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楽園のファミリア 〜運命を変える女神の継承者〜  作者: もく
【少女編・第1部】
9/18

懐かしい子守唄




『そろそろ目を開けてくれないかな』


 懇願に近い囁きが耳朶を打つ。

 優しさのなかに寂しげな感情をはらんだ声音に、胸がぎゅっと締めつけられる。


『まあ、気長に待ちますよ。ずっと』


 それはイリゼの心に小さな光を灯して、次第に全身へと伝わっていく。

 

(はやく、起きないと……が、待って、るのに)



 ――はっと、目が醒めた。

 同時に穏やかな子守唄が聞こえてくる。


(ここは?)


 後頭部を包む柔らかな枕、上には高く豪奢な天幕。

 どうやら寝台に寝かせられているらしい。

 触れたことはないけれど、まるで雲のような極上の感触に浮いているのではと錯覚するほどだ。


(私は、どうなったんだっけ……)


 寝起きのせいかうまく頭が働かない。

 

(夢だと思ったけど、ちがう。誰かの声がする。これは、子守唄?)


 イリゼはぼんやりと聞こえた声が現実であったことに気づく。

 そして目線を下に移動させると、ぽん、ぽん、とイリゼの腹部を優しい手つきで叩く誰かの手があった。

 

「――お目覚めですか、お小さいひと」


 ぎしりと音がして、人並外れた美貌が笑顔で覗き込んでくる。イリゼに触れていた手が離れ、子守唄も聞こえなくなった。


(……ずっと昔にお母さまが聞かせてくれた子守唄と同じだった。この人が唄っていたの?)


 気になったイリゼは、唇をゆっくりと開く。

 

「――」


 やっぱり声は出なかった。続いて口を大袈裟に動かし青年の読唇術に期待してみる。


(子守唄、うたっていましたか?)

「ここはどこかって? 地上にあるテゾーラファミリーの隠れ家だよ。君が逃げようとしていたザルハン領主の城ではないから安心して」


(そうじゃなくて、うた、あなたの声が)

「ああ、テゾーラファミリーというのは、天空領土を統治する組織の総称と思ってくれればいい」


(……。あなたは、だれですか)

「俺はルシアン。テゾーラファミリー十四代目の側近で……と、その話はひとまず置いておこう」


 ルシアンと名乗った青年は、そう言ってイリゼの額に手をのせた。労わるように添えられた温度にイリゼの全身が硬直していく。


「うん、熱は下がったようだ。目覚めたばかりで混乱しているだろうけど、体の調子はどうかな。胸が痛かったり、呼吸が苦しかったりは?」

(……この人の読唇術はあてにならなそう)


 いろいろと納得がいかない部分があるものの、イリゼは特に問題ないと首を横に動かした。

 ひとまずここはザルハン領主城ではないらしい。だからといって安心する要素はひとつもないけれど。


「覚えているかい? 君はあの会場で気絶したんだよ。併せて栄養失調に疲労の蓄積からくる高熱で二日間寝込んでた。医者も引くほどに体はぼろっぼろ、いやこれまったく笑えないからねー」


 ルシアンが軽い調子で説明する。イリゼの身体は思ったよりも限界を迎えていたようだ。

 逃亡決行の日、体が気だるさと喉の痛みには気がついていたけれど、そこまで重症とは考えていなかった。


(そうだ、指輪はどこにあるんだろう)


 エティナから取り戻した指輪の行方を覚えておらず、思い出したイリゼは同時に飛び起きる。

 

「こらこら。いきなり飛び起きたら体が驚くよ。まずはこの薬湯を飲んで……体の回復を促す効果のあるものなんだ。でも、少し臭いがきついだよな、これ」


 ルシアンは近くのテーブルに載っていた水差しの取っ手を掴んだ。中には透明に近い薄黄緑色の液体が入っている。


「はーい、飲んでくださいね」

「…………」


 完全に子ども扱いをされている。

 飲み口を近づけられると、イリゼはすんなりと唇を開けた。見た目よりも粘り気のある液体はルシアンの言ったとおり薬湯独特の臭いがする。


(まずい)


 にゅっと眉間に皺を寄せる。しかめっ面になりながらもイリゼは与えられた薬湯をすべて飲み干した。

 これには勧めたルシアンも思うところがあったようで、目を見開いている。


「飲ませた俺が言うのもなんだけど、よく見ず知らずの他人が差し出したものを躊躇いなく受け入れられるね?」

(……あなたからは、いやな感じがしないので)


 イリゼはぱくぱくと口を動かす。

 それこそエティナから感じるような悪意はこれっぽっちもない。伝わったのか定かではないが、ルシアンはその様子をじっと見つめていた。


 ルシアンの言うように誰だってほぼ初対面の人間から安全だと説明されても完全に信用することはないだろう。心の底では警戒を怠らないのが普通である。


 しかしイリゼは、ルシアンに対してそういった考えがなぜか湧いてこない。


「なんだか、ボスを前にしているみたいだな」


 小さな呟きのあと、ルシアンはイリゼの前髪に触れ、その奥にある真っ黒な瞳を確認する。

 おそらくなにかを確認されているのだということは、ルシアンの目つきで分かった。


(この人、ルシアンさんに聞けば、教えてくれるのかな)


 会場で倒れたあとのことや、自分が連れてこられた場所について、テゾーラファミリーというよく分からない組織だとか。

 今の自分がどの立場にいるのか……知らなければいけないことは山ほどある。


 しかし、イリゼにとって優先されるのはもちろん指輪の在り処だ。


(指輪はどこですか)

「え?」

(指輪、お母さまの指輪です。気絶する前に持っていた)


 イリゼは身振りと手振りでルシアンに伝えた。


「君が持っていた、指輪のことだね」


 彼は言いたいことを汲み取ってくれたが、その顔はなんとも微妙で、気のせいでなければ困っている。


(まさか、ベクマン侯爵のもとに)


 最悪の想像が過ぎり、頭から血の気が引く。

 

「……指輪は、ここにある」


 その時、二人だけだと思っていた室内に、誰かの声が響いた。



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