3話
図書室の扉を静かに引くと、わずかにひんやりとした空気が流れ込んできた。
放課後の図書室は人の気配が少ない。奥の席に数人、自習している生徒がいる程度で、あとはほとんど空いている。
「わあ……思ってたより広いかも」
くるみさんが声をひそめて棚を見回す。肩までの髪がさらりと揺れ、制服のリボンがそれに合わせて軽く跳ねた。
(なんか、絵になるな……)
窓から差し込む光の中に立つくるみさんは、どこか幻想的で儚く、まるで映画のワンシーンを見ているみたいだ。それなのに表情は子どもみたいに素直で無邪気で──そのギャップにちょっとだけ見とれてしまう。
「……久世くんはよく来るの?」
「え、ええと……まあ、人が少ない時間帯なら」
「確かに静かでいい場所だもんね」
そう言ってくるみさんは足音を立てないように棚の間を歩いていく。僕も後ろからついていった。
「そう言えば…ラノベコーナーってある?」
「あります。あっちの奥のほう。ジャンルごとに分かれてるので──」
「案内お願いしまーす、先輩」
くすっと笑いながら僕の後ろに回り込んで背中をトンと押した。
(……近い)
振り向くと、くるみさんの顔がすぐそこにあって、少しだけ息を呑んでしまった。黒目がちの瞳がまっすぐこちらを見つめていて、その距離に思わず目をそらす。
(落ち着け……落ち着け……)
たぶん、今の僕の顔はかなり赤い。
「ここです。あの、ラノベは──この一列」
「わー、けっこうあるんだね」
くるみさんは興味津々に背表紙を眺めながら、「あ、これ読んだことある」「これ表紙かわいい」とぽつぽつつぶやいていた。
そんな彼女の横顔をちらりと見て、ふと思う。
(こんな普通のことが、きっと彼女にとっては“新鮮”なんだろうな)
きらきらしたステージじゃなくて、静かな放課後の図書室。騒がしいファンじゃなくて、僕なんかと一緒に、本の背表紙を眺めている時間。
それを楽しそうにしているくるみさんが、なんだか不思議だった。
「久世くん、このシリーズ知ってる?」
「あ、知ってます。二巻の終盤が……その、良くて……」
「やっぱ読んでるんだ〜。うれしい、趣味合いそう」
にこっと笑われて、心臓がまた少しだけ跳ねた。それが顔に出ていないといいけど。
そうして並んで本を眺めながら、くるみさんがふとぽつりとつぶやいた。
「……制服って、いいね」
「え?」
「衣装の制服とはやっぱり全然違う。」
そう言って、制服のスカートを少しだけつまんで見せる。
それは他愛のない一言だったけど、僕の胸には少し響いた。彼女の望んだ“普通”は、きっとずっと遠くにあったんだ。
それは何気ない仕草だったけど、どこかその言葉に引っかかりを覚えた。彼女の言う“普通”って、もしかしたらすごく遠いものだったのかもしれない。
だから、自然と口をついて出た。
「……その、よく似合ってると思います」
くるみさんが、少し驚いたように僕の顔を見た。
「……ありがとう」
それは、本当に少しだけ──ほんのわずかにだけ、間を置いてからの返事だった。
(まずい、気を悪くしちゃったかな…)
それ以上は何も言わずに彼女はまた本棚に目を戻した。
僕も隣に並びながら、背表紙を眺める。
どちらからともなく話し出して、どんな本が好きか、少しだけ会話が続いた。でもそれは、どこかまだぎこちない。
でも、たったそれだけのやり取りが、なぜか僕には妙に心に残った。
(不思議な人だな)
そう思いながら、僕たちは静かに並んで、本を眺めていた。
くるみさんが、一冊の本を手に取る。その表紙を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。
「……それ、面白いらしいですよ。借ります?」
「……うん。借りてみる」
くるみさんは静かにうなずいて、その本を胸元に抱えた。
その姿は、なんだかとても“普通の高校生”らしく見えた。
そして──
「次、どこ行く?」
ふいに向けられた問いに、僕は少し考えてから、静かに答える。
「……じゃあ、購買でも覗きますか。まだ案内、終わってないですし」
「ふふっ、たしかに。よろしくね、案内係さん」
その笑顔に、また少しだけ目を奪われる。
僕たちはゆっくりと、図書室をあとにした。