キョンシー・爆死ー・エマージェンシー ③
不意に、山乙さんは静かに瞑目する。
そして。
「――こおぉぉぉ……」
なんだか大仰に息を吐きながら、山乙さんは片足を床から離し、両手を合わせるカンフーっぽいポーズを取っていた。
本当になに? 急に。
「まあ、あたしの発言につい突っ込みたくなる気持ちもわかります。それってつまり、ボケなくとも、あたしが面白すぎるということですよね?」
「別にそこまでは言ってないけど」
というかこの子、仲良くなったら本当によく喋るな?
カンフーっぽいポーズのまま、山乙さんは一人で拳法の練習を始める。
教室でなにしてんの? 手足が長いからかチャイナドレスを着ているからかはわからないが、無駄に様になっているのがなんだか面白い。
僕は、そんな彼女に純粋な疑問をぶつける。
「山乙さん。キョンシーといえば、両手を伸ばしてぴょんぴょん跳ねる動きが有名だよな? どうしてカンフーばっかり練習してるんだ?」
山乙さんは、僕の方に向き直りながらこう言った。
「あたしは、ステレオタイプのキョンシーになる気はさらさらありませんので」
どうやら、変なこだわりのあるタイプのキョンシーの方のようだ。
キョンシーがカンフーをするのも、それはそれでステレオタイプっぽいけど。
いや、逆に新しいのかな? わからない……。
「あ、そうです。キョンシーといえば」
「なに?」
「入村さんって、爆死とかってできますか?」
「できないよ。どの辺が『キョンシーといえば』なんだよ」
澄んだ瞳でなにを言っているのだろう、このキョンシー美少女は。
「いえ。とあるキョンシー映画に、爆発でキョンシーを倒すシーンがあるのですよ」
爆死、キョンシー関係あるのかよ。これは、僕が浅学だった。
いや、それにしても「爆死できますか?」は意味がわからないだろ。できないよ。
「だから、あたしも一度爆発に巻き込まれて死んでみたいんですよね」
「凄い願望だな」
にしても、論理の飛躍が凄い。
「ということで、入村さん。爆死してみてくれませんか?」
「できないよ?」
山乙さんは、ずいっと首を伸ばして顔を近づけてくる。天を向く彼女の長い睫毛は、額の霊符に届きそうなくらいだ。
「いえ。なにも死んでくださいと言っているわけではないのです。あたしを殺すために、爆死してほしいんです」
「一緒だよ」
なんとなく危険な香りを感じた僕は、立ち上がった勢いで後ろに進む。山乙さんとはなれるためだが、彼女は躊躇いなくその分の距離を縮めてくる。
「あたしは、入村さんに死んでほしいのではありません。爆発してほしいのです」
「ほぼ同義だよ」
山乙さんは、目をかっ開いて僕を壁際に追い込んでくる。怖い。
早くキョンシージョークって言ってくれ。
図らずも、彼女に追い詰められている今が一番キョンシー映画っぽいんだけど。
「というか、爆発できる病ヰ持ちの人に頼んだら?」
「いるにはいるんですけど、あたしをぐちゃぐちゃにできるほどの威力を持った子はなかなかいないんですよね」
「だから、きみを殺せる僕に頼んでるわけ?」
「それもありますけど……。ん、ふぅ」
次第に、なぜか山乙さんの息が荒くなっていく。
よく見れば、彼女はちらちらと僕の指に視線を送っているではないか。
僕の手がなにか変だろうか。そこに視線を落とすと、山乙さんに手を握られた際、滲んだ血が付いた絆創膏が目に入った。
「すみません。入村さん。言ってませんでしたが、あたし、男性の血の匂いを嗅ぐと酩酊みたいな状態になってしまうんですよね。キョンシーなので」
「え」
やけに僕に迫ってくるのは、そんな理由が?
彼女がジャーキーを食べているとき、僕の指を見ていた気がしたのは気のせいではなかったのか。
「篠江先生が、きみの前では怪我をするなって言ってたのは、そういうことだったのか」
「はい。女性の血は平気なんですけどね。この病ヰにかかってから、どうも男性の血に興奮するようになってしまいまして。迷惑をかけまいと男性から距離を取っているうち、男性が苦手に、そして女性が好きになっていったんですよね。重ねて言いますが、恋愛対象が女性というわけではないのですがね」
「そんな過去が……」
って、言ってる場合じゃない。
山乙さんの瞳はせわしなく動いて円を描きまくっている。星の軌跡を撮った星景写真みたいになっちゃってるよ。絶対に正常な状態ではない。
そして、こんなかわいらしい子に迫られる僕も平静でいられるはずがない。
「あれ、おかしいな……。この程度の量の血でこんなに酔ったことないのに……。入村さんには心を許しちゃってるからかな……」
なんていじらしいことを、紅葉よりも赤く染まった顔で言ってくる。くそう。かわいい。
まずい。僕の心臓はもう爆発寸前だ。このままだと本当に、病ヰが暴走して爆死してしまうかもしれない!
自分の体を無理やり落ち着けようと、手を広げて胸を何度も叩く。
「えっと。このままだと山乙さんはどうなるんだ?」
「わかりません。入村さんがあたしを殺してくれたら落ち着くかもしれませんが。そうでない場合、ええと……」
そこまで言って、山乙さんは頬を染めながら舌を出した。
「――食べちゃうかも」
「ひぇっ!?」
彼女の口が、血が溢れる僕の指に向かう。
本当にまずい。
どうする? 灰谷さんを起こす? 無理だ。やばい予知でも見ない限り彼女は絶対に起きない。いや、もうこの状況がやばい予知の範疇な気がするけどな!?
助けを呼ぶ? 鍵市さんなら最速できてくれるだろう。彼女は今、校庭で王崎さんとトレーニングをしているところだろうか。
僕は窓に向かう。しかし、ここからでも声が届くかは不明だ。
窓に手を伸ばしかけて、僕は自分の重心を失っていることに気が付く。
後ろから、山乙さんに引っ張られたのだ。床に倒れ、背中に鈍い痛みが走る。
仰向けになった僕の数センチ上には、酷く上気した山乙さんの顔が。
「――捕まえた」




