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彼女は高嶺の吸血鬼 ⑤

 久玲奈(くれな)は、肩を震わせながら僕と王崎(おうさき)さんとに交互に視線を送っている。

 そのまま彼女は口を手で押さえ、愕然として肩を落とした。


「久玲奈! これは違くて……!」

 と、必死に弁明しようとする僕。


炉一(ろいち)の血、うみゃい……」

 王崎さんは、恍惚の表情を浮かべて昇天しかけている。どうやら久玲奈の存在に気が付いていないらしい。


 俯く久玲奈に、僕は早口で説明をする。

「さっき好戦的な病ヰ(やまい)持ちに絡まれて、王崎さんが僕を守ってくれたんだ。だからこれは、栄養補給の吸血だから別に変な意味はなくて――」

「それは、わかってる」

 久玲奈の口から漏れたその言葉は、僕の想像したものとは少し違っていた。


「見れば、わかるわよ」

 久玲奈の声は熱を帯びている。


 彼女は、自分の胸に手を当て微かに唇を震わせた。


「だからこれは……。この感情は、私が勝手に燃え上がらせているだけ。私が、勝手に嫉妬して、勝手に傷ついてるだけ。だから……」

 久玲奈の長い銀髪と、獣耳の毛がぶわりと逆立つ

「だから、止まってよ! 心臓の鼓動ッ!」

 普段の彼女からは想像もできないほどの叫声が木霊した。


 その声に、さすがに王崎さんの意識も現実に回帰したようで、彼女は目の前の久玲奈を見て眉をひそめた。

「久玲奈!? ……って、これは……!」

 王崎さんの声には、不安と焦燥とが混ざり込んでいた。


 途端、大きな影が僕と王崎さんを覆い隠した。雲ではない。雲は先刻王崎さんが晴らしてくれたから。


 その影を生み出しているのは、今しがた自分の体を膨張させている久玲奈なのであった。


 久玲奈の体は、全身から獣の毛を生やしながら徐々に巨大化していく。その姿はまるで、巨大な狼のようだ。


 体重が増えてバランスを崩した久玲奈の足が、彼女が落とした紙袋を踏み抜いた。

 ぐしゃりと嫌な音がして、なにかが飛び散った。白いクリームのようなものが弾け、久玲奈が蹴り飛ばしたなにかが僕の方に転がってくる。


 それは、いちごであった。


「あ……」


 そこで僕は、今日がなんの日であるのかを思い出した。


 今日は、僕の誕生日。自分に興味がなさすぎて忘れてしまっていた。

 まさか久玲奈は、僕のためにケーキを用意してくれたとでもいうのだろうか。


「ごめ、ん。ろい、ちゃん」

 久玲奈は、なおも体を膨張させながら僕に声をかける。


「駄目だった。私の心臓、止まらなかった。二人がそういう仲じゃないってわかってるのに。目の前で二人が仲良くしてるのを見たら……嫉妬が、抑えられなかった。ろいちゃんが桜歌(おうか)ちゃんのこと好きだって、わたし、わかってた、のに……」


 今の久玲奈の体は、普段の彼女の二倍ほどの大きさをほこる。制服はとっくに破れ、今は全身を銀の狼毛が覆っている。彼女は強靭な四肢で地に立ち、四足歩行の構えを取っている。


「だって、ろいちゃん、私……」

 久玲奈は尚も成長を続けながら、伸びたマズルを僕に向ける。見た目が巨大な狼のように変じても、僕を見据える彼女の瞳は綺麗な久玲奈のそれのままだ。

 久玲奈はその双眸から一筋の涙を流し――。


 そして。


「――ろいちゃんのこと、好きだから」


「久玲奈……」


 一瞬にして僕の目の前に、開いた巨大なアイアンメイデンが現れる。

 ……否。それは、僕を食らおうとする久玲奈の大口であった。


 久玲奈の目に光は宿っていない。恐らく、彼女はもう意識を失っている。

 これは、病ヰの暴走だ。


「炉一ッ!」

 王崎さんが叫び、僕を守ろうと血の盾を展開させる。だけど、それよりも久玲奈の牙が僕の体を貫く方が早いだろう。

 だから僕は。

 その久玲奈よりも更に速く自身の病ヰを展開させて自分の身を守った。


 青ヰ春殺し(ブルー・マンデー)が僕の体を包み込み、久玲奈の牙を弾く。むしろ、僕の闇に蠢く牙が久玲奈の牙を食いちぎらんと襲い掛かる。


「待て!」

 僕が指示を出すと、青ヰ春殺しは中途で動きをとめる。その隙に、久玲奈はバックステップで僕から距離を取った。この間も、久玲奈の体は成長を続けている。


 病ヰの出力は、感情の昂りに左右される。……そうか。久玲奈は、こんなになるほど、僕のことが……。

 その純粋な思いに、僕の胸はぎゅっと締め付けられた。


 後ろから、王崎さんの声が飛んでくる。

「炉一! 大丈夫!? それにしても、今の病ヰの扱い――」

「極限の状態で、ちょっと集中力が増してるみたいだ」

 鍵市(かぎいち)さんと山乙(やまおと)さんとの秘密の特訓のことは、隠しておこう。


「王崎さん! それより、久玲奈を落ち着かせないと!」

 そうして、僕と王崎さんは隣合って久玲奈に向き直る。


 僕の体からは絶えず闇の病ヰが噴出している。しかしそれは、王崎さんや久玲奈を襲うことなく僕の近くに滞在していた。


 久玲奈はというと、いつの間にか近辺のビルを追い越すほどの大きさに成長していた。

 その姿はまるで、おとぎ話でしか存在が許されないかのような、神秘的な巨狼であった。現在の彼女の全長は、優に十メートルを超えるであろう。そこでやっと彼女の成長はとまった。


 そして久玲奈は、僕と王崎さんを見下ろし再び口を開けた。


 ――咆哮。


 空を割り、大地を揺らす勢いの久玲奈のその声に、僕と王崎さんは思わず耳を押さえる。

 そんな僕たちを踏み殺さんと、久玲奈は右前足を強く踏み下ろす。その機先を制し、王崎さんが僕を抱えながら羽を広げてなんとか退避する。


 先ほど僕たちが座っていたベンチが簡単に踏み潰され、その周囲に大きなクレーターが穿たれた。


「助かった! 王崎さんがいなければ死んでたよ」

「もう! 炉一は死んだら死ぬんだから気を付けてよね!?」

「いや、普通は死んだら死ぬんだよ」

 空中で王崎さんに抱えられながらも、僕は顔を引き締める。


「僕は、王崎さんと違って久玲奈と戦えば死ぬ可能性がある。でも、それでも。僕は久玲奈と(向き合)いたい。久玲奈は、こんな僕のことを好きって言ってくれたから」

 王崎さんは、黙って僕の横顔を眺めている。


「たぶん、これから僕は無理をする。それに、王崎さん一人の方がいいかもしれない。でも、僕も一緒にきみと戦わせてくれないか」

「……ふふ。いいよ? 炉一にはもっと強くなってもらわないとだから!」


 王崎さんが歩道に着地する。王崎さんの腕から解放された僕は地面に足をつけながら久玲奈を見上げる。


「さあ、さっさと終わらせよう。こんなになるまで僕のことを好きでいてくれる久玲奈の思いに、応えないと」


 巨狼となった久玲奈を見あげ、僕は灰谷さんの予知を思い出していた。彼女は、巨大な相手に気を付けろと、そのようなことを言っていたはずだ。

 あれが、巨大な雷雲を生み出した須郷のことではないのだとしたら……。


「不穏だな」

 小さく呟いたその瞬間。


 ――大気が震えた。


 まるで開戦の合図かのように、再度久玲奈が東京中に木霊するかのような大叫声をあげたのだ。


 僕らは、今度は耳を塞ぐことなく、久玲奈に向かって駆けだしたのであった。


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