青春を始めるのに遅いなんてことはない ⑦
爆発の風圧にあおられながらも、僕と久玲奈を乗せた布団は今も上昇を続ける。
鍵市さんと山乙さんは果たして生きているのであろうか。不死の二人でも、さすがにあの爆発を至近距離で食らえば、もう……。
しかし、あの二人が敢えなく死んでしまうとも思えない。
そう信じているのに。
そう信じたいのに。
「うぅ、ぐ……」
涙が、止まらなかった。
「ろいちゃん……」
下から、久玲奈の視線が飛んでくる。そちらに目をやると、彼女の瞳にも涙が浮かんでいた。
「いこう。王崎さんを止めるんだ」
「……うん」
無理やりに感情を抑え込むかのようにして、僕たちは二人同時に涙を拭った。
血塊の爆発により、巨大王崎さんの腹部には大きなクレーターが出現していた。だが、体中から徐々に血を集めその傷は少しずつ修復されていく。
しかしあれは、全身を覆う血を移動させているだけだ。確実に、王崎さんを覆う血の装甲は薄くなっている。
どうやら、新たに血を生み出す力は残っていないらしい。
それに、回復を優先しているせいか、現時点で王崎さんからの攻撃は止んでいた。
そうこうしている内に、僕と久玲奈を乗せた布団は巨大王崎さんの肩の辺りにまで到達していた。
布団は上昇をやめ、首に向かって移動を始める。
しばらくすると、布団は王崎さんの右肩の辺りに着地したのだった。
灰谷さんの言った通り、その瞬間に布団を覆う念動力の壁は消えてしまった。病ヰで久玲奈を襲わないように気を付けなければいけない。
僕は、半裸の上に掛け布団だけを被せている久玲奈から思わず目をはなす。
「僕の上着貸すよ。血、ついてるけど」
制服の上を脱ぎ、それを久玲奈に渡す。
「あ、ありがと……」
久玲奈は赤面しながらそれを受け取り、一旦匂いを嗅いで微笑んでからそれを羽織った。
「あ、ごめん。臭かったかな?」
「あっ!? 違くて! 無意識で嗅いじゃってたわ!?」
「いやまあ、別にいいけど」
獣系の病ヰ持ちの習性だろうか。と、僕は勝手に納得した。
今、僕と久玲奈の目の前――前方十メートルほど先には、巨大な赤い壁が存在している。
いや、それは壁ではない。王崎さんの首だ。
そう。僕が目指していたのは王崎さんの首なのであった。
その理由は、あまりにも単純だ。
吸血鬼が血を吸うのは、一番首が適しているからにほかならない。
今回僕が立てた作戦は、なんのてらいも捻りも意外性もないものだ。
決意の眼で、僕は王崎さんの顔を見上げる。
「王崎さん。きみが最初にしてくれたみたいに、今度は僕がきみの血を吸って落ち着かせる」
作戦は、シンプルに王崎さんの血を飲みまくるというものであった。
僕は、懐から花月さんにもらったものを取り出す。
それは、花月さんによって氷結された王崎さんの血。片手でおさまるほどのサイズだ。これなら、王崎さんの血の影響で僕が暴走してしまうこともないはずだ。
コピーするため、その氷血を僕の病ヰに食わせる。
しばらくすると。
じわじわと。
じわじわと時間をかけて、王崎さんの血が、病ヰが。僕の体を駆け巡っていく。
内側から体が温められていくような感覚があった。
量が量だから、歯が尖ったり翼が生えたりはしなかった。だが、こうして僕は確かに吸血鬼となったのである。
これで、僕の準備は終わりだ。あとは……。
「ろ、ろいちゃん。お願いがあるんだけれど」
ちらと久玲奈を見ると、彼女は顔を真っ赤にして正面から僕を見つめていた。
久玲奈の肩は小刻みに震えている。王崎さんを前にした恐怖……ではないだろう。そうなると、久玲奈が紅潮している説明がつかない。
僕が久玲奈にどう声をかけようかと逡巡していると。
「ねえ、ろいちゃん」
久玲奈は目をぎゅっと瞑り、両腕をこちらに伸ばしながらこう言った。
「私のこと、ぎゅっとしてほしい」
「わかった」
「即答!?」
ぎゃあっと叫びながら、久玲奈が今度は全身を真っ赤にして飛び上がった。
「久玲奈のフェーズ2をもう一度発動させるために、久玲奈をドキドキさせる必要があるからだろ? 久玲奈は僕のことが好きだから、僕に抱きしめられたらドキドキするもんな」
「そうだけどっ! 真面目に解説しないで!? なんで鈍感なくせにそういうところは妙に鋭いのよ!?」
ぴょこぴょこと久玲奈の狼耳が忙しなく動いている。かわいい。
「ただ一つ懸念点がある。それは、僕が久玲奈と密着すると、僕までドキドキしてしまうという点だ。僕の病ヰが暴走すれば、久玲奈の命が危ない」
「危ないのなんて今更よ。……と、というか、ろいちゃんもドキドキするんだ? ふーん……?」
今度は久玲奈の尻尾がぶんぶんと高速で動き始める。
久玲奈は昔から、感情が、表情や言動に現れやすい子であった。それが、狼少女の病ヰにかかることで、より顕著になってしまった。
そういうところが本当にかわいいな、久玲奈は。
「本当にかわいいな、久玲奈は」
「はぁっ!?」
あ。声に出ていた。
久玲奈は、ぼふっと頭から蒸気を噴出させる。
――次の瞬間。久玲奈がハッとしたように両の眼を見開いた。
ざわざわと久玲奈の肌が粟立ち、次いで波打ち始める。
瞬時に全てを理解した久玲奈の口端から、小さな声が漏れた。
「ろいちゃん。出ちゃう――」
久玲奈が纏う気配が徐々に鋭利になっていく。彼女の右腕の爪が伸び、ざわざわと狼毛が広がっていく。
そんな久玲奈のことを――。
「大丈夫。久玲奈なら、病ヰを制御できる」
――僕は、優しく抱きしめたのであった。
久玲奈にしてみれば、追い打ちをかけるかたちになってしまったかもしれない。でも、考える前に体が動いてしまっていた。僕の悪い癖だ。
久玲奈の爆弾みたいな心臓の音が直接伝わってくる。そして、その音に負けないほどに、僕の心臓もビートを刻む。
至近距離で久玲奈と見つめ合う。どちらからともなく、恥ずかしそうにはにかんでお互いに目を逸らした。
いざとなれば久玲奈の血を吸って落ち着かせよう。そう思っていたが、少しすると久玲奈の鼓動は落ち着き始めた。
「ろいちゃん、ありがとう。もう大丈夫」
言われて、僕はゆっくりと久玲奈からはなれる。
彼女の姿をよく見る。久玲奈は、右腕だけが完全なる狼のそれへと変貌していた。




