不死鳥、劣情、時々熱情 ③
「……素敵な絵が、傷つかなくてよかった」
そうとだけ言い、鍵市さんはその生徒に優しく微笑みながらカンバスを手渡した。
ふわりとした風が僕の頬を撫でたかと思うと、気が付けば鍵市さんが僕の目の前にいた。一瞬でここまで移動したのだろう。
僕の闇は、再び鍵市さんに襲い掛かろうとする。どうやら、僕の病ヰは強力な病ヰ持ちをターゲットに選びやすいようなのだ。言うまでもなく、不死性の高い病ヰは強力なものが多い。
僕の移動中に必ずクラスメイトか篠江先生が隣にいてくれるのは、他の生徒を巻き込まないためという側面もあるのだろう。
「んっ……」
再び僕の病ヰに噛みつかれ、鍵市さんはそんな声を漏らす。
彼女は、人を傷つける罪悪感に顔をしかめる僕を眺めて微笑んでいた。
少しずつわかってきたが、この子、被虐体質と加虐体質の両方を持ち合わせていないか?
「ロイチ。このまま寮に向かう。落ち着くまで、ロイチの闇はタバサが全部焼き切ってみせる」
「ありがとう。かっこいいな、鍵市さん。さっきもかっこよかった」
「当たり前。タバサはかっこいい」
僕らは、人気のない道を選んで歩く。
病ヰと病ヰで、繋がったまま。
「ロイチは、キスが好き?」
「ぶっ!?」
いきなりの問いに、僕は吹き出してしまう。
「な、なんで……」
「キスしたら、病ヰが出たから」
「いや、かわいい子にキスされたらドキドキもするよ」
「か、かわいい……?」
ぽっと頬を赤らめ、くねくねと動く鍵市さん。どこか、嘘臭い動きだ。
「というか、どうして僕に病ヰを出させたんだ?」
「タバサの病ヰは、怪我をしないと出ないから。下にいる生徒と絵を守るためには、ロイチの病ヰを発動させて怪我をする必要があった」
「な、なるほど」
僕は、なんとはなしに鍵市さんを眺める。体とともに、彼女の制服は随時再生している。そういえば、王崎さんの制服も再生してたっけ?
「服が再生するのも、病ヰのおかげ?」
「む。炉一は再生しない方が好み? えっち」
「いや、一言もそんなこと言ってないけど」
むしろ、再生してくれてありがたいくらいだよ。目のやり場に困るから。
それに。
「裸を見ちゃったら結婚しなくちゃいけなくなるだろう? そうなると、鍵市さんにも迷惑かかるし」
「じゅ、純朴……」
鍵市さんは、なぜか引いていた。なんで?
「まあ、ロイチとの結婚も悪くはないけど。それはそれ」
あれ。今しれっと結婚の許可出た?
「実は、紫東学園には特殊な服を作ることができる病ヰ持ちが、いる。不死の病ヰ持ちは、その子に頼んで体とともに再生する制服をオーダーメイドで作ってもらうことが多い」
「へぇ、そんな凄い病ヰ持ちが」
「うん。だから、タバサやオウカやアマリの制服は見た目もちょっと、特殊」
山乙さんのは、ちょっと違うどころかがっつりチャイナ服だけどな。
まあ、紫東学園は自由を重んじる校風らしいし、いいのだろう。
僕たちは、紫東学園の東端に位置する寮を目指して歩き続ける。
僕が住む寮、特別指定寮に着くころには僕の病ヰは完全に治まっていた。
特別指定寮は、打ち放しコンクリートで、とても無骨な見た目をしている。
内装は特殊な素材でできているようで、ある程度暴れても壊れないようにできているらしい。謎技術だ。これも、病ヰ持ちが関わっているのだろうか。
特別指定寮に住む生徒は、寮に入るときも出るときも、他の生徒か先生の付き添いが必要なようだ。特別指定寮同士の生徒が不意に接触してしまわないようにとの配慮もあるのだろう。
僕の部屋の前で、鍵市さんにお別れを告げる。
「今日はありがとう。ここまで連れてきてくれて」
「問題ない。ロイチと一緒にいると、楽しいから」
そんな飾らない言葉に、わかりやすい僕の心臓は律儀に跳ねてくれる。
これは、からかいの言葉じゃないんだよな?
緩く微笑む鍵市さんの小さな顔の輪郭を、西日が優しく彩っていた。
なんだか、とっても青春っぽい。
一週間前の僕が今の僕の状況を知れば、卒倒するのではないだろうか。色々な意味で。
鍵市さんは、なにかを言いたそうに口を開きかけるがすぐにつぐむ。しかし、結局言うことにしたようで、僕に一歩近づいてきた。
「ロイチ。ロイチは、オウカが一番すき?」
「えっと。……そうだと、思う」
可愛らしい上目遣いに負けず、そう言った。
正直、僕はこれまで恋愛といえるような恋愛をしたことがない。
だから、好きに序列があるというのもよくわからないのだ。
僕は、王崎さんも好きだし、鍵市さんも好きだ。勿論、ほかのクラスメイトのことも。
そこに、一体どのような差があるというのだろう。
そんなことを考えていると、僕の頭に王崎さんの顔が浮かんだ。
僕は、王崎さんと劇的な出会いをしてしまった。
ヒーローに憧れる僕の前に現れた、紛れもないヒーロー、王崎さん。
それまで青春を知らなかった僕には、あまりにも刺激的な出会いであった。
でも、僕に殺されかけたのが……僕を助けてくれたのが、もしも鍵市さんだったら?
僕は、王崎さんではなく鍵市さんのことを好きになっていたのだろうか。
それは、考えてもわからない話だ。
「そう」
真顔で呟いて、鍵市さんはちょいちょいと僕に手招きをする。彼女はそのまま背伸びをして僕の耳元にこう囁いた。
「……ロイチ。タバサは別に、二番手でもいい」
「なっ!?」
頓狂な声をあげ、僕は飛びのき彼女から距離を取った。
「そ、そそそそれはどういうことだ?」
「ん? 恋人の枠はオウカにあげる。タバサは別に恋人じゃなく、殺し殺されの関係でいい。タバサとロイチは、コロフレ」
「なんだよその物騒な関係は……」
数秒後。堪えなくなったというように、鍵市さんがにやりと微笑んだ。そこでやっと、僕はからかわれていたということに気が付く。
「それに、僕は王崎さんの恋人になりたいってわけじゃない……と思う。ただ彼女は、憧れの存在というか……」
「そう? なら、タバサにもまだチャンスはある」
「……うん?」
えっと、なんのチャンスだ?
「じゃあ、タバサは帰る。ロイチ、また明日」
「うん。また明日」
そうして、僕に背を向ける鍵市さん。彼女の耳が赤くなっているように見えたのは、夕焼けのせいだろうか。
ぱたぱたとかわいらしい音を立てて去っていく鍵市さんに、僕は手を振る。
僕の心臓は、物凄い音を奏でていた。
一週間前の僕なら、確実に病ヰを暴走させていただろう。僕だって、少しずつだが日々成長しているのだ。
「ロイチー」
かわいらしい声がした。そちらに首を巡らせる。豆粒みたいになった鍵市さんが、こちらに手を振っている。
「リビドーが暴れそうになったら、いつでも連絡して。タバサで好きなだけ発散していいから」
「はいよー」
なんて、彼女のかわいらしい誘惑の言葉に僕は適当な返事を返す。
夕焼けの下、別れが名残惜しそうにお互い手を振り続ける。そんな僕たちの影ははなれていくばかりで決して交わらない。
ああ。友達がいるってこんな感じなのか。素敵だ。
「……」
僕たちの関係って、友達でいいんだよな?
まあ、コロフレでないことは確かだ。
きっと。
……たぶん。




