青春を始めるのに遅いなんてことはない ③
微細に砕かれた大剣の破片が乱舞し、東京中がダイヤモンドダストに抱きしめられる。
誰もがその光景に見入る中、上から魔法少女の情けない声が降ってくる。
「あいたぁッ!? すみません、花月さん! 今ので腰! 腰やりましたぁ! 私はもう戦えませぇん!」
「あらまぁ、気の毒に。ほな、わちの帰りは新幹線やねぇ。腰、氷で冷やしとくとええよ、篠江センセ」
花月さんが扇子を振ると、落下中の氷の一部がひとりでに動き、篠江先生の腰の辺りに添えられた。
そして、花月さんの鋭い視線が巨大王崎さんに飛ぶ。
「桜歌はん。もうこのあんたさんの血、凍らせた分はわちのもんやさかい。好きに使わせてもらうなぁ」
そうして花月さんは、扇子を口元に当ててからはなし、投げキッスを王崎さんに送った。
「桜歌はんの血やから、ええ威力になるんやない?」
刹那、篠江先生によって砕かれた氷塊たちが一斉に王崎さんの体を襲った。
それはまるで、氷の流星群。
王崎さんは半分ほどになった大剣で応戦する。だが、いつの間にか花月さんが飛ばした蝶により腕の一部を凍らされ、動きを阻害されていた。
結果、花月さんが放った氷の弾丸はそのほとんどが王崎さんに命中した。
「うふふ。ほな、一個いただきましょかぁ」
そう言って花月さんは、手元にあった氷を自分の口に含んだ。
「ん~……! 桜歌はんの血のしゃぁべっと、えらい美味しいわぁ。おみやげに、ちょっと京都に持って帰ってもええ? 美味しいかき氷、作らせてもらうさかい」
言って、花月さんは着物の袖の辺りに幾つか氷をしまったのであった。
地上にいる僕たち五人は、空で行われる規格外の調停ヰ者たちの戦闘にただ口を開けていることしかできなかった。
「花月さん! せっかくきていただいて申し訳ないのですが! 私の腰の! 限界です! 一度地上に降ろしますね!」
「あらぁ。ホンマ? ま、しゃあないなぁ。篠江センセ、京都と東京全力で往復してくれはったもんなぁ。……ほなあとは、わちは遠くから、さぽぉとでもさせてもらいましょか。わちは不死身やないさかい、今の桜歌はんと真っ向からやるんは怖いもんなぁ」
そう言う花月さんの口元は、余裕な笑みを含んでいる。全く底の知れない人だ。
「ほな、桜歌はん。またあとでなぁ。ちょっと、そこで休んどいてぇや」
花月さんが氷の息を吐く。その息吹に向かって花月さんが扇子を振るうと、氷の蝶たちが分裂と増殖をしながら空の下を埋め尽くした。
氷蝶は王崎さんの体全体にまんべんなく群がり、瞬きの間に彼女の全身を氷漬けにしてしまった。
あまりにも鮮やかで大規模な病ヰに僕が息を呑んでいると、花月さんは咳き込みながら篠江先生にこう告げた。
「……がふッ。ちょぉっと無理したなぁ。……はぁ、これでも薄皮一枚凍らせただけやでなぁ。桜歌はんならすぐ復活しそうやわ。でも、立て直す時間くらいは稼げるやろ。篠江センセも休ませなあかんしなぁ」
「す、すみませ~ん……!」
そうして、花月さんを乗せた篠江先生が、僕たちの元までやってきた。
花月さんは、篠江先生のステッキから瀟洒に降り立った。
「初めましての人は初めまして。京都の調停ヰ者やらせてもらっとります。翠西学園の花月アゲハいいます。えろぉ大人びてみえるやろぉ? でも、たぶん皆と同じ年やさかい、気楽にな。どうぞ、よろしゅう」
そうして花月さんは、僕たちに雅に頭を下げた。
「ありがとう、花月。それに先生も。助かった」
僕たちを代表して、灰谷さんがお礼を言ってくれた。僕たちは二人の調停ヰ者に頭を下げる。
「うふ。そんなんええて、嵐々はん」
どうやら、調停ヰ者である二人は知り合いのようだ。
「きみらは東京の子らやね。桜歌はんの今のくらすめぇとなんやって? 毎日桜歌はんと過ごせるやなんて、ほんまに羨ましいわぁ」
頬に手を当て、子供のように笑う花月さん。王崎さんについて語るときだけは、彼女の大人びた風合いは鳴りを潜め、年相応の表情を見せてくれる。
僕は、豪華な意匠があしらわれた花月さんの和服に目を奪われる。
遠くから見たときは、赤い金魚のような模様に見えたが、それはよく見ると――。
――全て、デフォルメされた王崎さんの顔のイラストの刺繍なのであった。
僕の視線に気が付いた他の四人が、花月さんの服を見てぎょっとした表情をした。
「ああ、これ? 名うての職人さんに頼んでなぁ、おーだーめぇどで作ってもらってん。ええやろ? 桜歌はん柄。桜歌はんに会えるて聞いて、急いでこれに着替えてん。やから、到着がちょぉぉっとだけ遅れてもぉて。いや、堪忍なぁ」
僕以外の四人は、花月さんの偏愛っぷりに引いてしまっているようだが、僕は違った。
「めちゃくちゃ素敵な着物だ……!」
目を輝かせ、僕は花月さんの和服に心からの賛辞を送った。
花月さんは一瞬だけ目を丸くした。が、すぐに扇子で口を覆い、双眸を嬉しそうに糸にした。
「ほぉやろぉ? ええせんすしとるねぇ、きみ。きみも桜歌はんのこと好きなん?」
「うん。とっても」
「そかそか。ほな、わちらはもう友達や。桜歌はん大好き同盟、やね」
にこりと笑ったあと、花月さんは小さな声でこう言った。
「――ほんで、らいばるでもあるわけやね」
僕はその言葉の真意がわからず、曖昧に笑うことしかできなかった。
「花月さんのことは、篠江先生が連れてきてくれたんですか?」
僕の問いに、息も絶え絶えの篠江先生が答える。
「あ、そう、です……。フェーズ2が一気に二人も現れたと知って……これは花月さんにきてもらわないとヤバイと、思ってですね……。魔法少女になって、京都までかっとばしてきました」
「ホンマ、お疲れさん。よう休んでなぁ」
「そう、させてもらいます……。も、もう二度と変身できないかも……」
言いながら、篠江先生は変身を解いてその場に座り込んでしまった。
「悠長に話しとれるんもこの辺までやね。わちの氷の殻、桜歌はん、破ってまいそうやわ」
王崎さんを見上げると、既に花月さんの氷は半分ほどが剥がれ落ちてしまっていた。
「花月さんなら、今の王崎さんを止めるられる?」
僕は、一瞬で王崎さんを凍らせた花月さんの技量を思い出していた。
しかし、花月さんはすげなく首を振る。
「無理やね。さすがのわちもフェーズ2の桜歌はんには敵わへんよ。それに、さっきの氷結で実はかなり力使ってもうたしなぁ……。あとどれくらい動けるか、わかりまへん」
朗らかに唇を緩める花月さん。しかし数秒後、彼女は表情を引き締めた。
「……でも、あんたはんならなんとかできるんとちゃうの? ……ええっと」
花月さんにじっと見つめられ、たじろぎながらも答える。
「僕は、入村炉一。……でも、どうしてそう思ったんだ?」
「そか、炉一はんな。……。だって、あんたはんの目、ぜーんぜん死んでないんやもん」
「……」
「それに、炉一はんのお友達も、みーんな瞳にごっついおっきな炎宿してはる。桜歌はんを救いとぅてたまらんって目や。皆、桜歌はんのこと慕ってはんのやね」
「あなたたちがきてくれるまでは、普通に死を覚悟してましたがね」
空気を読まずに発された山乙さんの言葉に、花月さんは、ふっと吹き出した。
「そうかぁ。ほんならわちは、ホンマにきみらの救世主やったんやね。……でも、桜歌はんの救世主になるんは、きみらやね。今回はその役目、譲るさかい」
花月さんの温かな瞳が、僕ら五人に注がれる。
「大切なくらすめぇと、救ってき? わちも、全力で手助けするさかい」
その言葉に、僕たちは同時に力強く頷いた。
「……あ。失敗したら許しまへんえ? わちも、桜歌はんのこと大好きやからねぇ」
ぱちんと扇子を閉じ、花月さんは冷ややかに目を細める。
花月さんは、体を硬くする僕らをしばらく観察して、やがて相好を崩した。
「うふ。冗談やて」
たぶんだが、今のは冗談ではない気がする……。
「ほな、いってきなんし。桜歌はんが動けへんよう、足元はずぅっとわちが凍らせとくさかい」
そう言って僕たちに手を振る花月さん。
「そうだ。花月さんに一つだけお願いがあるんだけど」
「ん。どないしたん?」
「えっと――」
僕が花月さんに近づき、耳打ちをすると。
「……うふ。炉一はん、ホンマにええ趣味しよるなぁ。わち、あんたはんのこと気に入ったわ」
そう言い、彼女は今日一番の笑みを浮かべたのだった。




