彼女は高嶺の吸血鬼 ⑩
そこにあったのは、神から形を賜った修羅の姿。いつもの二倍ほどの大きさの血の翼を生やした王崎さんが立っていた。
彼女の目は虚ろで、意識がないことは一目でわかる。
王崎さんはすぐに目を覚ましたのだろう。それに、フェーズ2もまだ消えていないようだ。
横目で灰谷さんを見ると、彼女は久玲奈を乗せた布団を超能力で建物の影に移動させていた。王崎さんとの戦闘に巻き込まないように配慮してくれたのだろう。
「よそ見すんな入村ッ!」
灰谷さんの声で我に返る。
視線を前に戻したときには。
僕の視界は、王崎さんが放った血の弾丸で埋め尽くされていた。
「う、おあああああぁぁッ!?」
咄嗟に病ヰを展開して身を守ったが、コンマ数秒遅れて何発か体にもらってしまった。灰谷さんの心配は……。必要ないだろう。彼女ならどうとでも捌けるはず。
血液の弾丸は、何重にもした僕の病ヰを簡単にえぐってくる。さすがはフェーズ2に覚醒した王崎さんの病ヰ――って、感心してる場合じゃない!
僕は、王崎さんの攻撃に押されて少しずつ後退していく。闇を削られる度に病ヰを展開するが、全く間に合わない。
左腕の切断面がうずき、自分の病ヰの制御が上手くいかない。
僕の病ヰの間を縫って、王崎さんの血の弾丸が容赦なく襲い、僕の体を掠めていく。
ああ、まずい、マズい!
僕は皆みたいに不死身じゃない。
致命傷をもらえば一発で終わりだ。
でも、それが臆す理由にはならない。
王崎さんは、フェーズ2になってでも久玲奈を止めてくれた。その後、暴走した王崎さんのことを僕たちが必ず抑えられると信じてくれたからだろう。
だから。
「こんなところで死ぬわけにはいかないんだ……ッ!」
勇んでみるが、僕の病ヰの出力は変わらない。いくら病ヰが感情の昂りに応えるとはいえ、僕は既に満身創痍。これ以上の出力は望めないだろう。
視界がぐらつく。血を失いすぎた。
「入村ッ! 大丈夫か!?」
どこかから、灰谷さんの声がする。
ああ。そうだ。彼女の声で思い出した。少し前、灰谷さんが教えてくれた僕の病ヰの最新解析情報のことを。
あれが本当だとすれば、僕がどうにかこうにか頑張ればこの状況も打破できるのかもしれないが……。例えば、王崎さんの病ヰを食らうとか。……でも、もう病ヰを緻密に操作する精神力はない。
瞬間、僕の視界に空が映った。
どうやら、自分の体から出た血で足を滑らせて体勢を崩し、上を向いてしまったようだ。
全てが、スローモーションに見える。
仰向けのままにアスファルトに倒れゆく僕の体を、無慈悲にも襲うのは王崎さんの死の弾丸。
灰谷さんがなにかをしようとしてくれているが、恐らく間に合わないだろう。
僕の病ヰは……? いや、もうボロボロすぎて防ぎきれるはずもない。
ごめん、王崎さん。
きみに、僕を殺させてしまって――。
最期に僕は、力なく瞼を下ろそうとして。
「……え」
僕は、視界の端でそれを見た。
それは、最強の吸血鬼よりも更に速い……。
――不死鳥が纏う炎の欠片。
「お。ロイチ、苦戦してる」
僕の前に降り立ったその不死鳥は、降り注ぐ血の弾丸を自身の炎で全て焼き切ってしまった。
焼ける血の灰を侍らせながら、最速の不死鳥はこう囁いた。
「やっほ。ロイチ。ロイチのピンチに、タバサが降臨」
彼女は……鍵市さんは、顔だけでこちらを振り返り真顔でサムズアップをしてみせた。ダサかっこいい!
「鍵市さんッ!」
喜びの涙が僕の頬を流れていく。その雫が顎に到達する前に。
「あたしたちがきたのでもう大丈夫です。キョンシー的に言えばね。……あ、今のいいな。キメ台詞にしようかな」
「この、脊髄で喋っているような適当な台詞は……!」
声がした方向を見ると、とんでもないスピードで落下してきたキョンシー娘が、僕の目の前でアスファルトにクレーターを作りながら着地を決めていた。
「山乙さんも!」
「ふふ。あたしがきたからにはもう安心です。……あ、今の着地で下半身がイカれたので少々お待ちくださいね」
アスファルトにぶっささり、下半身がぐちゃぐちゃになりながらそう言うのは、やはり山乙さんであった。
「あ、やば。アスファルトの中で再生始まってお見せできない状態になってる」
「大丈夫!?」
「まあ、大丈夫でしょう。キョンシーですし」
そう言いながら山乙さんは、ズタボロの下半身をなんとか地上へと引き抜いたのであった。
「ロイチ。怪我痛そう。大丈夫?」
「ん。なんとか」
上目遣いで僕を見上げる鍵市さんに、僕は精一杯の強がりの笑顔を返した。
「なにか良い匂いがすると思ったら入村さんでしたか」
「きみは酔っちゃうから、あんまり嗅がないでね」
「もう嗅ぎなれて、入村さんの血には耐性がついてきました。ちなみに、キョンシーの唾には治癒能力があるのですが、いかがです? ひとぺろしましょうか?」
「そんなの初めて聞いたけど!?」
「キョンシージョークです。舐めたかっただけなので」
「舐めたいってのもキョンシージョークであることを祈るよ」
「……その、本当に大丈夫ですか? 腕」
「ああ、うん。大丈夫」
なんだかんだ心配してくれる、優しい山乙さんであった。
「なんだお前ら、やっぱきたのか。ボクはくるなって止めたんだけどな」
そう言う灰谷さんの口元は、なんだか緩んでいるようにも見える。
「ランラン、素直じゃない。タバサたちがきて嬉しいくせに。アマリを担ぎながらここまでぶっ飛ばして、タバサ疲れた。ねぎらって」
「はいはい。助かったよ。調停ヰ者じゃないお前らを巻き込むのは嫌だったんだが、そうも言ってられねぇわな……。おらッ!」
灰谷さんの声とともに王崎さんが急に浮かび、ビルの壁面に叩きつけられた。
鍵市さんと山乙さんがきてくれたことにより王崎さんの弾幕が薄まった。それで少し余裕のできた灰谷さんが王崎さんを念動力で吹き飛ばしたのだろう。
「よし、布団がないからやる気と集中力は半減だが、仲間のピンチだ。今日のボクは布団なしで頑張ってやろうじゃんか」
地に足を着け、灰谷さんが拳の骨を鳴ら……そうとして、骨の鳴る音とともに「いった!」と叫んで飛び跳ねていた。慣れないことするからだよ。でも、怠惰な彼女がやる気になってくれたのはなんだか嬉しい。
「王崎さんにはいつも血をいただいて恩が絶えません。今度はあたしが王崎さんを助ける番です。キョンシー的に言えばね」
あ、その言い回し本当に気にいったんだ。
「タバサも、桜歌のために本気出す。封じられた第三の翼を解放するとき」
いや、絶対そんなのないよな?
三人の病ヰ持ちに囲まれながら、僕はボロボロの体に鞭打ってなんとか前を見据える。
そこに立っているのは、破壊されたビルの壁から抜け出した最強の吸血鬼、王崎桜歌の姿。
僕たちを助けるために、僕たちを信じてフェーズ2になった王崎さんを、今度は僕らが助ける番だ。
僕は、王崎さんに頼ってばっかりだ。王崎さんに助けられてばっかりだ。
僕の頭には、初めて病ヰが暴走し、王崎さんが華麗に助けてくれた場面が思い浮かんでいた。
「王崎さんは、僕の青春を殺さずに生かしてくれた。だから今度は僕が、きみに青春を殺させない」
そう強く言い切ると、隣から灰谷さんの声が聞こえてきた。
「僕は、じゃなくてボクらは、だろ?」
目をやると、彼女はニヒルに唇の端を上げている。
「王崎に助けられてんのは、お前だけじゃねンだよ」
「……うん」
そうだ。ここにいる三人を始めとして、王崎さんに助けられている人は数知れずいる。
そんな青春の守り神たる王崎さんに、僕らは真正面から対峙する。
「いこう。王崎さんを……僕らの青春の象徴を取り戻すんだ!」
僕の怒号が開戦の合図となる。
青春を取り戻す戦いが、始まる。




