青春を始めるのに遅いなんてことはない ⑪
「え、えっちしてる! えっちしてるーーーー! えっち! えっちしてるーーーーーーっ!? えっちだこれーーーーーーッ!?」
久玲奈は目をぐるぐるとさせながらそう叫んでいる。身を寄せ合って吸血する僕と王崎さんを見て、頭がパンクしてしまったらしい。
久玲奈の体が赤く染まっていく。よく見ると、彼女の右腕がざわざわ騒めき、狼毛の部分が増え始めているではないか。
まずい! また完全なフェーズ2になられたら大変だ。
だから僕は――。
「えっちじゃないよ」
一瞬にして久玲奈の元まで移動し、彼女の首に犬歯を立てたのだった。
「あ……」
久玲奈はぴくんと一瞬体を震わせたが、すぐに僕に身をゆだねてくれた。
久玲奈の青白い首に舌を這わせると、彼女は小さく肩を跳ねさせた。
そのまま少量血を吸うと、久玲奈は大人しくなった。
とろんとした瞳で、久玲奈は虚空に視線を投げている。
「ろ、ろいちゃんに血吸われちゃった……」
そう言い、久玲奈は両手で自分の顔を覆ってしまう。
「久玲奈。さっきのは、王崎さんのフェーズ2を終わらせるためにやってたことだからな。王崎さんも、僕を落ち着かせるために血を吸ってくれたんだ」
「う、うん」
荒い息を吐きながら、久玲奈は顔を覆う手をずらしてこう言った。
「でも、こんなのほとんどえっちだよ……」
「そ、そうかな?」
そ、そうかも……。
なんだか、僕も体が燃えるように熱い。王崎さんと久玲奈の血を同時に取り込んだ影響だろうか。少量だからか、久玲奈の病ヰの影響はまだ僕の体に現れていないみたいだけれど。
「って、ろいちゃん!?」
「ん?」
「燃えてる! 体、燃えてるわよッ!?」
「うわッ!?」
久玲奈に言われて初めて気が付く。
目の端でちらつく炎を見て、僕は飛び上がる。
僕の体は発火していた。
その炎はいつしか全身を包み、それと同時に地獄のような痛みが襲い掛かった。
この痛み、王崎さんの首のトンネルで味わった攻撃のときの比じゃない!
僕は、その痛みの理由と自分が燃えた理由をすぐに察する。
太陽だ。
そう、本来太陽は吸血鬼の大敵。身近にいる最強の吸血鬼が太陽を克服しているから忘れていた。
これは、王崎さんの血を吸い過ぎて僕の吸血鬼性が高まったことが原因だろう。
僕の体は再生を試みてくれているが、相手が太陽だとさすがに治りが遅い。
そして今、日陰となる場所は存在しない。
僕の病ヰで無理やり影を作るか? いや、この状況で満足に病ヰを操作できるとは思えない。
地獄の痛みに耐えながら、僕が思案を巡らせていると。
「もう大丈夫。この日傘貸してあげる」
ふわりと舞った風とともに、突如出現した影が僕を覆った。瞬間、僕の体の発火は嘘みたいに治まったのである。
僕に日傘をさしてくれているのは、いつの間にか僕の傍まで移動をした王崎さんであった。
「ごめん。火照った体を冷ましてたら、遅くなっちゃった。しばらくその傘、使ってていいよ!」
「あ、ありがとう、王崎さん。それで、フェーズ2はどうなった?」
「うん。炉一のおかげでもう大丈夫」
微笑みながら、王崎さんが両腕を広げてその場で回転してみせた。
その瞬間。
どろりと。足場が柔く崩れるような感覚があった。
思わず僕はたたらを踏む。
そして視界が揺れたかと思うと。
「え?」
足場が完全に崩れ去り、僕たちは知らぬ間に空へと放り出されていた。
「「うわあぁぁッ!?」」
僕と久玲奈の絶叫が混ざり合う。王崎さんはさすがというか、余裕の表情で落下している。
僕らの周りには、崩れ落ちた血の塊が散在していた。
フェーズ2が終わったことにより、巨大王崎さんの体の自然崩壊が始まったのだ。
僕たち三人は重力に体を預けながら、崩壊する巨大王崎さんだったものを眺めていた。
血の外壁はボロボロと剥落し、落下しながら消失していく。
少しずつ、少しずつ。巨大王崎さんは自然と解体されていった。
東京に鎮座する巨大な吸血鬼は、夢のように風にさらわれ塵となっていく。
「そうか」
僕の瞳が、その光景を確かに映し取っている。
「……終わったんだ」
終わった。
終わったのだ。
王崎さんのフェーズ2は終了した。
僕たちが、東京を救った。
僕たちが、王崎さんを救ったのだ!
「ありがと! 炉一! 久玲奈!」
空中を移動し、僕と久玲奈を同時にぎゅっと抱きしめる王崎さん。ふわりとした浮遊感が、僕と久玲奈を包む。
「二人のおかげでわたし、戻ってこられた。……本当は、フェーズ2になるの、ちょっと怖かったんだ……」
珍しく、王崎さんの言葉の端は震えているように聞こえた。
「ううん。そもそも、暴走した私を止めるために桜歌ちゃんがフェーズ2になってくれたんだから、おあいこだわ。こちらこそ、本当にありがとう!」
久玲奈も、王崎さんのことを強く抱きしめ返す。
「そうだな。今回は、誰か一人でも欠けていたらこの結果にはならなかったと思う。灰谷さんも、花月さんも、篠江先生も、他の調停ヰ者の皆も。……それに、鍵市さんと山乙さんも」
「……束沙と雨梨になにかあったの?」
僕の表情からなにかを察したのだろう。王崎さんの声は、いつもより一段階トーンダウンしていた。
「二人は……」
僕が言いかけた瞬間、僕たち三人の落下速度が上昇した。王崎さんが僕たちを抱えてから、多少はマシになったはずだったのに、どうして――。
そう思いながら王崎さんを見ると。
先ほどまで存在していた彼女の翼は、あとかたもなく消失していた。
「ご、ごめん。フェーズ2の終了とともに、わたしの病ヰの力も一時的に弱まったみたい」
「え……?」」
「え……?」
そういえば、フェーズ久2が終わったばかりの久玲奈は狼耳と尻尾を失っていた。やはり、フェーズ2は後遺症として一時的に病ヰの力を失うのであろう。
「あははー。ごめん!」
「「うわぁぁぁぁぁぁ!?」」
無慈悲な重力が僕たちを襲う。
一難去ってまた一難どころの話じゃないぞこれ!?




