僕たちのありふれない日常 ②
その日は、校庭で実践のトレーニングが行われた。
「乱戦の練習をしましょう」
とは、篠江先生の提案だ。
ということで、生徒五人と篠江先生を含めた計六人は、二つのチームにわけられた。
一チーム目は、篠江先生と王崎さんの最強チーム。
ニチーム目は、僕、鍵市さん、山乙さん、灰谷さんのバランスチーム。
……いや、どうしてこうなった?
人数の利はこちらにあれど、相手が強すぎる。篠江先生は全盛期を終えているとはいえ、普通に調停ヰ者の灰谷さんと同等かそれ以上の実力を有していると聞いた。
「一度、王崎さんとタッグを組んでみたかったんですよねぇ」
いや、あんたの願望かい。
まあ実力に開きがあるとはいえ、練習で全力を出すはずもない。二人とも、いい感じに力をセーブしてくれるだろう。
ルールは、病ヰの使用ありの尻尾取りゲーム。バチバチの立ち合いじゃなくてよかった。
そうして、二体四の特訓が始まった。
結果だけを言えば、普通に負けた。しかし、チームとしてはそこそこ善戦したのではないだろうか。
まず、不死の鍵市さんと山乙さんが特攻する。そんな二人に紛れるようにして、灰谷さんが念動力で王崎さんと篠江先生の尻尾を奪おうとする。
しかし、相手チームの二人はそれを見越してか常に高速で動き回り、灰谷さんを翻弄するのであった。
そして僕はといえば、自分の意思で病ヰを出すことができず、その場で踏ん張ったまま時間が過ぎていくのみ。
途中、僕の眼前にまで迫った王崎さんが、「終わったら吸血してあげる」と、敵である僕を焚きつけてくれた。それで無事に病ヰは出たが、その瞬間に彼女に尻尾を取られ、僕は敗北。
脱落したというのに、僕の『青ヰ春殺し』は敵味方を関係なく襲い始めて地獄であった。
今日思ったのだが、僕の病ヰ、全く共闘に向いていない。いや、それは言い訳か。もっと僕が強くなればいいだけの話だ。
実践後。僕らのチームは四人とも肩で息をしていた。相手の方はというと。
「ぜッ……。ぜひゅッ、かひゅっ! フヒュー……」
疲労により、篠江先生が死にそうな顔になっていた。やっぱりあの人、めちゃくちゃ衰えているらしい。それでも強かったけど。
「大丈夫ですか? 先生」
心配そうに、王崎さんは篠江先生の背を撫でている。王崎さんは、息一つ乱れていない。さすがだ。
「わ、私は大丈夫ですので、山乙さんに血を分け与えてあげてください……」
頷き、王崎さんは校庭で仰向けに倒れている山乙さんの元に向かった。山乙さんの顔色は悪く、浅い息を繰り返している。山乙さんは、激しい運動をすると貧血気味に
なってしまうのだ。
王崎さんは、山乙さんの元に跪き、自分の腕に鋭い犬歯を立てて血を溢れ出させた。そしてその腕を、そっと山乙さんの口元に運ぶ。詳しくはよくわからないのだが、王崎さんは自分の血を異型適合血? という、誰にでも輸血できる血に変えられるらしいのだ。
山乙さんは、その血を申し訳なさそうな顔で口に含んだ。
「王崎さん。いつも、すみません」
「ううん。病ヰ持ちは皆大変なんだから。助け合うのが当然だよ」
「そう、ですね」
力なく笑う山乙さんであったが、しばらくすると彼女の顔色は少しずつよくなっていったのだった。
〇
放課後は部活というのが高校生の華なのであろうが、僕は紫東学園への転入後も転入前もなにも部活動をしていない。
昔は運動部というものが活発だったらしいが、病ヰが流行り始めてからは廃れてしまったようだ。
病ヰ持ちの中には、常時発動で体に獣のような特徴を持っていたり、体が強化されていたりする者がいて格差が生まれやすいためだろう。
病ヰの使用を許された、なんでもありのスポーツ等はあったりするが、競技性はとても低く、子どもの遊びという感じだ。
だから、アスリートになるためには完全に病ヰが治ってから目指す必要がある。全く、難儀なものだ、病ヰとは。
まあ、僕は根っからのインドア派なためあまり関係はないのだが。
だからといって僕は、文科系の部活に入っているというわけではない。万年僕は帰宅部だ。
特別臨時クラスの僕以外の生徒も、全員部活動には所属していない。
だから、このクラスの放課後は混沌だ。
簡単に言うと、鍵市さんと山乙さんは遊びに全力で、王崎さんと灰谷さんは仕事に全力なのだ。
鍵市さんと山乙さんは二人一緒に遊んだり、一人きりで遊んだり、たまに僕を巻き込んだりと、とても自由。二人はいつの間にかとっても仲良しになっていた。マイペース同士、気が合うのだろうか。
そして、王崎さんと灰谷さんはいつも忙しそうに学園内──いや、東京中を駆け回っている。
「調停ヰ者本部から王崎に依頼がきた。上野の間流高で強力な病ヰ持ちが暴れてる。なんか、ビームとか打ってるらしい。頼めるか?」
敷布団の上に横たわったまま、スマホ片手に忙しなく語る灰谷さん。
「勿論!」
「ボクが台東区辺りの空まで飛ばしてやる。ボクは別の任務で練馬まで飛ぶから、すまんが帰りは自力でヨロ」
紫東学園は、目黒と品川を跨ぐ形で併設されている。
灰谷さんが王崎さんの背中に触れると、王崎さんの姿は一瞬で教室から消えてしまった。灰谷さんは、瞬間移動を他人にも使える。しかし、自分自身が使うよりも移動範囲は狭く、精度も低いらしい。せいぜい、二十三区内の任意の区の上空に飛ばすのが関の山らしい。
「んじゃ、めんどいけどボクもいってくる。鍵市と山乙は入村を頼んだ。二人とも、あんま入村いじりすぎんなよ。そいつ、いじられると変に喜ぶから」
「なに言ってんの!?」
「ほら、喜んでんじゃん」
赤くなった僕を見ていじらしく笑い、灰谷さんは布団ごと消えてしまった。
残された僕たちは、なんだか物寂し気にお互いの顔を見つめ合う。しかし、これはよくある風景なのであった。
ぽつりと、鍵市さんがこう溢す。
「オウカとランラン、いつも忙しそう。やっぱり、タバサも調停ヰ者になろうかな」
「そういえば、鍵市さんはどうして調停ヰ者じゃないんだっけ?」
病ヰにより、不死ではありつつも体の弱い山乙さんはわかる。でも、鍵市さんは病ヰの質も強さも申し分ないはず。
「調停ヰ者になればたくさん危険な目に遭えると思う。それはいい。でもタバサは、仕事で危険な目に遭っても興奮しないと思う。タバサは、仕事じゃなくプライベートで危険な目に遭いたい。それだけ」
そうして胸の前で拳を固める鍵市さん。そんな恣意的な理由なんだ?
「でも、そうも言ってられないから、バイトとしてたまに手伝ってる。タバサは速いだけで、あんまり強くないけど」
「そっか」
「あたしも、もっとお二人の役に立ちたいです」
小さな声を溢したのは、山乙さん。
「あたし、もっと強くなりたいんです。この中だとあたしが一番弱いですから。そのせいで、いつも王崎さんや灰谷さんに頼りっぱなしなので」
自分の体を抱く山乙さんの腕は、少しだけ震えていた。それは、悔しさからくる震えなのだろうか。
どこか抜けているがいつも気丈な山乙さんを知っているからこそ、僕は彼女が溢した感情の断片に心を動かされた。
僕も、自分の非力さを呪っている。
ここにいる三人の気持ちは共通していた。
よし、それならば。
「そうだ。三人で秘密の特訓をするっていうのはどうだ?」
あまり深く考えずに放った言葉であったが、我ながらいい案なのではなかろうか。
「なるほど。ロイチはたまにいいことを言う」
「そうですね。たまに」
「たまになの?」
僕がいじけていると、二人は同時に片頬を吊り上げてみせた。そこで初めて、いじられていることに気が付く。いや、灰谷さんの言葉を真に受けなくていいから。
その日、僕たち三人は屋内のトレーニングルームで秘密の特訓を行ったのである。王崎さんはいないため、山乙さんにはあまり無理をさせないように注意しながら。
修行をしていると、山乙さんの出す毒の精度がみるみる上がっていった。病ヰの出力は感情の大きさや昂りに応じて上がっていくのだ。
つまり、山乙さんの強くなりたいという思いは人一倍強いということなのだろう。
僕と鍵市さんも、山乙さんに負けていられないという面持ちで全力で特訓を行ったのであった。




