七色眼の男
混乱の波が会場中に押し寄せるなか、二人の間には重い沈黙が降りる。
七色眼の男はイリゼの伸びきった前髪を捲りあげ、晒された素顔を食い入るように凝視し続けていた。
(……お母さまのことを、知っている人?)
オフィーリア――と、消え入りそうな声音で言った男の瞳は、多くの感情が入り乱れていた。
一見して顔色に変化はないが、目の前にいるイリゼには分かる。男は動揺しているのだと。
「一体何事だ!」
近づいてきた足音にイリゼはハッとする。
いよいよベクマン侯爵のお出ました。加えて後ろには兵士を引き連れている。エティナから指輪を取り返し、さっさと城を出ていくというイリゼの計画が崩れていくのが分かった。
(ここであきらめたら全部が台無しだわ)
イリゼは内心で鼓舞すると、前髪に触れる男の手を払い除ける。
そして、ぽかんと口を開け呆然と立ち尽くしたエティナに近づいた。
(これはあなたが持っていいものじゃない)
垂れ下がった腕に力なく握られる指輪を、イリゼはチェーンごと引っ張り奪う。
乱入者が加わったことで状況を飲み込めていないエティナから指輪を取るのは容易いものだった。
「なっ!? ちょっと返しなさいよ! こんなことしてただで済むと思ってるの!?」
母の指輪と、目の前の男が知っているかもしれない生前の母の情報。
どちらにとってもイリゼには重要なことだった。
しかし今逃げなければ捕まってしまう。
イリゼはようやく手に入った指輪を持ち替える暇もなく、チェーンの部分を握り込んだままテラスから立ち去ろうと動く。
「待て」
「っ!?」
すぐ後ろから低い声が聞こえ――イリゼはひょいっと簡単に首根っこを掴まれていた。
(は・な・し・て〜〜!)
イリゼは「下ろせ」という意思表示を全身を使って伝える。
けれど解放されることはなく捕らわれた猫のように両足が床の上でぶらぶらと揺れていた。
いっそ勢いのまま蹴りでも入れてやろうかと企むが、実行してみても掠って届くことはなかった。
「……」
七色眼の男は無言を貫いている。しかしイリゼに用があるらしい。
そうしている間にもテラスには騒ぎを聞きつけたベクマン侯爵が到着した。
「デ、デアテゾーラの天空領主とお見受けする。我が城にどのような要件が」
「このガキ」
「……は?」
「こいつは、お前の子か?」
問いかけには一切応答せず、七色眼の男はイリゼの顔がベクマン侯爵に見えるように前髪をあげるとまた尋ねた。
「お前の子かと聞いてるんだ」
(ああああっ)
内心、イリゼはとてつもなく荒ぶっていた。
あろうことか七色眼の男は、イリゼの素顔をベクマン侯爵に晒したのである。
「そ、その子は……!?」
ベクマン侯爵は案の定な反応をしてみせた。
驚愕した様子で口ごもり、イリゼの顔に釘付けになっている。
(この不審者! なんてことをするの!)
七色眼の男を横目で鋭く睨みつけたイリゼだったが、相手にはまったく効いていないようだ。
イリゼの顔立ちは、母オフィーリアにとてもよく似ている。
ベクマン侯爵は、そんなオフィーリアに並々ならぬ執着を持っていた。
だからこそ万が一にも似た顔のイリゼに彼の関心が向かないように、レディナ夫人とエティナは前髪を伸ばすことを強要していたのだ。
ベクマン侯爵は、イリゼの顔を一度たりとも見たことがない。
そんな男がもしも固執していた女性の面影を持ったイリゼを真正面から見てしまえば――。
「無論、私の子だ」
このような事態になってしまうことは目に見えていた。
今までイリゼをいないものとしていたベクマン侯爵の目が、よからぬ思惑を剥き出しにしたようにギラつく。
「こいつを産んだ者の名前は?」
間髪入れずに七色眼の男は問う。
普段のベクマン侯爵ならば、このような問答「なぜ教えなければいけない」と跳ね除けていたに違いない。
しかし、彼がそんな態度に出られなかったのは。
「名を言え」
「な、名前、は」
ベクマン侯爵がイリゼを自分の子だと明言させてから、七色眼の男が纏う空気が重くなったのが原因だった。
有無を言わさず、従わせる威圧感。
この土地の領主という立場にあるベクマン侯爵が思わず後ずさってしまうほどの絶対的な空気を放っている。
「オ、オフィーリア……だ」
極限にまで喉を干上がらせ、無理やり絞り出したような声だった。
それでもベクマン侯爵がしっかりとオフィーリアの名を口にすれば、七色眼の男は愉快そうに笑った。
「……はっ、そうか。ふ、ははは、はははは!」
次の瞬間、イリゼの体はぐらりと揺れる。
投げ飛ばされたような感覚に身を固くすれば、すぐに別の誰かに優しく抱き抱えられていた。
「ルシアン」
「はい、ボス」
イリゼの頭上から耳触りの良い声がする。そちらに顔を向けると、青みのある薄紫の視線とかち合う。
(……だれ)
イリゼを抱えるのは、若い青年だった。
彼がこちらを見下ろせば銀の髪が柔らかく揺れ、薄く形の良い唇がにっこりと弧を描く。
(この人)
恐ろしく美しい青年だ。会場に現れてから周囲の視線をすべて惹き付けた七色眼の男にも引けを取らないほどに。
そしてなによりもイリゼが見入ってしまったのは。
見知らぬ青年が、どういうわけかこの一瞬だけ母オフィーリアと重なって見えたからだった。




