薬を塗ったりオーラを見たり
朝食は配膳された料理の半分すら食べきることができなかった。それだけ胃が小さくなっており、通常の食事も困難だったのだ。
用意されたものを残すまいと懸命に口に運んでいたイリゼだが、そばにいたルシアンがやんわり止めてくれた。
「次はもっと君が食べやすい食事を用意するから。お楽しみに」
イリゼにとっては十分な食事であり、むしろ食べられないのは自分の体の問題である。
けれど咎められることは一度もなく、イリゼは申し訳なく思いながら部屋に戻った。
「おはよう、お嬢ちゃん。可愛い格好してるじゃねぇか。似合ってるぞー」
部屋の扉の前には小瓶を手にしたダヴィデが立っていた。イリゼの塗り薬を持ってきてくれたらしい。
「塗ってやるから椅子に座ってくれ。背中、届かないだろ」
三人で部屋に入ると、ダヴィデはイリゼにそう指示をした。ダヴィデに対する警戒心はかなり薄まっているので、頷いて素直に従う。
「量はこの程度でいい。薄く膜を張るように伸ばして塗るんだぞ」
「はい」
「……この膿み、痛むか?」
一番真新しい傷に触れたダヴィデが問う。
イリゼは首を振ることも頷くこともなく、淡々と事実だけを口にした。
「痛いのは痛いですけど、これぐらいの痛みなら慣れました」
なにも考えずに答えたイリゼに、ダヴィデからは「そうか」と小さな呟きが聞こえる。医者だからか無闇に傷つける行為に対して憤りを感じているようだ。
「あの、でも……本当に、大丈夫なんです。私って痛みに強いほうで、レディナ夫人とエティナからの鞭打ちはいつも耐えられていたので」
ザルハン領主城では自分の体を心配してくれるような人はいなかった。それなのに、ここに来てからは正反対の対応をされる。慣れていないイリゼは、何度も「平気」「大丈夫」だと言い切る。
「お嬢ちゃんは、すごい子だな」
ダヴィデに後ろからポンポンと頭を撫でられ、イリゼは目をぱちぱちと瞬かせた。
ルシアンに髪を整えられたときもそうだったけれど、彼らに触れられても嫌悪感が抱かない。
それどころか心地良ささえ感じるので不思議だった。
「クゥーン!」
薬が塗り終わる頃、早朝からずっといびきをかいていた時の神獣がようやく起き出した。
ベッドの上で前脚、後脚と順番に伸びをしたあと、元気よく床に着地するとイリゼの元に駆け寄る。
「こら危ないよ。そんなふうに飛び降りたら」
「クゥン?」
時の神獣はイリゼの声に首を傾げる。言いたいことはなに一つ伝わっていなそうだ。
身なりを整えてから時の神獣を抱き上げると、短い尻尾がぴろぴろと激しく動く。
「あ、あそこから降りたくらいじゃ平気なのか。空だって歩けていたものね」
改めて時の神獣を観察する。
犬でも猫でもない初めて見る種の動物。神獣なので動物で括っていいのかは謎だ。けれど、どんなに珍しい姿形をしていようともこの生き物が女神が授けた七つの祝福の一つとは、地上人の誰も思わないだろう。
「せっかくだ。少し時の神獣を調べてもいいか? 触らせてもらえるだけでいい」
「あ、はい――」
「グルルッ!」
「おっと」
イリゼの同意で時の神獣に手を伸ばしたダヴィデは、一度指先を引っ込めた。
時の神獣はあきらかにダヴィデを威嚇していた。
「あー。やっぱり触られるのはプライドが許さないんですかね」
「みたいだな」
ルシアンとダヴィデはある程度予想がついていたようだ。
「どういうことですか?」
「時の神獣を使役できるのは天空領主とそれに準ずる者だけって話をしただろ? 神獣は誇り高い生き物でな、基本的に主以外には懐かねぇしいうことも聞かないんだ」
「誰彼構わず尻尾を振らないのは尊敬に値するんだけどね」
ルシアンは笑っているけれど、このままでは円滑に調べることができない。オフィーリアの話を聞くためにも時の神獣には何としても協力して欲しいところだ。
「ねえ」
「クゥン?」
「この人は、大丈夫だよ。警戒しなくていいし、噛み付こうとしたらダメ。いい子だから、ちょっとだけ協力してくれる?」
「……クゥン」
「うん、大丈夫だから」
優しく背を撫でると、時の神獣はイリゼの膝の上で大人しくなった。その様子にルシアンは感心して口を開く。
「君は、神獣の考えていることがわかるのかい? まるで会話しているような感じだったけど」
「そういうわけじゃないですけど。なんとなく、こう思っているんじゃないかなって、想像しただけで」
「だけど、神獣にも君の思いは伝わっていそうだね。やっぱり君を主として認識しているんだろうな」
(主っていわれても、その心当たりはないんだけど……)
何気ないルシアンの発言に返す言葉が見つからず、イリゼは押し黙る。
その間にもダヴィデは時の神獣の触診を進めていた。イリゼがああ言ったおかげか、先ほどとは打って変わって身を委ねている。
調べると言っても時間は数分程度。触診が済むとダヴィデは「今日はこれぐらいにしておくか」と言ってすぐに切り上げた。
「いまのでなにかわかったんですか?」
「ん? ああ、まあな。ひとまず、神獣の健康状態は良好ってことはわかった。それだけでも今回は御の字だ」
「へえ……」
触っただけでわかるなんて、という驚きが顔全面に出ていたらしい。ルシアンは目元を緩めて説明してくれた。
「ダヴィデさんは天空領一の紫の神通の遣い手でね。治癒や状態異常の対処に優れた力を持っているんだ」
「オーラ……異能のことですか?」
「ああ、地上ではそう言われているのか。そうそう、これも神獣同様に女神が授けた祝福のひとつだよ。正確にはオーラというのは力の源で、それを操ることで様々な用途に変わる」
「で、これが目視で見える紫のオーラだ」
そう言ったダヴィデの右手には、肌を覆う淡い炎のような紫色のオーラがふよふよと揺れ動いていた。
「…………これが、オーラ。なんだか、冬の焚き火に当たっているようで、安心します」
イリゼは思わず出た言葉と共に表情を緩める。
しかし、それを聞いていたダヴィデからは異様な視線を向けられた。
「ダヴィデさん?」
「ん……いや、なんでもねぇ。それよりお嬢ちゃん、オフィーリアのことを知りたいと言ってたな」
「あ、はい」
天空領にいたという母。
それを知るダヴィデの口からまず最初に出たのは――。
「オフィーリアは、うちのボスとよく口喧嘩をしていてな。毎回と言っていいほど面白いくらい言い負かされてたなぁ、ボスが」




