乱入者
イリゼは着々と逃げる準備を整えた。
併せて逃亡時の計画も立てるが特段壮大なものではない。
狙うは夜、周りの意識が散乱する時間帯。警備がひとつの空間に集中する舞踏会の最中がいいだろう、ぐらいの考えだ。
(あとは日持ちする食糧と、暖の取れる外套……毛布でもあればいい。もともと他にかさばる私物もないし)
問題は指輪だ。城を出るまでにエティナから取り戻す必要がある。
なんとか隙をついてエティナから取り返さないものか。イリゼは毎日のように頭を悩ませた。
――そうして迎えた舞踏会当日の夜。
逃亡の日を迎えてもイリゼは指輪を取り戻すことができないでいた。
そもそもの話、算段が甘すぎた。エティナのことはそれなりに理解していたはずなのに。
彼女は新しく手に入った宝石や衣類を見せびらかすため、飽きるまで手元に置いておく癖がある。
それは指輪も例外ではなかった。
エティナは嫌がらせよろしく今夜の舞踏会にも指輪を持ち出していた。わざわざ細工を施し、首飾りとして身につけていたのだ。
(あとは指輪だけがあればさっさとここを出て行けるのに)
オフィーリアの墓石には花を添え旅立ちの挨拶は済ませてある。あとは指輪さえ手にすれば準備万端だった。
(舞踏会場は温室近くの第三棟。指輪を取り返したら、庭園にある抜け穴をくぐって逃げればいけるはず)
事前の調べによると、エティナは会場内にある一階テラス付近を招待している子女たちとの談笑スペースとして用意する予定だった。
変更がない限り会場の外を回ってテラスに入り込めば、あまり人と接触せずにエティナに近づける。
正攻法ではないけれど、もうなりふり構ってはいられない。
(やるしかないわ)
支度を整え終えていたイリゼは、両手をぐっと握りしめて舞踏会場へ向かう。
……ここ数日の疲労が蓄積されているのか、体が妙に重く感じて、息を吸うと喉に痛みが残った。
会場近くにやって来ると、弦楽器の艶やかな音色が聞こえてきた。
壁に身を寄せて気配を消しながらイリゼは一歩、また一歩と暖色の明かりが灯るテラスに近づいていく。
テラス屋根の柱に身を隠したところで、ちょうどエティナの声がした。
「ああ、この指輪? サイズが合わないから首飾りにしてるの」
「とても素敵です〜! 見たこともない宝石ですが、さすがはエティナ様です。珍しくて綺麗な品をお持ちなのですね」
「エティナ様に似合わないものなんてありませんものね」
「わたくしも母の指輪をこうして首にかけていますの。お守りとして身につける方も多いようですわね」
「お守り? これが? 違うわよ、そろそろ飽きていたところだから、捨てようと思っていたんだけど」
おべっかばかりで地獄のような空間だと思っていれば、聞き捨てならない台詞にイリゼの体が強ばった。
(この……)
体を半分ひねってうまいことテラスの様子を窺う――つもりが、気づけばイリゼは大きく身を乗り出していた。
「きゃああ!」
「エティナ様、後ろ……!」
高い悲鳴が複数あがる。
子女たちの混乱もお構いなしにイリゼはこちらに背を向けるエティナの腕を掴んだ。
「あんた!」
エティナは目を見張り、イリゼの姿を映すと忌々しく唇を噛む。
イリゼが会場に乗り込んでくるとは、万が一にも思っていなかったようである。
「……っ」
声が出せないというのは本当に不便だ。
代わりに片手を前に突き出して「返せ」というポーズをとる。
「誰か! 早く来てちょうだい!」
多くの人が集うメインホールに顔を向けたエティナは、声を張り上げて助けを呼んだ。
そして、もう一度イリゼに視線を戻すと、指をさして言い放った。
「このドブネズミ! またわたくしの指輪を盗ろうとしたわね!? 呼んでもいないのに会場にまで来るなんてなんて図々しいのっ」
イリゼの声が出ないのをいいことに、エティナはさらに続ける。
「これはわたくしのだと何度言ったらわかるのよ。本当に、私生児はやることも下賎なのね」
エティナは指輪を手のひらに載せて見せびらかす。
あからさまな態度にイリゼの心には苛立ちが積もっていく。
(たった今、捨てると言ったくせに。どうせ返す気なんてないくせに――この、性悪女め)
もう時間がない。
そろそろ騒ぎを聞きつけたベクマン侯爵や給仕がイリゼを取り抑えようとテラスに到着してしまうだろう。
(ここはもう、はっ倒して奪おう)
一気に頭の中が鮮明になる。
エティナをはっ倒し、指輪を奪い、逃亡。
イリゼの計画に変更はない。今なら飛び蹴りだってやれるかもしれない。
それなりに血が昇っているので、多少の無茶なら問題なく実行するつもりだ。
――と、イリゼがとうに決めた覚悟を持ってエティナに向かおうとしていたときである。
舞踏会場に、新たな悲鳴がこだましたのは。
こうして、イリゼは乱入者と対峙することになったのだった。
ここまでが序章に至るまでの流れです。




