青春を始めるのに遅いなんてことはない ⑥
「あたしの毒で、王崎さんの攻撃を溶かしてみせましょう。ちょっくら、特攻してきます」
「山乙、さん……」
僕は、目端で恐る恐る王崎さんを確認する。彼女が生み出した血の塊は既に五十階建てのビル相当の大きさを誇っている。
そして、今度は山乙さんに視線を移す。
するとそこには――。
今までに見たことがないほどに、毅然として僕のことを見つめる山乙さんの顔貌が存在したのだった。
「王崎さんにはたまに血をいただいてお世話になっていますから。王崎さんがいなければ、今のあたしはいません。今度はあたしが、王崎さんを救います」
「……」
あそこまでのエネルギーの塊に近づくなんて、キョンシーの山乙さんでもどうなってしまうかわからない。それこそ、爆発なんてしてしまったら……。
そう思い、僕は生唾を飲み込む。爆死をしたら死ねるかもしれないと、以前山乙さんが言っていたことを思い出したのだ。
本音を言えば、彼女にはいってほしくない。
だが、額に付いた霊符越しの彼女の表情を見ていると、口が裂けても「いかないで」とは言えなかった。それほどまでに、今の山乙さんの瞳は覚悟の火で燃え滾っている。
だから、僕は――。
「わかっ……、た」
血が出るほどに唇を噛みしめ、山乙さんを送り出すことにしたのであった。
「ありがとうございます」
山乙さんは、今までに見たことのないような大人びた微笑みをたたえてみせた。
「アマリがいくなら、タバサが連れていく」
「鍵市、さん……」
「あと、シンプルに、自分の命の危機は興奮するから、いく」
「……う、うん」
こんなときも、鍵市さんは鍵市さんだ。
山乙さんは一人では飛べない。だからこそ、鍵市さんの協力は必要不可欠だろう。
覚悟はしていたが、本人の口からそう告げられるとさすがに胸にくるものがあった。
二人は不死とはいえ、油断はできない。
なにせ、相手はあの最強の吸血鬼であり最強の調停ヰ者、王崎桜歌。それに、今の彼女はフェーズ2に覚醒しているのだ。
……最悪の未来も、想定しておかなくてはいけないだろう。
でも、ここで鍵市さんを止めるわけにはいかない。
王崎さんをとめるためには、僕と久玲奈の力が絶対に必要になってくるからだ。
「……。頼めるか? 鍵市さん」
「当たり前」
どんと、鍵市さんは自分の胸を力強く叩いてみせた。
「もう時間がない。アマリ、いこう」
「あ、すみません。最後に一つだけ入村さんに伝えたいことがあります」
「? うん」
「本当に死んでしまうと、伝えられないくなりますから」
山乙さんは、髪先でも弄るかのように、自分の額の霊符を指先ですりすりとしている。
「ええとその。あたし……。入村さんのこと」
彼女は、頬を紅潮させながらこう言った。
「……結構、うぉーあいにー、ですよ……」
「え」
「え」
「え」
数秒の沈黙の後、僕と久玲奈と鍵市さんの呟きが重なった。
ばっくんと高鳴る僕の心臓。溢れ出そうとした病ヰを無理やりに鎮めるため、僕は慌てて自分の胸を二度ほど強く殴った。
「あ、いや、でも! 別に深い意味はないっていうか。ほら、あたし、感覚鈍磨系キャラのキョンシーですし……?」
どうにも最後はキョンシーキャラに逃げたように思えたけど、とにかく、山乙さんが僕のことを好きだと思ってくれているという事実はとても嬉しい。
「ありがとう。僕も――」
好き。
そう言おうとして、僕の脳がその言葉にストップをかけた。
僕が発する好きという言葉は、もしかしたらちょっと軽いのかもしれない。でも、僕が山乙さんのことを好きなのは事実だ。
ちょっと、不誠実だろうか。色んな子に好きと言うだなんて。
でも、僕はこの気持ちに蓋をしたくない。
それが、偽らざる僕の気持ち。
それに、今を逃すともう山乙さんには会えなくなるかもしれない。
……だから僕は。
「ありがとう。僕も好きだよ」
てらわずにそう言ったのだった。
すると、山乙さんは耳まで真っ赤になってしまった。
「……あう」
帽子をきゅっと下げてしまったので、山乙さんの表情を窺うことはできなくなってしまう。
「むー。ずるい。タバサもロイチのこと好きなのに」
鍵市さんは、子供のように頬を膨らませてジト目を僕に送ってくる。
「はは。勿論、鍵市さんのことも好きだよ」
「ふふー。知ってる」
なんて、新婚みたいな会話を繰り広げる僕と鍵市さんに、久玲奈の冷たい視線が飛んでくる。
「ふ、ふーん。随分モテるわね、ろいちゃん」
「いや、えっと。これは……」
「……って。駄弁ってる暇じゃなかったですね。いきましょう、鍵市さん」
「うん。れっつらごー」
そうして、山乙さんを抱えた鍵市さんはソニックウェーブ染みた波紋だけを残して去っていってしまう。
「鍵市さん、山乙さん、絶対に死なないで!」
僕は、二人の不死に向かって声をかける。
すると、二人は僕に背中を向けたまま親指を立ててみせた。
「死なない。――タバサ、不死鳥だから」
「死にませんよ。――あたし、キョンシーですから」
二人は、たったの数秒で王崎さんの血塊の目前まで辿り着いた。これが、鍵市さんの本気の速度なのであろう。
「ぶちかませー、アマリ」
「言われずとも。……あ。周りの調停ヰ者の皆さんは、一応避難を。調停ヰ者ではないあたしがでしゃばって恐縮ですが。一応不死なのでご安心を」
山乙さんが言うまでもなく、空を飛ぶ調停ヰ者は王崎さんの血塊から距離を取っていた。
「それじゃ、『それでも心は腐らない』の山乙雨梨、参ります」
山乙さんは、今も増大を続けるそのエネルギーの塊に爪を立てようとする。
「えっと、なにか技名とか叫んだ方がそれっぽいですかね? 王崎さんが技名叫ぶの、憧れてたんですよね。よし、じゃあ……。『僵葬送爪尸』!」
瞬間、山乙さんの爪が十メートルほど伸長した。
風を切りながらその爪は突き進み、それらは全て王崎さんの血塊に突き刺さる。
ドクドクと。山乙さんの指から、赤紫のような粘性のなにかが爪を伝って血塊に入りこんでいく。山乙さんの、キョンシー式の毒だ。
毒を流し込まれた血塊の表面は、太陽のコロナみたいにぐつぐつと煮立ち始めた。
山乙さんの毒によって溶けた血は、赤黒く濁って落下していく。その度に血塊は小さくなるのだが……。
「駄目だ! 王崎さんの血の供給量の方が、山乙さんの毒を上回ってる……!」
溶けた分、確かに王崎さんの血塊は縮小している。
しかし、それでも! 血塊の増幅は止まらない!
「う……おぉぉぉぉぉぉあぁッ!」
叫び、山乙さんが毒の放出量を増す。彼女の指だけでなく全身から毒が表出し、それが爪を伝って血塊を溶かす。
「す、凄い。アマリにこんな力が?」
「正直、あたしもびっくりしてます。感情が昂っているからでしょうか」
しかし、山乙さんの体から溢れた毒により、山乙さんを抱える鍵市さんの体も溶け始めてしまう。
「あ、ごめんなさい! あたし、出力が安定しなくて――」
「大丈夫。タバサは死なないから、もっとぶちかまして。絶対、オウカを救おう」
「――はい!」
表情を引き締めた山乙さんを見て、鍵市さんも眼光を鋭くした。
「アマリにばかり頑張らせない。タバサも手伝う」
言下、鍵市さんは背中の炎の一部を前方に飛ばし、血塊の表面を焼け削ぎ始める。
「『灼け朽ちた翼』、鍵市束沙。タバサが速いのは移動速度だけじゃない。攻撃速度も」
鍵市さんが降らせる炎の雨は、僕の目では追い切れない速度をほこっていた。
山乙さんが溶かし、鍵市さんが燃やし尽くす。
いつの間にか、二人の攻撃速度と血塊の成長速度は拮抗していた。
「鍵市さん! もっと近づけますか!? 爪からだけじゃなく、あたしの体から直接毒をぶちこんでやります! あたしが血塊まで到達したら、鍵市さんは避難してください。もし爆発でもしたら、例え不死鳥のあなたでも……」
「危ないのは、アマリも同じ。アマリにだけ、危ない思いはさせない」
ふわりと。毒で体が溶けることも厭わずに、鍵市さんが後ろから優しく山乙さんを抱きしめる。
「だから最期は一人にさせない。死ぬときは一緒。タバサも付き合わせて。アマリの毒で溶けて脆くなったところを、タバサの火で内側から爆発させる」
「鍵市さん……。でも」
「タバサは結構、アマリのことが好き。アホっぽいところとか、好感が持てる」
「それ、褒められてます?」
「うん」
鍵市さんと山乙さんは二人して、ふっと力のない笑みを浮かべた。
「あたしも好きですよ、鍵市さんのこと。だってあたし、鳥さんのことが大好きですから」
山乙さんの視線は、鍵市さんの炎の翼に向いていた。
「ありがと。でも、タバサは、鳥は鳥でも死なない鳥。……だけど、これはさすがに死ぬかも。ゾクゾクする」
目の前に迫るエネルギーの塊を見て、鍵市さんは笑みを浮かべていた。
「……でも、アマリと一緒なら、不思議と怖くない。じゃ、一緒に逝こう。アマリ」
「はい」
そうして、鍵市さんと山乙さんは王崎さんの血塊の中に入り込んでいく。
それは、ただ湯船に入るかのような、あまりにも自然な動作であった。
二人の姿が完全に血塊の中に消える。
血塊の表面は毒により波打つように揺蕩って、やがて内側から炎の帯が漏れ出した。
そして、数秒後。
東京中を、眩いばかりの光が舐めあげる。
空を割るかのような轟音とともに、王崎さんの血塊はあとかたもなく吹き飛んでしまったのだ。
「――っっっ!」
その音により、僕の叫声はあえなく掻き消されてしまった。




