テレパシーはいらない ③
そしてゲームは佳境を迎える。
ゴールを目前にして、灰谷さんは苦戦を強いられていた。
ゲームを盛り上げるためなのだろう。ゴール前には手前に戻るマスや一回休みのマスが大量に配置されていたのだ。
灰谷さんは、今までに得た大量のアイテムを惜しまず消費するが、なかなか前に進めない。
「んだよこのクソゲー! 二回連続一回休み引いたぞ!? 二度目は休まない仕様とかにしよけよ! カス!」
台パンならぬ、布団パンをして怒鳴る灰谷さん。
ゲームだと感情が表に出やすいタイプのようだ。
そうこうしている内に、僕は灰谷さんの五マス後ろのマスまで迫っているのであった。
そして、ミニゲームが始まる。
今回のミニゲームは、おみくじを引いて運勢の良い方が勝ちという完全に運任せの勝負。きたきた。こういうのを待ってた。
結果、僕が吉を引き、灰谷さんが小吉を引いた。NPCは、二人とも末吉。皆、渋い。
末吉があまりよくないことは知っていたが、吉と小吉ってどっちが上だっけ?
そんなことを考えていたら、リザルト画面で僕の勝利が告げられた。どうやら、吉の方が上らしい。
僕はそこで得たレアアイテムを使用し、自分と灰谷さんの位置を入れ替えた。
「あ! ずるッ! なんだそのチートアイテム!」
焦った灰谷さんの声を聞きながら僕はサイコロを振る。ゴールまでは、あと四マスだ。
表示されたサイコロの目は、五。僕の勝ちだ。
僕の分身である弟キャラがゴールし、盛大なファンファーレとともに紙吹雪が画面上に舞う。
僕のキャラは、他の三人のキャラに見守られながらキレキレのダンスを披露していた。
僕は、その画面にしばし見入っていた。
勝った……のか。ほぼ運頼りとはいえ、初めてのゲームで、ゲーマーの灰谷さんに。
呆けたように口を開ける僕を見て、灰谷さんはいじらしく口元を上げる。
「どうだ? いいもんだろ、ゲームって」
「うん、楽しかった。でも、こんなに楽しめたのは相手が灰谷さんだったからなんだろうな」
「な……ッ」
彼女は目を見開き、すぐに僕から視線を外してわしわしと自身の髪を手で弄んだ。
「お前はホント、いい意味でも悪い意味でも歯に衣着せねぇよな」
「えっと、褒めてる?」
「褒めてるよ」
同時に笑って、僕たちはしばし見つめ合った。
「あっ」
呟き、不意に灰谷さんが顔を赤らめる。
「そうだ、罰ゲームのこと忘れてた……」
口元に手を当て、羞恥によって縮こまる灰谷さん。
彼女は罰ゲームにより、僕のことを一度「お兄ちゃん」と呼ばなければならないのだ。
しかし、彼女はなかなかその一言を言い出せない。赤くなって胸を押さえ、時折恥ずかしそうにこちらに一瞥をくれるのみだ。
僕は、そんな彼女のことを見兼ねて。
「大丈夫だ、灰谷さん! きみなら言える! きみなら僕の妹になれる! 僕ならきみの兄になれる!」
「ちょっと黙っててくれるか!?」
本日三度目の枕の砲撃。今回はがっつりと顔面に食らってしまった。
「ああ、クソっ! わかった、言うよ! こういうのは勢いだ! 勢い!」
灰谷さんは、自分の頬を強く叩き気合いを入れる。
そうして灰谷さんを乗せた敷布団が少し降下し、彼女と僕の視線が全く同じ高さで交わる。
「い、言うぞ。……。お、おに……」
灰谷さんは俯いて震えながら、ちらりとこちらを見て口をつぐむ。
彼女の耳は熱により真っ赤に染まり、その瞳は微かに潤んでいるようにも見える。
緊張しているのは、彼女だけではない。僕もだ。
二人の心臓の鼓動が同時に聞こえる。二つの異なるビートは、大気を震わせるバスドラムかのような爆音を奏でていた。
は、早く言ってくれ。灰谷さん。この状況が続くと、僕の病ヰが出てしまう。
いや、これ、言った瞬間に僕の心臓はピークを迎えるんじゃないか?
どっちにしろ、僕はもう限界を迎えかけていた。色んな意味で。
「お、おにっ」
ぐっと両拳を握り、灰谷さんが顔を上げる。
そうして彼女は、僕の目をしっかりと覗き込みながらこう言ってみせた。
「お兄ちゃん……!」
──その瞬間、教室の引き戸が勢いよく開け放たれた。
バクン! と、僕の心臓が怖い脈動の仕方をした。
扉から現れたのは、見慣れたチャイナ服。その首からは、双眼鏡が提げられている。
……山乙さんだ。
「野鳥図鑑を忘れてました。……って、お取込み中でした?」
向かい合って赤面する僕たちを見て、山乙さんは顔色一つ変えずにそう訊ねた。
硬直する僕と灰谷さん。図らずも、以前僕が山乙さんに物理的に食べられかけたときと逆の構図になってしまった。僕、こんなんばっか。
急激に喉が渇いていく。硬直する僕の代わりに口を開いたのは灰谷さん。
「や、山乙……。今の、聞いたか?」
二つの心臓の音を聞きながら、僕らはただ山乙さんの返答を待つ。
彼女はかくりと首を横に傾け。
「なんのことでしょう」
そうとだけ言ってみせた。
僕と灰谷さんの口から、極大の吐息が飛び出た。
危ない危ない。教室で変なプレイをしていると思われてしまうところだった。
山乙さんは、自分の机から野鳥図鑑を取りだし扉へと向かう。
そして彼女は顔だけでこちらを振り返り。
「では、あたしはこれで。引き続き兄妹イメージプレイをお楽しみください」
「「聞こえてんじゃんッ!」」
僕らの突っ込みが重なった。
「誰にも言いませんから~」
そんな捨て台詞を吐いて、山乙さんは教室を出ていく。最後に、ひらひらと振られる手の残像を残して。いや、扉閉めてってくれよ。
再び二人きりとなり、正気に戻った僕たちはそそくさと距離を置いた。なんだか、凄く気まずい。
「えっと。山乙さんのこと追いかけた方がいいかな?」
「まあ、いいだろ。鍵市や王崎にバレるよりはマシだ」
「確かに」
鍵市さんにバレたらそのことで一生弄られそうだし、王崎さんにバレれば純粋な眼で凄く問い詰められそうだ。「どうして兄妹じゃないのにお兄ちゃんって呼ぶの? なんで? なんで? なんで?」……って。
「なんか、今日はスマン。ボクが暴走しちまった。秘密がバレて、自暴自棄になってたのかも」
そう言って、後ろ頭を掻く灰谷さん。今の彼女の表情は、羞恥というよりは反省の色が濃く出ていた。
「いや、こちらこそ。変なノリしちゃってごめん。というか、今日のことは予知で見なかったのか?」
ゲームをする前、灰谷さんは瞑想で集中力を高めていたというのに。自分の秘密がバレるという一大事をなぜ予知できなかったのか。
「あー。それな。まあ、ボクが見る予知はランダム性が高いっていうのもあるけど、それよりかは……」
睫毛を伏せ、灰谷さんはぽつりとこう言ってみせる。
「ボク、基本的に悪い予知しか見ないんだよ」
「……えっと?」
しばらくその言葉の真意を考えてみたが、どうにもよくわからない。
そんな僕を一瞥し、灰谷さんはニヤリと目を細める。
そうして彼女は僕の耳元で。
「鈍感でよかったよ。……お兄ちゃん」
「ッ!?」
驚く僕を正面に捉え。
悪戯っぽく、妹っぽく。
灰谷さんは笑ってみせた。
「なんてな?」
「……あ、危なっ。病ヰとともに心臓がまろび出るところだった」
胸を押さえて息を整える僕を、灰谷さんは楽しそうに観察している。
「お前も結構妹萌えじゃねぇか?」
うーん。そんなことはないと思うのだが。
「今日、目覚めたかも」
「うわ……」
「ちなみに、妹は本当にいる」
「うわ」
「でも、灰谷さんの方が妹っぽい」
僕の妹、なんか僕のこと踏んできたりするし。
「……お前、ガチでキモいな……色んな意味で」
そう罵倒しながらも、灰谷さんの口角は徐々に上がっていった。
そんな会話をしながら、その日は灰谷さんに寮までついてきてもらったのだった。
彼女の秘密を知ってしまってなんだか申し訳のない気持ちが強かったが、それがきっかけで少し仲良くなれたのだと前向きに捉えることにした。




