幼馴染は半狼 ②
僕が紫東学園に転入して、三週間が経とうとしていた。
その間、僕は一度も学園の外に出ていない。それは、僕の病ヰの暴走を案じての倉骨先生の判断であった。
だが僕はこの三週間で、自分の病ヰでクラスメイト以外の誰も傷つけていなかったのである。無論、僕はクラスメイトのことも傷つけたくはないのだけど……。
「炉一! なにか余計なこと考えてるでしょ!? そんなんじゃわたしを殺せないよ!」
目の前にいる王崎さんが、自身の血を凝固させて作った禍々しい紅の盾で僕の闇を受け止める。
現在、昼休み。
僕と王崎さんは、学園施設内のトレーニングルームの一室で訓練を行っていた。
紫東学園には屋内、屋外を問わず様々な場所に病ヰのトレーニングを行うことのできる施設が点在している。
僕は、改めて王崎さんを観察する。今回の僕の勝利条件は、王崎さんに一撃を入れること。そして、彼女からは僕に攻撃をしないという縛り付きだ。
このトレーニングルームは、僕の特別指定寮の壁と同じ特別な素材でできているようなので、ある程度は暴れても壊れないらしい。
それでもきっと、王崎さんレベルなら破壊できるのであろうが、発展途上の僕は気にしなくてもいいだろう。
つまり、ここでなら僕は無理に自分を抑える必要はないというわけだ。たぶん。
僕は、普段自分にかけているリミッターを意識的に解除する。強くなるために、僕は僕の限界を超える。
純粋な僕の気持ちに病ヰが答えてくれたのだろうか。轟々としたうなりをあげながら、僕の闇が巨大化しながら四方八方から王崎さんに食らいつく。
しかし、王崎さんの血の盾はまるで良質なクッションかのように僕の闇の衝撃を全て吸い上げる。
その盾は硬質であるというわけではなく、ダイラタンシー──力を加えられると硬質化するような性質を持っているのであろう。
「なんで不死なのに防御の術も持ってるんだ!?」
「最強だったらそれくらいできなくちゃでしょ!? 不死殺しの病ヰ持ちが現れないとも限らないから!」
驕らないその姿勢、マジかっこいい。好き。
「くそ! そういうところが好きだ!」
「ありがとう!」
なんてやり取りも日常になってきた。
しかし前から不思議に思っていたが、彼女はどこからあの無限のリソースを得ているのだろう。力を使いすぎて、貧血になったりしないのだろうか。
「持久戦に持ち込もうとしても無駄だよ、炉一。わたしは、体内で無限に血液を生成できるから」
まるで僕の心を読んだかのように、王崎さんはそう言ってのけた。
だから、そのリソースはどこからきてるんだよ。
「病ヰってなんでもありだよな」
「理の外の存在。それが病ヰだからね」
王崎さんが手を振るうと血の盾が押しあがり、僕の闇を弾き飛ばした。
力任せでは彼女の盾を破れないことはわかった。ならば、次の一手を考えなければ。
特殊な性質を持つ彼女の血の盾を突破するにはどうすればいい?
小さい頃、僕はダイラタンシーで遊んだことがある。片栗粉を水に溶いたらそれっぽいものが作れるのだ。
ボウルに入れた水溶き片栗粉を叩くと硬化したように僕の手に反発するが、ゆっくりと手を入れると抵抗感はあまり感じなかった。
つまり、この盾の攻略法は──。
僕は、再び『青ヰ春殺し』で王崎さんを襲った。
彼女は先刻同様血の盾で身を守ろうとする。
闇と血の接触寸前、僕は必死に自分の病ヰに命令する。スピードを殺せ、と。
僕の闇は、急ブレーキをかけたかのように速度を落とした。勢いのほとんどを失った闇が王崎さんの盾に触れた瞬間、今度はゆっくりと進むように闇を動かしてみる。すると。
──ずぶずぶと。
闇は、水溶き片栗粉を掻き分け緩慢に進むあの日の僕の手のように、王崎さんの血の盾を貫いていく。
王崎さんが驚いたように片眉を上げ、そしてすぐに口元だけで笑ってみせる。
「やるね、炉一」
王崎さんが一つ瞬きをすると、僕の闇の動きが止まった。どれだけ命令をしても、それ以上血の盾を掻き分けて進まなくなったのだ。
先刻までとは手ごたえがガラリと変わった。今は、ただ硬い壁を相手取っているかのように感じる。
「まさか、盾の性質を変えたのか?」
「正解。相手の攻撃に合わせて盾の性質を変えてるの。硬い盾は大体の攻撃は防げるけど、連撃を加えてダメージが蓄積するとすぐ壊れちゃうから」
だから、勢いで突っ走る僕相手にはだダイラタンシーの盾を使っていたのか。
感心しながら、僕が闇を引き抜こうとする。
だが。
「……ぐっ」
僕はその場に膝をついてしまった。体力と気力の限界がきてしまったのだ。
制御を失った僕の病ヰが巨大化し、大きな闇となって王崎さんもろともこの部屋を飲み込もうとする。
王崎さんは、それを見ても顔色一つ変えずに仁王立ちしている。
「勝負はわたしの勝ち。じゃあ、攻撃を解禁するね」
そうして、王崎さんは自身の周りに侍らせた血の盾を右手に収集。それは形を変えながら、彼女の手の中に、薔薇の装飾が刀身に施された紅の剣を握らせた。
「──『紅血の威剣』」
赤い剣身に映る彼女の口元は、愉悦に歪んでいて。
一閃。
僕の闇が彼女を押しつぶす前に、剣圧だけで吹き飛ばされそうなほどの風が巻き起こった。
そのあまりにも滑らかな剣筋での一撃で、僕の闇はいとも簡単に切り払われてしまう。
その威力により、傷が付かないはずのトレーニングルームの壁面に切れ込みが入ったのは言うまでもないだろう。
それでも僕の病ヰは、王崎さんを食らおうと体から飛び出ていく。
しかし、再び闇が広がり切る前に僕は首筋にとある感覚を覚えた。
「はい。頑張ったご褒美の、吸血」
「……あ」
いつの間にか僕の目の前まで移動していた王崎さんが、僕の首に歯を立てていた。そこから流れ出る僕の血が、彼女の中に流れ込んでいく。
血を失い、徐々に僕は落ち着いていった。しかし、好きな人にここまで接近され、しかも血を吸われたらドキドキもする。
だが、さすがは王崎さんというべきか。僕の高揚よりも彼女の吸血により僕の血の気が引く方が早かった。
完全に僕の病ヰが治まったのを見計らって、王崎さんが僕の首から口をはなす。
「はぁ。美味ぁ」
瞳に光を閉じ込めながら口元の血を拭う王崎さん。
貧血気味になった僕はその場に倒れこみそうになったが、すんでのところで王崎さんが抱きとめてくれた。
「ご褒美ってのは、きみの?」
「二人とも! わたしは血を吸えて嬉しいし、炉一も好きな人に血を吸われて嬉しいでしょ?」
「それはまあ」
うーん。なんだか僕、変態みたいだ。
「もう何度も血を吸われてるけど、毎回不思議だ。すっと体と心が落ち着いていくから」
「それは、血の気を引かせるためだけじゃなくて、特別な成分を患部に塗布してるからね」
「へぇ?」
王崎さんなら、それくらいできてもおかしくはないか。
「それと、首から血を吸うってところがポイントなんだ。たぶんわたしが、吸血鬼といえば首から血を吸うっていう強いイメージを持っているからだと思うんだけどね。首から血を吸えば、吸血速度もあがるし相手を落ち着かせやすいの」
「なら、肩じゃこうはいかないってこと?」
「うん。肩から吸うイメージもあるけど、わたしの場合は首かな。病ヰは、所有者の思考や嗜好、願望が色濃く出るからね。つまり、わたしは首への特攻を持ってるって感じかな?」
「なるほど」
「それにしても、かなり病ヰを制御できるようになってきたね」
「王崎さんとの日々のトレーニングのおかげだよ」
それと、これは秘密だが、鍵市さんと山乙さんとの秘密特訓の成果がでてきているのかもしれない。
王崎さんは、あごの辺りに手を置いてなにやら考え込んでいる。
そして、しばらくして開口する。
「これなら、倉骨先生から外出許可が下りるかな?」
「? 僕の?」
僕の問いに頷いて、王崎さんは晴れやかにこう言ってみせる。
「炉一。外出許可が出たら、わたしとデートしよっか」
「うん。……うん?」
王崎さんの言葉が、意味を介さず僕の脳を素通りしていく。
え?
僕が? デート? 好きな女の子と? 王崎さんと?
色々と限界がきたのであろうか。その言葉の意味を理解した瞬間、僕は眠るように気絶してしまったという。




