不死鳥、劣情、時々熱情 ②
「――定期的に、僕に殺されるってのはどうかな?」
嫌な沈黙が舞い降りる。
鍵市さんは呆けたように硬直。僕のことを弄ろうとなにかを言いかけたのだろうが、真剣な僕の表情を見て口をつぐんだ。
「鍵市さんが望むなら、どんな酷い殺し方にでも応じるよ。まあ、僕の病ヰでできる範囲になるけど」
そう言う僕の体と声は震えていた。
嫌だ。
本当は、人なんて傷つけたくない。人なんて殺したくない。
でも、僕程度の存在で鍵市さんを満足させられるのなら。
彼女に、ちょっと変わった普通の女の子のままでいてもらうためなら。
僕は、自分の意思でこの女の子を傷つけたいと――。
本当にただの僕のわがままなのだが、そう思ってしまったのだ。
「ロイチ……」
鍵市さんは、忙しそうに何度も瞬きを繰り返す。その頬は、なぜか少しだけ紅がさしていた。
「それって、プロポーズ?」
「いや、全然違うけど……」
「ふふ。ロイチに免じて、危険探索の頻度は減らす。でも、無理してタバサを殺そうとしなくてもいい」
鍵市さんは、マスクを下にずらして微笑んでみせた。
「ホントは人を傷つけるのが嫌なくせに。変なの。今、ちょっとだけロイチのこと、好きになった」
「え」
聞き間違いでは、ないよな?
喉が熱くなり、次第に全身に熱が灯る。
赤くなって硬直する僕に、鍵市さんは目を半月状に歪めて笑う。
「オウカには好き好き言ってるのに、好きと言われたら恥ずかしい?」
「いや、だって。好きなんて言われたの初めてで……」
しどろもどろになる僕に、鍵市さんは淫靡に口角を上げてみせた。
そして彼女は僕の耳元でこう囁く。
「――オウカよりも先に、タバサがロイチの初めて奪っちゃった」
「ッ!?」
目をぐるぐると回転させる僕を、鍵市さんは口元に手を当ててにやにやと観察している。
お、落ち着け。落ち着け! このままじゃ病ヰが出てしまう。
「ぼ、僕は、王崎さんのことが……」
「ふふ。そんな堅っ苦しいところも好き。そんな真面目なロイチに殺されるかと思うと、ゾクゾクする」
「と、倒錯してる……」
「倒錯結構。それが、タバサ・カギイチ」
ここぞとばかりにキメ顔を作る鍵市さん。
「それに、好きな人なんて何人いてもいい。その好きが、特別かそうじゃないかだけの違い。更に言うと、特別な「好き」にだって、何種類もあったりする」
「それ、は……。確かに」
確かに僕は王崎さんのことが好きだが、鍵市さんのことも好きだ。
僕は、僕なんかと一緒にいてくれるクラスメイトの皆が好きだ。勿論、久玲奈のことも。
その好きに、どんな違いがあるというのだろうか……?
高鳴る胸を手で押さえる僕を、彼女は興味深げに眺めてくる。
「ロイチ。病ヰ、出そう? いいよ。タバサにぶつけて?」
「いや、そんなわけには……」
鍵市さんが、おねだりするペットのように、可愛らしい表情で僕のことをじっと眺めてくる。
なに? これは僕の病ヰを鍛えるトレーニングなのか?
「ふふ。ロイチを虐めるの、楽しい」
ああ、絶対違うわ、これ。僕をおもちゃとして扱ってるだけだわ。
――次の瞬間。
「きゃぁっ!?」
不意に強風が吹き、右手側の校舎から女性の悲鳴のような声が聞こえてきた。
甲高い悲鳴のあとに、「危ない!」と声が続いた。
声のした方向を見て、全てを察する。
校舎の四階の辺りで、窓から顔を出す女子生徒の姿があった。叫んでいるのは彼女であろう。
そして、無慈悲に落下する絵の描かれたカンバスが目に入る。その真下には、移動中の生徒たち。
見たところ、カンバスのサイズはそれほど大きくはなさそうだ。絵を持ったまま窓を開けて手を滑らせたか、強風にさらわれてしまったのだろうか。
経緯はわからないが、このままだと下にいる生徒が怪我をしてしまうかもしれない。
今から走っても間に合わないだろうが、僕の体は無意識に走り出そうとしていた。
「ロイチ」
そんな僕を止めたのは、鍵市さん。
鍵市さんは、僕の袖をぐいと引っ張り。
「出せる? 闇」
「え、いや。まだ自分の意思では……」
「じゃ、これで」
そう言って鍵市さんは。
――脈絡なく、僕の頬にキスをした。
「なっ!?」
刹那、青春の許容値を越えた僕の病ヰが暴走。辺りにどす黒い闇が展開された。
僕の体から躍り出た闇は、鍵市さんの体に無慈悲にも食らいつく。
花が咲くかのように、彼女の全身から鮮血が激しく飛散した。
血の雨が降りしきる中、鍵市さんはほんの少しだけ笑いながら小さく囁いた。
「……『灼け朽ちた翼』」
突如発生した熱が僕の体を舐めあげる。
彼女の体から眩い炎が上がり、僕の闇を瞬く間に焼き尽くす。
傷口から炎を噴出しながら、彼女の体はみるみるうちに再生した。
そして、風だけがその場に残された。
炎で編まれた翼をはためかせ、鍵市さんは一瞬にして落下するカンバスに肉薄したのだ。
カンバスが、下にいる生徒に直撃する前に、鍵市さんは歪な体勢でそれをなんなくキャッチする。
空中で逆さまになりながら、炎と陽光を傍らに侍らせ不敵に笑む不死鳥の少女。
「速さだけなら、タバサはオウカにも負けない」
おお、と。空中で急停止した鍵市さんに対して生徒たちの称賛の声があがる。
「ありがとう! 鍵市さん」
下にいる生徒の一人がそう言った。
「もーまんたい。無事でよかった」
生徒たちに手を振り、鍵市さんはそのまま浮かび上がる。そして、四階にいるカンバスを落とした女子生徒の元へ急ぐ。
「あ、ご、ごめんない。私のせいで……」
震える声で謝る生徒に、鍵市さんは首を横に振って応える。
鍵市さんは一瞬カンバスに目を落とし、淡く口元を緩めてこう言った。
「ごめん。勝手に絵、見ちゃった。……素敵な絵が、傷つかなくてよかった」




