強欲な龍の炎だった。


 ファーヴニルの力を行使すればどうなるか、クロエ自身が一番よく分かっている。


 自分は今、虚構公理を安全に行使するための代理射出機(エクスプロイト)をすべて失って丸裸だ。


 その上理想的な心の拠り所を持たず、調律サーバーを介して公理制御(りせい)を繋ぎ止めている不安定な状態にある。脆弱な『理想のお兄ちゃん信号』などでは、龍の激情を制御しきれるはずがない。


 ピーキーな公理制御で均衡は完全に崩壊し、自分自身が理性を失った本物の巨大怪獣へと堕ちる。それは取り返しのつかない破滅的リスクだ。


 だが、そんなことはもうどうでもよかった。


『私が化け物になっても――あの子たちだけは、絶対に奪わせない!』


 エーデル級だろうが英雄だろうが関係ない。私のモノを、勝手に壊させるものか。 クロエが血走った目で竜殺しを睨み据えた瞬間、彼女の網膜に投影されたシステムUIが、けたたましい赤色のアラートと共に明滅を始めた。


『警告:局所FEAR値の異常上昇を検知』 『――対象、戦術神格ファーヴニルは、現在入力中の調律用疑似信号を”脆弱・不要”と判定』 『――拒絶に伴うバックラッシュ』 『――サーバー接続を強制切断(パージ)


 無機質なシステムログが、彼女の理性を繋ぎ止めていた最後の命綱を容赦なく切断する。毎朝抱きしめていたダミーの拠り所は、自らの所有物を奪われまいとする龍の強欲な防衛本能の前に無価値と切り捨てられ、完全に弾き飛ばされた。


「ガアァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」


 直後、ジパングの地下空間を震わせる絶望の咆哮が轟く。


 クロエの華奢な身体から、物理法則を塗りつぶすほどの超高密度のFEARGRIEF(現実汚染)が爆発的に撒き散らされる。


  扱いやすい矮小な存在へと零落させていた脆弱な枷は完全に砕け散った。


 偽りの精神安定剤をかなぐり捨てたクロエの瞳は、理性を感じさせない凶暴な爬虫類のものへと変貌している。


「アハッ……やっと出たわね、トカゲもどき!」


 土煙と汚染の暴風が吹き荒れる中、ジークフリートが歓喜に唇を歪める。


  大戦期に数多の絶望を振り撒いたノヴァリアの最高戦力。 E.D.E.L.(エーデル)級戦術神格ファーヴニル――伝説の邪龍が、真の覚醒を遂げた瞬間だった。


 超高密度の現実汚染(フィアグリーフ)が渦巻く地下空間。

理知的な指揮官の仮面を脱ぎ捨て、凶暴な爬虫類の瞳を剥き出しにしたクロエの全身から、物理法則をねじ伏せる圧倒的な力が溢れ出している。


 砕け散った倉庫の残骸や大細工師の工房の瓦礫が龍の支配領域に触れた端から融解し、灰色の雪となって舞い散っていた。やがて灰色の雪(それら)を吸収したファーヴニルの相はクロエの髪と同じ灰銀色の龍鱗を形成し、彼女の華奢な体を鎧のごとく覆っていく。


  クロエは低く唸りながら上半身を沈め、地面に両手をついた。


 身体が沈み込むと同時、かかとが跳ね上がった新たな龍種の脚の角度に合わせて、流体関節が再固定された。


 骨格をスライドさせ、強靭な四肢へと最適化される変貌。肩甲骨が広がり肘も最適な角度で折れ、指先が地面を抉るように爪を立てる。 華奢な少女のシルエットが、低重心の龍型捕食者に変貌していく。


「アハハハッ! なぁにソレ! 大戦期のエース様が、四つん這いの獣みたいに地べたを這いずり回るなんて滑稽ね!」


 クロエは何も答えない。


 竜殺しの(あざけ)りは過去に何度も聞いたそれと大差ない。柔らかい腹はファーヴニルの神話で定められた弱点だ。必然的にこの戦闘スタイルを余儀なくされるが、それゆえに磨き上げた戦術の基本スタンスでもある。


 Hhh…  ――ァア!!!


 ジークフリートが低く吼え、宝剣バルムンクを頭上高く振りかぶった。


「見よ! 竜の四肢は切断された!」


 瞬間、世界の法則がねじ曲がるような重圧がクロエの全身を締めつけた。

最高の剣の()()そのものが『もう切断された』と決定を下す、絶対の宣告。


 しかし——


「——っ!」


 強靭な龍鱗の()()が切断された事実そのものを否定する。龍鱗は切れない、傷つかない、(こぼ)れない、刃を通さない。


 莫大な虚構公理(フィクション)が現実を歪めて全身の経路を駆け巡り、強制される因果を正面から叩き潰す。


 二つの絶対が正面衝突した。


 空間が悲鳴を上げ、ガラスが砕けるような音が響き渡る。地下空洞の天井が崩落し、壁面がまるで紙のように削り取られ、数十メートルにわたって深々と抉れる。岩石が粉砕され、白い煙が噴き上がった。


 剣は、クロエの目前わずか数十センチのところで停止していた。刃の先端が微かに震え、因果を刻み込もうとする力が空しく空を切る。


「……ふぅん?」


ジークフリートが、わずかに目を細めた。


 竜殺しの特攻を期待していた一撃が、さほど効果を発揮しなかったことに、純粋な驚きが浮かぶ。


「……!」


 その刹那、クロエが動いた。


 低く沈めた四つん這いの姿勢から、灰銀の龍鱗に包まれた右腕が雷のように突き出される。指先の鋭い龍の爪が、ジークフリートの衣服を易々と切り裂く。


 しかし——手応えが、ない。


 龍爪は確かに肌に触れた。だが、そこに抵抗は微塵もなかった。


 まるで水面を叩いたように、ジークフリートの白い肌がほんの少し波打っただけで、衝撃はすべて受け流され、霧散した。傷一つ、痛み一つ、与えられない。


 名もなき竜(リントヴルム)の血を源とする無敵の権能。


 クロエの瞳がわずかに見開かれる。ジークフリートは、ゆっくりと微笑んだ。一方でクロエは喉の奥で血の味を噛み殺した。


 圧倒的な出力で拮抗しているように見えるが、相性差は拭えない。更にクロエの内部では「自我の消失と神格を拘束する義体(ヴェッセル)の崩壊」という二つのタイムリミットが容赦なく進行している。


 調律信号という命綱なしに、E.D.E.L.(エーデル)級の——神話級の出力を垂れ流せば、自我が焼き切れて本物の巨大怪獣へと堕ちるのは時間の問題だ。だが、クロエは理性を手放すわけにはいかない。 彼女が護るべき娘たちは、すぐ背後(うしろ)にいるのだ。自分が理性を失って暴走すれば、真っ先に彼女たちを巻き込んでしまう。


 クロエは真っ赤に染まった視界に宿敵を捉えながらも、ギリギリのところで自我を保って致命的な一撃を放つための計算を巡らせていた。


 戦術神格は基本的に神話の影響下にある。ニーベルンゲンの歌の英雄ジークフリートの弱点は有名であり、その絶大な負の効果はそうそう覆せるものではない。


 隠れ蓑(タルンカッペ)のおかしな屁理屈も、長所を別の長所と置き換えることで成立しており、何でもかんでも思い通りというわけでは無い。つまり攻撃を弱点に当てれば勝つことは可能で、それが龍の渾身の一撃であるなら必ず倒せる。


――だが。


「弱点を突けば勝てるとでも思っているのかしら? でも無駄よ。どれだけ粘ろうともアンタの攻撃は、私には()()に届かない」


 ジークフリートは何を思ったのか、不意に纏っていたタルンカッペを脱ぎ捨てた。


 それだけではない。ずたずたに切り裂かれた衣服に手をかけると、躊躇(ためら)うことなく脱ぎ捨て床に放り投げる。薄いインナーすらも脱ぎ捨て、白く艶めかしい素肌を完全に晒した英雄は、両手を広げてみせた。


「私の権能『竜血励起リントヴルム』は絶対の防御。いかなる不正な公理(チート)も私を傷つけることはできない。神話のルールとして、私の背中には唯一の弱点である菩提樹の葉の跡が存在するけれど——」


 ジークフリートは、あどけない顔を歪めて凶悪に嗤った。


()()()()()我が妻であるクリームヒルトが衣服に目印を付けなければ! そして印をつける服すらも無ければ、この私に弱点など存在しないのだから!」


完全に無防備な裸体。それは邪龍(ファーヴニル)には絶対に竜殺し(ジークフリート)を倒せないという、絶望の証明だった。


「さあ、見苦しい悪あがきは終わりよ。潔く首を差し出しなさい!」


 ジークフリートは声を荒げるが、その内心には冷や汗に似た焦燥が渦巻いていた。


 先ほどの一瞬の攻防。クロエが放った龍爪は、ジークフリートの衣服を容易く切り裂いた。


 自分はバルムンクの因果確定により絶対命中を強制できるが、クロエはそのシステム的な補助に頼ることなく、純粋な戦士としての技量と老練な駆け引きのみでこちらの死角を突き、確実な一撃を当ててきたのだ。


 何より表向きはあざけったものの、クロエの姿勢は実にやっかいだ。


 因果の確定による絶対命中は、確かに刃を当てることができる範囲内に対象物があれば百パーセント当たる、というルールでしかない。死角にある腹を直接狙うことはできない。


 絶対防御である竜血励起(リントヴルム)があったから無傷で済んだものの、ジークフリートはクロエの動きそのものには全く付いていけなかった。最強を誇る英雄が、大戦期を生き抜いた伝説のエースに、一瞬で明確な技量の差を見せつけられた事実が、彼女の自尊心をひどく傷つけていた。


 だからこそ、ジークフリートはいら立ちを隠せない。


 戦術神格ファーヴニルが、邪龍に変身する前の矮小な小人(ドヴェルグ)として振舞わなければならなかった理由など一つしかない。クロエにはまともな『心の拠り所』であるパートナーが居ないのだ。つまり理性を失うのは時間の問題である。そこに例外は無い。


 だがもしこのまま時間切れとなり、クロエが理性を失い、戦術も駆け引きも持たないただの獣に成り下がってしまえば、それを討ち取ったところで自身の技量面での敗北感(コンプレックス)は決して拭えない。


 もはや彼女(英雄)が真に打ち破るべきは、圧倒的な技量と自我を保ったままの伝説の邪龍でなくてはならないのだ。


「チッ、逃げ回るな!」


 ジークフリートが苛立ちと共に振り下ろす宝剣は、因果の確定によって確実にクロエの身体へと到達する。だが、そのすべてが強靭な龍鱗に阻まれ、激しい火花を散らして弾き返されていた。


 四つん這いで柔らかいお腹(弱点)を徹底的に隠すクロエには、決して致命傷を与えられない。


 それどころか、クロエの動きは防戦を続けるうちにさらに洗練されていく。


 最初は龍鱗の硬度で無理やり刃の威力を受けていたものの、段々と宝剣の軌道と角度を見切り、攻撃を真正面から受けるのではなく、刃を滑らせるように『いなす』動きへと変化してきたのだ。


 絶対命中を強制しても、その威力を老練な戦士の技量によって完全に殺されていく。 ジークフリートの意識は、目の前で地を這い、自らの猛攻を柔柳の如くいなしてのける厄介な動きに完全に釘付けになっていた。


 だからこそ、瓦礫の陰に潜む伏兵たちが何を準備していたのか、全く気づくことができなかったのだ。


「——帝国軍第一師団序列七位、戦術神格ジークフリート。あなたがここで無駄な意地を張っている間に、ご自身のマスターがどうなっているか……観測ドローンからの映像をご覧ください」


 不意に響いた冷徹な声と共に、崩落した地下空間の上空へ突如として超大型のホログラムモニターが展開された。


『な——ッ!?』


 ジークフリートの動きが完全に止まる。


 天空の巨大スクリーンに映し出されたのは、別エリアで十メートルを超える巨大怪獣たち(メスガキども)の大群に包囲され、蹂躙されかけている漆黒と深紅の次元航行巡洋艦——第二師団の旗艦ヴァルケルヒの映像だった。そして、その艦橋で絶望的な表情を浮かべる、ジークフリートの敬愛するマスターの姿である。


「嘘……マスター……!? どうして……」


「ご自身の驕りが招いた結果ですよ、英雄殿」


 自身の装備するS.U.I.T.E. "Edge(エッジ)"に懸架された二基のエクスプロイトを使って大型スクリーンを起動したのであろうフロストが、氷のような声でジークフリートの罪を(えぐ)る。


「この大した意味もない単騎出撃は、他派閥である第二師団の指揮下に置かれた屈辱の腹いせですか? その結果、あなたのマスターは丸裸で死地に取り残されているようですが。自業自得というほかありませんね」


「黙れェェェェェェェェェッ!!」


 ジークフリートの誇りと余裕は完全に崩壊した。 技量の差を見せつけられた直後の激しい焦燥に、マスターを死地に陥れた自己嫌悪が混ざり合い、無敵の英雄の心を激しく乱す。


 たとえ今すぐ踵を返したとしても、巨大怪獣が暴れ狂う現地に到達するにはそれなりの時間がかかる。超高速移動を可能にする『タルンカッペの虚構公理(フィクション)』は『逃げ隠れする臆病者』を強制的に捕捉するためのルールであり、表立って暴れている巨大怪獣や味方であるマスターを対象にして発動させるような反則は許されない。


  超常の機動力を頼れず、通常速度で戻航れいこうすればどれほどの時間がかかるか。取り返しのつかない自業自得の猛毒が、ジークフリートから冷静な計算能力を完全に奪い去った。


 もはや一秒の猶予もない。マスターを救うためには、今すぐ目の前のトカゲを瞬殺し、全速力で戻るしか道はなくなっていた。


 その致命的な焦りの中、ジークフリートの視界に信じられない光景が映った。


  地を這い、厄介なほどに隙を見せなかったクロエが、突然苦しげに腹を押さえながらヨロヨロと立ち上がったのだ。


「クロエ様! ダメですっ……!! お願いだから……!!」


 先ほどまでの冷徹な策士ぶりをかなぐり捨てて、悲痛に叫ぶフロスト。


――GRaaaAAAAAARRRGHHH!!!


 だがクロエは、これまで執拗に隠し続けてきた最大の弱点——柔らかなお腹を完全に無防備な状態で見せつけるように天へと晒し、理性を失ったかのような咆哮を上げた。


 冷静な状態であれば、その不自然すぎる行動に罠を疑っただろう。だが、完全に余裕を失っていたジークフリートの目にはそれが、ついに時間切れを迎え、戦士としての知性を失って獣に成り下がった無様な隙にしか映らなかった。


「これで……終わりだァァッ!! 邪龍ッ!!」


 完全に冷静さを失ったジークフリートが、地を蹴った。 バルムンクを大上段に構え、無防備に晒されたクロエの腹部へ向けて、最短距離・最大火力での突撃を敢行する。


——その瞬間、理性を失った獣のように天を仰いでいたクロエの口元が、三日月に歪んだ。


「ねぇ、知ってるかな、英雄殿?」


 この世の全てを呪うかのような、赤く染まった爬虫類の瞳でクロエはジークフリートを下から()めつける。


 竜殺しはピクリとも動かない。クロエにたどり着くまさにその数歩手前で、急に止まったままだ。ジークフリートの身体には何か悍ましい瘴気のようなモノが纏わりつき、それはまるで巨大な龍の手が小さな人型(ヒトガタ)を弄ぶような形で実体化している。


「ヴォルスンガ・サガにおいて、邪龍ファーヴニルは『水場へと続く決まった道を通る際、待ち伏せされて柔らかな腹を刺される』という呪われた敗北の因果を持っているんだ」


 クロエは自分のお腹を優しくなでて、英雄に見せつける。


「私の中の戦術神格ファーヴニルは、その恨みを忘れていないんだよ。今も、それはひどくご立腹で、まともに扱えたものじゃない」


 龍型の少女は捕らえた獲物の前をうろうろと、落ち着きなく動き回る。ジークフリートにはそれが目障りで仕方ない。


「ならば敵を叩き潰せば満足か? 強大な爪で切り刻めば満足か? 炎の吐息で焼き尽くせば満足か? 答えはどれも違う。ファーヴニルの答えはいつも同じだ」


――オレと同じ目に合わせてヤる!


 神話は歪む。荒ぶる神性の想いのままに。その怒りの深さゆえに、二次創作者の思うがまま敗北の運命さえ歪めて新たな虚構公理(フィクション)を課す。


 クロエの戦術神格ファーヴニルは、この因果を概念兵器として逆転・悪用した。


 自らが囮となって柔らかなお腹を晒し、敵に必殺の攻撃軌道(決まった道)を強制させることで、『クロエ(目標)への通路を通る者は、伏兵に必ず弱点を突かれる』という因果律の呪いを、逆にジークフリートへと叩きつけたのだ。


 クロエの大きな口が、ゆっくりと大きく歪んだ。


 赤く濁った爬虫類の瞳の奥に、底知れぬ(あざけ)りと残虐な愉悦が浮かぶ。それはもはや人間が浮かべて良い笑みではなかった。獲物を完全に弄び、絶望のどん底まで味わわせてから喰い散らかす、極めて悪辣で冷酷な邪龍の笑みだ。


 背後に控えていたフロストも、同じように唇を吊り上げていた。

二人は揃って、ぞっとするほど愉しげに、嗤っていた。


 強がるジークフリートが叫ぶ。


「私の動きを止めても無駄よ! 背中を狙おうが、弱点など存在しない! 印を付ける服すらない! こんな呪いがいつまでも効くと思うな!!」


 英雄の権能『竜血励起(リントヴルム)』は確かに無敵の防御だ。それは今もファーヴニルの呪いに干渉し、激しい抵抗を見せている。


「それに、伏兵なんてどこにも……」


 だが、その背後——英雄の完全な死角から、最も静かな伏兵が音もなく虚空から滑り出た。


「着心地はいかがですか、英雄殿」


 耳元で囁かれたゾッとするほど甘い声に、ジークフリートは信じられないものを見たように目を見開いた。 いつの間にか脱ぎ捨てたはずの極薄のインナーが着せつけられていたのだ。


「なっ……いつの間に!?」


 しかもその背中の中心には、赤いインクでデカデカとバツ印が描かれている。


「あ、ついでにサインも入れておきましょう」


 ウィスプは『クリームヒルト(Kriemhild)より愛をこめて♡』という可愛らしい偽造サインを書き記した。


 出撃前、クロエのインナーを本人にすら気づかれずに脱がせた手際の良さで、戦闘中の敵にすら気づかれずに服を着せつける神業を披露したウィスプは、にこにこと(わら)っている。


『バツ印付きの服を着せ、妻のサインを書く』


 その極めて物理的でふざけた行為により、無敵の英雄の背中には、E.D.E.L.(エーデル)級の虚構公理をもってしても覆せない致命の弱点(菩提樹の葉の跡)という概念が強制的に露出する。


「ランタンちゃーん、チェックメイトです!」


「いっくよー!!」


 ウィスプの掛け声と同時、S.U.I.T.E. "Edge(エッジ)"の全エクスプロイトを機動力に注ぎ込んだランタンが、高空から弾丸のように急降下してきた。


 その手に握るのは、近接格闘用・力場貫通兵装ペネトレーション・エッジだ。


 かつて竜を裂き、汚れた英雄をも裁いた長剣――その役割を担う、敵対公理への侵入と貫通に特化した刃である。


「や、やめ——」


 ジークフリートの悲鳴は、最後まで紡がれることはなかった。


 つま先から指先に至るまで全ての流体関節をしならせ、全体重と推進力を乗せたランタンの一撃が、ジークフリートの背中に浮かんだ葉の跡――バツ印の中心を、寸分の狂いもなく真っ直ぐに貫いた。


「ガ、ァ……ッ!?」


 激しい閃光が地下空間を白く染め上げる。 フロストの心理誘導、クロエの因果歪曲、ウィスプの弱点概念固定、そしてランタンの止めの一撃。四人の連携によって導き出された決定的な敗北の因果の前に、竜殺しの無敵の権能はガラスのように砕け散った。


「……見事」


 輝く英雄の相を保てなくなったジークフリートは、力なく微笑みながら、右手の人差し指から黄金の指環を外した。


「もとはアンタのものでしょ? ……返してあげる」


 彼女(ジークフリート)は最後の矜持を振り絞るように、震える指でクロエに向かってその指環を弾いた。


 黄金の輝きは、ゆっくりと弧を描きながら薄暗い地下の闇に落ちてくる。


 偽りと巡る因果の全てを象徴する、呪われた宝物。


 クロエはそれを、()めた爬虫類の瞳でじっと見つめた。


 次の瞬間——


 灰銀の龍鱗に覆われた右足が、鋭く振り上げられた。

乾いた金属音とともに、指環は凄まじい勢いで蹴り飛ばされる。


 黄金の光は高く、高く弾け飛び、舗装路の白線(ライン)を遥かに超え、物流施設脇の用水路へと落ちていく。


「要るか、あんなもん」


 かつて龍が大事にしていたものは、水面に沈む直前ほんの一瞬だけ冷たい輝きを放ち——そのまま、暗渠の濁流に飲み込まれて消えた。


***


「――対象の完全沈黙を確認。戦術神格”ジークフリート”の神格筐体(フレームコアユニット)、回収完了しました」


 フロストの静かな報告が、明け方の廃都に響く。


 終わったのだ。絶対的な敗北の運命を強いられていた、竜殺しとの死闘が。


「やった……勝ちましたよ、隊長!」


「お姉さま、お怪我はありませんか♡」


 歓声を上げながら駆け寄ってくる三人の少女の姿は、ひどい有様だった。


 おそらく味方であるクロエの領域内(はいご)で、不正な虚構(バッドステータス)の除去に努めていたから何とか動けるといったところか。本当はまだ、相当に辛いはずだ。


 だが、その表情は信じられないほど晴れやかで、そして――獲物を追い詰める捕食者のように、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべていた。


「いやー隊長~、それにしても見事な囮作戦でしたね!」


 ランタンが、わざとらしくクロエの顔を覗き込む。

 

「でも不思議だなぁ。なんで『理想のお兄ちゃん信号』程度で、あんな無茶をして公理制御(理性)を保てたんですか〜?」


「っ……それは、当然」


 クロエは冷や汗をかきながら、あくまで理知的な指揮官としての冷徹な仮面を貼り付けた。

 

「調律中枢からのクラウド調律のおかげよ。バックアップが正常に機能していたから、システム的に公理制御が安定していただけの話――」


「通信ログ、開示します」


 クロエの苦しい言い訳を、フロストが淡々とした声で無慈悲に遮った。

 

「戦闘中盤におけるバックラッシュにより、シリカ・ヴァレアとの通信は完全に途絶していました。クラウド調律が機能するはずがありません」


「なっ……」


「同じノヴァリア系F-VESSEL(エフ・ヴェッセル)の私たちに、その誤魔化しは通用しませんよ、クロエ様♡」


 退路を断たれたクロエに、フロストがとどめを刺すようにすり寄る。


「素直に認めたらどうですか? 隊長の本当の拠り所は、お兄ちゃん人形なんかじゃなくて――♡」


「私たちを信じきってたから、お姉さまったら命懸けであんなに無防備なお腹を見せちゃったんですよね♡」


 三人の容赦ない包囲網と揶揄(からか)いに、クロエはついに耐えきれなくなった。


 理知的な指揮官という仮面は完全に剥がれ落ち、その頬は誤魔化しようがないほど真っ赤に染め上げられている。


「〜〜〜っ! に、任務を再開します!!」


 図星を突かれたクロエは、自らの照れ隠しを振り払うように強引に話題を切り替え、背を向けた。

 

 三人からのクスクスという笑い声を背中に浴びながらも、クロエは前を向く。


 彼女たちの絆は証明された。ならば次は、この廃都に眠る最大の謎を暴く番だ。


「さぁ、行くわよ。本来の目的であるLETHAL(リーサル)へ繋がる鍵――私たちのお宝は、この奥にあるわ!」


 顔の熱を冷ますように、クロエは誰よりも早く、未知なるジパング・メトロエリシアの深淵へと足を踏み出した。


 最後まで、お読みいただきありがとうございました!


 本作は「神話」の神々や英雄たちが、サイバーパンクな世界観で激突する物語のスピンオフです。


 もし「この世界観、好きだ」「アクションの続きが読みたい!」と思っていただけましたら、画面下の【作品フォロー】や【★評価】で応援をいただけますと、執筆の大きな力になります!


 よろしくお願いいたします。

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