エピローグ この青春は誰にも殺させない
事件後。
僕たちの戦闘により被害を受けた街は、修復系の調停ヰ者たちの活躍により少しずつもとの姿を取り戻しつつあった。
なにも、調停ヰ者は戦闘に長けたものばかりではない。戦闘が強い者しかヒーローになれない、ということではないわけだ。
人的被害に関してだが、怪我人こそいたが死人は一人も出なかったらしい。フェーズ2が二人も出現したのに、これは奇跡に近い。それも全部、皆が一丸となって頑張ってくれたからだ。
京都から応援にきてくれた花月アゲハさんは、フェーズ2の影響で一時的に病ヰを失った王崎さんのことを嗜虐的な瞳で一分ほど眺めてから、満足そうな顔をして新幹線で帰っていった。
花月さんに見つめられているとき、王崎さんは少しだけ震えていた。
あとで聞いた話だが、王崎さんは少しだけ花月さんのことが苦手のようだ。理由は、花月さんが笑顔の裏でなにを考えているのかわからないから、らしい。
あの王崎さんに苦手な人がいるなんて、珍しいこともあるものだ。
その花月さんを京都から連れてきた功労者、篠江先生は、今回の活躍により、病ヰの力をほとんど失ってしまったらしい。それでもまだ少し力が残っているというのだから、驚きだ。
そして、どこかから僕の戦闘を観察していた倉骨先生により、僕の病ヰの真の力はやはり病ヰの略奪だろうと結論づけられた。
実際には、所有者の同意がないと相手の病ヰを奪い取ることはできない。それに、ほかにも条件はあるみたいだから、これからも僕の病ヰの研究は続けられるらしい。
僕の病ヰにはまだ謎が多い。だが、倉骨先生は僕の病ヰのことを高く評価してくれていた。
僕の病ヰなら、世界中の病ヰを消失させることができるかもしれないのだから――。
〇
約一か月後。
本日、特別臨時クラスに他のクラスから生徒が一人やってくるのだと、教壇に立つ篠江先生の口から知らせられた。
新たな不死の子でもくるのであろうか?
ちなみに、現在の僕はかなり自分の病ヰを制御できるようになってきた。だが、篠江先生がもう少し僕の病ヰを研究したいということで、僕はもうしばらくこのクラスにいることになったのである。
「強い子だと嬉しいな!」
と、王崎さんはいつも通りの調子で。
「ロイチ。今日はなにして遊ぶ? タバサを八つ裂きにでもする?」
鍵市さんはいつも通りマイペース。
「哲学的ゾンビって、きっと秀才なゾンビなんでしょうね。あたしより強そう。悔しいです」
山乙さんは今日もよくわからないことを言っている。独り言なのか誰かに話しかけているのかもわからない。怖い。それに、哲学的ゾンビって頭脳派ゾンビって意味じゃないだろ。
「……スー」
灰谷さんは、いつも通り浮遊する布団の上で寝ている。
「それじゃ、さっそく紹介しますよー!」
と、篠江先生は教室入り口の扉を勢いよく開けた。
そこから顔を出した人物を見て、僕は言葉を失った。
彼女は教壇までゆっくりと歩いてから、僕らに向かって一礼した。
そして、厳かに口を開く。
「クラス移動でやってきました。伊織久玲奈です。初めまして。……。なんちゃって。久しぶり、皆」
見知った顔の登場に、教室内にざわざわと喧騒が広がり出す。ちなみに、灰谷さんはまだ寝ている。
辺りから聞こえてくるのは好意的な反応が多いが、僕は困惑していた。
だって、久玲奈は不死身じゃないから……。
僕の表情からなにかを察したのか、久玲奈は淡く微笑んでこう言った。
「ろいちゃん。今から病ヰで私を襲っていいわよ」
「は? なに言って……」
「お願い」
久玲奈の顔からは、奥底から滲み出すかのような自信が溢れていた。
そんな久玲奈に、僕はなぜか王崎さんの姿を幻視してしまう。
そうか。久玲奈も王崎さんも、二人とももうフェーズ2を経験している。二人は、同じステージに立っているといっても過言ではない。
久玲奈にはなにか考えがあるのだろう。
「……わかった」
そうして僕は、自身の病ヰを出現させた。
牙を伴った一筋のその闇は、一直線に久玲奈へと向かう。
僕の病ヰが久玲奈を襲う寸前。
あろうことか、久玲奈は目を瞑ったのであった。
僕は、久玲奈が並外れた動体視力と身体能力で僕の病ヰを躱すのかと思っていた。
しかし、久玲奈は視界を捨てた。それも恐らく、自分の意思で。
これは、なにかの事故だろうか? それとも、実験? 病ヰをひっこめるべきか?
そんなことを考えているうちに、僕の病ヰは久玲奈の左腕の辺りに噛みついた。
「久玲奈っ!」
しかし、僕の病ヰの牙は久玲奈には通らなかった。
久玲奈の左腕に一瞬にして生えた狼毛が、僕の病ヰをしっかりと受け止めていたのだ。
そして久玲奈は、今度は右腕を狼化し、そのまま僕の病ヰを爪で切りとってしまった。
「久玲奈!? 今のは……?」
「相手の攻撃に合わせて、その部分をオートで獣化するようにしたの。フェーズ2になってから、私の病ヰ、攻撃力だけじゃなくて防御力もアップしたから」
確かに、巨狼と化した久玲奈の狼毛は王崎さんの攻撃も簡単には通さなかった。
「……まあ実際は、病ヰの性能が上がったというよりは、死ぬほど鍛えただけなんだけど」
しかし、それにしたって。
「調停ヰ者でもない久玲奈が、どうしてそんな……」
「それは、その」
久玲奈はもじもじと髪先を弄りながら、やがて口を開いた。
「ろいちゃんと一緒のクラスで過ごしたかったから……だけど」
「は?」
久玲奈の耳がぴんと上を向く。
「ろいちゃんと一緒のクラスで過ごしたかったから、ろいちゃんに殺されないようになるまで強くなったの! 悪い!?」
最後の方は声を荒げ、逆切れしていた。なんでだよ。
「僕と同じクラスになるためだけに、この一か月でそこまでできるようになったのか? 一体、どれだけの努力をしたんだよ」
「それはちょっと、引かれるだろうから言わない。実際は、ろいちゃんが初めて病ヰを発症した日から鍛えてたんだけどね。ろいちゃん、強い子が好きっていうから……」
「あ……」
久玲奈は、気恥ずかしそうに自身の髪先を指で弄った。
久玲奈が言っているのは、メッセージアプリでかわした会話のことだろう。
僕が病ヰを発症した日、久玲奈は僕に強い人が好きかと訊いてきたのだ。
まさか、その言葉をずっと覚えていたのか……。
「でも、どうして急に僕と同じクラスになりたいなんて思ったんだ?」
「このままだと、本当に桜歌ちゃんにろいちゃんを取られそうだから」
「……久玲奈」
あまりにもストレートな久玲奈の言葉に、僕の頬が自然と熱を帯びていく。
久玲奈は、びしりと王崎さんを指さしてこう言った。
「桜歌ちゃん。私、今日から調停ヰ者になる。そして、いつかきみより強くなるわ。それで、ろいちゃんには私に惚れてもらう。……だから桜歌ちゃん、きみは私のライバル。って、勝手に思わせてもらうわ」
久玲奈の宣言を受け、王崎さんは燃え上がるかのような気迫と笑顔を同時に浮かべた。
「ライバルだなんて言われたの、初めてかも! 嬉しい! 久玲奈、大好き!」
ばっと、王崎さんの背から血液が舞った。
王崎さんは血の翼で飛び、教壇にいる久玲奈に抱き着いた。そうしてそのまま、愛の頬ずりをする。
「これからよろしくね、久玲奈! いっしょに強くなろう!」
「う、うん。……なんか、調子狂うわね……」
「伊織さんはフェーズ2の経験者ということで、その病ヰの危険性と有用性から、このクラスへの移動が認められました」
と、話を受け継いでくれたのは篠江先生。
「初めにこのクラスへの移動を申し出たのは伊織さんなんです。で、入村くんに殺されない力を身に付ければ特別臨時クラスへの移動を認めると倉骨先生が条件を出し、伊織さんは無事その条件をクリアしたということです!」
「なるほどー。これからよろしく。クレナ」
「ええ。伊織さんなら大歓迎です」
鍵市さんと山乙さんも歓迎ムードだ。灰谷さんは……まだ寝てる。
「じゃあ、クレナのクラス移動記念ってことで、久し振りにいっとく? ロイチの病ヰ暴発」
「なんでだよ」
「いーじゃーん」
かわいらしい声を出しながら、鍵市さんがぎゅっと僕を抱きしめた。うわ、なんかいい匂いする!
「あ、ずるいですよ」
そう言いながら山乙さんは、反対側から僕に抱き着く。うわ、なんか雑草の匂いする! なんで!?
「クレナが調停ヰ者になるなら、タバサもなろうかなー。ロイチ、強い子が好きみたいだし。ちらり」
と、鍵市さんは上目遣いで僕を見つめてくる。かわいい。
「鍵一さんが調停ヰ者になるなら、あたしもなります。あたしも、もっと強くなりたいです。最強のキョンシーを目指します。……入村さんのために」
山乙さんは真剣な顔でこちらを見つめる。黙っているとただの美人なのずるいな!?
バクバクと、三つの心臓の音が重なる。僕だけでなく、鍵市さんと山乙さんもドキドキしているようだ。
いや、本当になにこの状況!?
「久玲奈、わたしたちもいこ!」
「え、えぇ~……!」
王崎さんに連れられ、久玲奈が赤面しながらこちらにやってくる。いや、無理しなくていいからな、久玲奈……。
「炉一ー!」
ぴょんとジャンプし、王崎さんが正面から僕に向かってダイブする。
「炉一、見違えるくらい強くなったね! わたし、強い人のこと好きだよ!」
少しもてらうことなく、王崎さんはまっすぐそう言い放った。
「王崎さん……」
は、初めて王崎さんに好きって言われてしまった。
心臓の鼓動が大きすぎて、もはや胸が痛い。
「炉一も調停ヰ者にならない!?」
「い、いいのかな、僕なんかが……。でも、考えておくよ」
そうして王崎さんは、鍵市さんと山乙さんごと僕のことを抱きしめた。王崎さんはなんか……美味しそうな匂いがした。
……いやこれは、別にそんなキモイ意味じゃなくて! たぶん、王崎さんが朝食べてた焼きたてのパンかなにかの匂いがしただけというかなんというか……いや、十分キモイか。
ぎゅうぎゅうと体を押し付け合う僕たちを見て、久玲奈は少し引いていた。
「久玲奈ー? こないの? 合法的に炉一に抱き付けるチャンスだよ?」
「王崎さん、なに言ってんの!?」
「い、いくっ!」
「久玲奈!?」
目をぐるぐるとさせながら、久玲奈が強い足取りでこちらに向かってくる。あいつ、もうこのクラスの空気に毒されてる!
そんな僕たちを見ながら、篠江先生は頬に手を当て。
「青少年の性の乱れ……いいですねぇ」
よくないだろ。だれかあの人から教師免許剥奪してくれ。
そして、僕の後ろ側に回った久玲奈が、背後から優しく僕の体に腕を伸ばした。久玲奈はお風呂上がりのワンちゃんのような匂いがした。良い意味でね?
久玲奈は、僕の耳元で、僕にしか聞こえない声でこう言った。
「……この中で、一番ろいちゃんのこと好きなの私だから」
そのあとに、ぺろりと、舌なめずりのような音が聞こえたような気がした。
「……う、ぐっ」
僕は、初めて病ヰを発症した日のことを……あの通学路で久玲奈と至近距離で見つめ合ったことを思い出した――。
心臓の鼓動が、急加速する。
もう限界だ。
僕の病ヰが――。
「出る……!」
刹那。轟音が教室を揺らした。
僕の体から溢れ出した病ヰが、四人を吹き飛ばしたのだ。
教室中に、血の華が咲き乱れる。
僕の攻撃で死んだのは(死んでないが)、三人。
「……いやぁ、やっぱり炉一の病ヰの瞬間的な火力は一番だね!」
王崎さんは、血塗れの顔で微笑みながら体を再生して立ち上がった。
「やっぱり、ロイチに殺されるのは、気持ちいい。お金を払ってでも、殺されたい」
鍵市さんは、なにか怪しげなことを言いながら炎で体を修復する。
「キョンシーのバラバラ死体の写真集でも出しましょうかね」
山乙さんは、ぐちゃぐちゃになった体を再生しながら、歪な体勢で立ち上がった。
そして、僕の攻撃を防いだのは、三人。
「あ、頭、打った……」
久玲奈は、僕の攻撃を受けたであろう腹の辺りが狼化していた。吹き飛んだ衝撃で机に頭をぶつけでもしたのだろうか。ご、ごめん……。だが、彼女は無傷だった。
「ちょっとー! 私の貴重な力をこんなことで使わせないでくださいよー!」
いつの間にか魔法少女に変身した篠江先生は、教壇で叫んでいる。
「……すぅ」
灰谷さんは、布団を覆う念動力でなんなく僕の攻撃を防いでいた。いつまで寝てるんだ。
「はい。炉一。ご褒美の吸血」
目に見えぬスピードで僕の元に移動した王崎さんが、僕を吸血して落ち着かせてくれた。えっと、どっちへのご褒美? これ。
「ありがとう」
病ヰが治まると、僕は王崎さんに頭を下げた。
僕の病ヰが暴走したというのに、死人は一人も出ずに、僕の鎮圧も一瞬で行われた。
改めて、こんなに素晴らしくて変なクラスが僕のために組まれたという事実に驚いてしまう。
皆には、本当に感謝の念が堪えない。
「その……。皆、これからもよろしく」
急に改まった僕を見て、皆は一斉に吹き出した。
唐突に始まった僕の青春の日々は。
僕の青春を殺さない青春の日々は。
もう少し、続きそうだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
初めてあとがきを書きます。作者の雨谷です。
これで一応、第一部完になります。
といっても、第二部は一文字も書いてないので続きがどうなるかはわかりません。書かなかったらこのまま完結にするかも。
もし続きを書いたらまた更新していくので、そのときはお付き合いください。京都編とか書きたいです。
また、明日からは早速別の小説を更新していきますので、よければそちらもお読みいただけますと嬉しいです。
次は人が死なないラブコメです。
それでは、また。




