キョンシー・爆死ー・エマージェンシー ④
「──捕まえた」
語尾にハートマークでも付いていそうな、艶の隠し切れない山乙さんの声。
彼女の額の霊符は今、僕の頭の上に乗っている。
つまり、それくらいの距離にいるということだ。
彼女と目が合う。山乙さんは、なぜかゆっくりと目を瞑った。
柔らかそうな彼女の唇が近づいてくる。
あ、無理。もう限界だ。
彼女を一旦殺して落ち着かせるだけならいいが、この鼓動はその程度では終わりそうにない。
規模の大きな病ヰが──。
「──出」
「──うおおぁぁッッ!?」
不意にそんな声が聞こえ、僕らは二人ともびくりと体を跳ね上げた。
声のした方を見ると、浮かぶ敷布団の上で寝ていた灰谷さんが、アイマスクを首までずらし、壮絶な顔をして全身から汗を拭き出している。
「ど、どうした!? やばい予知でも見た!?」
平静を装って僕はそう訊ねる。先ほどの灰谷さんの叫びによって僕の心臓は縮み上がり、病ヰの暴発は一応抑えられたようだ。山乙さんの酔いも、どうやら覚めている様子。
灰谷さんは、片手で顔を覆いながら血の気の引いた顔でこう告げる。
「ああ、とんでもないものを見た」
まさか、僕の病ヰが暴走してとんでもない被害を生む予知だろうか。
僕が生唾を飲み込んで彼女の次の言葉を待っていると。
「──とんでもなくエロい予知だった……」
「……」
「……」
僕と山乙さんは、同時に黙り込んでしまった。
「誰と誰、とかまではよくわからなかったが、とにかくエロかったのは覚えてる。というか、なんか血とか出てたような……。エロくもあったがグロくもあったか? まあエログロは紙一重だしな」
いやそれ、まじで僕食べられてたんじゃないのか? 彼女が見た予知が僕らのことだという確証はないのだろうが。
そこで、灰谷さんは僕たちのおかしな様子に気が付く。
僕と山乙さんの息は荒く、制服は乱れ、距離は近い。
灰谷さんは、そんな僕らをじっと観察した後になにかを理解したかのように目を細める。
「まさかお前らか? ここ学校だぞ?」
「違うから!」
「違います!」
真っ赤になりながら、僕たちは心の限りにそう叫んだ。
「そうか? ……まあ、お前らはそんな大胆なやつらには見えないしな。てか、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」
「「いや、別に……」」
灰谷さんは難しい顔をしながら眉間を強く揉み込んでいた。そして彼女は怪訝そうに首を微かに傾ける。
「あん? さっきのやばい予知が掻き消えたな。なにかのきっかけで未来が変わったか」
僕と山乙さんは、ほっと息を吐いた。
山乙さんは、真っ赤になった顔を両手で押さえながら恥ずかしそうに口を開く。
「あの。ごめんなさい、入村さん。あたし、暴走しちゃいました」
「いや、僕のほうこそ」
僕たちは、灰谷さんに聞こえないほどの声でそう囁き合った。
そうして、僕と山乙さんはなんとはなしにしばらく見つめ合う。
果たして、灰谷さんが見た予知は誰のものだったのだろう。
もしもその予知が僕らのもので、灰谷さんが目覚めなかったら僕らは一体どうなっていたのか。
山乙さんが、僕の耳元でぼそりとこう言った。
「……えっと。入村さんの血の匂いに慣れるために、今度また二人で特訓しませんか」
その甘い誘惑に、僕はすぐに頷いてから──。
「うん。でも二人だと危ないから、誰かに見張っててもらおうか」
本当に僕が食べられてしまったら、彼女はいよいよ人の道を外れることになる。それは、僕が死んでしまうことなんかよりも、僕は悲しい。
山乙さんは、ほんの少しだけ残念そうに目を伏せてから、口元だけで微笑んでみせる。
「そう、ですね」
「でも、また二人きりでも話したいな」
捨てられた子犬のような彼女の顔を見てしまったからというわけではないのだが、素直な僕の気持ちが零れていた。
その声に、山乙さんは静かに顔を上げる。
「本当ですか?」
「うん。今日初めて山乙さんとまともに話したけど、とっても楽しかったから」
「! ……あ、ありがとうございます」
そんな僕たちの様子を見守っていたであろう灰谷さんが、小さく呟く。
「お前って、天然タラシだよな……」
「?」
僕が? とんでもない。
よく理解していなさそうな顔をする僕を見て、灰谷さんはわざとらしく舌を出していた。
「あと、山乙。息切れしてんなら、あとで王崎に血もらっとけよ」
灰谷さんの言葉に、山乙さんは静かに首肯した。
これはあとで聞いた話だが、山乙さんはキョンシーだからか、激しく運動したり興奮したりするとすぐに貧血気味になってしまうらしいのだ。
その際は、王崎さんに血をわけてもらっているらしい。王崎さんは、相手に害のない血液を生み出せるのだという。
「にしても。特訓時以外で山乙がこんなに消耗してんの初めて見たな。お前ら一体なにしてたんだ?」
「「べ、別に……」」
灰谷さんの追及に、僕たちはしらを切り続けた。彼女が念話を自主規制していてよかったと、強く思った。
ふと、手に感覚を覚えたので隣を見てみると。
こっそりと僕の背中に回された山乙さんの指が、僕の怪我した指の辺りを優しく撫でていたのであった。




